しらぬがまもの

夕奥真田

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支配の限界

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何事も無かったかの様に帰って来たスレイプニルたちから報告を受けたらしいフェンリルが、その図体からは考えられぬ程、音と気配を殺してやって来たのは、既に暗闇の世界が終わりを迎え、変わらずも、新たな光が顔を覗かせ始めた頃だった。

「シエル王は無事だったか?」

「……」

ベッドに腰掛ける私の前に、その身を出来る限り小さく縮めたフェンリルは無言で頭を縦に振る。

その顔はいつもと変わらぬ飄々としたものだが、微かながらに、呆れの色が見て取れた。

まぁ、それも当然だろう……。

幹部の内の半数が、その責務を忘れ、己の信ずるもの、或いは、欲に流され、現実から目を背けているのだ。

この私ですら、怒りを疾うに通り越している。

一度、大海の監視をさせているヨルムンガンドも呼び戻し、役割を分担を変更させた方が良いのかもしれない。

「……それで、プレシエンツァたちはなんと?」

目を瞑り、余計なこと、特にあのガルディエーヌという妻のことを考えぬよう集中しているらしいフェンリルの心を読み取り、スレイプニルたちが聞き出したプレシエンツァ側の意思を確認する。

“コハブの一件はどちらも意図するところではなく、単なる事故であり、その意思を示すため、こちらに協力する、とのことです”

単なる事故……こちらを馬鹿にしているのか?プレシエンツァ?

それだけで納得できる状況ではないし、もはやその一言で済ませられる程、我々はともかく、世論は冷えてはいない。

もっとも、コハブ壊滅によるメリットはあった。

まずは、レイダット・アダマーに関する情報が下火となったことだ。

プレシエンツァの身に何があったのかは未だ分からないが、ナリたちの話によれば、コハブ内では既にレイダット・アダマーと彼らの関与が決定的なものと信じられており、いずれは我々との関係も露呈すると考えられていた。

しかし、そのコハブが壊滅したことにより、住人の九割以上の者たちが死に絶え、もはや、レイダット・アダマーに関するそれ以上の調査を継続することが出来なくなったために、全原因をプレシエンツァに被せ、追及を逃れることが出来たのだ。

そして、もう一つ大事なのが、シエルの民たちがその視線を各国に向けてくれたことと、それに対する反応として、各国が我々魔物ではなく、戦争を煽るシエル国民それ自体へ牽制を図ったという事実に他ならない。

他国に支配されていた、困窮の時代のことなど知らぬはずの魔物たちまでも感化し、その呆れ返る程の復讐心のままに、コハブの一件すら他国を攻撃する口実としようとしたシエルの者たちや、理由もなく加害者であると決めつけられた各国も、あのコハブ壊滅に魔物は勿論、“勇者”が絡んでいるとは言わないのだ。

いや、各国の王たちは公言こそしないものの、我々の関与を疑っているのだろう。

だが、ありがたいことに、何も知らぬ大衆はひたすらに互いを、その瞳の中で燃やしている。

コハブでないにしても、一つの、それなりに大きな街を壊滅させるのは、単なる人間にとって、大きな労力と時間が掛かることなのだろうが、力のある魔物や、“偽勇者”たちであれば、その様なことはなく、今回の様に、半日と掛からず、街を消し飛ばすことも出来よう。

しかし、大衆はプレシエンツァたちのことを知らない。

となると、必然的に疑いの目は魔物に向かうはずなのだが、非難のそれもない。

良くも悪くも、彼らは我々魔物ではなく、同じ人間だけを見ようとしている。

……それはつまり、この世界は否が応でも我々魔物を受け入れ、その力に抗うことを止めたということだ。

我々を天敵とも言える“勇者”に縋ることもなく。

「協力……。世界中のお尋ね者となった彼らに何が出来るというのだ?」

“お尋ね者だからこそ出来ることもある、そう思っているのでは?”

