しらぬがまもの

夕奥真田

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嘘の切り札

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余計な事を考えることはやめた方が良い。

忠告という名の皮を被った警告には嫌気がさす。

無論、こちらを気遣っての言葉であると考えられるが、ああも巧みに他者を騙し続けるその姿を見ていると、ひどく不安になる。

自分自身もまた彼らと同様に切り捨てられるのではないかと。







良い天気が長く続くことは、喜ばれることもあれば、嫌がられることもあるものだが、この一帯では、実際にそう長く良い天気が続くことはそうない気がする。

晴れの日があれば、必ず雨や曇りの日が挟まってくる。

今日はそんな間の日なのだろう。

デゼールにいた時には、雨とは縁遠い暮らしだっただけに、個人的には嬉しい日だ。
そういえば、あの魔物たちの街を襲った時も、こんな雨が降っていたような気がする。

あの時は家屋に火を付けるのに苦労としたものだ。


隊長の魔法が無ければ、作戦は下手をすれば失敗していたかもしれない。

それにしても、あれから既に数日が過ぎているが、今更なんだというのだろうか。

新しい作戦の説明か、あるいは別な何かだろうか。

もっとも、何にしても、レイダット・アダマーの名を拡大することが出来るなら何でも良い。

動き易さを最重要視した防具から覗く褐色肌を雨で濡らしながら、隊長が待つであろう、砦の中でも最も大きな建物へと向かう。

道中では幾人もの人間たちが通りを行き交い、物資の搬入や建物の建造作業に従事している姿が見える。

だいぶこの砦も出来上がってきたものだが、それでもまだまだ足りない。

シエルや魔物たちと本気で戦うのならばもっと大きく、そして、強固にする必要がある。

もちろんそれは、魔物たちの攻撃に耐えるためでもあるが、それ以上にテーレやデゼールなど、シエル以外に暮らす人々に、このレイダット・アダマーこそが、魔物やそれらに堕落した連中から人々を救う希望の光であると認識させるためにも、この砦を象徴的に大きく築く必要があるのだ。

丸く囲う様に建造された外壁の内で、シエル方面へと出入りすることが出来る門近くに、目指す建物は建っている。

その建物には、この組織の心臓部と呼んでも過言ではない、作戦立案室や、指揮官の部屋などがある。

他の砦を見たことがなく、比較のしようもないのだが、きっと、弱腰の者ならばこんな敵国側に面する出入り口近くに、重要な建物を建てないはしないだろう。

保身の為に、シエル方面とは逆側、あるいは遠ざける形で設置するはずだ。

しかし、このレイダット・アダマーの指揮官は敢えてここに建てたのだ。

彼女曰く、敵をよく観察する為に。

「失礼します。オネ、到着しました」

ノックと挨拶をそこそこに、ゆっくりと扉を開ける。

部屋には、支給された特徴のあまり無い防具を身につけた騎士が一人と、そんな騎士と向かい合う形で椅子に座る指揮官がいた。

「ふん、また遅刻か……。愚図め」

顔の全てを覆う兜からくぐもった声が聞こえてくる。

支給された一般的な防具を装備している故に、兜まで装備されてしまうと、もはや誰なのかが分からなくなってしまう。

しかし、こうも嫌味ばかりなのも彼だけだ。

口を開かせれば、この男が何者なのかはすぐに分かる。

隊長格となった者たちのほとんどは、他者から判別出来るよう、そして、自身の威厳を保つ為に、独自の防具を製作させ、それを着用しているのだが、一人だけ隊長格となっても、未だ支給された防具や剣を利用している者がいる。

