紺青の鬼

砂詠 飛来

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其のいち・青鬼の井戸、生き肝の眼薬

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      十三、

 翌朝──

「なんとおっしゃいました?」

 お松が僧に詰め寄る。

「ですから、子どもの生き肝を喰わせるのですよ」

 僧は涼しい声で言う。

「子どもって‥‥まさか、わたしたちの娘のことを言っているのですか⁉」

 昨日さくじつと同じ座敷に、僧、辰五郎、お松、そして女の童の四人が居る。そしてまた、同じように向かい合って座っている。

 唯一違うのは、おしづが居ないことだった。

 おしづは、お梅と一緒に日課であるお青鬼の祠へお参りに行っている。

「まさか。生き肝であれば男でも大人でも構いませんが、子どものほうがよろしいのです。大人よりも汚れておりませんからねぇ」

 僧は、笠を揺らして嗤う。そして、続ける。

「血縁者のほうが、効きやすいのです」

「そんなもので、眼が善くなるというのですか!」

「──えぇ」

 お松は、いまにも僧につかみかかりそうになっている。

「子どもの生き肝です。それが、眼薬めぐすりです」

 僧は、はっきりと言い切った。

 お松は言葉を失くす。

 代わりに辰五郎が口を開く。

「娘の──お梅の肝が良いとおっしゃるのですか」

「えぇ。確実に治したいのであれば」

「お梅は、大切なひとり娘です。失うわけにはゆかない」

 辰五郎は僧をまっすぐ見つめる。

 その視線に、僧はほのかに嗤って返す。

「もう、お子さんはできないから?」

「え?」

 辰五郎の表情が引きつる。

「いえ、失礼。大奥さまの眼のほかに──」

 僧は、右手でお松を指し、

「奥さまも、なにか患っていらっしゃるのが判りましたので」

 お松は眼を見開いたまま俯いている。僧の言うことが当たっているからである。

「そんなことも、お判りになるのですか」

 辰五郎の声に驚きが含まれ、震えている。

「まぁ──」

「では、お松のほうも、なんとかできますか」

「そうですねぇ」

 僧は顎に手をかけ考え、

「やはり、あなたがたの娘さんが邪魔ですかねぇ」

「邪魔⁉」

 辰五郎は身を乗り出す。

「えぇ。あの娘さんがこの家に居る限り、現状は改善しません」

「なぜですか」

「疫病神、といったところでしょうか」

「──―」

 僧の遠慮しない物言いに、辰五郎は言葉を失くす。

「そちらの──」

 消え入りそうな声でお松が言った。

「そちらの娘さんではだめなのですか──」

 お松は虚ろな眼で、僧の隣りに座る女の童を見つめている。

 女の童も、じっとお松の眼を見つめている。

「ははぁ、おもしろいことを仰りますねぇ」

「生きた子どもの肝が好ましいのであれば、わざわざうちのお梅でなくてもいいはず。そちらの、その子ではだめなのですか」

「お松、よしなさい」

 かぶった笠から、嗤う僧の口が見える。

「なにがおかしいのですか」

「いえ──この子、おりくではだめです。この子はすでに身も心も御仏に捧げておりますゆえ、なりませぬ」

「どうしても、うちの子でなければだめということですか」

「どうしても、大奥さまと奥さまの病を治したいのであれば──」

 お松は女の童──おりくから眼を逸らしてくうを見つめる。

 おりくは相変わらずお松を見つめている。

「もう、よいか‥‥」

 ぽつりと辰五郎が言った。

「はい?」

 僧が訊き返す。

「母さんの眼は視えないけど、いまのままで母さんは満足している。お梅も元気でいる。いまのままで良いのかもしれない」

「──よろしいのですか」

「はい。医者に診せても青鬼さまに通ってもだめでした。今回も、それらと変わりません。誰にも治せなかったんだ、同じです」

「──生き肝で、治るのですよ」

 低く、低く言った。

「か、確証はあるのですか」

「必ず治ります。奥さまの患っていらっしゃるものも治ります」

 僧はひとつ息を吐き、立ちあがった。

 おりくも続いて立ちあがる。

「一日、時間を差しあげましょう。おふたりでじっくり考えてください。娘さんを失いたくないでのあれば、そのときは拙僧は速やかにこの屋敷から、村から去りましょう──もし、大奥さまの眼を治し、奥さまの身体を治したいのであれば、拙僧がいろいろと施しましょう」



