徒花の彼

砂詠 飛来

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屋上の彼

五、

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 俺が先生を本格的に意識し始めたのは、奇しくもその煙草がキッカケだった。

 桜はすべて散り、新緑だった葉は紅くなろうとしていた、ある日の委員会終わり、俺はとある香りとすれ違った。

 橋本結城が吸っていた煙草の煙だった。厭な香り。苦い香り。

 人とすれ違ったわけではないのに、その場にわだかまっていた香りで、すぐにあいつの顔が思い浮かんだ。嫌いな香りのはずなのに、それがどこから香ってくるのかと、俺は自然とその匂いを追っていた。

 そして、目の前には屋上へ出る扉。鍵は、開いていた。

 いつもは裏庭で煙草を吸ってるくせに、今回は屋上か――

 厭味のひとつでも言ってやろうと、橋本結城の姿を探したが、見つかったのはくたびれた白衣を着た須堂先生だけだった。

「ありゃ。君か」

「須堂先生、なにしてるんですか」

「瞑想」

 先生の口から白い煙がたゆたっていた。

「煙とか匂いが服に移りませんか」

「大丈夫だよ。実験でちょっと、って言えばほかの先生も生徒も納得してくれる。橋本はおしゃべりな子じゃないからなにも言わないだろうし」

「潤一さ‥‥宮下先輩が知ってるかもしれませんよ、あのふたり仲が良いし」

「ああ、付き合ってるもんね」

 先生は煙草の火を靴で踏み消した。

「あ。知ってたんですか」

「知ってるよ。だけど、僕はなにもしない。橋本がなにもしないのに、僕はなにもできない」

「そう、ですか」

 ということは、俺が潤一さんのことを想っているのも知っているかもしれない。

「君はどうしてここに? 橋本がいると思った?」

「え」

「橋本がいるところには宮下もいるもんね」

「あ、あの、いや‥‥」

「知ってるよ、好きなんでしょ」

 やっぱり。

「いや、えっと‥‥いまは、違いますし」

「へえ?」

 先生は新しい煙草に火を付けていた。ライターも、橋本結城の物と同じ。

「いまっ、いまは、先生のことが好きなんです」

「―――」

 驚きと、唖然と、呆れと、先生のこの表情はどういう意味なのだろう。

「あ、そうなの。あはは、君おもしろいね。変なの」

    強がりを言おうと思った。冗談のつもりだった。でも、笑った先生の声があまりにも寂しそうで、俺は引き下がれなくなってしまった。ここで嘘ですよ、なんて言ったら、次はどんな哀しい顔をさせてしまうのかを考えたら、本当のことだと思わせるようにムキになってしまった。

「変じゃないです! 変じゃないってこと、判ってもらうために、先生も協力してください」

「どうすればいい?」

「俺のこと、好きになってください」

 先生が俺のことを好きになってくれたら、きっと俺も好きになれる。

 青空と夕焼けが混じる秋の空と、くたびれた白衣のまま煙草を吸う先生と、その傍にたゆたう白い煙と、苦い香りと。学校の屋上で、俺はひとつの嘘を真実のものにしたいと強く思った。

「そうだな、がんばってみるよ」

 先生は、紫煙をくゆらせた。
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