しらぬがまもの

夕奥真田

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傀儡の王の心

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シエル王城にある、それなりに広い一室。

部屋の中央に置かれた大きな円卓の周りには、豪華な衣装に煌びやかな装身具を身に着けた者、或いは、地味な装いながらも決して貧者の空気を感じさせぬ者たちが皆一様に厳めしい顔をして座っている。

音を発することが恐ろしいと感じたのは、これで二度目だ。

一度目は三年前、表面上はレイダット・アダマーの蹶起終結に伴う和平交渉の時。

しかし、実際あれは話し合いなどではなく、各国王たちへの、既に決まっていた責務の確認と、その督促であり、決して大きな意味のある会談とは言えず、それ故、シエルの王として出席した自分にも過大な重役を背負うことはなかった。

それに、あの時には、ヘルたちが同行してくれていたため、万が一の場合における補佐もあった。

だが、今は違う。

この会合では既に決まっていることなどなく、円卓を囲む者の中にヘルは疎か、魔物の姿すらない。

窓から見える薄暮がその美しくも儚い佇まいを、闇の衣に隠し始めた頃、僕のすぐ横に座る男が、意を決した様に椅子から背中を離し、前屈みの姿勢となってこちらに視線を送って来た。

「…失礼ながらシエル王。魔王様は今どちらに?」

「わ、分かりません…」

嘲りを通り越し、失笑と捉える方が妥当な笑い声が上がる。

「す、すみません…」

「いえいえ…。どうかお気になさらないでください。大方、そんなことではないかと思っておりましたので…」

「…」

気遣いの言葉ではないことは、一番表面に薄ら笑みを貼り付けつつも、その一枚下には、舌打ちすら隠せそうにない表情を浮かばせた男の顔を見ればすぐに分かった。

だが、実際、僕の立ち位置などこんなものだ。

最近はあまり、自分の地位を気にする機会が少なかった故忘れていた。

肩書きこそシエルの王という地位にあるが、そもそも、そのシエル自体がもはや魔物の力を借りねば立つことが出来ぬ国となっている。

それ故、魔王に付き従っているからこそ、僕の存在が許されているとさえ言える。

ここで暮らす内では、皆が優しく、恭順であることを強要されたことは一度もないが、所詮操り人形であることに変わりはない。

外の者と付き合うと、そのことをよく思い起こされる。

「全く、魔王様もお人が悪い。我々領主を呼び付ける時はいつも、シエル王の名義を利用するというのに、肝心の魔王様がいつもいないとは…」

「そ、それが…今回は、コハブの一件を調査するとだけ言っ…」

「良く聞こえない!」

不意の大声と、躊躇なく円卓を叩く音に自然、身体はビクつく。

恐る恐る、円卓の方へと顔を向けると、僕の向かい側に座る男がその拳を乗せ、苛立った様子でこちらを睨みつけていた。

相当強い力で叩いたのか、男の物は勿論、周りを囲む者たちのグラスのいくつかが倒れ、中から水が零れてしまっている。

「あっ、ご、ごめんなさい…!すぐに何か拭くものを…!」

零れた液体を拭こうと、布巾を取りに席から腰を持ち上げる。

すると、再び円卓が震えた。

「シエル王、貴方は事の重大さをしっかり認識しておりますか!?」

「えっ…」

「コハブは他国からの攻撃を受け、壊滅させられたのですよ!」

「た、他国…?」

言っている意味が分からなかった…。

何故、コハブ壊滅の件に他国が関係するのだろうか…?

今回、魔王がシエル中の領主を一堂に集めたのは、今日の夕方近く、急遽コハブの街が壊滅状態にあるとの一報を受けたからだ。

コハブ、つまり、あのプレシエンツァが一領主として暮らす街が悉く破壊された、簡単な事情のみを聞かされた時、僕は自分の耳を疑った。

フェンガリやソレイユなどの小さな街を襲い、壊滅させてしまったレイダット・アダマーから、街を無傷で守り切っただけの力を持つコハブが、何の前触れもなく破壊されることなどあろうはずはない、と。

