徒花の彼

砂詠 飛来

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隙間の彼 -虚偽編-

和装の彼

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    和装の彼

 須堂実幸、新年。



「本当にすみませんでした‥‥」

 透明な袋に包まれた藍色の着物を見て、原瀬はひどく恐縮して言った。

 クリーニング店の帰りだった。陽も暮れかけていて、寒さが増す。

 ご機嫌とりに、バニラアイスでも買って帰ろうかと提案してみたが、無言で首を横に振られてしまった。

「気にしなくていいよ」

「着物のクリーニングって高いんですね‥‥」

 すっかり肩を落としてしまった彼は、表情も虚ろに僕のあとをついてくる。

「ほら」

 このままだとどこかではぐれてしまいそうで、僕は思わず原瀬の手を引いた。

 お昼までは太陽もまん丸で暖かくて、積もった雪をわずかに溶かしていたけれど、暮れなずんでくるとさすがに冷え込みが厳しいし、溶けた雪が氷になって地面が凍結し始めている。

    正月休みが明けてからこうも雪が降るなんて、電車がすぐに止まってしまうから都会はダメだ。

「君もさ、着物をつくろうか」

「は?」

 声に元気がないが、原瀬は俯いていた顔をあげて僕を見た。

「地元の知り合いがこっちで呉服店をやっててさ。この着物もそこでつくったんだよね。だから、君のも。それで、おそろいで歩こうよ。きっと似合うよ。着付けの仕方は僕が教えてあげるからさ」

「どんなプレイですか」

「なにそれ。君はいつからそんな危ない思考になったのかな。そういうことに積極的なのは嬉しいけど外ではやめてよー」

 おちゃらけて見せたが、原瀬は笑ってくれなかった。僕がすべったみたいで恥ずかしいじゃないか。

「着物かぁ。最後に着たのはあれです、たぶん七五三」

 ――そっか、彼はまだ成人式も迎えていない高校生だ

 改めて己との歳の差に愕然とするが、いまさら年齢だとか性別だとかを気にはしない。

「じゃあ、成人式のときに着てもいいようにつくろうよ。僕が見立ててあげる」

「スーツでいいですよ、成人式なんて。出席するかも判らないのに」

 たまに思う、この子はどこか悲観的なところがある。人生を謳歌というのか、楽しんでいるような感じがしない。生きることに疲れた、なんてわけではなさそうだが、ふいに自らを卑下してみたり蔑ろにしてみたり、冷静すぎるときがある。

「じゃあ成人式なんてどうでもいいから、僕に見せてよ、着物に身を包んでるところを」

「‥‥先生が、見たいって言うなら」

「やったー、ありがとうね」

 僕は原瀬の肩を抱く。冷えてしまった細い身体。早くうちに帰って温めてあげよう。


 翌朝。

 いつもは僕のほうが先に目が覚めるのに、今日は原瀬のほうが早かった。

 脱ぎ捨てたふたり分の衣類や、汚れてしまった寝具が、きれいになっている。遠くで洗濯機のまわる音もする、いつもなら僕がやっているのに、今日は原瀬のほうが早く起きたのか。

    それとも、着物を水浸しにしてしまったことを気にかけて早起きしてくれたのか。どちらにせよ、原瀬はすこし考え込みすぎるところがある。

「おはようございます」

 原瀬がいたであろうシーツの上をぼんやりと眺めていたら、本人が寝室へ入ってきた。着替えを済ませている。手には、僕の着替えを持っていた。

「洗濯、しときましたから」

「ありがとう。気にしなくていいのに」

「いや、えっと‥‥それもありますけど」

「?」

 僕は半身を起こす。原瀬は、すこしばつが悪そうになにやらモジモジしている。

「どうしたの」

「着物」

「ん?」

「今日つくりに行くんでしょ」

 え。そうだっけ。

 なんて言葉は飲み込んで、すっかり忘れていたことを原瀬に悟られないように僕は精一杯に振舞った。

「なに、楽しみすぎて早く起きちゃったの?」

 僕、いつ言ったっけ、今日つくりに行くって。確かに昨日、クリーニング店の帰りにそんな話はしたけど、すぐに行くなんて結論になった記憶がない。

「だって、先生があんなに頼むから」

 あんなに。どんなにだ? 僕はゆっくりと寝具から出て、原瀬の手から着替えを受け取ってそれを身にまとう。すべて着終える前に思い出さなければ。

「あ」

 思い出した、と思う。あれは昨夜のベッドのなか――ここでだ。僕は原瀬の身体を掻かき抱いだきながらその耳許で確かに懇願した。君の着物姿が見たいから、すぐにでも呉服店に行こう、と。なぜ忘れていたのだろう‥‥いや、忘れていたというよりも覚えていなかったのだ。

