しらぬがまもの

夕奥真田

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ごちゃまぜと切り札の人らしさ

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「あらぁ~?アトゥちゃん?お早い帰還ね~?」

右肩に女、空いた手で子どもを抱きかかえているために、扉を蹴りで乱暴に開けるが、部屋の中にいた姉は特に驚くこともなく、果物を食べる手を止めようとはしなかった。

「奴がいた、“七人目”が」

「あぁ、そのことなんだけどぉ…。さっき、プレシエンツァから連絡があったのよぉ~」

「…なんと?」

「リウ君がソレイユで見つかったから、襲撃を回避出来るようにコハブに呼んでおくって。あと、こっちの襲撃も手伝うように頼んでおいたって」

「では、奴はちょうど帰ってきたタイミングだったということか…?」

「まぁまぁ、堅い話はその辺にして…。それより、早くその可愛い子を紹介してよ~」

多くの果物を乗せた皿を片手に、姉はぱたぱたと小走りで近づいてくる。
そして、半ば強引に胸に抱えていた、ソレイユから連れて来た魔物の子を抱き取る。

「ん~!可愛い…!この子、どうしたの?アトゥちゃんの隠し子?」

「…ソレイユの偶然の生き残りだ」

「…そう」

姉の表情から笑顔が消える。

露骨に表情に悲しみを浮かべることはなかったが、その心が傷ついていることは、長い間、弟として過ごしてきた経験上、よく分かる。

姉は執務机に皿を置くと、胸に抱いた魔物の子の頭を優しく撫で始める。

魔物の子は涙が枯れてしまったのか、姉の柔らかな胸へと静かに頭を押し付け、大人しくしている。

「…それで、そっちはイヴちゃん?」

「あぁ、前に報告したと思うが、フェンガリの街を襲った時に離反した。どうやらソレイユの街へ逃げ込んでいたらしい」

「そう…」

「…どうする?生かしておくか?」

「そうね…。神様にでも、決めてもらいましょうか?」

「つまり…?」

「ここに置いていって良いわ。もしかしたら、白馬に乗った王子様が来てくれるかもしれないからね~?」

姉が言わんとしていることは何となく察せられる。
今更、彼らを殺したことを悔いるつもりも、償うことも出来ないが、何も知らないのなら、無理にこいつらを殺す必要性もない。

もっとも、邪魔にならない限りだが。

「…分かった。だが、一度この子の容態をアルに診せた方がいい。少し、声の様子がおかしい気がする」

「そうなの…?ねっ、何か言ってみて?」

ゆさゆさと体を小さく揺すると、魔物の子はそっと姉の顔を見上げる。
愛らしい顔つきだが、大量に溢れた涙のおかげで、目は真っ赤に充血し、腫れてしまっている。
また、そのか細い首筋には、微かではあるが手の跡が残っているのが見て取れた。