しかし、続々と入ってくる情報は、コハブの壊滅が疑いようのない事実であることを裏付けていった。

その結果、魔王はコハブという大きな街の壊滅は事実として、その事態を重く受け止めると、今後の方針と対策について話し合う為、行方不明のプレシエンツァ同様、領主の任に就く者、謂わばこのシエルにおいて、実質僕以上に力のある者たちを集めたのだ。

もっとも、魔王自体はヘルやフェンリルたちを遣いつつも、自ら情報収集へと出かけて行ってしまった為、現状僕だけで他の領主たちの相手をしなくてはならず、こんな状況に陥っている。

その旨を説明し、未だ魔王たちによる調査の最中であることを告げようとするが、他の領主たちは拳を叩きつけた領主の言い分に力強く頷き、こちらの言葉を聞こうとはしない。

「その通り!コハブの街を破壊したのはどう考えても、他国の者たちに違いない!」

「で、でも、それらしい証拠は、まだ何も…」

「おや?でしたら、シエル王はこのシエルにおいて内乱が発生していると申されるのですか?」

「い、いえ…そういう訳でも…」

慌てて訂正するも、領主たちの話はどんどん進んでいく。

「心外だな。コハブの若造には何度か辛酸を舐めさせられたが、同じシエルの民。殺そう…ましてや、街の者たち諸共など考えたこともない」

「だが、あの男、噂ではレイダット・アダマーと通じていた可能性があるというではないか?あれを同じシエルの者と呼ぶのは如何なものかな?」

「ふん、大方弱小の新聞屋が金目当てに法螺を吹いているだけよ。ああいう連中は人の粗を探すのを信条にしとる屑共じゃ」

「ならば、やはりコハブへの攻撃は他国によるものでしょうな。あの街はテールとの国境からも近い」

「それにしても、レイダット・アダマーからの攻撃を防ぎ、剰えそれを滅ぼしたコハブがやられたとなると、敵は本気でシエルを潰しにきているようだ」

「でしたら、尚の事迅速な対応せねばなりませんね。もし他国が再び戦争をするつもりならば…」

「逆に前シエルの為せなかった、全世界を手中に収めるための良い口実としますかな?」

円卓を囲む領主たちの会話は、話し方こそ落ち着き払っているものの、内容自体は次第に過激なものへとなっていく。

その会話の中に入り込む余地はない。

それに、入り込みたくもなかった。

…僕は各国と戦争などしたくはないのだから。

三年前、シエルと各国は平和と安定の為、フェンガリやソレイユに暮らす者、そして、レイダット・アダマーとして戦った者など、多くの人と魔物を生贄として支払うことで、やっと、今の安定した世界を創り出すことが出来た。

それなのに、今、各国と戦争を起こしては、彼らの犠牲を無駄にしてしまう気がしてならないのだ。

勿論、彼らの犠牲は必要なものであったと、自分たちを正当化する勇気はない。

誰の犠牲も無く、世界に平和と安定を齎すことこそが最善だ。

しかし、実際、世界はそう甘くは出来ていない。

三年前の謀り事を知らぬ領主たちは、魔物という、本来は不明確であるはずの後ろ盾を理由に、その強気な姿勢を崩さず、剰え、前シエル王の様に領土を奪う侵略戦争すら起こそうと考えている。

シエルの人々が、その過酷な過去故、他国の人々を心底憎んでいるのは理解しているが、事あるごとに、その憂さ晴らしに報復しようとする国民感情については、あまり目を向けたいとは思わない。

それに、シエルの力の源とも言える、魔物という他力を、当然とばかりに当てにする、その神風主義的なものの考え方も同様だ。

…単なる傀儡と成り果て、それすら忘れている僕が言えたものでもないのだろうけれど。

何にしても、このまま領主たちに好き放題させては、決して良くない方向へ向かってしまう。

それを止めなくては…。

でも、それには、今回の一件について、ある種の彼らが納得する答えを導かなくては。

聞いた限りの情報では、まずコハブが今日一日で壊滅的被害を受けたことは確定している。

というのも、昨日ナルヴィたちが出掛け、今日の朝早くにその街を出たと報告してくれたからだ。

しかし、だとすると、この時点で、領主たちによる他国への当てつけ的な嫌疑が晴れる気がする。

予定されていたとはいえ、三年前のレイダット・アダマーの蹶起を退けた、おそらくシエル内で有数の戦力を保有するコハブを壊滅させるとなれば、他国は余程の戦力を投入しなくてはならない。

