しらぬがまもの

夕奥真田

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家族という免罪符

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「…では、やはり、彼女たちはターイナの元へ跳んだ可能性が高いようだな」

「どうやらその様ね…。でも…」

フィリア、ツルカ、イッハの三人がその姿を忽然と消したすぐ後、兄様と姉様は全員をすぐに集め、状況の把握に勤しんだ。

私やアトゥの様に、それぞれ三人の近くにいた者の証言から、三人のその姿が消えたのはほぼ同時であり、皆正気を失ったかの様に、ターイナに呼ばれている旨を呟いた後、消えてしまったらしい。

また、ターイナ同様、魔法に堪能な姉様が言うには、彼女たちは、消えたのではなく、何処か別の場所に跳んだとのことだ。

そして、それら情報を鑑み、兄様と姉様は同様の結果を導き出したらしい。

それにしても、兄様が皆の先頭に立つ分には特に違和感もないのだが、姉様がその綺麗な顔を強張らせながら、真剣にそれに手伝うのはひどく珍しい。

あんな姉様を見るのは、“母様”から逃げる時以来だ。

…それ故、恐ろしかった。

姉様の顔から笑みが消える時はいつも、私の想像以上に良くない事が起きている時だ。

今回もおそらく、聡明な姉様は、私が気がつかない事にいち早く気付き、その事態を重く受け止めているのだろう。

「…見た感じあの娘たちに跳ぶだけの魔力はなかった。ということは、ターイナちゃんが跳ばしたんだと思う」

「つまり、ターイナが彼女たちを呼び寄せたということか…。それも、おそらくはコハブに…」

「…貴方も感じられたみたいね?」

姉様が横目でちらりと兄様を見やる。

その目はひどく鋭く、いつも笑顔の全てを否定するかの様に感じられる。

兄様は深い吐息を吐きながら、静かに頷いた。

「あぁ…。生憎、私には微かにしか感じられないが、コハブの街がある方向から、異常な魔力が渦巻いているのは分かる」

「異常な魔力…。それはターイナの、ということか?」

左耳が聞こえないせいか、微かに右耳を傾けながら話を聞いていたアトゥの質問に、今度は姉様が頷く。

「そうよ…。そして、その量は今まで感じたことがない程の領域にある」

「それはつまり…!」

結論を言いかけたアトゥが慌てて口を噤む。

…そんなにことしてくれなくても良いのに。

事情を知らない、或いは、現状を飲み込めない、兄様と姉様、そしてアトゥ以外の者たちは揃って、きょとんとした顔をしている。

だが、それも仕方がないことだ。

この中で魔法に精通しているのは、兄様と姉様だけ。

それ故、私を含め、残りの皆は二人が感じている、おそらくはターイナのものであろう、異常な魔力を感じられず、その脅威が分からない。

また、私やアトゥでなければ、それが意味するところも分からないのだ。

しかし、その意味を知っている三人も、結論を告げようとしない。

「つまり、暴走している…ということ…?」

その結果、私が結論を告げても、事情を知るきょうだいの誰もが頷こうとはしなかった。

たぶん、頷きたくないのだ。

頷けば、私に余計な過去…、





“母様”を刺した時のことを、思い起こさせると思っているのだろう。





侵略戦争の時、私たちは“失敗作”と呼ばれながらも、懸命に戦い、魔物たちが展開していた前線の一部を壊滅することに成功した。

だが、前線の一部壊滅に伴い、当時、最強と呼ばれていたフェンリル率いる増援部隊が駆け付けると、情勢は一気に反転。

共に進軍していた各国の兵士は次々に倒され、当時はリウたちはおらず、私たちはたった六人でフェンリルなどの魔物たちと死闘を繰り広げた。

死闘の末、何とかフェンリルの喉元に致命的な傷を負わせ、撤退に追い込むことが出来たが、代わりに私は左腕を喰い千切られ、失くしてしまった。

今でも時折、心臓の鼓動に反応するかの様に痛む時があるが、別段そのことで、夫のフェンリルをとやかく言ったりはしない。

恨んでいないといえば、嘘になるが、彼が私の腕を奪ったのと同じで、私も彼から声と最強の座を奪ってしまった。

謂わば、お互い様なのだ。

彼の求婚に応じたのも、その罪滅ぼしの念からだった。

しかし、喰い千切られた当時の私はそれほど冷静ではなく、その痛みと、失くしたことへのショックから、ひどく泣き叫び、兄様や姉様の手を借りなければ、アルが治療できない程に暴れ回っていたらしい。

