しらぬがまもの

夕奥真田

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奪う者 残す者 残された者

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腹の内、心の内に留めることも出来ぬ程に、澱み、穢れた、しかし、どうしようもなく純粋な、自らの“命”への渇望を唄った怨み言を、飽きることも、躊躇い、止めることなく、延々と吐き出し続けていた者たちが消え、代わりに何も無いこの“世界”に、“お前”を捕らえてからというもの、もう三年以上が経つ。

しかし、どれだけの月日が流れても、“お前”は怨み言一つ唄おうとせず、静かに、ただ静かに、何も無い、何も生み出せないこの“世界”で、延々と繰り返されてきた、故もよく知らぬ呪詛に、鼓膜と精神を貪られたがため、俯き、ひたすらその心を閉ざす以外には、何も出来ぬ俺に寄り添いつつも、まるで喋る事を許されてはいないかの様に、頑なにその口から言葉を発そうとはしない。

ソーレ、ブラックドッグ、ミノタウロス、そして“お前”、俺にとって全てであった者たちを失ったあの日も、“お前”たちが護り抜いたたソルを、シエルの街に置きざりにし、一人旅立った日も、家族を称するあの白髪連中と会った日も、“お前”はその豊かな表情で、少しだけ心の内で表すだけだった。

……頼る者が誰一人おらずとも、“お前”は決して俺を導いてはくれないのだな。







微かな微笑みを瞼の裏に見た気がすると、自然、目は開かれ、見覚えがないながらも、その中に染み込んだ、何処か懐かしい、まるでソレイユの街で寝起きしていた時を思い出させる、優しい温もりを感じる、木目調の天井を見つめていた。

……此処は?

痛みも気怠さも大して無い身体をゆっくりと起こすと、扉には遮られず、身を乗り出せば、暖炉の温かな火が灯った別の部屋が見える、まるで、後々になって、取ってつけた様な、さして大きくとはいえぬものの、先日まで過ごした屋敷の、冷たい豪華さとは相反する、優しげな温かさに包み込まれた、この部屋を静かに見渡す。

部屋には、埃などの見当たらない、未だ光沢がありつつも、しかし、使用された跡が微かに見て取れる、剣や盾などが近くの壁に掛けられた、自身が横になっているベッドと、ゆとり無く本の詰め込まれた棚、試験管などの、謂わゆる実験器具などが乱雑に置かれた棚に、囲まれる様にして、向かい側に置かれたベッドがあるだけで、それ以外の目ぼしい物は見当たらない。

どうやら、この部屋は誰かしら二人が、その身体を休めるため利用していた部屋のようだが、今は使われなくなって久しいらしい。

というのも、優しさや温かさに包まれながらも、この部屋からは、生活感とでも言うべき、人間が何かしら物にぶつけるであろう、感情が何一つ感じられず、むしろ、ソーレの手伝いとして、客のいない寝室を掃除した時に感じた、もぬけの殻、虚無感を感じるからだ。

……三人目がいるか。

この二つのベッドを利用せぬ者の存在に、今更ながらとは思いつつも、警戒し、耳障りな音で軋むベッドからゆっくりと足を降ろすと、足裏にひんやりとした物が当たる。

見ると、屋敷を出る直前、ペルメルから受け取った、恐らく、これまで装備してきた中では、最もな頑強さを誇り、且つ見た目に関しても、フーが買い与えてくれた、銀色の物とはまた違う、恐らくは生粋の盗人でなくとも、手を伸ばしたくなるであろう、冷たくも美しい黒色の手甲などが、綺麗に床に並べられている。

どうやらこちらを助けたのは、野盗やそれに類する者たちではないのかもしれない、そんな考えが一瞬だけ頭の中を過るも、装備や、その近くに置かれていたリュックなどとは違い、肝心の杖が見当たらないことに気がつくと、むしろ警戒心はいや増した。

“力”を使わぬ限り、何の変哲も無い、あの黒い杖だけを盗るなど、相当な物好きか、或いは、あの杖の“真実”を知る者以外には恐らくいないのだから。

手早く装備を整え、ベッドから降りると、静かに壁へと張り付き、優しげな明かりを差し込ませ、かたかたという微かな音を立てる、別の部屋の様子を伺う。

そこはどうやら、この家に住む者が最も利用する部屋なのか、この部屋などよりも、間取りが大きく、また、生活感溢れる調度品も大量に設置されている。

中でも、目についたのは、大きな、といっても、屋敷にあったものよりはずっと小さい、所々傷や、絵の具の様な物がこびり付いた中央の長机と、その先に設置された、眩くも優しい光をこちらへと届ける暖炉、そして、その暖炉の温もりにあたる様に置かれ、手すり部分に、例の杖を寄り掛からせた、ひどく背もたれの大きい揺り椅子だった。