それが今目の前に立っている男だ。

「急に呼び出しておいてそれですか?こっちの予定も無視しておいて?」

「はっ、作戦よりも自身の事の方が大事とは、お姫様気取りか?ただの騎士風情が調子に乗るな。寝言は寝て言え」

「何ですって……!?」

組織内での優先度でいえば、彼の言い分は正しいのかもしれないが、一個人としては、ひどく気に入らない言葉である。

あまり高くはない背をなるたけ伸ばして、隊長に飛びつかんばかり詰め寄り、その兜を睨みつける。

おそらくは隊長も兜の中からこちらを睨み返しているのだろうが、その表情は分からない。

もっとも、殺気の様なものは感じないので、本気で怒っている訳ではないらしいことはすぐに分かった。

指揮官の手前、こうでも言っておかねば、隊長として格好がつかないのだろうか。

「はいはい、喧嘩はそこまで。女の子にそんなひどいこと言ってると嫌われちゃうわよ?」

暫しの間睨み合っていると、怒る訳でもなければ、心配するでもなく、まるで我が子を見守るような優しげな笑みを浮かべながら、指揮官が隊長を指差し、のんびりと注意する。

「……分かった」

「分かったら、ちゃんと謝るの」

「……」

一度指揮官の方へと顔を向けるが、変わらぬ笑顔がそこにあるのを確認すると、渋々といった様子で隊長は頭を下げた。

「悪かった……」

「……それだけ?」

「……さすがに言い過ぎた、すまなかった」

「はい、よく出来ました!」

手を叩き、指揮官は満面の笑みを浮かべるが、対照的に、隊長はどっと疲れた様に肩を落とし、ため息を吐く。

確かに小言と皮肉は多いが、プライドから自身の非を認めず、謝ることを知らない幼稚な男ではないということは経験上よく知っている。

それ故、こうも小さな子どもの様に指示されるのが、彼にとって不愉快とまでは言わないでも、あまり心地良いことではないだろう。

「ま、まぁ、遅刻したのはあたしですし……。隊長の話だって、少しは分かりますよ……。うん……」

小言が多いのは確かだが、だからといって隊長自体を毛嫌いしている訳では決してない。

元はと言えば、自身の遅刻に問題があったことに罪悪感を感じつつ、隊長のフォローへと回り、この話題を収束へと向かわせた。

頼り甲斐のある隊長が、こうも子ども扱いされている姿は見るに堪えない。

「そ、それで、あたしが呼び出された理由って……?」

ぽつりと尋ねるも、指揮官は暫しの間宙を見つめた後、苦笑いを浮かべる。

「え~と……何だっけ?」

「フェンガリについての報告と、次回の作戦についての説明だと聞いた」

「……誰から?」

「こいつが到着する前、此処で、あんたからだ」

「……そだっけ?」

また隊長が深いため息を吐く。

そんな隊長の態度が気に入らなかったのか、指揮官は、ため息を吐くと幸せが逃げるだの、人前でため息を吐くのはマナー違反だの、ぶーぶーと子どもの様に文句をつけ始める。

本当にこの人は指揮官なのだろうか……?