「…喉が傷ついてるのかも。ちょっと、待っててね~。す~ぐ、お薬作ってあげるからね~」

「…出来るのか?」

「任せておきなさい。アルちゃんのお姉ちゃんとして、あなたたちの出来る八割くらいのことは出来るのよん?」

「ふん、末恐ろしいな…。じゃあ、こいつの治療も頼む。俺は準備を進めておく」

「はいはい、任されました」

肩に担いでいた女をソファへと寝かせ、そっと部屋を出る。
さっさと準備を始めなくては、奴らの巻き添えを食らう。





「は~い、お口、あ~ん?」

「…あ~む」

調合した色彩豊かな粉末をほんの少し乗せたスプーンを、ひどく嫌そう顔をしながらも、ソルちゃんは、咥えてくれた。

しかし、やはり美味しくはないらしく、すぐに粉末以上の水をがぶがぶと飲み、無理矢理お腹の中へと落としている。

そんな健気さがまた愛らしい。

「ふぁ~いと!もうちょっとで終わりだから、頑張れ!」

乳鉢の中の残り僅かな粉末を、先ほどよりもほんの少し多くなってしまうが、スプーンに全てを乗せ、ソルちゃんの顔へと近づける。

「…おおい」

「うっ…。なかなか目敏い…。で、でも、もうこれで終わりだから…!ねっ?もうこっちにも残ってないでしょ?」

乳鉢の中を見せ、もう嫌なお薬は終わったのだと伝えるも、ソルちゃんは愛らしいジト目でこちらを見つめてくる。

「お願い!これで本当に終わりだから!飲んで?飲んでくれたら…う~ん、ソルちゃんのお願い何でも聞いてあげるから!」

「…ほんと?」

「ほんと、ほんと!」

大袈裟に頭を縦に振ると、ソルちゃんは躊躇いながらも、ぱくりとまたスプーンを咥え、また何倍もの水でそれをお腹の中へと押し流してくれた。

「は~い、お疲れ様~!ソルちゃん、偉い!ちゃ~んと、お薬飲めたね!」

揺すれば、ちゃぷちゃぷ、という音が聞こえそうな程、愛らしく膨れてしまったお腹を気にするソルちゃんを抱きしめ、その頭を撫でる。

まるで、力の限り抱きしめてしまっては壊れてしまいそうな、脆く、小さな体ではあるが、目を瞑るとその体の中にある、強く、大きな命の鼓動を感じられる。

「ま、ま…」

「ん…?」

「ままとぱぱにあわせて…。りう…」

「…」

冷静に考えれば、ソルちゃんが何を望むかなど分かりきっていたはずだ。

にも関わらず、薬を飲ませたい一心で、適当な返事をしてしまっていた。

…思えば、アトゥやターイナの面倒を見ていた時も、こんな感じで接してしまっていた気がする。

その場を取り繕うために、嘘をつき、相手を騙す。

どうしようもないのは、それが良い事ではないと気づきながらも、やめられず、かといって、自分自身を正当化する事も出来ない、心の芯の無さか。

「…ごめんね、それは…ちょっと難しいかも」

「うそつき…!」

「ソルちゃん…」

「りうのうそつき…!うそつきうそつきうそつきうそつき!」

…胸が痛くなる。

ぽかぽかと叩かれ、身体的に胸が痛いという訳ではない。

ソルちゃんの悲痛な想いが胸に突き刺さるのだ。

フェンガリやソレイユの街を襲うよう、アトゥやオネに命令した時には、さして何も感じなかったというのに、いざ実際に襲われた側の者たちと接するとことで、こうも辛く、苦しい想いをしなくてはならないとは思わなかった。

「ごめんね…。ごめんね…」

本当は今更、謝る資格もない。

これも結局は、一時凌ぎの嘘に等しいものだ。

多くの者たちを犠牲にしながら、謝罪の言葉一つでその場から逃げようとしている。

でも、この子の前で、あれは平和の為なのだと正当化する勇気もない私にとって、これ以上の選択は出来そうにない。

「うぅ、りう…くるし…」

「あっ、ご、ごめんね…。大丈夫?」

無意識に強く抱きしめてしまっていた体を慌てて離し、ソルちゃんを見つめる。

憎悪の眼差しでもって、睨みつけてくるのなら、こちらの心も、その加虐心をくすぐられ、他者を犠牲にしてきた自身を擁護することに躊躇いも無くなろうものではあるが、ソルちゃんの目はひどく優しく、悲しげなものであった。