……あそこか。

素人目には分かりづらいが、それなりの齢を重ねているらしい、ベッド同様に軋む床をゆっくりと歩き、その音を出来る限り小さくしながら、揺り椅子の方へと歩み寄るも、しかし、近づけば近く程に、不思議と自らの意志で寄り添っている様に見えるその杖を、揺り椅子から引き剥がそうという想いは、自然、萎えていってしまう。

だが、かといって、このまま置いて行こうなどという、気前の良い想いがある訳でもない故、その伸ばしかけた手を、伸ばしきることも、引き戻すことも出来ぬまま、寄り添う杖と揺り椅子をじっと見つめていると、不意に、先ほどまではさして気にすることのなかった、ごとごとという音が、徐々に耳に届き始める。

そう遠くない過去の、小さくも、幸せな記憶を呼び起こす、独特なその音色は、辺りを見渡さずとも、すぐに暖炉から発せられるものだと見当がついた。

実際そこに目を向けると、ひどく使い込まれたらしい、外面にこびり付いた汚れが目立つ黒いやかんが、その湯気でもって、乱暴に蓋を躍らせている。

もっとも、別にそれを見つけたからといって、心に何かしらの大きな変化があったかというと、そういう訳ではなく、ただ、行き場を失った手足が救いを求める、というと大袈裟だが、杖を取るか、取るまいかとあくせくしていたものを、一度休めるつもりで、手甲の上からでも、まるで皮膚が張り付きそうな程に熱くなっているのが分かるやかんを暖炉から下ろした。

「……もう具合は大丈夫なのですか?」

「……っ!?」

やかんを振り回しそうなるのをぐっと抑え、慌てて振り返ると、如何にも柔和な印象を受ける、歳とは思えぬ程に綺麗な白髪を結った老婆が、その膝に乗せた温かそうな膝掛けを軽く直しながら、少し眠たそうな、優しい微笑みを浮かべ、揺り椅子に座っていた。

……気づかなかった。

揺り椅子の背もたれに隠れて、自身が杖に執着していたからという、情け無い言い訳も出来るのだろうが、しかしそれでも、寝息はおろか、その気配すら感じることが出来なかったというのは、羞恥すら超え、恐怖の様なものを煽られる。

「おや……?もう沸いてしまっていましたか?取ってくれて、どうもありがとう」

「……」

「ふふふっ……。そう怖がらなくても、貴方の事は“イヴ”から聞いていますよ」

「何……?」

ゆったりとした口調でそう告げる老婆は、小さく呻きながらも、痛むらしい腰に手を叩きつつ、揺り椅子から立ち上がると、傍に置かれた棚より、二つのコップと、ビスケットの様なお菓子を取り出し、それを持ったまま、長机の席に着いた。

「さぁさ、嫌かもしれませんが、どうか、この老いぼれの、唯一の楽しみであるお茶会に付き合って行ってください」

「……」

杖を持って逃げることも、無慈悲に先手を打つことも出来る状況にあったのだろうが、暫しの熟考の末、何処かソーレを思い起こさせる、邪気の感じられない微笑みを浮かべる老婆の、心身を傷つける決心が、どれほどの時を待ってもつかぬだろうことを察すると、仕方なくも、老婆の言葉に従い、やかんを鍋敷きに置き、反対側の椅子へと腰を下ろす。

「ありがとう……。ふふふっ、“イヴ”が教えてくれた通り、優しい男の子ですね、貴方は……」

「……何故、イヴのことを知っている?」

「そうですね……。貴方にはお話しせねばなりませんね、イヴのこと、マトカのこと、そして、“マシアハ”のことを……。でも、その前に、まず貴方の手を見せてはくれませんか?」

「手……?」

何も無いはずの手を見たがる老婆に、ほんの少し違和感を覚えつつも、席に着いたことで、別の決心がついたらしい心は、深く考え過ぎることなく、手甲を外し、やかんを持つ時、微かながらに傷ついた皮膚を、未だゆっくりと治療している、手を差し出すことを許可した。

掌を見せる様に、手を差し出すと、老婆は、その表面上は温かくも、深く刻まれた皺の奥深くに、底知れぬ冷気を隠し持ち、それが微かに漏れ出ているかの様な、不思議な体温をした手で、やんわりと触れつつ、じっくりと眺める。