当然分かりきっていることではあるが、やはりこういう場面を見てしまうと、どうしてもそんな疑問が湧いてきてしまう。

三十代くらいの傷一つない優しげな顔に、長く真っ直ぐな金色の髪、筋肉らしい筋肉のない痩せた体。

騎士らしさ、戦士らしさからはひどく遠く、風体からはどこの街でもいそうな主婦にしか見えない。

その上、この様にマイペースで、おっとりしている故に、初めて自己紹介された者たちは皆一様に目を丸くする。

実際、何人かの者は彼女の言葉が信じられず、すぐに出て行ってしまった。

拾われた恩があるために、常に味方でいたいと考えてはいるのだが、これについては彼女には悪いが、それも仕方がないことの様な気もしてしまう。

それ程、有事以外の彼女は、ひどく頼りないのだ。

「もぅ!そんなだから彼女の一人も出来ないのよ……!?ねぇ、オネちゃんもそう思うよね!?」

「えっ……!?あっ、いや、その……」

聞くだけ無駄だろうと、ぼんやりと雨のぶつかる窓を見つめいたために、話の内容が分からない。

しどろもどろになるその様子から察したのか、指揮官は頬を膨らませ、更に顔を真っ赤にする。

「もうオネちゃんも聞いてないし~!」

「……さっさと本来の話に戻れ。絡むのはこんなものでいいだろう?」

つまらなさげに腕を組み、隊長が低く告げると、仕方ないとばかりに、指揮官はその膨れっ面を隠す様に顔を一撫でする。

すると、膨れていた頬は萎み、先ほどまでの可愛らしい笑顔とは似ても似つかぬ、不敵な笑みを浮かべる顔へと変わった。

「そうね、コミュニケーションはこれぐらいでいいわね。オネちゃんも良いかしら?」

「は、はい!」

自然、緊張で姿勢が正されるとともに、体が強張る。

普段のおっとりとした様子からは想像も出来ない、この様な真剣な口調になられると、どうしてもその極端さに驚いてしまう。

むしろ、こちらが本来なのであって、いつもの調子こそが演技なのではないか、そして、その演技で他者を欺き、他者の本質を見定めているのではないかと疑ってしまうほどだ。

指揮官は小さく咳払いをすると、静かな口調で話し始めた。

「改めてフェンガリではお疲れ様。作戦、というよりは実地試験に近いものではあったけど、貴方たちがいてくれたおかげで何の問題もなく、彼らの力を測れたわ」

「……で、評価は?」

「素晴らしい、その一言よ。強靭な魔物たちを殺すことが出来る。それだけでね」

「ということは……!」

歓喜にも似た声が口から漏れる。

しかし、指揮官は小さく首を振って、優しく宥める様な口調で話しを続けた。

「いいえ、まだその時ではないわ。本気で戦争をするなら、もう少し数を集める必要がある。それに、あの人たちとの交渉も進んでない。今魔物たちを打ち倒したとしても、私たちにとってはあまり意味がないのよ」

「……それで、俺たちは何をすればいい?」

これ以上の余計な話など不要とばかりに、隊長は話の先を促す。

本来なら自分たちの今後にも関わる話なのだから、聞いておくべき必要性があるはずなのだが、隊長はこの手の話を聞き流す、あるいは聞こうともしない傾向がある。

明日の事など聞く意味がない、そんなふうに見えて仕方がない。

「今日は貴方たちに例の物を受け取ってきて欲しいの。新たに出来上がったから、取りに来てって、連絡が入ったから。あと、それと、ついでに私たちへの、一般市民からの評判についての調査もね。まぁ、こっちは適当に」