    疲れるとすぐに意識をどこかへ飛ばしてしまって、情事が終わったあと原瀬とゆっくり話すということも、あの夜以来なかった。もう歳だ。

「朝ごはん、一緒に」

 僕が言うと、原瀬は照れくさそうにはにかんだ。

***

 ふたりで朝食を済ませ、僕は件の友人に連絡をして、さっそく呉服店へ向かった。

 学校の最寄り駅よりすこし遠くの駅に隣接された、大型のデパートのなかにその店はある。

「あれま。今度の子はずいぶんと若いのね」

 呉服店の若主人――金井かないは、僕の地元の友人だ。僕があの田舎でどんな風に暮らしていたのかを知る、数すくない人物で幼なじみ。僕と同い歳なのに彼のほうが幾分か若く見えるし、妻子がある立派な一家の大黒柱だ。

    鶯色の着物に紺色の羽織で、ともすれば舞台俳優のようだ。こんな男前を旦那に迎えて、あの嫁はさぞかし自慢だろう。

「今度の?」

 原瀬は金井の言葉を受け、僕を見た。

「追々話すから」

 僕は原瀬の細い腰を小突いて店内へと促した。

「着物をつくりたいって、一式?」

 金井は軽やかに下駄を鳴らしながら、あれは袴で、あれは紋付で、あれは浴衣で――と愉快そうに案内してゆく。

「成人式用なのかな」

 言って金井は僕を見たが、僕は黙ってちいさく頷いた。理解したのかなんなのか、金井はふっと頬を緩めて再び説明と歩みを始めた。

 店内は季節柄、女性用の振袖の展示が多かったが、男性用の品揃えもなかなかなものだった。金井の趣味が窺える。

「亮太くんにはね、私がいま着ているような重たいものよりも、浴衣のほうが似合うんじゃないかな。浴衣じゃまだ寒いけどね」

 ふたりだけでさっさと店の奥に行ってしまい、いつのまにか、金井が原瀬と距離を縮めている。気安く名前を呼びやがって‥‥。

「俺は、先生が着てたやつみたいなのがいいんです」

「実幸が?」

 原瀬が僕を指差したので、金井もそれにつられて僕を見た。あたりまえだが、いまの僕は和装ではない。原瀬が用意してくれた着替え――洋服を着ている。

「あー、あれだ。お前がこの店を任されることになったときの、あれ。藍色のさ」

 金井はしばらく考えていたが、ぱっと顔を明るませた。

「あれか! ずいぶんと前のものだけど。いまでも着られるの?」

「当然でしょ」

 金井はひとつ頷いて、原瀬に向き直った。

「判った。値段は結構するけど実幸に出してもらいな。それで、どんなのがいいの?」

「えっと、先生が見立ててくれるって話なんですけど」

 原瀬が再び僕を見た。

 なにか求めているような、切なさを孕んだ視線。

 金井がそんな原瀬を見つめてニヤニヤしていたから、僕は慌てて傍へ駆け寄る。

「金井は黙って僕と亮太、、、の言うことを聞いていればいいの」

 そして、これ見よがしに原瀬の腰に手をまわした。



 僕がお手洗いに行っている隙に、事件が起きた。

 店のいちばん奥、畳のある場所で金井が原瀬に抱きついていたのだ。

「なにしてんだ」

 艶やかな屏風を押しのけ、金井を引きはがす。

「なにって、着付け。教えてあげようと思って」

 金井は笑ったが、片眉があがっているときは大体、悪巧みをしているときだ。落ち着いて原瀬を見てみれば、確かに襦袢じゅばんを羽織っている。原瀬は袖を持ったまま、目をぱちくりさせて僕を見ていた。

「着付けは僕が教えるから」

「プロの私に教わったほうがいいと思うけど。ね、亮太くんはどっちに教わりたい?」

 金井は悪巧みの顔のまま、原瀬に委ねた。もちろん、僕を選ぶに決まっている――そう信じているのだが、金井のこのたらし、、、な感覚に流されてしまわないかが心配だ。

「俺は」

 原瀬が口をひらいたと同時に、店内の電話が鳴る。別の店員が受けたが、金井さん、と呼んだのですこし悔しそうに金井は傍を離れた。

「僕が、教えるから。君の身体のことは、僕がいちばん判ってるんだから」

「そう、ですね」

 だらんと袖を垂らし、姿見に映る僕を見る原瀬。

 この子には、どんな柄の着物が似合うだろう。

 それから僕たちは、金井にちょっかいを出されながらも、柄や生地や帯、次々と決めていった。

「それじゃ、また連絡するね」

 金井が原瀬の肩に触れようとしたので、僕は強引にその手を取って握手をしてやった。

「よろしく頼むよ」

***

「ねぇ、先生」

「どうした?」

 帰り道、見慣れた風景まで戻ってきてからだった、原瀬が口をひらいたのは。店を出てから電車に乗って、最寄り駅までのあいだはずっと黙っていて、僕がなにかを問いかけても相づちくらいしか返してくれなかった。どこで機嫌を損ねたのか僕はずっと考えていたが、なにも判らないままだった。