それに如何様な意味があるのかは、皆目見当もつかないが、別に、ペルメルが同じ様なことをしてきた時、手を振り払いたくなる様な、気色悪さや、恐怖は感じなかった。

「……ありがとう。もう大丈夫です」

「……」

「やはり、貴方は、あの“化け物”の力を持っているのですね……」

「化け物?」

「人々が“勇者”と呼んだ、あの“化け物”の……」

「……お前は一体何者なんだ?」

自然、眉間に皺が寄り、自分自身の声であるにも関わらず、恰も獣が相手を警戒し、威圧する時に上げる、唸り声かと錯覚する程、低く、決して平穏とは言えぬ声で尋ねると、老婆は肺に溜まっていた重い空気を吐き出す。

イヴのことはともかくとしても、ペルメルたちしか知らぬであろう、“勇者”のことまで知っているとなると、やはりこの者は、少なくとも、この姿形からは想像もつかぬ程のものを隠しているに違いない。

ただ、その正体を尋ねておきながら、ひどく今更ではあるのだが、それを知ったとして、この老婆をどうこうするつもりも、見聞きしたこと全てをペルメルたちに伝えようというつもりもないのだ。

毅然と、平然としつつも、その裏では苦しみ抜いたであろう、疲れ切ったあの者たちに、新たな怨みの矛先となる者を献上する必要もないのだから。

「……私はムードゥル。イヴの祖母です。しかし、それと同時に、貴方を創り出した者と同じ、“マシアハ”一族の生き残りです」

「“マシアハ”とは何だ……?」

「“マシアハ”。それは遠い過去において、“勇者”と呼ばれる“化け物”を創り出し、この世界と、そこに暮らす人々を、魔物という強大な者たちから守って来た、神に選ばれた者たちの名です」

「神……?」

「ふふふっ……。急にそんな事を言われても、信じられるはずもありませんよね。でも、それで良いのです。我々は所詮遺物であり、過去の栄華もまた、人々を謀った末に得たもの。本当はこうして時代の風に流され、いつの日か、誰にも知られぬままに忘れられてしまうのが、一番なのです……。でも……」

恥ずかしさを誤魔化す様に、自身の手を擦り合わせていた老婆であったが、その手とぴたり止めると同時に、一度言葉を区切ると、俯かせていた顔を持ち上げ、怒りや悲しみ、悔しさなどといった、傍目は勿論、恐らく老婆自身、判断し難いであろう、多様な感情が混ざり合った、しかし、その中には決して喜びの色は見受けられない表情をこちらへと向けた。

「でも、皆が皆、私たちと同じ考えでは無い ……。魔物という、絶対的な敵を無くした“マシアハ”は、次第に没落していき、最後は私の一族を含めた、三つの血族だけが残りました。しかし、過去に手にした富や名声を忘れられず、如何様にしても、取り戻すべきだと、渇望していた二つの血族の者たちは、“勇者”などという“化け物”を生み出すべきでないと主張する私たち一族を追い出し、この世に、無用な厄災を撒こうとした」

「……」

「ただ、私の祖先様たちは、きっと気がついていたのでしょうね……。追い出される直前、“勇者”を創り出す秘術が書かれた、謂わば禁忌の書を盗み出し、決して、他の“マシアハ”たちに見せぬよう、強く、それは強く言伝ながら、子孫である私たちに託してきたのです」

「……では、何故俺たちは創られた?」

「分かりません……。禁書は確かに此処で保管し続けてしましたし、何より、イヴが教えてくれるまで、私は貴方がたの存在を知りもしませんでした……。しかし、貴方の手を治した、あの“化け物”の力を目の当たりにしては、もはや、貴方がたが“母”と呼ぶ、あの女性の途轍もない才能と、執念を認める他ありません……」

「……」

……そんなことの為に、俺たちを創り出したのか。

深いため息と共に、再び俯き、整えられたその綺麗な白髪の頭を抱える老婆を見つめつつも、脳裏には、あの屋敷の地下において、得体の知れぬ液体に浸かりながら眠り続けていた、“黒髪”の女が浮かぶ。

そして、あの細い首に手を掛けながら吐き出すべきかもしれぬ、怨み辛みでもなければ、ぶつけようのない、また、ぶつける意味のない、遣る瀬無い怒りでもなく、深く追求しようという気にもならぬ、呆れ果てた想いが、心中に広がった。

魔物を殺すことで得た過去の栄華が、一体どれ程のものであったかなど、ブラックドッグやミノタウロス、そして、ソルなどの、多くの魔物たちと共に暮らしてきた身には想像もつかないが、少なくとも、それがどれ程煌びやかな栄華であろうとも、俺にとって大切だった者たちの命を奪って良いなどという免罪符や、大義名分になろうはずはないのだ。