時折、姉様はふざけた調子で、愚痴を零す様にその時の事を話してくれるが、正直、左腕を失くした直後の記憶が私には無い。

治療の際、兄様に姉様、そしてアルのことを何度も蹴り飛ばしてしまったことなど語られても、何も思い出せないあたり、よほど、痛みとショックは強烈なものだったのだろう。

そして、そんな不安定な精神状態の時、“母様”と他の研究者たちが、“失敗作”の処分を検討しているという話を聞いてしまった私は、“母様”をこの手で刺してしまったのだ。

…あの時、あんなことをしなければ、“母様”は死なず、きょうだいの皆も、もっと穏便に逃げ出すことが出来たのかもしれない。

そして、“母様”や“勇者”のことなど忘れ、皆それぞれの幸せの為に生きれたのだろう。

でも、私が“母様”を刺してしまったことで、皆をあらぬ方向へと導き、多くの者たちの運命を変えてしまった。

…結局、皆を不幸に陥れてしまったのは私なのだ。





「分かった…。姉様、私をコハブまで連れて行って…。何かあったにしても、私ならきっとターイナを止められる…」

「…」

「姉様…!」

「待って…!」

きょうだいたちの気遣いに、心の表層では礼を言いつつも、心底では、“母様”を変に意識させるだけの気遣いだと苛立っていたのか、八つ当たりの様に、返事の催促を行うと、姉様は苦し気な声を上げ、その催促を制した。

「お願いだから…もう少し待って…。状況が分からないの…。どうしてターイナが魔力を暴走させているのか…」

「それも行ってみればきっと分かる…!だから…!」

「ターイナが暴走してるのに、貴女が暴走しないとは限らないでしょう…!」

「…っ」

言い返す言葉は見つからなかった。

姉様は私の精神面を危惧しているだけで、“母様”の一件を責められているつもりはないのだろう。

しかし、姉様の言葉は、私をまるで前科持ちであると規定し、信用が置けない存在だと言われている様に感じられて仕方がなかった。

…お前は、母殺しの大罪人である、と。

「ごめんなさい…。早く動くべきなのは分かってる。でも、あの子があれほど本気で怒るとしたら、きっとそれは家族に関すること…」

「まさか、アルに何かあった、と…?」

「おそらくは…。でも、不用意に近づけば、あの子の魔法の巻き込まれる。だから…」

動けない…。

最後まで続かずとも、姉様が言いたいことは理解できた。

…でも、アルは勿論、暴走するターイナをこのまま放っておくことは出来ない!

それはむしろ、暴走のままに、“母様”を殺してしまった、過去があるからこその強い思いだった。

しかし、先ほどは暴走するターイナを一人で止められると豪語したが、現実的な問題として、近接攻撃を得意をする私にとって、遠距離からの魔法による攻撃を得意とするターイナはひどく分が悪い。

