徒花の彼

砂詠 飛来

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裏庭の彼

八、

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 原瀬くんを教室に残し、僕はオレンジ色に染まる廊下を歩く。

 結城は、どこに居るんだろう。いままで僕は、捜すってことはしてこなかったけれど、結城が毎日この学校のどこかに居るということなら、捜さなければ。

    でも、今日はもう帰ってしまっているかもしれない。そんなことを思いながら、僕は裏庭の池の鯉にエサをやろうと歩みを進めていた。

 確か、裏庭も大きい立派な桜の樹があったっけ。

 靴を履き替えて重い足取りで裏庭に来てみれば、それまでの鉛のような重苦しさをすべて払拭してしまうような出来事がおきた。

 結城が、居たのだ。

 池の傍に置かれたベンチに、結城が座っている。背もたれに背を預け、目をつぶったまま煙草を咥えて煙をくゆらせている。

 すこし長めの黒髪は夕陽に照らされて艶を放っている。ワイシャツの襟は大きく開けられ、鎖骨が見えている。すこし痩せた? 背が伸びた? 心なしか、大人っぽく見える。

「ゆうき」

 僕はそっと近づいて隣に座り、声をかけた。肩にそっと触れてみる。久々に見る結城の姿に、これは幻かと疑うほどだ。でも、僕の手のひらの温もりは偽りのものじゃない。

「‥‥!」

 切れ長の目をバッと開き僕を見た結城は、思いきり噴き出した。弧を描いて落下する火のついた煙草が、僕の手の甲に落ちる。

「あつっ」

 慌てて払い落すと、結城が地面に落ちたそれを踏み消した。

「結城――」

「潤一、なんでここに」

「なんで、って‥‥鯉のエサやりに」

 僕が言いたいことはそんなことじゃない。いままでの鬱憤を、晴らさなきゃ。どうして教室に来ないの、委員会に顔を出さないの。――どうして僕のことを避けるの。

「そっか‥‥ていうか、手、大丈夫か」

「うん」

 火があたった部分を反射的に押さえていたけれど、結城に言われて改めて見てみた。ほんのり赤くなっている
が、大した火傷ではなさそうだ。

「‥‥悪かった」

「それって、いまのこと? それとも、いままでのこと?」

「はっ?」

 夕陽が反射してきらきらと揺蕩たゆたう池の水面には、大きな樹から舞い落ちる淡紅色の花びらが揺れている。

「自分がどのクラスか知ってる?」

「――それが、なんだよ」

「ねぇ、なんで煙草なんか吸ってるの。学校に来てるなら教室で授業を受けてよ。委員会に出て一緒に作業してよ」

 僕の隣に、居てよ。

 結城はぼんやりと立ちすくみ、水面で揺れる花びらたちを見つめている。僕の目を見て話してほしいのに。

「潤一は、なんでそう思うんだよ。俺が居ないことでなにかあんのかよ」

「あるに決まってる‥‥!」

「俺には無い」

 久々に見た姿、触れた身体、聴いた声、交わした会話。どれも嬉しいはずなのに、僕の想いは伝わらない。顔を合わせたらこんなことを言ってやろう、言い聞かせてやろうって、幾度も頭のなかでシミュレーションしたのに、いざそのときが来るとうまいこといかないなんて。

 僕は、どうしたかったんだろう。結城の姿を見られれば良かった? 声を聴ければ良かった? いま叶っているじゃないか。なのにどうして、こんなに苦しいんだろう。

「結城」

「なんだよ」

 ぼうっと水面を見つめる結城に近づき、そっと口づけをしてみた。

「!」

 驚いた結城は身体を固くしながらも、僕から離れようとする。僕は結城の腕を強くつかんで動きを封じ、口づけを深くする。

「ん」

 結城は抵抗したけれど、ふいにそれをやめた。肩も腕も、脱力しているのが判る。

 僕はこんなことをするのはもちろん初めてで、どこかで得た知識でしかないけど結城の腔内を舌でなぞる。あまりにも暖かくて心地よくて、ずっと続けていたと思ったけれど、息苦しさと煙草臭さでやめざるを得なかった。

「なに、すんだよ」

 僕の手を離れた結城は、僕から距離を取る。あたりまえだろうな。男にいきなりこんなことをされれば、誰だって気持ちが悪いはずだ。しかも、避けてる奴に。

「ごめん、結城」

 口のなかがジンジンと痺れてくる。大したことない火傷のはずなのに、赤くなった手も一緒に。

「馬鹿だろ、お前‥‥恋人でもねぇのにこんなことすんな」

 退け、と僕の肩を押し、結城は居なくなってしまった。
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