「……分かった」

為すべきことを確認した隊長はすぐさま部屋を出ようと身を翻す。

しかし、扉を開きかけたところで、いつもの調子に戻ったらしい指揮官が慌てて呼び止める。

「あっ、あと、街で果物も買ってきて~。もう最近仕事仕事で補充でき……」

話半分で要望が通じたのか、あるいは単純に聞く気がないのか、隊長はこちらの手を引き、廊下へと引っ張り出すと、勢いよく扉を閉めた。

そして、すぐさま廊下を駆け出していく。

どうやら指揮官からの個人的過ぎる願いを聞き入れるつもりはない様だ。

敬いこそすれ、一個人としては、あまり彼女のことが好きではないのかもしれない。

嫌味のつもりはないのだろうが、あんな子ども扱いをしてくるのだ。

その気持ちは分からないではない。

指揮官に申し訳ないと心の中で謝りつつ、自然と体は置いていかれぬよう、隊長の後を追いかけていた。







砦から近くの街まではそう遠くはない。

馬車ならば一時間と少しくらいだろうか。

しかし、今日は生憎の雨、いつもよりは少し時間がかかるはずだ。

「……そういえば、あの時も、こんな雨でしたね」

雨が打ち付ける幌と外の様子をぼんやりと見つめながら呟く。

「あの時とはいつの事だ?」

手綱を握り、雨や水溜りを嫌がってか、少し足取りの遅くなる馬に適度に鞭をいれる隊長が尋ねる。

「魔物の街を襲った時のことですよ」

「あぁ、そうか、あの時も雨だったか……」

数日前、それに魔物の街を焼くという大きな事を成し遂げたというのに、特に記憶に留めていることもないのか、隊長は興味なさげにぽつりと答える。

「ほら、あの時は、隊長に火をつけてもらったじゃないですか。あっ、そういえば、あの子、どうしましたかね……?」

「あの子?」

「ほら、急にあたしたちを裏切って、剣を向けた子がいたじゃないですか?名前は……なんだったかな?」

「あぁ、あの女か……」

これも興味がないらしく隊長からそれ以上の返事はないが、つまらぬ道中故に話を続ける。

「驚きよりも、不思議でしたよね、何故あのタイミングで裏切ったのか」

「大方、良心の呵責か何かだろう。まぁ、もし生きていたら、そいつに答えを聞けばいい」

「それなら無理そうですね。あれだけの傷を負っていたら、きっと助からないでしょうし」

「ふん、それは残念だったな」

終始つまらなさげな返事を繰り返す隊長に、小さくため息を吐く。

どうやらこの話はお気に召さないらしい。

全く、手間のかかる上司だ。

「そういえば、例の防具って数はどれくらいになったんですか?」

「一式でなら五着くらいだろう」

「それだけあればもう良いんじゃないですか?だって、あの凄さは隊長もよく知ってるでしょ?」

「確かに、だが、シエル以外にいる魔物どもまで根絶やしにするとなれば、数はもっと多い方がいい」

「……シエル以外って、もしかして魔界ですか?」

「ふん、それくらいは分かるか」

褒められたというよりも、どこか馬鹿にされた気さえするが、突っ掛かればまた話が余計な方向へと飛んでいく気がしたために、敢えて隊長の褒め言葉は無視した。

「魔界までとなると確かに数が多いに越したことはないですね。でも、指揮官はそこまで考えているのに、テールやデゼールの国々は未だに全面的な支援をしてはくれないんですね」

「ふん、上の連中が考えるのは、いつもくだらない自分たちの命と血のことだけだ」

今現在、レイダット・アダマーに対する各国からの支援はない、世間や外交面ではそういう体になっている。

実際はその様なことはなく、秘密裏に物資や食料などを受け取っている。

現にあの砦の建設材料は全て支援によるものだ。

しかし、そこまでしておきながら、各国としてはレイダット・アダマーのことを未だ認めてはいない。

その理由はひどく簡単だ。

「おそらくは俺たちが魔物たちを根絶やしに出来ればそれで良し、秘密裏に支援していたことを公表すれば国民からの支持もそう減ることもあるまい。逆に俺たちがやられれば、支援していないことを魔物たち証明すればいい。そうすれば全面戦争にはならない」

「……それって、ずるくないですか?」

「ふん、馬鹿正直が死ぬ社会だ。この程度は可愛いものだ」

「……」

納得がいかない。

デゼールなどの各国が汚い国だということは、汚されたこの身を持って知っている。

口ではシエルからの魔物追放を望むかの様なことを言っておきながら、実際はレイダット・アダマーに魔物討伐を任せ、こちらが勝っても負けても、どちらに転んでも自分たちに被害が出ないよう、常に計画を練っているのだ。

所詮は道具……。

両親を殺したらしい魔物たちも憎らしいが、身寄りの無い自分を拾い、道具の様に扱き使ったあの下品な主人たちも気に入らないものであった。

……いずれ思い知らせてやる。

金持ちになりたいという訳ではない。

自分を道具の様に扱って来た者たちに、同じ苦しみや悲しみ、辛さを味合わせてやる。

そのためにも、今は魔物たちを根絶やしにし、レイダット・アダマーを大きくする必要があるのだ。







雨が降っている為か、街はいつもより静かな気がする。

時にその客引きの声と、絨毯が通行人の邪魔にさえなる道端で取引を行う露天商がいないせいだろうか。

もっとも、こんな空の下では商品も駄目になるだろうし、そもそも客がいつも以上に足を止め辛い、それに何より雨を凌ぐ物が無ければ自身の身が持たない。

雨の日に彼らがいないのは当たり前のことだ。

しかし、小さい頃より慣れ親しんだお陰か、彼らの活気は嫌いではない。

それ故、こんな日の街は、普段に比べれば少々面白味に欠ける。

…が、そんな露天商の商品はもちろん、下手をすればその商人さえも、邪魔とあれば轢き殺さんばかりに馬車を扱うこんな隊長と共に来るのであれば、雨の日の方が心臓には優しい。

大通りには疎らであった人通りも、次第に道が細くなっていくに連れて少なくなり、目的地に到着する頃には、周囲に人の姿は無くなっていた。

「着いたぞ。さっさと降りろ」

告げると同時に馬車を降りる隊長に続く。

「……毎度、ここですよね」

「あっち側の指定だ。我慢しろ」

「うぅ……」

冷たい雨に続き、霧が立ち込める街の外れ、人気などあるはずのない、いや、解釈によっては無い方が望ましいとすら考えられるこの場こそ、いつも例の物を受け取る場所なのだが、どうも気乗りしない。