ましてや、大魔法の発動に見境がないとするならば尚更だ。

私だけでは苦しい、でも…。

そっと、この状況を打開できるであろう者の横顔を見つめる。

その者も、話の流れから、いずれは己に白羽の矢が立つことを予期していたのか、すぐにこちらの視線に気がついてくれた。

「…ふん、全く。結局俺が出なくてはいけないのか」

盛大に鼻を鳴らすと共に、ひどく億劫そうに告げたのは、右目と左耳が未だ治らぬアトゥだ。

屋敷に着いて早々に、ターイナからの治療を受けたようだが、その効力はなかなか表に現れないらしい。

「…無理をする必要はないんだぞ?」

「はははっ、心にもない言葉だな。本当は行かせたく堪らない癖に」

兄様からの心配の言葉を揶揄うアトゥの態度に、その横に立っていたトゥバンの顔が強張る。

だが、兄様は特に嫌な顔を向けたりはしなかった。

兄様も姉様も、そして私も、アトゥの性格はよく知っている。

少し僻みっぽくて、偏屈なところはあるが、他人の動作や表情から、その真意を汲み取れる優しく、賢い子だ。

それ故、オネの様なお嫁さんをもらうことが出来たのだろう。

しかし、アトゥは元々姉様と行動を共にすることが多かっただけに、トゥバンなどとは接点が少なく、お互いにその気質を良く知れていないようだ。

「…分かった。ならば、ペルメル、ガルとアトゥを連れてコハブに向かってくれないか?そして、すぐにでもアルとターイナを連れ帰って来てくれ。…コハブの事は私も忘れる。今は何があってもあの子たちを助けよう」

兄様は深く息を吐いた後、苦し気に告げる。

魔王の計画を遂行する為、簒奪にも近い形で領主の地位を得たとはいえ、十年近くもあの街と共に暮らしてきただけに、やはり心残りがあるだろう。

また、出来る事ならば、領主の地位に返り咲き、何事もなかったかのように、立ち振る舞えることを望んでいたのかもしれない。

或いは、“母様”を生き返らせることと共に、“母様”が望んだ、人々に平和と安定を謳歌させる存在、“勇者”であることも目指していた兄様にとって、他の者たちよりも、家族を優先させてしまうことに、ある種の罪悪感があるのだろうか。

どちらにしても、兄様にとってはそれなりに苦渋の決断だったようだ。

しかし、そんな兄様の提案はすぐに却下された。

「駄目です!隊…アトゥを行かせる訳にはいきません!」

その潰されてしまった右目の代わりとなるよう、アトゥの右手をがっしりと掴んだオネだった。

「だって、右目が見えない上に、左耳が聞こえないんですよ!そんな状態で戦える訳ないじゃないですか!?」

「…」

確かにその通りだ。

五感の内、最も大きな役割を果たす二つが、完璧に機能していない状態での戦いは避けるに越したことはない。

まして、アトゥは私やリウ同様接近戦を得意としているだけに、魔法を駆使する姉様やターイナ以上、五感に頼る部分は多い。

しかし、アトゥの能力上、私たち“きょうだいとの戦い”においては、無理に戦う必要性はない。

彼はただ“近づけば”それで良い。

相手がターイナであればおそらく、それだけで十分だろう。

だが、オネのアトゥを心配する気持ちも痛いほど分かる。

愛する者が無理をして、下手をしたら死んでしまうかもしれないとなれば、必死でそれを止めたくもなる。

だから、無理強いはしたくない。

朝方、せっかく仲直りしたというのに、また喧嘩させてしまっては、忍びない。

それに、多少厳しくとも、私が頑張れば良いのだから。

しかし、心配するオネちゃんを余所に、アトゥはまた盛大に鼻を鳴らした。

「ふん、余計なお世話だ…」

「よ、余計ってあんたねぇ!この子はあんたのことを心配して…!」

リウの櫛入れのおかげか、手入れの行き届いた紅髪を揺らし、その髪色と同様に顔を怒りに染めるフーに、アトゥは変わらず不愉快そうな顔をちらり向けるが、それ以上何かを言おうとはしなかった。

おそらく、これ以上の言い合いは無意味だと気がついたのだろう。

全員が口を噤むと、兄様がゆっくりと口を開いた。

「オネ君の気持ちも分かる。だが、このままではいつまで経っても話は並行のままだ。だから、どうかここはアトゥのことを彼女たちに託してくれないだろうか?」

「…」

オネは、兄様が手で示した私と姉様の顔をじっと見つめる。

三年前、ターイナが創作した、装備車の命を吸い取り、それを力に変える武器や防具などを、棺桶に入れて、運んで行った時には、少女らしい面影を残していたが、今見えるその顔はとても凛々しく、アトゥへの強い想いが伝わってくる。