ましてや、一日でそれを行うとなれば、夥しい量となるだろう。

もし仮に、実際に他国がそれだけの戦力を投入したとなれば、それはひどく目立ち、近いとはいえ、密かに国境を越えることすら難しいはずだ。

それに、前日から早朝にはナルヴィたちがおり、そうでなくとも、飛行型の魔物たちが各地を巡回してくれている。

それ故、他国がコハブを攻略するため、戦力を一気に投入したとは考えづらい。

では、工作員による裏工作ならばどうだろうか。

他国が送り込んだ少数精鋭の者たちがコハブ内に入り込み、内部から破壊する。

…出来ないことはないかもしれないが、それもかなり難しい気がしてならない。

二週間ほど前のことだ、珍しくシエル王城を訪れたプレシエンツァは、僕や魔王と共に、今後の統治に関する課題を話し合う中で、殊にシエルでの現教育状態の抜本的改善を訴えていた。

彼曰く、三年前の一件により、世界的に見ればそれなりに融和が図られつつあるにも関わらず、シエルへの他国からの移住者の数が未だ極めて少ないのは、現教育にその一因が求められるらしい。

そのため、試験的にではあるらしいが、彼の街コハブにおいては既に教科書の改訂などを行っているとのこと。

また、その結果の精察次第、シエル中での教育改善を図るため、その力を貸して欲しいとのことだった。

結局、彼がそれ程までに気を遣う程、コハブへと移り住む他国民は少ないということだ。

勿論、裏工作を行う者が、他国民であることを堂々と告げながら、街に入ってくるとは思えないが、仕事をする、或いは長く滞在するとなれば、身分の証明は不可欠だし、住民の厳しい目もある。

その上、大きなコハブの街を壊滅させるだけの工作となれば、それは途轍もない時間と労力が必要になるはず。

一日や二日程度で出来ることではない。

それに、各国は魔物たちの力をその国民以上に知っているはず。

それ故、三年前の一件が謀られた。

だとすると、やはり、今回のコハブ壊滅が他国からの不意打ち紛いの攻撃とは思えない。

しかし、だからといって、一般人が行えることとも思えない。

なら、他に考えるとしたら、レイダット・アダマーの様な組織が再び組織され、コハブを襲ったというものだが、やはり他国の時同様の問題で難しいはず。

それに、各国がその組織を許すとは思えない。

では…。

一体誰がコハブを攻撃、壊滅させたのだろうか…?

それに、その目的は…?

…。

分からない…が、僕の知る限りにおいて、コハブを壊滅に追い込むことが出来る、且つそれに何かしらの意味を見出せるであろう者たちを挙げるならば、その数はひどく少ない。





魔王様…プレシエンツァ…。

貴方がたは今度は一体何を考えているのですか…?

三年前の真実を知らぬ領主たちにとって、片田舎にあるコハブの街の領主など大した者ではないのかもしれない。

しかし、魔王と共にレイダット・アダマーの蹶起を策謀し、見事魔物たちの生息域の拡大と、世界に平和と安定を齎したあの男が、頼もしくも、如何に恐ろしい男であるかを僕はよく知っている。