「ふっ、今更少女らしさなど思い出すな、白々しい」

「しらっ……!?」

文句の一つでも言い返そうと思ったが、それを前に隊長はすたすたと濡れた階段を上がって行ってしまう。

慌ててその後を追いかけようとした足を、理性と常識が止めた。

ここは静かにしなければならない場所だ。

数多の者たちが眠る、墓地なのだから。

墓地に立ち込める霧は街のものよりも一段と濃い。

顔を近づけなくては墓石に刻まれた文字が読めない程だ。

それ故だろうか、まるでこの墓地が街から隔離されているかの様に感じてしまう。

「……何でいつもここなんですかね?」

霧で辺りがよく見えないにも関わらず、何かを目印にしているかの様にぴたりと足を止める隊長に尋ねる。

「そうそう人に見られないからだろうな」

「でも、見られたら、完全に怪しい奴らですよね…」

「かもな。だが、賢い奴なら、そんな怪しい奴らと関わろうとはしない。馬鹿ならここで眠らせればいい」

眠るの意味が気絶なのか、あるいは別の意味なのかは、不敵に笑うこの隊長には聞かない方が良いだろう。

もっとも、隊長の言う通り、こんな墓地であんな物を受け取っている者たちを見たら、少なくとも関わろうとは思わないだろう。

自身なら飛ぶようにして逃げるはずだ。

そんなことを考えていると、雨に紛れて、何処からか何かを引きずる様な、耳障りな音が聞こえてきた。

腰に携えた剣に自然と手が伸びる。

音の正体が何であるかは分かっているが、万が一のこともある。

剣を抜き、すぐさま攻撃出来る状態で待っていると、霧の奥から黒い影がちらつき始める。

その影は次第に濃くなっていき、真っ黒なローブに全身を包んだ、いかにも怪しげな人物が真っ白な霧の中から現れた。

微かに見える、ローブからはみ出した右手や足先、頭部から、見慣れぬ防具を装備していることが分かる。

そして、全身を覆うローブや鎧は、中の人物がかなり大柄な体格であることを予想させた。

「……遅刻?」

「いや、ちょうどいい」

「なら、良かった」

感情の籠らない、ひどく抑揚の無い口調で告げると、ローブの人物は右手に持っていた鎖をぐいっと引き、鎖に繋がっていた物を側へと引き寄せる。

すると、雨にも負けぬ耳障りな音を響かせながら、黒い大きな棺桶はローブの人物の前方に横たわった。

「今回は多く入っている。だから、少し重い。…運ぶ?」

「……運べるか確認してこい」

「あたし一人で運ぶんですか……!?」

そんじょそこらの屈強な男にさえ負けないことを自負しているが、これほど大きな棺桶を一人で運ぶのは難しい。

馬車の荷台に乗せるとならば尚更だ。

四の五の言わずに行けとばかりに、顎を動かす隊長に舌打ちを聞かせ、仕方なく棺桶を持ち上げようと試みる。

……全く動く気配がない。

「ふふっ……。いい、私がやる」

動かせなかったことを嘲るような笑いではなく、単純な微笑をこぼし、ローブの人物は再び鎖を引っ張って、馬車を止めた墓地入り口へと棺桶を引きずって行く。

隊長以上にくぐもった声故に、このローブの人物の性別すら判断出来ないが、少なくとも、口調通りの冷淡な性格ではないのかもしれない。

棺桶を落とさぬよう器用に階段を下っていき、右手のみで軽々と馬車の荷台に棺桶を積み込むと、ローブの人物はまた階段を上って行く。

墓地の出入り口はここ以外にはないはずなのだが。

「何処へ行くんですか?その先は行き止まり……」

「大丈夫」

振り返ることもなく静かに答え、霧の中へと消えていくローブの人物。

得体の知れない人物だけに、何処へ向かうのかが気にはなったが、その後ろ姿はひどく悲しげだった為に後を追うことは躊躇われた。

「……何者なんですか?あの人は?」

「知らん。それが取引の条件だ」

墓地から少し離れたところで尋ねるが、隊長の答えは素っ気ない。

「何者かも教えない輩からの協力なんて……。怖くないんですか?」

「当然リスクもある。だが、見返りはお前も知ってのとおりだ」