だから、その想いに応えるべく、こちらも目を離さず、じっと見つめ返した。

「ガルディエーヌ…さん、でしたよね?アトゥを無事に連れ帰れると約束出来ますか?」

「約束は難しい…。でも、この身に代えても、アトゥは守る…」

「…分かりました。なら、貴女も無事に帰って来る、それも約束してください」

「うん…」

力強く頷くと、オネも頷き返してくれた。

「あら、私は良いんだ?」

無理矢理作ったであろう、いつも以上にぎこちない笑顔を向ける姉様に、オネは小さく微笑む。

「真剣な時の指揮官は信用できますから」

「…んふふ。ありがとう」

オネの優しい微笑みと、意外だったらしい答えに、一瞬目を丸くした姉様だったが、最後は少し照れ臭そうに笑い、小さく礼を述べた。

私たちがオネからの信任を得るを見届けると、兄様も微かに微笑み、号令を下す。

「よし、では二人のことを頼む…」







「なんだこれは…?」

普段であれば、恐怖さえもその憎まれ口で打ち捨てるアトゥの口から、困惑が溢れ出す。

…それもそのはずだ。

姉様の負担を承知で、一気にコハブへと跳んだ私たちが見たのは、その全てが炎と煙に呑み込まれかけたコハブの街だった。

先日、フェンリルたちと共に訪れた時に見たものとはまるで似つかない、逃げ惑う街の人や魔物たちを意思のままに喰らい、その胃袋でなんの差別もなく、平等に焼き焦がしていく、地獄の業火を体現させたかの様な炎が踊り狂う光景には、思わず立ち竦んでしまう。

そんな炎から逃れるべく、生き残った者たちは皆耳を劈く程の悲鳴を上げながら必死で門へと走っていく。

しかし、外へと通ずる門や外壁には、内部で踊り狂う炎の舞にすら靡かぬ、冷たく硬い氷壁が立ち並び、誰一人として街から逃げ出すことを良しとはしていない。

「姉様…!」

厳しい顔で同じ地獄を見つめる姉様に声を掛ける。

もはや、事はターイナとアルだけの問題ではない。

この街の人々も救わねば…!

それには、姉様の魔法の力が必要不可欠。

だが、姉様はこちらに顔を向けず、静かに首を横に振った。

「二人共、ターイナを止める事だけを考えなさい。このままじゃ、この街だけじゃ済まない…」

「でも…!」

「ガルディエーヌ!」

炎の咆哮に負けぬ程大きく姉様が叫ぶ。

「言うこと聞きなさい…!これだけの魔力の籠ったものは、私じゃあ止められないの…」

「…」

こんなにも弱々しい姉様は見たことがない。

しかし、魔力を感じられない私とは違い、魔力を感じ取ることが出来る姉様は、おそらくはターイナが操るこの炎や、あの氷壁の力がどれほどのものか分かるのだろう。

しかし、逃げ惑い、救いを求める人々の悲痛な叫びを耳する度に、心が締め付けられる思いだった。

そんな私の様子を見かねてか、アトゥがまた鼻を鳴らす。

「ふん、どっちにしろ。ターイナに俺が“近づければ”万事解決するはずだ」

「…」

「しゃんとしろよ。ぐずぐずしてたら…」

「…っ!こっち!」

不意に姉様が私とアトゥの手を取って、後ろへと飛び退く。

すると、すぐに私たちが立っていた地点に何か大きなものが落下し、瓦礫と火の粉を巻き上げた。

落下してきたそれは、全身を鱗に覆われながらも、それを無理矢理剥ぎ取らたのか、至る所に切り傷を負い、遂には喉を大きく食い破られた竜だった。

名前までは思い出せないが、三年前の戦いにおいて見覚えのある竜だ。

それ故、余計に辛い。

しかし、炎も氷壁も飛び越えられる竜が、何故こんな傷を負い、剰え落ちてきたのだろうか…?