そして、街は壊滅状態であるにも関わらず、その男が行方不明。

正直あの男がそう簡単に死ぬとは思えない。

それ故、この一件にも、何かしらの意図と謀略が潜んでいる気がするのだ。

そして、もし潜んでいるのだとしたら、そこにはきっと魔王も絡んでいるはず。

それが何の為にかは、見当もつかない…。

しかし、三年前の謀り事から、再び常人には決して気づくことの出来ぬ、複雑怪奇なものであることには違いないだろう。

問題は、そのことをこの領主たちに教えるべきかという点だ。

三年前の謀り事を考えるならば、あれは口外しなかったからこそ、成功したとも言える。

もし口外していれば、シエルに暮らす者たちは勿論、各国の国民の感情も怒りに染まり、今の様な平和と安定を得ることは出来なかっただろう。

…だが、もっと多くの者たちの協力を得ていれば、もっと犠牲を少なく出来たのではないか、という思いもあるのだ。

毎日、中庭にある墓を手入れする魔王の姿を見ていれば、尚更その思いは強くなる。

「あ、あの、み、皆さま…!お、お話したいこ…」

「申し訳ない、客人である貴公らを待たせた無礼を詫びよう」

はち切れんばかりに拍動を強める心臓を抑えつつ、意を決して、声を上げかけたその時、背後にあった扉が勢い良く開かれ、ぞわりと背筋を冷やす、美しい声が部屋中に響いた。







「シエル王…」

蝋燭だけが、優しい夜風に船を漕ぎつつも、優しく周囲の闇を退けてくれているその廊下を、無用な音を立てぬよう、細心の注意を払って歩いていると、不意に、闇に消えかける程に黒いドレスに身を包んだ魔王が足を止め、こちらへと振り返った。

「私が居ない間、ご苦労だったな。あの領主たちの相手、一人では疲れたであろう?」

「い、いえ…。大したことでは…」

「ふふっ、嘘などつかずとも構わぬよ。私もあの者たちの相手は疲れる…。それで、彼らは何か気になることを話していただろうか?」

「気になること、ですか…?」

「あぁ…。彼らも私の前では口数も減る。だが、貴殿の前ならば、口を滑らせることもあるだろう?」

確かに、魔王が到着してからの会合は、僕一人の時のものとは全く異なるものであり、話し合いとは決して呼べるものではなかった。

最初こそ、それまでの勢いのままに、他国からの攻撃であるとする主張がそこかしこで挙がったが、魔王がそれを調査中であるの一言で一蹴し、またその可能性が低いことを暗に示すと、領主たちはまるで鼻を弾かれた様に、黙りこくり、魔王からの報告と今後の対応策を聞くのみだったのだ。

やはり、魔王と面と向かって話を出来るのは、幹部のヘルやフェンリルたちを除けば、プレシエンツァくらいなものなのだろう。

「…そう、ですね。正直、あまり気に留めるようなことはなかったと思います。しかし、魔王様もお聞きになった通り、例の一件を他国による攻撃であるとし、その報復という名目で、各国に侵略戦争を考えているようでした」

「ふむ…。他には?」

「ごめんなさい…。それ以上のことは特に…」

「そうか…。それならば…」

「失礼致します…」

不意に背後から聞こえてきた、涼しい夜の空気をざらつかせる嗄れた声に、その身を慌てて振り返らせる。

すると、そこには、先日よりこの城で共に暮らすようになった、魔物の長が一人、ベヒモスがその大きな巨体を闇夜に隠す様に、跪いていた。

「ベヒモスか…。何だ?」

「遅ればせながら、彼らの居所が掴めました」

「…何処だ?」

「リオートと呼ばれる国の、とある山の山頂近くです」

「…分かった。フェンリルを会議室まで呼んできてくれ」

「すぐに…」

それだけを告げると、ベヒモスの身体は自然、呑み込まれる様に闇の中に消えていった。

ベヒモスの姿が完全に消えると、魔王はこのまま会議室へと向かうのか、僕の横をするりとすり抜けていく。

だが、その背中が見えなくなる寸での所で止まると、再びこちらへと顔を向けた。

「シエル王、貴殿はヘルと共にいろ、良いな?」

「えっ…」

あまりに唐突な事に返事が出来ず、おろおろしていると、魔王はすたすたと音だけを残し、廊下の闇へと消えてしまった。

…ヘルと共にいろ、それは一体どういう意味なのだろうか?

訳も分からなかったが、闇夜に染まる廊下に留まり続ける勇気はなく、足早に自室へと向かった。

もし自室にヘルがいたら、聞いてみよう。

彼女ならば、魔王の言うことの意味が分かるかもしれない。

しかし、呑気にそんなことを考えていた僕でさえ、自室の扉の前へと着いた時には、すぐにその違和感に気がついた。

扉が微かに開き、その先から、いやらしげな水音と、微かな女性の嬌声が聞こえてくるのだ。








「あっ…」












不思議に思い、ほんの少しだけ開いた扉の先を覗くと、そこには一糸纏わぬ姿で激しく絡み合う、ヴァンパイアとヘルの姿があった。


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