ため息と共に、軽蔑すら越えた、むしろ虚無感に近い、呆れた想いを、何とか吐き出すと、あの女自体への関心は立ち消え、別の気になる事を老婆へと質問する。

「……一つ聞く。何故“化け物”であるはずの俺を助けた?」

「えっ……?」

「お前の話によれば、俺は創り出されるべきでなかった“化け物”。それに、イヴから話を聞いたのなら、知っているだろうが、俺はあいつを殺した張本人だ。祖母であるお前に怨まれ、殺される筋合いこそあれど、助けられ、剰え、こんな話を聞かせる理由はないはずだ」

「そう……ですね。確かに、私からすれば、貴方や貴方のことをきょうだいと呼ぶ方々は、祖先の恐れた“化け物”であり、娘夫婦と孫を殺した、仇人。本当ならば、如何なる手段を持ってしても、滅しようするのが、“マシアハ”を抜けた者の務めであり、また、殺された者たちへの敬意を表する行いでしょう」

「……」

「でも……」

老婆は静かに言葉を切り、何処か困った、泣き笑いの様な優しい微笑を浮かべると、そっと身を乗り出し、手甲を未だ着けぬ、すっかり火傷の治癒の終わった、俺の手に再び手を置く。

「やっと、笑顔を見せてくれた、大切なイヴが、再び苦しむ姿は見たくはないのです……」

「……」

「此処で過ごしていた頃のイヴは表立って悲憤慷慨し、私に辛く当たることはありませんでしたが、常に、その小さな心身には余る程の、怨恨の炎を、燃やし続け、決して笑うこともなかったのです……」

「……」

言われてみれば、死の匂いに惹かれるようにして向かった、フェンガリにおいて、初めて出会ったイヴは、正に老婆が言う通り、地獄の火炎を宿したかの様な、殺気立った目でこちらを睨みつけつつ、侮蔑の言葉を放って来たものだ。

しかし、恐怖さえ覚えたあの目を見たのは、後にも先にも、あの時だけであり、その後はいつも何かに迷い、戸惑った目をしていた。

「やがて、あの子は、此処を出て行きました……。両親を殺した“魔物”たちを根絶やしにする為に……。そして、三年前……」

「……俺が殺した」

「はい……。ですが、夢の中で、久しぶりに会いに来てくれたあの子は言っていました」

「……」

「怨んではいない、と」

「……」

「むしろ、あの子は、貴方と共に生きることで、貴方のことは勿論、貴方のきょうだいたちのこと、魔物のこと、世界のことなど、多くのことを知ることが出来たと、終始感謝していました」

「……」

「だから……。そんな、あの子が感謝し、生かしてあげたいと思う貴方を、私怨のままに滅することは出来ません」

被せた手を微かに震わせ、刻まれた皺の溝には止められぬ、大きな雫を、その瞳から止めどなく溢れさせながら、老婆は笑みを浮かべ続ける。

だが、そんな老婆とは裏腹に、俺の心の何処かで燻る、イヴへの、葛藤の様な想いは、決して晴れなかった。

……イヴが感謝している。

その言葉が如何に虚しいものか、毎夜、顔を合わせながらも、その声をついぞ忘れかけてしまう程に、この三年間、決して一言たりとも口を利こうとしない、イヴを知らぬ老婆には、分からないだろう。

確かに、イヴは、過去に俺の“命”となった者たちのように、怨み言を吐き出し続けることはないが、しかし、だからといって、老婆にそうしたように、感謝の念を伝えることも、迷う俺に何かを道を示すことも無い。

ただ静かに、寄り添っていてくれるだけなのだ。

「そうか……。だが、俺を許したとしても、俺以外の、特に、甦らせようとしていたあの女はどうする?」

「正直なところ、迷っています……。というのも、イヴから聞いた話によれば、貴方がたを創り出した女性は、貴方がたをにん……」

老婆が何かを言いかけた時、不意に背後の扉が、まるで壊さんばかりの勢いで開け放たれ、躊躇ない冷気が音を立てながら部屋へと入ってきた。

仕方なくも、老婆の温かな手を優しく退け、椅子から立ち上がると、すぐさま振り向き、“それ”を手甲を着けぬ素手で受け止める。

「……ただいま、おばあちゃん」

ほんの少しだけ反った形の、見覚えの無い剣をこちらへと突き出した、ひどくイヴに似たその女は、痛々しい傷だらけの肌を晒しつつも、にこりと微笑んだ。



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