そっと、竜の落ちてきた空を見上げる。

空に手を伸ばす様に燃える炎と、舞い上がる煤によって、蒼穹が広がるはずの空の様子はよく見えない。

しかし、よく見えないその空に、隠す気のない異様な殺気を放つ、何かが自在に飛び回っている気配は感じられる。

おそらく、この竜はそれにやられたのだろう。

「けっほ…けっほ…!こうなる…!頼むぞ、姉さん方」

「うん…!」

アトゥの激励に元気を貰い、私たちはすれ違う人々や、炎などを避けつつ、魔力を感知できる姉様の先導のもと、この炎や氷壁の根源であろう、ターイナの元へと向かった。

「いた…!」

姉様が両手を広げ、後ろに続いていた私とアトゥに止まるよう指示を出す。

姉様のすぐ先には、周囲の建物を呑み込み終え、平らになった地を渦巻く炎だけが支配する世界が広がっていた。

だが、その中心には外壁を覆っている氷壁よりも薄くも、決して溶けぬ氷壁が丸く半球を描くように存在している。

そして、その薄く透明な氷壁の中には、ターイナの姿が辛うじて確認出来た。

「ターイナ!」

炎に焼かれぬ、ぎりぎりの所まで近き、大きく呼びかける。

しかし、反応を示したのは、ターイナではなく、その周囲の炎と、彼を覆う氷の傍で身を小さく縮めていた、黒い何かがだった。

それはゆっくりと立ち上ると、周囲に蔓延る炎になど恐れる様子もなく、こちらへと歩み寄って来る。

「…っ!?フィリアちゃん…!」

踊る炎の微かな隙間から垣間見えた、その者の正体は、先ほどまでこちらの世話をしてくれていたフィリアだった。

ターイナが呼び寄せたことは、何となく察せられていたが、まさかあんな危険場所にいるとは。

おそらく、彼女以外の二人も何処かにいるはず。

ターイナを止めたら、探さなくては…!

「フィリアちゃん!早くこっちに…!」

大きく右手を挙げ、炎の中にいるフィリアに合図を送る。

しかし、フィリアちゃんは何の反応も示さず、じっとこちらを見つめながら、不自然な程ゆっくりと、炎の中を進んでくる。

平等であったはずの炎は、彼女を決して呑み込もうとはしない。

…おかしい。

そう思った時には、既に背中の武器袋にしまってあった剣を抜き、目の前へと迫っていた、黄色い鋭利な何かを防いでいた。

「何っ…!?」

一拍遅れ、アトゥは驚きの声を上げながら、目の前のフィリアから距離を取る。

どうやら、右目などの五感の一部を失ったのは、思った以上に戦闘面で不利な様だ。

…初撃が私への不意打ちで本当に良かった。

受け止めた鋭利な何かを打ち払い、フィリアの身体を傷つけぬよう、その何かに向けて攻撃する。

得物を持っているようには見えなかったが、やはりこの子も…。

何撃か重たい攻撃を繰り返すと、フィリアは自ら飛び退き、距離を取る。

そうして、フィリアをやっと、炎の外へと追い出した時、初めてその全身がよく見えた。

やっぱり…。

フィリアの手は人の物ではなくなり、人の肉など簡単に引き裂けそうな程、鋭利な爪を持つ、魔物の手となっていた。

…この子たちもトゥバンと同じ、人と魔物の姿を持っている。

距離を取ったフィリアは無表情のまま、暫しこちらを見つめると、不意に手を口元へと運び、口笛を鳴らす。

高音のそれは、炎や煙を掻き分け、街中に鳴り響く。

すると、すぐに途轍もない轟音と共に、空から何かが降ってきた。

それは、鷲のしなやかな上半身を持ちながらも、獅子の思わせる屈強な下半身を持ち合わせた一匹の大きな魔物だった。

…この殺気、先ほど、空で動いていたのはこいつだ。

そして、フィリアが呼び寄せたということは、この子も、あの三人の内の一人だろう。

何故彼女たちがこちらを襲ってくるのかは分からないが、ターイナ同様、傷つける訳にはいかない。

「姉様!アトゥ!」

二人見つめる姉様とアトゥに、早くターイナの元へ向かうよう指示を送る。

ターイナが彼女たちを呼んだのなら、その彼を無力化してしまえば、おそらくその動きも止められるはず。

姉様が風と水の魔法を操り、炎の世界に一筋の道を作り出すと、アトゥはその道を一気に駆けて行く。

その様子を見ていたフィリアと魔物は飛び上がり、素早い動きでアトゥを追おうとする。

やらせない…!