「ふっ……。物は言いようだな」

腰かけていたベッドから降り、そっと、近くのカーテンを開ける。

遠くの地平線から、忌まわしくも、美しい輝きに満ちた朝が少しずつ近づいてきているのが分かった。

また、新たな朝と共に、新たな風が吹くこととなろう。

「……奴らはこの事態をどうするべきだと?」

“彼らによれば、再び各国と連携し、彼らの身代わりを立て、それを黒龍たちに討たせるべきとのこと”

「今一度、各国と密約を結ぶか……」

全てが我々にとって最善なものとなる作戦とは思えない。

今回に限っては、各国を揺さぶる材料があまりない上に、各国が我々に手を貸すメリットもないのだから。

しかし、コハブの一件に関して、シエル国内の大衆を黙らせるには、各国を非難する以外に方法もない故、こちらが何かしらの対価を払って、今一度“演劇”を演じた方がスムーズに事は進むだろう。

だとすると、問題はやはり、各国への協力要請と、その後の処理か。

対価を支払うといっても、レイダット・アダマーの時の様に、その命や家族を引き合いに出し、およそ無条件に協力を取り付けては、各国の王たちが承諾しても、国民が黙ってはいない。

事が片付いた暁には、シエルに何かしらの要求を突き付けてくるのは自明のこと。

そして、それが達せられねば、国王への支持は勿論、シエルへの対応もこれまで以上に悪くなる可能性がある。

であれば、こちらも何かしらの対価を支払うことを約束した、表立った声明を発さねばならない。

だが、一体何を渡すべきか?

考えられるとするならば、領土の割譲や金銭の譲渡、或いは、魔物の技術の提供といったところだが、目に見えた消耗は、またシエルの者たちの要らぬ誤解を恐れもある故、やはり穏便に済ませるには、流用される恐れも当然にはあろうが、ドワーフなどによる魔界の技術の提供だろう。

それならば、シエルの者たちの消費にはならないし、各国の者たちにとっても有益だ。

何より、各国への更なる魔物の友好関係にも繋がる。

……もう少し先のことになるものと信じたいが、シエルを離れることも考えねばならない故、この機会も少なからず活用させてもらうとしよう。

「……分かった。フェンリル今度は貴公が彼らの元へ向かい、伝えろ。こちらはその提案に従う、その代わり、各国との交渉などは全てこちらが整える故、“最優先事項”は確実に完遂しろ、と」

“……”

こちらにまで、その眩しい輝きの温もりを届ける太陽を見つめながら、隣で指示を待つはずのフェンリルに声を掛ける。

しかし、そのフェンリルは頷こうとも、返事をしようともしない。

不思議に思い、そちらに目を向けると、彼はこちらに、怒りとも悲しみとも取れる、判然としない表情でこちらを見つめていた。

「……フェンリル、貴公、私に何か言いたいことでもあるのか?」

“……聞いても御答えは頂けないのでしょう?”

「それはその時にならねば分からぬ」

“……”

「それに、答えぬことにも、相応の理由がある。ただ貴公のことを疎ましく思ってということではない」

“……ならば、お尋ねしますが、何故、黒龍を見限るのですか?”