       十四、

 借りたひと間に戻り、僧は笠を外す。

 僧、と言っても剃髪をしていない。短く切り、後ろですこし結っている。

「このまま、うまくゆくか‥‥」

 ぽつりとこぼす。

 ふっと嗤う。

「よもや、自分の子を殺そうとするとは‥‥」

 僧は、おりくに向かって手を伸ばす。

「おいで」

 おりくは無言で僧の前に座る。

「もうすこしですべてが終わる。そうしたらお前はどうする? すべてを知りたいか、それともこのままこの竹葉と旅を続けるか‥‥目的の無い旅を」

 おりくは、僧──竹葉をまっすぐ見つめて、

「りくは、このまま一緒におります」

 素直に答えた。

「──皮肉なものだ。親の‥‥いや、いまは言うまい」

 竹葉はおりくの頭を撫でる。

「声が低くなってきたな」

「?」

「いや、いい。いずれ打ち明ける」

 竹葉は、おりくの顔の布を外した。



     十五、

 翌日、お梅は屍体となって発見された。

 青鬼の井戸のところで首をくくっていたのである。

 井戸の水を汲みあげる桶に結わえられていた太い縄が、お梅の細い頸に喰いこんでいた。

 お梅の冷たくなった身体は、井戸のへりに、もたれかかっていた。

 前日の晩、お梅は、いつものようにおしづと一緒に布団に入った。だが、夜半になって、

「ばあさま、かわやへ行ってくる」

 と、布団から出たという。

 朝になっておしづが眼を覚ますと、お梅は戻っていないままであった。

 屋敷のなかを捜してもおらず、ふと思い立って青鬼の井戸を見にゆくと、そこでお梅は息絶えていた。小さなその身体は、まだ、ほのかに温かかった。

 お梅の亡骸を屋敷に引き取り、辰五郎は竹葉が休んでいる部屋の襖を乱暴に開けた。

「いるか! 御坊!」

 竹葉は笠をかぶり、正座をしていた。

 傍らには、おりくが辰五郎に背を向けて寝息を立てている。

「おや、旦那さま。血相を変えてどうなさいました? 結論、出して戴けましたかな?」

 竹葉の悠長な喋りに、辰五郎はカッとなり、その胸倉をつかむ。

「あんた、お梅になにをした」

「なにを、と申されましても‥‥拙僧はまだなにもしておりませぬ。あなた方の意見を伺ってから、手を施すと申しあげたでしょう──娘さんになにかあったのですか」

 胸倉をつかまれながらも、顔を見られないように下を向いて喋る。

「しらばっくれるな。お梅になにをした。お梅になにか吹き込んだのか? そうなのか?」

「──なにが、あったのですか」

「‥‥本当に、あんたじゃないのか」

「なにがあったのですか」

 竹葉は同じ言葉をくり返す。

「──」

「まだおりくが寝ております。お静かに。お話は伺います。別に部屋を設けてくださりませぬか」

 辰五郎は、つかんでいた手をゆっくりと放した。



       十六、

 座敷に、お梅の屍が寝かされている。布団のなかのその顔は、ただ眠っているように見える。

 その布団の傍らに、竹葉とおりく、辰五郎とお松が座っている。

 おしづには、まだ知らせていない。

「娘さんが、あの青鬼の井戸で?」

 竹葉が訊いた。

「縄で首をくくっていた。見つけたときは、まだ温かかった‥‥もうすこし早く見つけていれば──」

 辰五郎は言葉を詰まらせる。

 お松は、ぼんやりと娘の青白い顔を見つめて、なにやらぶつぶつと呟いている。

 黙っている竹葉に、辰五郎は言う。

「‥‥あなたは、母とお松の病を治すためには、お梅の生き肝が必要だと言った。だから、あなたがお梅に手をかけたのでは、と疑うのは当然だ」

 さきほどの荒々しさは無いが、声音に毒を含んでいる。

「だが──」

 言って、辰五郎は懐から一枚の紙切れを取り出した。

「お梅の帯に、一通のふみが挟んであった‥‥あなたは眼が視えない。わたしが読みます」

 辰五郎は、その文を両手で持ち、深呼吸をくり返す。そして、読みあげた。


  梅のきもをばあさまに食べさせてあげてください
  ばあさまの目がよくなりますように


「拙い字で、こう書かれています──肝のことは、お梅には聞かれないようにしていたのに‥‥」

「──拙僧は、話しておりませんよ」

「‥‥‥」

「娘さんのお気持ちを大切にし、この肝を大奥さまに食べて戴きましょう」

「あんた! なにを言ってるんだい!」

 突然、お松が竹葉につかみかかった。

 その弾みで笠が外れ、畳の上に落ちた。

「!」

 驚いたのは辰五郎である。

「竹‥‥七‥‥?」

 竹葉の顔を見て言う。互いに眼が合う。

 お松も竹葉の顔を見つめる。

 歳をとってはいるものの、その僧の顔は竹七のものであった。

「‥‥っ」

 が悪そうに、竹葉は眼を逸らす。

 そのうちに、お松も気づいたようであった。

「竹七‥‥だよな? お前、僧になったのか? 眼が視えないのは本当か?」

 竹葉と辰五郎は、さきほど眼がしっかりと合った。

「──拙僧は、竹葉という坊主です」

 竹葉は、ふたりの眼を見ない。

「竹葉さま!」

 傍に座っていたおりくが、落ちた笠を拾う。

「‥‥この童は?」

 お松がおりくに手を伸ばす。

「よせ!」

 竹葉がその手を払い、おりくを抱き寄せる。

「おれは、おれはお梅になにもしていない! その子が自分で死を選んだのだ!」

 竹葉が、おりくを抱えて立ちあがろうとするのを、辰五郎とお松がふたりがかりで阻止し、辰五郎が竹葉を殴った。

「竹七! いまさらなんの用だ! なにをしに来た! 庄吉をさらったのはお前か!」

 お松が抵抗するおりくの顔の布を外した。

「‥‥!」

 露わになった顔は、すぐ傍で冷たく眠るお梅と瓜ふたつであった。
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