剣を袋に仕舞い、代わりに大剣を引き抜くと、身体を捻らせながら、二人へと飛び掛かる。

両手がない故力が込め辛く、また、当たり所を決めている戦槌と違い、刀身全てに力が分散してしまう為、使い勝手の悪い武器ではあるが、手加減するには丁度いい。

実際、爪に攻撃を当てても、切り落とす事は出来ず、せいぜい傷つける程の威力しか出ていない。

片や本気の殺意、片や相手を傷つけず、ひたすらに進行を食い止めることが目的などという、そもそも不利としか言いようのない戦いではあるが、二人は決して敵ではない。

ターイナにとって、そして、私たちにとっても、大切な家族なのだ。

この身が傷つこうとも、傷つけることは許されない。

二人の攻撃を避けることなく、大剣で弾き、その鋭い爪や嘴を少しずつ摩耗させながら、少しでもアトゥに気が行きそうになれば、受け止められることなど目に見えた反撃を繰り返す。

そうして、私が二人の注意を惹きつけている間に、姉様とアトゥがターイナへと近づく。

大した作戦ではない。

しかし、危険は全て私が引き受けられる。

まるで意思が通じ合っているかの様に、連携の取れた二人の鋭い爪と嘴による攻撃を弾きつつ、ちらりアトゥの方を見やる。

もう少し…!

姉様の作り出した一筋の道は既に炎が呑み込んでしまっているが、アトゥたちはターイナまでもう一歩の所まで近づいていた。

ターイナを止められれば、この二人の動きは止まる。

そう信じ、改めて相対するが、二人の攻撃は激しさこそ増すばかりで、止む気配はなかった。

まだ、アトゥ…!?

さすがに二対一という数の劣勢故、最初から体力の消耗が自然に大きく、また、否が応でも次第にこちらの動きを理解し始めた二人の巧みで、いやらしい攻撃を弾くのに余計に体力を消費させられ、身体はどんどん熱くなり、鼓動が早まっていく。

そのせいか、時間の流れがひどく遅く感じられて仕方がなかった。

実際の時間の経過など分からないが、アトゥたちを最後に見た時から、だいぶ時間が経ったと信じ、再びの隙を伺い、振り返る。

だが、先ほど見えた位置に二人の姿はなく、代わりに、ターイナの閉じこもる薄氷の壁近くに、氷の槍が何本も突き出していた。

そして、その切っ先には、血に濡れたアトゥが必死にもがく姿が見える。

「くっ…!」

何があったのかを確認するため、一度フィリアの爪による攻撃を強く弾き返すと、そのメイド服を鷲掴みにし、攻撃をしようと向かってくる魔物目掛けて投げ飛ばす。

不意の戦法の変化に咄嗟に反応できなかったのか、魔物はフィリアを受け止めたまま、遠くの瓦礫の山へと激突した。

「アトゥ…!」

その隙にターイナの見える先ほどの位置まで戻ると、彼の元へと向かっていたアトゥの脇腹あたりを、地面から生えた氷の槍が貫き、その体を宙高く持ち上げているのが確認できた。

また、氷の槍の近くには、着物姿の少女、イッハが立っており、彼女の足元から氷は地を這っている。

アトゥをやったのは彼女のようだ。

しかし、アトゥは氷の槍に貫かれているが、姉様の姿が見えない。

先ほど見た時には、アトゥと共に、ターイナの元へと向かっていたはずなのに。

「姉様…!姉様!」

あたりを見渡し、呼びかけるが、姉様の姿はどこにもなく、反応も帰ってはこなかった。

逃げた…?

いや、そんなはずはない。

姉様に限ってそんなことあるはずがない。

姉様のことも気になりはしたが、目の前で傷つくアトゥを放って置く事など出来なかった。

…私はオネちゃんと約束した、それを守らなくては!