「……そうですね、取引する価値は充分ありますね」

振り返り、荷台に横たわる大きな棺桶を見つめる。

むしろ、これが無ければ、魔物を打ち倒し、あの街を破壊することは出来なかったのだ。

当然、こちらから取引を反故にする気はなく、その必要もない。

しかし、あれほどの物を製作出来る人物など想像もつかない。

故に単純な興味を捨てきれなかった。

「一体どんな人なんですかね?こんな物を作れる人って……?」

「……ふっ、普通の人間ではないのかもな」

「えっ……?」

「あれほどの代物を作れる普通の人間など、この世にはいない。そうは思わないのか?」

「……考えた事も無かったです。でも、だとすると、何故これを私たちに与えるんです?」

「……ふん、そんな事まで知ったことか。使える物は使えばいい、それだけだ。くだらん詮索など無駄だ。それに、お前のとろい頭では碌な答えもだせんさ」

はははっ、と兜の中で高笑いが響く。

小言と皮肉ばかりで、自分の方こそ頭はとろいのではなかろうか。

そんな皮肉を返し、荷台へと体を倒す。

しかし、彼の言う通り、とろいかどうかは別にして、いくら考えても、予想や憶測の域さえも超え、所詮は妄想に近いものになってしまう。

利用できる物は利用する、素性を知られたくないあのローブの人物との関係は、その程度のもので良いのかもしれない。







まず一つ目の任務である、例の物の受け取りが無事に終わった。

次はレイダット・アダマーに関する評判を調べなくてはならない。

といっても、砦のある周辺でさえ、知名度は決して高いものではない。

あの街を襲う前にも、同じような任務を言い渡されたが、結局は知っている者には出会えなかった上に、話題にさえ上らなかった始末だ。

魔物やシエルの側から見れば、おそらくは過激な組織、あるいは敵そのものなのだろうが、それ以外の国で平和に暮らす者たちからすれば、特筆すべきことのない組織なのだろう。

未だにこの任務の目的が理解出来ない。

多くの人々が自分たちのことを知らない、ということを知って、一体何になるというのだろうか。

その意図を隊長に聞こうかとも思ったが、先ほどと同じ皮肉を返される未来が容易に見えた為に、やめておいた。

馬だけを軒下に入れるようにして馬車を止め、幌で荷台の積荷が見えないようしっかりと覆うと、隊長と共に馬車を降りる。

「どうします?いつも通り聞き耳を立てていますか?」

「好きにしろ。俺は面倒だが、お使いに行ってくる」

よほど嫌なのか、怒りの篭ったため息を吐き、隊長は雨の中へと駆け出していく。

指揮官のお使いがそれだけ嫌ならば、代わって欲しかった。

やる意味の分からぬ任務ほど、退屈な上につまらないものもないのだから。

かといって、一応は任された務め、何もしない訳にもいかず、一応建物の中へと入る。

建物の中は外の静寂が嘘の様に、雑音とひどい臭いがあちこちから湧き上がっていた。

雨という天気のせいか、いつも以上に酒場には人々が多い。

情報量的には良いのかもしれないが、収集し、選抜しなくてはならないと考えると、この雑音は厄介だ。

空いたカウンター席へと座り、忙しそうにする主人へと話しかける。

「ここ最近で面白い話ってある?」

「さぁね……。特には……」

あったとしても話せるだけの余裕が無いのか、主人は顔も向けずに答える。

仕方なく、適当な飲み物を注文し、あたりの話し声に聞き耳を立てる。

どこの席でもたわいもない話をしているが、ある席の男たちの話し声に耳が傾いた。

“知ってるか?最近、シエルの街が一つ破壊された話”

“いや、知らん。なんだ、内紛でもあったのか?”

“何で内紛なんだよ?”

“だって、シエルにある街全てに魔物たちがいるんだろ?なら、魔物に勝てない俺たち人間にはどの街だって破壊出来っこないじゃないか”

“それも、そうか……。でも、聞いた話じゃ、数人の人間たちが破壊したらしいぜ?”

“なるほど、そりゃあ、すごいな。勇者様でも現れたのか?”

