徒花の彼

砂詠 飛来

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齟齬の彼

五、

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 すぐに帰ってくると思っていた。

 夏場とはいえもう夜も更けてくるし、なによりも携帯も財布もなにも持たずに身体ひとつで飛び出してしまったのだ。ゆくあてなんか無い....はずだ。それに、俺が探しに外へ出しまって入れ違いになっても困る。

 自らの携帯を握りしめて部屋の時計に目をやり、潤一が出ていった扉を見やる。この一連の動作をくり返す。時折、潤一の置いていった携帯に手を伸ばすも、そういえばパスワードを知らないなと思って触れることをやめる。

 ーー俺は潤一のことをなにも知らないじゃないか

 そもそも、恋人とはいえ勝手に人の個人情報の塊を見るもんじゃない。もしかしてパスワードを俺の誕生日とかに設定していたりして、なんて恋心みたいなものも持たない。すり抜けてゆく潤一の想いも身体もなんとか繋ぎとめておくことが優先だ。

 思い返してみれば、俺は潤一のなにを好きになったのだろう。潤一は俺のなにを受け入れてくれてくれたのだろう。原瀬に奪われそうになったときにあんなに激昂するほど潤一が大切だったはずだ。

「はあ」

 溜息をついたってどうにもならない。早く、早く戻ってきてほしい。早くドアノブをまわす音が聴こえてきてほしい。怒った顔でも泣きそうな顔でもしてやったりの顔でもいいから、俺に見せてほしい。俺のことを許してなくてもいいから、早く姿を見て安心したい。

 原瀬に連絡をして潤一が行ってないか訊いたほうがいいか....。そんなことを考えていると、開け放たれた窓からふいに生温い風が吹き込んできた。カーテンがかすかに揺れる。それをぼんやりと眺めていると、遠くのほうから雨粒が地面を叩く音が聴こえてきた。

「大丈夫かよ、潤一」

 やりきれない感情のまま呟くとそれに応えるかのように、握りしめていた携帯が震えた。原瀬からの着信だった。もしかして潤一のことかもしれない。でも、違うかもしれない。冷静になって通話ボタンを押す。

「もしもし」

『橋本さんですか、いきなりごめんなさい。潤一さんが』

 やっぱり潤一のことだ。原瀬から連絡が来るということは....。

『いままで俺の部屋に居たんですが、急に出て行っちゃって』

*****

 電話越しの原瀬の話を、まともに聞いていなかったかもしれない。とにかく潤一を探さなければ。一度は原瀬の元へ行ったのだとしても、再び飛び出したとなると二人のあいだになにかあったのだろう。

 俺は適当に上着と傘を持って部屋を飛び出した。雨に打たれて冷えてしまっていないか、見ず知らずのところへ行って帰り道が判らなくなっていないか。

 手にした傘を差しもせず、大きな雨粒を身体に受けながら歩きまわる。先生ーーもとい原瀬の部屋と俺たちが住むアパートはそんなに遠いわけではない。それほど遠くへ行ってはいないはずだ。携帯も財布も持たずにいるのだ、まともに身動きがとれるとも思えない。

 髪も服も靴もすべてに雨が染みて身体が冷えてくる。夏だというのに寒い。俺よりも潤一のほうが寒いはずだ。

 都会のネオンと行き交う車が濡れた路面を反射させて、眩しくて目が痛い。俺はそれから逃れたくて無意識に街の暗がりへ足を進める。木が鬱蒼としている場所、そういえば見覚えがある。原瀬と先生と四人で初詣に来た神社だった。

 物々しくそびえ立つ鳥居を覆うようになにかの木々が並んでいる。正月に訪れたときと雰囲気がまるで違って、正直恐ろしい。暗闇と雨粒が叩く音と、明るい世界とは一線を画しているような空気感。

 ぬめりを帯びたように光る砂利を静かに踏んで鳥居をくぐる。こんな恐ろしいところに潤一はいるだろうか....。

 社務所はないようなちいさな神社で、手水舎にはもちろん明かりは無い。ふと、二人でおみくじを結んだおみくじ掛けが視界に入った。

 ーーいた。

 木の葉のようになった、たわわに結ばれた無数のおみくじ掛けの傍らにベンチがある。そこに濡れそぼった潤一が座っていた。屋根なんか無いからいまも絶えず身体を濡らしている。それでも、近くに生えている大きな木が枝をのばし、わすがに雨粒を逃がしてくれている。

「潤一....」

 項垂れ俯いていた顔があげられ、大きな瞳が俺を見あげる。雨のせいなのか涙なのか、いまにもこぼれ落ちそうなしずくをたたえている。

「わあ、びっくりしたなぁ....幽霊かと思った」

 掠れた声で潤一が言う。

「化けたとしても潤一の傍を離れねぇよ」

「そっか」

 それだけ言って、潤一は再びこうべを垂れる。それをただ眺めて、次になんて声をかけようか逡巡していると背後から砂利を踏む音がして、誰かが近づいてきた。

「橋本さん!」

 原瀬だった。傘を差して、もう片手に缶コーヒーを二本持っている。ああそうか、そういえば俺も傘を持っていたっけ。原瀬が駆け寄ってくる。原瀬は自分の傘を潤一の頭上に傾け、缶コーヒーの一本を渡す。

「夏場でも温かいの売ってるんですね」

 原瀬が言った。もう一本は自分の分なのか一度はポケットに入れたが、俺の顔を見て取り出して熱々の缶を寄越してきた。

「お前が先に見つけたのか」

「ええ」

 まただ。また俺じゃない誰かが先に潤一に接触する。どうして俺じゃないんだ。文句のひとつでも言ってやろうと想ったが、まずは潤一を見つけてくれたことに礼を言わねば。

「悪かった。お前がいてくれて助かった」

「....ちゃんと話し合ってくださいよ、自分らのことなんだし」

「面目ない....」

「それじゃ、俺は行きますから。潤一さん、風邪ひかないでくださいね」

 俺と潤一にひとことずつかけて、原瀬は去っていった。残された俺たちはいまだ雨と沈黙のなかにいた。
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