「嬉しかったです」

「え?」

 なにか文句を言われると思っていたから、びっくりした。

「名前で呼んでくれたでしょ、お店で」

「え、ああ、うん」

 金井に張りあって、普段は呼ばないのに、彼のことを亮太、と呼んだ。

「着付けも、先生じゃないと厭です。さっき金井さんに抱きつかれたとき、鳥肌がたって」

 やっぱり、着付けと称して抱きついていたのか――

「来年の正月は、一緒に着物で初詣に行きましょうね」

「うん――」

 来年。僕たちは同じ時間を共有できているのだろうか。どうしても、年齢とか将来のことを考えてしまう。

「ねぇ、先生」

「どうした?」

 同じやりとり。これも、あと何回くりかえせるのだろう。

「着物が届いてすぐにでも着られるように、早く着方を教えてくださいよ、今夜にでも」

 原瀬は僕の手を握った。いつも冷たい手でごめんね。

 帰宅して、息つく間もなくふたりで寝室へ向かった。僕はクリーニングの透明な袋を破く。

「せっかくきれいにしてもらったばっかりなのに、ごめんなさい」

「いいよ。これを君が着てるところも見たかったしね」

 原瀬は服をすべて脱ごうとしたので、それを制する。

「Tシャツくらいは着ててもいいよ、寒いし」

 僕が言うと原瀬は黙って頷いた。

 まずは襦袢を細い肩にかけてやる。されるがまま、時折、自らの意思で身体を動かしてくれるので着させやすい。襟と前身頃を身体に合わせる。腰ひもでそれを留め、いざ着物を羽織らせてみたら、原瀬はなんだか寂しそうな顔をした。

「なんだ」

「先生のにおいがしないなぁって」

 どきりとした。考えて発言しているのか、まったくの天然なのか判らないが、原瀬はときたま心を打つようなことを平気で口にする。

「そりゃ、そうでしょ。洗いたてだもの」

 原瀬に着付けてやることに集中していたのに、一気に心が乱れてきた。原瀬が、僕の着物を着る。それだけで落ち着かなくなる。

 手が震える。

 前を揃えて、それを原瀬に持ってもらう。

「うしろ、見るから」

 縫い目が臀部に来るように。

 やはり不思議な感じだ。こんな地味な着物を、こんな若い子が着るなんて。まだちゃんと着ていないのに、妙な大人っぽさを感じる。原瀬が僕くらいの年齢になったら、きっと色気とか、いまの比じゃないんだろう。僕はそれを見届けられるのか。

 もしかしたらそのころには、もう僕なんかと離れて、誰か良い人ができて、家庭なんかも持っているかもしれない。金井みたいに。

 いや、そのときまでに僕はこの世にいないってこともありうる。

 急に寂しさと愛しさが込みあげてきて、そのまま背後から原瀬を抱きしめた。

「先生?」

 視界が涙でいっぱいになり、前が見えない。原瀬が振り返ろうとしたけれど、僕は頭を寄せて、それをさせないようにした。いまの僕のこんな顔、見られたくない。ここが鏡の無い部屋でよかった。

「泣いてるんですか」

「花粉症なの」

「初耳ですけど」

「急に発症するもんなの」

「困りましたね」

 こういうときの原瀬は、僕よりも大人な対応をしてくる。

 僕は涙が落ちないように気をつけながら、原瀬の手から袖を取る。そのまま左右を合わせ、再び持つように言った。

 ぐすり、と鼻が鳴ってしまったが、顔を見られないように俯きながら原瀬の前にゆき、帯を腰にまわす。抱き合うような形になって、顔が見られなくていい。原瀬の吐息が、僕の首筋にかかる。

「簡単なんですね、着物って」

「女性のほうが紐やら帯やら多いからね。帯の結び方も複雑だし」

「――女性の着付けもやったことあるんですか」

「金井ならたくさんあるかもね」

 帯を締めあげているあいだに視界も鼻もある程度は落ち着いてきたから、すっかり僕の着物に身を包んだ原瀬を見ようと、すこし離れてみた。

「うん、いいね。似合うよ」

「先生の着物だからでしょ」

 原瀬は照れくさそうだった。袖をひらひらさせてみたり、帯の隙間に指を入れたりしている。

「袴もかっこいいかもね」

「幕末の志士みたいですね」

 原瀬の言ったことが妙におもしろくて、僕は座り込んで笑ってしまった。僕の笑いがおさまるあいだ、原瀬はじっと困ったように僕を見ていた。

「ほんと、似合う」

 改めてまじまじと見ると、日本に生まれてよかったと思った。

 この瞬間を永遠に覚えていよう。

 僕が黙って見ていると、原瀬は目の前までやってきた膝を折る。そして、

「着せてもらったばかりでアレですけど、今度は脱がせてください」

 僕の頬を包み、そっと口づけした。


 隙間の彼 -虚偽編-
 和装の彼

   了
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