だからこそ、自分を責める他無くなってしまう。

「りう、くちのなか、きもちわるい…」

「えっ、あぁ…。そ、そうよね~。ちょっと、待っててね?何か果物を剥いてあげるからね~…」

最後にぽんぽんとソルちゃんの軽く頭を叩き、ソファから離れる。

何故ソルちゃんが、私の事をリウちゃんと間違えているのかは分からない。

今の私は金髪だし、化粧っ気は無いかもしれないが、それでも女の子だ。

男の子であるリウちゃんと見間違うことも無いとは思うのだが…。

まぁ、リウちゃんに責任を転嫁するつもりもないのだが、ソルちゃんが間違えているからといって、それを無理に注意する必要もない。

「ぅ…うぅ…」

「あっ、いゔ!」

そんな事を考えながら、果物の皮を剥いていると、ソファに寝かせていたイヴちゃんが、苦しげに呻きながら、体を起こした。

「あ~ら、おはよう、イヴちゃん。顔の具合はどお?」

「はっ…!貴女は!?」

こちらの存在に気づいた途端、イヴちゃん、ソファを飛び降り、体勢を整える。

一応、体全体を診ておいたが、ここまで機敏に動けるあたり、どうやらそこまでひどい傷は負ってはいないようだ。

「はいはい、元気なのは良い事だけど、あんまりはしゃぎ過ぎはダメよ~?女の子なんだから。あぁ、でも、そんな子が好きな男子も世には…」

「何故、私を助けた!?」

「騒がない騒がない。ソルちゃんがびっくりしちゃうわよ?」

「ソル…?」

こちらの様子をちらり、ちらりと横目で確認しながら、私が指さす背後のソファを見やる。

そこには、急に起き上がったかと思えば、声を荒げるイヴちゃんを、不思議そうな目で見つめるソルちゃんが、ちょこんと座っている。

「ソル…!良かった、無事だったのか!?」

「いゔ!」

「待て、何故我々が生きている?あの時、我々は…」

「まぁまぁ、落ち着きなさいって…!ほぉ~ら、皮も向けたし、一緒にもぐもぐしましょ?」

皮を剥き、一口サイズに切り分けた果物をお皿に乗せ、それを持ってソファへと戻る。

一度顔を見合わせたが、イヴちゃんは盾となる様に、ソルちゃんを後ろへと回らせ、こちらへの警戒を解こうとはしない。

「はぁ…。そんなに私って信用無いのかな…?」

「…私はもう貴女たちを裏切った人間だ。お互い、今更信用など出来ないはず」

「ふぅ…なんて言うか、ここに連れて来た子は皆純粋よね…。オネちゃんも、イヴちゃんも。裏切りは人の世の常、何ていうのが、嘘に思えちゃう…」

「…」

「まぁ、何にしても、今のイヴちゃんには、ここで私の話し相手をするしかないんじゃないかしら?いくら皆が出払っているからって、ここからソルちゃんを連れて逃げる?」

「…何故、私たちを殺さない?」

「殺さない、何て一言も言ってないわよ?でも、そうねぇ…。強いて言うなら、その必要がないから、かしら?」

「…」

「納得した?」

無論返事はないが、武器もない現状、逃げ出すことも、私を倒すことも出来ないと理解したらしいイヴちゃんはそっと、ソファへと腰を下ろす。

少し得意げな笑みを浮かべ、テーブルへとお皿を置くと、その横へ腰を下ろす。

本当はソルちゃんを太ももに乗せて抱っこしたいのだが、イヴちゃんの様子からそれは不可能だと察した。

「さてと…。何から話しましょうか?」

「…なら、一つ聞いておきたいことがある」

「ん~?」

「貴女は、本当にこの戦いに勝つつもりでいるのか?」

「いいえ、勝つつもりはまるっきりないわよ。せいぜいコハブを落とせたら、私凄い!くらいなもの」

もっとも、おそらくはそんな大番狂わせすら起きはしない。

厄介で食わせ者な兄がそんな事を許すはずはない。

「では、何故こんな戦いを続けるんだ…!?」

「知りたい?知れば、イヴちゃんをただで帰すことは出来なくなるけど…。それでも?」

「…」

少し躊躇い、ソルちゃんの顔を見つめた後、イヴちゃんは静かに、しかし、確かに頷いてみせた。







正直な話、砦を大きくし過ぎた。

ほとんどの者がコハブへと出発し、砦内には最低限の者たちしかいないといっても、彼らの目を掻い潜りながら、各宿舎で暮らしていた者たちの身の回りの物を全て処分するなど、その人数的にかなり困難だ。