“そこまでは分からんが、どうもレイダット・アダマーの連中が絡んでるんじゃないかって話だ”

“レイダット・アダマー?あの反魔物派の集団か?あんな連中にそんな力が本当にあるのかよ?”

“さぁな、まぁ、本当かどうかは分からないが、もし本当なら、魔物たちから人々を救う、まさにレイダット・アダマー様様じゃないか?”

“その通りだな。説得なんて言ってるようじゃ、やはり国も甘いな。シエルや魔物たちにどっちが本当に強いのか、はっきりさせてやるべきだろうな”

なるほど、所詮は一意見と言えど、少なくともこちらを擁護する者たちはいるらしい。

あの街を破壊したことを、ちゃんと公表すれば、更に賛成も得られ、知名度も上がることだろう。

だが、公表すれば、魔物やシエルからの非難は避けられない。

指揮官はそれを考慮して、ここまで入念に下準備をし、各国からの支援などを手配しているのだろう。

そこまで理解できると、この任務の意図が次第に掴めてくる。

一般市民に大きく公表しないのは、彼からの情報の漏洩を防ぎ、邪魔をさせない為なのだろう。

余計に騒ぎ立てられれば、シエルや魔物にも伝わり、ずる賢い各国はのらりくらりと言い訳を並べることが難しくなり、結果としてこちらへの支援に滞りが発生する可能性すらありえる。