「……」

……よもや、それについて、尋ねてくるのが貴公とはな。

スレイプニルやナルヴィ、ヘルに至るまで、こちらの意図に気づいているかは別としても、“黒龍”ではなく、“彼ら”を庇う形で、追討の命令に反対した。

恐らくは、彼らが黒龍に敗れ、今の蜜月の関係が崩れることを危惧したのだろう。

しかし、どれほどの数の竜たちを率いたとしても、黒龍が彼らを討つ可能性はほぼ無に等しい。

何故ならば、彼らは本物の“勇者”ではないにしても、侵略戦争時にはフェンリルに致命傷を負わせ、コハブ防衛戦では、無傷で街を守り切る、異常な力を持っているのだから。

決して、黒龍が敵うはずはない。

そして、それを知った上で、私は黒龍に追討を許したのだ。

いや、追討を許したというよりも、死出の旅路に就かせたという方が正しいか。

どちらにしても、私は黒龍の死を願っている。

それにしても、そんな私の意図にいち早く気がついたのが、目の前にいる、獣の魔物であるフェンリルと、その王であるベヒモスとは。

必然であろうが、ひどく皮肉なことの様に感じられる。

前魔王が勇者に敗れ、魔界が滅ぼされかけた時代、私がその力でもって、魔界を一つに束ねる前のこと。

統治を無くした魔界においては、個体数が少なくも、その巨体を維持するため、数多くの魔物を喰らわねばならぬ竜たちと、個体数は多くも、その殆どが成す術もなく竜たちに捕食されるだけの獣の魔物たちとの間で、種族全体の生存を掛けた戦いが、密かながらに続けられていた。

思い出すことも辛い時代であり、魔界に生まれた者たちは皆、生を渇望していた故、生存の為と、悪怯れる様子も無く、剰え、ご丁寧に骨だけを遺族へと返還し、それに涙する魔物たちを嘲笑っていた黒龍たちの言い分が、当たり前の様に反発されるものではない。

しかし、連中の切実ながらも、身勝手な欲の為に、著しく破壊された魔界における環境サイクルを更に悪化させたのは確かだった。

竜族では、骸となる以外に、そのサイクルを回す術もないというのに。

それ故、当初私は、聞き分けの良いクエレプレや黒龍の娘であるトゥバンなどの少数だけを人間界へと連れ出し、黒龍を含む大半の竜を、魔界に“置き去り”にするつもりだった。

黒龍においても、他の長たち同様人間界へと呼び寄せたものの、会合が終われば、すぐにでも魔界へと帰らせるつもりであったのだ。

しかし、幸か不幸か、黒龍は自らプレシエンツァたちの名を出し、全ての魔物たちの為などと嘯き、討伐を果たそうと切望してきた故、これを好機とし、プレシエンツァたちにより、返り討ちを狙った。

無論、こうも手の込んだことをせずとも、黒龍を殺害することは出来る。

だが、私自らが手を下すことで、獣の魔物たちこそ喜ぶであろうが、他の魔物たちからの支持を失う可能性もあるのだ。

だからこそ、汚れ役でもあるプレシエンツァたちに彼らのことを押し付けた。

しかしながら、こうも面倒に面倒を重ねてまで黒龍を、少なくとも人間界より消し去りたい理由は、至極単純だ。





彼という存在が、“邪魔”だからだ。





過去の魔界世界において、最強と謳われていたのは、魔王である私を除けば、目の前にいるフェンリルであったが、この者には、大きな野心などありはせず、他の魔物たちを束ねようという気さえ無かった上に、今では侵略戦争時に受けた喉元の傷のせいか、全盛期の力を失った。

それ故、今でもさして警戒することなく、手元に置くことが出来ている。

だが、黒龍は違う。

フェンリルに次ぐ実力を持つ奴は、族長として任命される以前から、大半の竜たちを束ね、私への謀反を企んでいるのではないかという噂まで流される程に、あからさまなまでに、こちらの意向を無視した行動を取ってきた。

侵略戦争後はそれも微かながらに落ち着いたと聞いているが、あの黒龍のことだ、恐らくは何らかの考えあってのことなのだろう。

しかし、何を考えようとも、もはや黒龍が人間界にいられる術はない。

あれは必ず抹殺させる。

もっとも、私があれを“邪魔”故に消し去りたいのは、何も人間界における自身の統治を揺るがないものにする為だけではない。

あれはこの世界に住む人間たちにとっても、いずれは“邪魔”な存在となり得るからだ。

魔界の環境サイクルを悪化させた竜たちが、この人間界では大人しくしていると誰が言い切れるだろうか。

だからこそ、頭を潰すのだ。

この世界とここに住む者たちを守るために。











……そうしなければ、この世界も、“魔界”の様に捨てなくてはならなくなる。








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