といっても、誰のどんな物が、個人の特定に繋がるか分からないため、愚痴をこぼしてでもやるしかない。

砦内に残った邪魔な者たちを殺し、砦に火をつけてしまえば、ひどく簡単そうなものなのだが、それでは、これから攻めてくる兄たちの部隊に余計な疑問を与えかねない。

結果、こうしてこそこそと、他人の物を集めては、すぐに燃やせるよう準備するしかないのだ、

もっとも、他人に見られて困る物を一番多く抱え込んでいるのは、指揮官である姉に他ならない。

各国の王や兄、果てはシエル王、魔王とも密かに連絡を取り合って、かれこれ10年近い。

知的ではあるのだが、ずぼらな姉がその都度証拠となる物を抹消しているとも考えづらい。

あの魔物の子やイヴと遊んでいる時間などないとは思うのだが…。

「あ、あの…」

突然声のした背後を慌てて振り返る。

そこには、昨日、オネが助けた少年が立っていた。

重要ではあるが、いかんせん数の多さに辟易し、周りの状況に敏感になっていなったせいか、後ろから声を掛けられるまで、その存在に気づけなかった。

「な、何やってるのですか…?それ、僕の荷物なのですが…。貴方は一体誰ですか…?」

「…」

思えば、砦内で兜を脱いでいたことは少なかった。

それ故、俺の素顔を知っている者は、姉を除けば、オネくらいなもので、傍から見ればただの騎士くらいにしか見えないのだろう。

もっとも、目立たないために、そうしていたのだが。

どちらにしても、こちらの正体に気づいていないのはありがたいが、この状況、どうやって切り抜けるべきか…。

「あ、あの、何とか言ってください…!もしかして、こんな時に盗みを働こうとしていたんですか…!?」

「違う。荷物が散乱していたから、その整理を…」

「そんなはずありません…!自分の荷物は邪魔にならないよう、常に整頓していました…!そんな風に散乱しているは…」

徐々に声が大きくなっていた少年の喉元に短剣を突き刺す。

申し訳ないが、彼には死んでもらおう。

なるべくなら殺したくはなかったが、時間のないこちらにとって、計画の障害となるなら、殺すことを躊躇するつもりはない。

もっとも姉や兄なら、この程度のことなど、達者な口でのらりくらりとかわすのだろう。

残念ながら、こちらにはその口がない。

故に、相手の口も無くすしかないのだ。

どさりと倒れこみ、喉元から溢れ出る血で床を濡らし始める少年を急いで担ぎ、ベッドへと寝かせる。

そして、その真っ青になりつつある顔まで毛布をかけ、少年の体全体を隠す。

今は下手なところに隠している時間もない。

少年の持っていた衣類で床の血を拭き取り、作業を再開する。

さっさと証拠となりそうな物を抹消しなくては。







「そ、そんなことのために…!そんなことのために、父と母は!」

真実を知ったイヴちゃんは、やはり胸ぐらを掴んできた。

すぐにでも顔面に拳が飛んでくるかとも思ったが、彼女の手は震え、目からは大粒の涙が溢れ出てきている。

「そんなことのため…。そうね、大切な人を失った人たちからすれば、この世が平和になることなんて、“そんなこと”よね…」

「父と母を殺した張本人が何を言う!?貴様らのせいで、私や家族はばらばらになったんだぞ…!」

「…ごめんなさい、なんて、気休めにもならない謝罪はしないわ。したところで、貴女のご両親が生き返る訳でも、その憎しみが緩和される訳でもないもの」

「なら、そうやって、いつまでもへらへらとしているのか!貴様らの謀略で死んでいった人たちがいるというのに!」

「…」

それが出来るだけの、冷え切り、荒みきった心があればどれだけ良いことか…。

レイダット・アダマーに引き入れたのは、大抵は孤児か奴隷などの身分にいる者たちであったが、中にはイヴちゃんの様に決して身分の悪くない者もいた。

何故、彼女の様な者たちを引き入れたかといえば、一言で言えば、幼かった彼女たちを殺すことが出来なかったからだ。

レイダット・アダマーという反魔物派の勢力を作るには、魔物たちによる恐怖が身近に無ければならない。

異国の脅威など、一市民がそう自覚することのないものだ。

しかし、魔物たちは魔王の魔力によって統制され、その命令がなければ、決して他国へと侵攻することは出来ない。

故に、魔物による恐怖を自作自演しなくてはならなかった。

その犠牲者となったのが、イヴちゃんなどの両親なのだ。

怨みも、思い入れもない、ただ目に留まっただけの者たちであったが、その顔は未だに脳裏にこびりついて離れようとはしない。

結果として、レイダット・アダマーが出来た後は、フェンガリ襲撃などの、その後のほとんどの汚れ仕事をアトゥちゃんやオネちゃん、そして、イヴちゃんに任せてしまった。

そして、情けなくも、私はずっとここで、己の手が汚れぬ方法ばかりを考えていたのだ。

…だから、もう私には謝るだけの資格もないのよ、イヴちゃん。

「…もう教えてあげられることの全てを教えてあげた。それで?イヴちゃんはどうするのかしら?もうじきにやってくる“平和な世界”でも、そうやって憎悪を振り撒いて生きる?」