今はまだ余計な者たちに知られていない方が得なのだろう。

結局、半時間ほど耳をそばだてていたが、それらしい会話はそれ以降聞くことはなかった。

真面目に収集していたかと問われれば、ひどく答え辛いものだが、かといって、自分から聞きに行っては、余計な興味を持たせる可能性もある。

この程度の収集で十分だろう。

代金をコップ近くに置き、酒場を出ると、馬車には既に隊長が乗っていた。

「早いですね。もうお使いは終わったんですか?」

馬車に乗りながら尋ねると、隊長は鼻を鳴らし、振り向かずに荷台を指さす。

荷台には変わらず大きな棺桶が横たわっているが、その上には、溢れんばかりに物の詰まったいくつかの紙袋が乗っていた。

「……指揮官はいつもあんなに頼むんですか?」

「馬鹿か、そんなわけないだろう。必要な物資もついでに調達しておいただけだ。……すぐにまた街を襲うことになるんだからな」

「……そうでしたね」

言われてみればそうだ。

シエル領内の街を襲ってから数日、もうそろそろ次の目標も決まっているはず。

今日も指揮官の部屋に行く前は考えていたはずのことなのに、すっかり忘れてしまっていた。

「次はどこでしょう?今度は大きい街でしょうか?それとも、また小さな街でしょうか?」

「……あの女にでも聞け。俺が決めることじゃない」

馬車を通りへと戻す為、左右や後方の様子をよく確認しながら、隊長は冷たい返事をする。

時折思うことだが、彼はひどく受動的な人間な気がする。

任務中であれば的確な判断と命令が光るが、それ以外の時にはいつもあの指揮官の言いなりだ。

今朝のようにあまりにくだらないことには、彼らしい拒否の行動をとるが、やはり断りきれてはいない。

上の者を立て、自身を優遇させる魂胆ならば、彼の受動的な態度にも納得がいく。

しかし、共に行動する中で、彼がそういった下劣な欲求に狩られて動く様な、テールやデゼールに住む多くの馬鹿どもとは違うということは理解している。

では、何故彼はこうも、あの指揮官の命令に忠実なのだろうか。

時に、そんな疑問が湧くことがあった。







「あっ、おかえり~。果物買って来てくれた~?」

任務の成否よりも先に、自身のお使いの成否を尋ねる指揮官に、隊長は紙袋の一つを投げつける。
「痛ぁ~い、もぉ……!落ちちゃったら傷になっちゃうでしょう……!」

「ふん、知ったことか。どうせ食べるのはあんただ」

「ほら、落ちちゃった…。オネちゃん、食べる?」

「け、結構です……」

大して傷にこそなっていないようだったが、絨毯の上とはいえ、落ちたところを見ていると、やはりそれを受け取る気にはならない。

「くすん……。こんなに美味しいのに……」

「ふん。それで?報告はいらないのか?」

態とらしい泣く真似をする指揮官には気にも止めず、隊長は苛立たしげに尋ねる。

報告といっても、例の物は無事に受け取り、お使いについても問題は無さそうな為、一番に告げるべきは評判に関するものだろう。

しかし、そんなことを考えていると、指揮官は落ちた果物を服や手でよく拭き、齧り付きながら答える。

「う~ん、ほくにほんだいほなかったへほ?はから…」

「呑み込んでから喋れ。いらいらする…!」

いつもいらいらしているではないか、という茶々は入れず、黙って指揮官の咀嚼音が聞こえなくなるのを待つ。

「ごくっ…。特に問題も無かったでしょ?だから、どっちでも良いかな~って」

「なら、次の任務の話を…」

「えっと、少しだけ良いですか?」

隊長の言葉を遮り、おそるおそる手を挙げる。

「うん?な~にオネちゃん?」

「あの、我々の評判についての報告なのですが…。噂程度のものですが、あの街を破壊したことが知れ渡っているみたいです。よろしいのですか…?」

「う~ん…。まぁ、大きく騒ぎ立てられてる訳ではないしね。それに、そろそろ知らせる時期だから、ちょうどいい頃かなぁ…」

他の果物を取り出そうと、紙袋の中を漁りながら指揮官は告げる。

「ということは、奴らとの交渉は上手くいったのか?」

奴らとは、おそらく各国の連中だろう。

彼らからの支援や、魔物たちを打ち倒した後のことについて、交渉がはっきりしたのだろうか。

「上手くいった…とは言えないわね~。これまで以上の支援は取り付けたけど、戦争になったら知らんぷりを決め込むって」

「そんな…ずるいじゃないですか!?」

「そうね~。でも、魔物たちを倒した後、逆にその事を私たち側から公表すれば、一般の人たちは、大事な時には保身に走る国や王よりも、私たちの事を信じてくれるんじゃないかしら?」

「な、なるほど…!」

確かに指揮官の言う通り、各国のずる賢さを逆手に取れば、よりこちらの信用に繋がるだろう。

「…で、次は何だ?公表のための新聞でも書くか?」

「新聞なんて固いの駄目よ。読みたくないもん。若い子の受けを狙うなら、パレードよ!パレード!」

「では、次はその準備ですか?」

パレードの準備など、どうすれば良いのか皆目見当もつかないながらも尋ねると、指揮官は静かに首を横に振った。

「いやいや、二人…というかあと何人かには、別の仕事をして欲しいのよ」

指揮官はにへらと笑みを浮かべる。

表情とは裏腹に、その瞳には、ひどく寒気を催す何かが宿っていた。

「フェンガリの街から少し離れた所に、ソレイユって言う街があるのよ」

「…」

片手で果物を掴みながら、机に広げられていた地図の一点を指さす。

「そこを潰して来て」

短くそれだけを告げ、指揮官は果物へと齧り付く。

すると、果物の果汁が飛び散り、指揮官の指さす、ソレイユの街の部分が黒く濡れていった。







ついに本格的な戦争を始める時が来た。

ソレイユという小さな街を破壊し、レイダット・アダマーの名を全世界に知らしめる。
そして、コハブという周辺では最も大きな街を陥落させ、そのまま魔王やシエルの王たちがいるであろう王城へと進軍する。

持久戦となれば、表立った支援のないこちらに不利がある。

それに例の切り札にも限界がある。

一気に攻め込み、シエルという国と魔物たちを潰してしまわなくてはならない。

作戦自体は極めて単純であるが、余計な策など講じていれば、相手に反撃を許す可能性すらある。

そうでなくとも、指揮官の命令には従うしかない。

そうやってここまで大きくなって来たのだから。

しかし、この戦いに勝っても、個人的な願いはまだ達せられてはいない。

この戦いは本当の目標への、一つの難所に過ぎない。

本当に望むのは、魔物たちを打ち倒した功績として、このレイダット・アダマーを一つの国として認めさせること。

そして、デゼールには無かった幸せ溢れる国を作り上げ、暮らす者たち全員を幸福にすることだ。

人を人とも思わず、扱わず、道具かそれ以下として見られる社会など、富があるだけで優遇され
る社会など決して認めはしない。

きっと作れるはずだ、薄暗いあの馬車から救い出してくれたあの人たちとなら。
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