たったそれだけの想いで、もはや姉様の作り出してくれた道など何処にも無い、炎の海へと飛び込む。

炎に触れる最も外側からどんどん焼けていくのが、自分でも感じられる。

とても熱くて、とても痛い…。

しかし、そんな痛みに必死で耐えながら、炎の隙間から辛うじて見える、アトゥを吊り上げる氷へと走る。

そして、地面から生えるその氷の槍を切り倒すと、持っていた剣をターイナを包み込む薄氷へと投げつけた。

「う…っ!」

狙い通り、ターイナを包み込んでいた薄氷を粉々に叩き割ることは出来た。

しかし、それがイッハの怒りに触れたのか、別の得物を袋から取り出す暇さえ与えられず、音もなく飛ばされていた回転する氷の刃に、既に炎に焼け焦がされ、ぼろぼろであった全身を切り刻まれていた。

顔面へと向かって来ていたものを右腕で何とか防ぐも、アトゥを貫いていたものと同じ、氷がこちらへと地を這ってきているのが見える。

…死を覚悟した。











フェンリル…!









目を瞑り、愛する者のことを胸に抱きながら、最後の時を待つ。

しかし、いつまで経っても、その最後の時を伝える、痛みは迎えに来なかった。

恐る恐る目を開けると、寸での所まで地を這って来ていた氷は既に溶けだし、全身を包んでいた炎は元から無かったかの様に消え去っている。





どうやら、アトゥが上手くやってくれたらしい…。







「無事だったようだな?」

燻ることさえ諦め、完全に炎が消えたコハブの街。

痛む身体を引きずり、何とかフィリアちゃんとツルカちゃんの二人の担ぎ上げて戻ってくると、瓦礫の山に寝転んでいたアトゥちゃんが、痛むらしいお腹に手を宛がいながら起き上がった。

「んふふ…。お姉ちゃんは伊達じゃない…!って言いたいけど、ちょっぴりきついかも…」

「…随分ひどいな。急に火の中に引きずり込まれたようだったが、実際は何があったんだ?」

「…」

出血する腹部に手を宛がうアトゥちゃんから視線を外し、近くで横たわる、白く綺麗だった肌が黒く焦げてしまったガルちゃんやイッハちゃん、そして、ターイナちゃんを見つめる。

どうやら、皆傷つきこそすれ、生きているようだ。

…良かった、“あの女”は完全に私だけを狙っていたらしい。

“あの女”…つまり、プレシエンツァやアトゥちゃんを襲い、今回の件を引き起こした張本人はこの街に隠れて続けていたのだ。

ターイナちゃんが暴走したこの街の中で、ずっと。

そして、タイミングを見計らい、火の中から私を“跳ばした”。

本当はその時点で引くべきだったのかもしれない。

しかし、勝てると思い上がった結果…この満身創痍だ。

急かされるままに、コハブへ一気に跳んだことで、そもそもの魔力切れに近かったこともあるが、それでもアトゥちゃんやプレシエンツァがやられるのも頷ける。

圧倒的剣術に、圧倒的魔力など、他のきょうだいたちの様に、特異な能力のない私にとって、あれは完全に上位互換と呼んでも差し支えはない。

勝てるとしたら…。

…いや、あまり固執して考えすぎるのは良くない。

殺る時は、全員で血祭りにしてやればいいのだから。

「まぁ良いじゃない?その話は帰ってからで…。それにしれても…ちょ~っぴり意外過ぎる人物だったわねぇ…」

「それならそれで別に後でも良いが…。それより、これは一体なんの冗談だ…?」

「…」

アトゥちゃんは静かに、横向きに倒れたターイナちゃんが抱きしめる…





氷に閉じ込められた、アルちゃんの“頭”を指差した。





「あの女か…?」

「たぶんね。でも一人じゃなかったみたい…」

アルちゃんを落とさぬよう、ターイナちゃんを慎重に持ち上げ、邪魔にならぬようガルちゃんたちの横に並べると、近くの瓦礫を退けていく。

きっと、近くに“あの男”のものも…。

「あっ…。んふふ…やっぱり、あった…」

ターイナちゃんが陣取っていた近くの瓦礫を退けると、目当ての“首のある死骸”はすぐに見つかった。

それに、その近くには大量の薬包が燃えずに落ちている。

思わず、にんまりとした笑みが浮かんでしまう。

だが、それも仕方あるまい。

これもアルちゃんの為、家族の為…。

「アトゥちゃん、この死体を掘り起こしておいて~?私は少~し“お医者さんごっこ”してくるから~」

「…別に構わないが、こんなもの、何に使うつもりだ?」

「あら?必要としてる子がいるじゃない?










“首から下を”」








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