「誰のせいでこんな目に遭ったと思っているんだ!?」

「誰のせいにしても良いわよ?私でも、魔王と手を組んだ各国の王たちでも、全ての元凶を作った魔王でも…。イヴちゃんが決めれば良い。一番楽になれる方法を」

「…」

こちらを殺さんばかり睨んでいたイヴちゃんの瞳がぶれる。

「…私には、もう何がなんだか分からない。あんなにも憎かった魔物やシエルの人々を、今では心の底から憎めない」

「そぅ…」

「しかし、両親を殺した貴女を許すことは出来ない…!」

「なら、私を殺す?」

「…」

試す訳でも、挑発する訳でもなく。

ただ、純粋に提案した。

イヴちゃんの気がそれで収まるのなら、それで全てが赦されるのなら、決して拒みはしない。

自分の命など正直、どこで終わってしまっても構わないのだから。

そっと、目を瞑り、裁断が下るのを待つ。

胸ぐらを掴んでいたイヴちゃんの手が静かに喉へと触れる。

しかし、すっと、その手は離れた。

「…貴女は許せない。だが、この事を明らかにし、全ての人々に貴女を裁かせるべきだ」





「そう…。なら、私の“勝ち”」

「…っ!?」

離れかけたイヴちゃんの頭を両頬を包み込む。

「くっ…!離せ!」

「ざ~んねん、イヴちゃん。さすがにお喋りし過ぎたわ~。言ったでしょ?知ったら、ただでは帰せないって?」

ほぼ全てのことを教えてしまったイヴちゃんを野放しにすることはもはや出来ない。

ここで殺されるのなら、それも良しとは思ったが、まだ生かされるのならば、そのせいで家族に迷惑をかける訳にもいかなかった。

両手に力を込め、イヴちゃんの頭を包み込む兜のイメージを念じる。

「うぁぁぁ…!」

こちらの両手を離させようと、死にものぐるいの力で、爪を食い込ませてくる。

さっさと兜を創り上げないと、こちらの両手が取れてしまいそうな気さえする程だ。

「がぁぁぁ…ぁっ…」

完璧に黒い兜が頭を包み込むと同時に、イヴちゃんの手から力が抜け、がくりと、俯く。

ターイナちゃんの魔法を模造したものとはいえ、やはり恐ろしい魔法だ。

「ふぅ…。やっと出来た…」

さすがにもう一人の自分を操りながら、この防具を創り上げるというのは、相当に集中力が削られる。

イヴちゃんの爪は血管まで食い込んだらしく、ぽたぽたと血液が両腕から流れ出てくる。

そんな血液をぺろぺろと舐めながら、悲鳴をあげていたイヴちゃんの隣で、すやすやと眠るソルちゃんを抱き上げる。

調合薬として飲ませた粉末に少量ながら睡眠薬を入れておいて、やはり正解だった。

こんな話を聞かせれば、この子も放ってはおけなくなるし、イヴちゃんが苦しんでいる場面を見せるわけにもいかない。

「…あなたは何も知らずに生きていて。その方がきっと、幸せになれるから、ね?」

ソルちゃんを執務机の上へと寝かせ、先ほど使った果物ナイフを手に取る。

「アルちゃんやプレシエンツァが自分たちのことをどう思っているかは知らない。けど、私は自分のことを“人間”だと思っているの。…だから、貴女よりも家族の安全を取らせてもらうわ」

自身の意思もなくなり、がくりと項垂れるイヴちゃんの手首を切りつけ、そこから流れ出る血液を試験管へと拝借する。

「これで良し…。命令するわ、イヴちゃん。ソルちゃんを守りなさい、命懸けでね」













「奴らはあれで良かったのか…?ターイナなら記憶を消すことだって…?」

ひっそりとイヴちゃんの最後を看取っていると、アトゥちゃんが珍しく力も、皮肉も籠らない、小さな声で尋ねてくる。

「さぁねぇ…。何が最善だったのかは、私にも良く分からないわぁ…。あのままイヴちゃんを逃してあげるべきだったのか、オネちゃんの様に記憶を消してあげるべきだったのか、あるいは、結局、殺してあげた方が良かったのか…」

「…」

「何にしても、リウちゃんにはいつか謝らないといけないわねぇ…。ソレイユのことも、イヴちゃんとソルちゃんのことも、全部…」

「ここまでやっておいて今更奴にだけか…?」

「なら、アトゥちゃんは犠牲になった全員に頭を下げる?」

優しいアトゥちゃんには少し意地悪な質問だったと、言ってすぐに反省したが、敢えて取り下げることはなしなかった。

このことに対するアトゥちゃんの気持ちが知りたかった。

暫く考え込んだ後、アトゥちゃんはそっと首を横に振った。

「そこまでする気はない。…むしろ、そこまで平等に出来るのなら、オネの記憶を消すようターイナやガルに頼みはしない」

「そぅ…。じゃあ、そろそろコハブへ行きますか?ヨルムンガンドも近づいてるみたいだし…」

「…分かった」

アトゥちゃんは静かに手を繋いでくれた。

いつもなら、ほんの少し躊躇うのだが、やはり今日は少し疲れてしまったのだろう。

平和を求め、そのために他者を犠牲にしておきながら、その彼らをまるで蔑ろにも出来ないが、自分や愛する家族以上に考えてあげることも出来ない。

矛盾し、葛藤し、生きていく。

人でない、私たちがこんな風になってしまうことを“彼女”は望んだのだろうか…?
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