紺青の鬼

砂詠 飛来

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其のに・青鬼の面、鬼堂の大杉

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      三、

 若い男女が、互いにその想いを知り、なにもないわけがない。

 はじめは、ふたりで視線を重ねるだけでよかった。それが次第に微笑みを交わすようになり、手を握るようになり──

 そして、ある夜、ついにふたりは互いの身体に触れあってしまった。

 いけないことだと思いつつ、陽成は想いを抑えきれなかった。

 いけないことだと知りつつ、お梅は想いを受け入れてしまった。

 一度だけ、一度だけと思っていたが、住職や、その妻のかさねの眼を盗んでは逢瀬をくり返した。

 しかし、いつまでも隠しておけるものではない。

 ある朝、いつものように裏庭の落ち葉を掃いていたお梅に、かさねが声をかけた。

「お梅ちゃん、ちょっといい?」

「はい」

 お梅は、箒の柄を握りしめる。

 かさねがなにを言い出すのか、その口をじっと見つめる。

「話があるんだけど、ついていらっしゃい」

 かさねはそれだけ言うと、さっさと歩いていってしまった。

 お梅はそのあとをついてゆく。

 裏庭の小さなお堂の前で、かさねは歩みを止めた。

 薄暗いお堂のなかには、寺の住職──陽光ようこうが座っている。

 頭をきれいに剃り、顔や手に刻まれた皺に柔和さが滲む。

 どっしとりと落ちついた雰囲気に包まれたその表情は、笑んでいるでもなく、怒っているでもなく、ただ、涼しげにお梅を見つめている。

 陽光のすこし後ろに陽成が控えていた。

 居心地が悪そうに顔を歪めている。

 お梅を見ようとしない。

「座りなさい」

 陽光が静かに言った。

 陽光のその声は聴こえているはずなのに、お梅はすぐに動けなかった。

「さ、お梅ちゃん」

 先に座ったかさねが、そっと促す。

「はい‥‥」

 陽光の表情は変わらない。

 ゆっくりとその場に座るお梅。

 衣擦れの音が堂内に響く。

 お梅が座り終えたところで、陽光が再び口を開いた。

「お梅さん、わたしの話、よく聴いてくださいね」

「──はい」

 丁寧な口調が、怖い。

「わたしが、あなたと陽成とのことを、知らないとでも思っておりましたか」

 いきなり切り込む。

 すこし声を鋭くして、陽光は言い放った。

「──」

 お梅の表情が固まったのを見て、陽光は、からからと喉の奥で笑う。

「陽成も悪いし、あなたも悪い。陽成は修行が足りないし、あなたは僧侶というものを判っていない。まぁ、他所よその娘さんが僧侶とはどのようなものか判ってしまったら、わたしらの修行は要らなくなってしまうのですがね」

「──」

 眼を伏せたお梅に、

「わたしの言いたいことが判りますかな」

 陽光が愉快そうに言った。

 眼元に柔和な皺が寄る。

 お梅は、ふいに陽成を見た。

 眼が合った。

 それを見た陽光が嗤った。

「安心しなされ。陽成が自ら口を割ったわけではありませんよ。わたしが嗅ぎつけたのです、この鼻でね」

 陽光は愉しそうに笑い、ちょっと低めの自分の鼻を、ちょんと突いた。

 お梅は、ぎくりとした。

 陽成とお梅が逢瀬をくり返していた場所は、裏庭の、まさにこの離れのお堂だったからである。

「さて、どういたしますかな」

 陽光が訊く。

 お梅は、顔があげられない。床の板目を見つめる。

 陽光の顔が見られない。

「厳しい罰を、とは思っておりませんよ。ただ──陽成はすぐに修行に出します。あなたも、すぐにここから立ち去りなされ」

 きっぱりと言った。

 冷たい声音だった。

「──」

 居場所が無くなってしまう。

 陽成と一緒に居られなくなってしまう。

「この寺とわたしたちのために、一生懸命働くあなたを本当は追い出したくはありません。されど、このままあなたをここに置いておくことはできません。それに、陽成には許嫁がいるのです」

「!」

 お梅は驚いて顔をあげる。

 陽光を見、そして陽成を見る。

 陽成は下を向いたままである。

「許嫁‥‥?」

「おや、なにも聞いておりませなんだか」

「──はい」

「まぁ、よいでしょう。もうあなたには関係の無いことです」

 含んで嗤い、陽光は立ちあがる。

「お梅さん、荷物をまとめなさい」

 そう言い残し、陽光は出て行った。かさねもそのあとに続いた。



       四、
 
 薄暗いお堂のなかには、お梅と陽成が残された。

「お梅さん──」

 陽成が口を開いた。

 お梅は返事をしない。

「お梅さん、あの──」

「許嫁って、どういうことですか」

「え」

「許嫁です。そのようなひとがいるなんて、わたし聞いていません」

「それは、ぼくも、忘れていたのです、その、許嫁のことを‥‥」

 ごまかすように視線を泳がす。

 その黒眼の動きをひとつも逃すことなく、お梅は続ける。

「陽光さまがおっしゃったように、わたしもあなたも悪いのかもしれません。でも、わたしは本気だったのですよ。それをあなたは‥‥わたし、陽成さんに許嫁がいるなら、意地でもこういう関係にはなりませんでした。あなたはわたしを弄んだのですか」

「そんな、わけじゃ──」

 陽成には返すことばが無い。

「──ややこがいるのです」

 自らのお腹に手をあて、お梅が静かに言った。

「ややこ?」

 陽成は眼を見開く。

「あなたが修行にゆき、立派になって帰ってくるまで、わたしはこの子とともに待っていようと思っていました。その旨、陽光さまとかさねさんには、そのうち伝えねばと思っていたのですが──こうなってしまったら、わたしはもうここには居られません」

「そんな、ぼくがなんとか父を説得しますから!」

 お梅の手にすがる。

「では、どうして先ほど陽光さまがいらっしゃる時に、そう言ってくださらなかったのですか。それに、許嫁のことは?」

「それは‥‥」

「陽成さん。あなたは修行をして、立派なお坊さまになってください。わたしは──わたしは、このややことともに、ふたり知らぬ地で暮らします」

 お梅は陽成の手を払い、立ちあがる。

「──立派なお坊さまになってくださいね」

 それだけを言って、お梅は去ろうとした。

 しかし、陽成がお梅の細い肩をつかんで、

「一緒に逃げましょう」

 と言った。

「え?」

「どこか遠く、誰にも判らぬ土地へ逃げて、そこでややこと一緒に暮らすのです」

「陽成さん、ご自分がなにを言っているのか判っているのですか」

「修行なぞ知りません。ぼくは、お梅さんと一緒に居たいのです」

「でも──」

「すぐにでも、どこか遠くへ参りましょう」

 陽成は、お梅の手を握る。

「本当に、よいのですか」

 お梅が問う。

「よいのです。もう決めました」

「本当に、それでよいのですか。後悔しませんか」

「──よいのです」

 陽成は、お梅の眼を見る。

 お梅も、陽成の眼を見る。

「あなたが、陽成さんが決めたことなら‥‥」

 お梅は、陽成の手を握り返した。



       五、

 その晩のうちに、ふたりは荷物をまとめて寺を出てゆこうとした。

 荷造りを終え、いざ寺を出てゆこうとした時、門柱の陰から陽光が出てきた。

 ゆく手を阻むように、ふたりの前に立つ。

「これ、どこへゆく」

 灯りをひとつ持ち、低い声で訊いた。

「陽光さま‥‥」

「こんな夜半にどこへゆく」

 もう一度訊いた。

「──」

「──」

 ふたりは応えない。

「陽成」

 名を呼ばれ、びくりと肩を震わせる。

ねやに戻って、経でも呼んでおれ」

「──」

「読んでおれ」

「あの、父さ──」

「早うゆけ」

 凄みのきいた声に、陽成はその場から駆け出してしまった。お梅を独り残して。

「陽成さん!」

「お梅さん、あいつはだめだ。あいつはお梅さんに相応しくない。修行も半端、あんたを連れて逃ぐるも半端。あんなできそこないでは、あんたが可哀想だ」

「陽光さま‥‥わたしのお腹には、ややこがいるのです」

 お梅のことばを聴き、陽光は一瞬驚いたが、

「そうであろうなと思っておった。かさねが言っておったわ。あんたの身体のようすがおかしいと」

「かさねさんが──」

「あんたがとおの頃からあんたを見ているんだ、判るであろうよ。お梅さん、自分のためにも、この寺から去りなさい。あんたをここに連れてきた安兵衛さんには、わたしがうまく言っておく。さぁ、このまま荷を持ってゆきなさい」

 陽光は道を開けた。

 冷えた空気が、ふたりの間に流れた。

 と、そこへ、

「そんなところでなにをしているのです」

 かさねが現れた。

「夜も更けて、身体が冷えてしまいます」

 お梅の身体を引き寄せ、冷えた身体をさする。

「かさね、お前──」

 陽光がなにかを言いかけたが、かさねはそれを遮るようにお梅に話しかける。

「身体を冷やしてはだめです。さぁ、暖かくして寝なければ」

「かさねさん、でも‥‥」

 お梅はちらりと陽光を見る。

 陽光は、顔をしかめてはいるが、怒っているようすではなかった。

身重みおもの娘をひとり、こんな夜半に追い出すなんて、神も仏もありませんね!」

 かさねは、厭味らしく言い、

「今夜は、わたしのところで寝なさい。暖かくしてありますよ」

 と、お梅に優しく言った。
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