しらぬがまもの

夕奥真田

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“僕”の復讐

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……僕を否定した全てを、壊してしまえ。

四肢の内のいくつかを失くしながらも、何とか誰も知らぬ、地下の一室へと辿り着いた“僕”は、“僕”の眠る水槽へ昇ると、赤黒く染められた、もはや白衣とは呼べぬであろうそれを乱暴に投げ入れ、また、傷口から止め処なく溢れ出る血液という名の、過去の栄華への執着も、“彼女”への愛情も失くした、どうしようもない程に澱み、荒み、もはや呪詛そのものである“命”と“記憶”を、空っぽな“僕”へと垂れ流し続け、そして、淡い粒子となって、“僕”の心に宿った。

故に、“僕”は、確かに“僕”でありながら、“僕”ではなくなったのだ。





「もう少し……」

何処かしら齧られた跡のある骨と、魔物さえ避けたがる腐臭立ち込める、薄暗い地下にある、“僕”が二重の意味で死んだ、とある一室に置かれた水槽の中の“彼女”の元に、音も無く集まり始める、虹色の粒子たちを見つめながら、“彼女”が目覚めた後の事を考え、ほくそ笑むこともなければ、“彼女”の目覚めが遅いことに苛立つこともなく、独り小さく呟いた。

魔物の赤黒い血液で満たされた水槽の中で、静かに目を瞑り、未だ眠っているかの様な印象を受ける“彼女”だが、次第に人間の“命”を取り込んだ武器などを漬け込まずとも、それらが“命”を吸い取った瞬間、どれだけ離れていようとも、すぐに自身の元へとその“命”を還元するようになったあたり、“彼女”は確実に目を覚ましつつある。

“彼女”が目を覚ませば、僕を裏切り、口封じに走った各国は勿論、それを謀った魔物も、そして、過去の栄華に縋ろうとせず、“勇者”復活に協力しようとしなかった“あの一族”たちも死に絶えることが約束され、“僕”の恨み辛みに支配された“僕”の心は、ようやっと満足することができるだろう。

もっとも、それまでの道のりはひどく長いものであったかと問われれば、決してその様なこともない。

というのも、黒龍という魔物たちが、僕を見つけ、起こしたのは、ここ数週間内のことであり、それまでは、“彼女”同様ひたすらに、人間から見れば無限の“命”とも思える魔物の“命”の中で、じっと息を潜め、“僕”の残した“記憶”を、“僕”に宿し続けていただけなのだから。

そっと、水槽に手を宛てがい、自在にその力を操りながらも、未だ目を開けず、眠る“彼女”の様子を見ていると、ふと、地上へと続く階段のある方から、今まではなかった、慌ただしい音が聞こえてきた。

魔物ではなく、元は単なる人間であり、また、目覚めたばかり故、黒龍たちが畏怖する魔王というのが、どれほど強大であり、今のこの世界にどれほどの影響力を持つのか、いまいち計り知ることは出来ぬが、“彼女”が“その兆し”を見せる程の人間の“命”を集めておきながら、今更何を慌てることがあるというのか。

そんな風に、自ら開けたパンドラの箱により、遠からず死滅する運命に関わらず、他の死因を危惧する、あの魔物たちを馬鹿にし、また呆れ、そしてどこか憐れみつつも、地上へと続く階段を上がった。

不思議と腐敗臭の無い屋敷の一階へと上がり、玄関から外へと出ると、黒龍がその大きな図体故、意図せずとも開けてしまったらしい、空を仰ぐ穴に、薄暗い地下室の闇に慣れた僕の目には毒とも言える、眩しげな太陽の光が落ち込むのと、そんな光に照らされながらも、その醜悪な爬虫類顔に張り付いた表情は、穴の周囲に広がる、鬱蒼と生い茂る木々や葉に覆われ、光の殆どが届かぬ地上などよりも、ずっと薄暗く、青ざめた多くの魔物たちが目に入る。

「何かあったのか?」

頭を抱える者や、縋り付く様に自身の得物を抱きしめる者など、大半がこちらに顔すら向けられず、今までの威圧感が嘘であったかの様に、戦意を失っている中、大中小様々な数匹の竜たちに囲まれ、ひそひそと小声で何かを話している黒龍に声をかけると、彼は他の竜たちとは違い、どこか覚悟を決めたらしい、いつもよりも厳しい顔をこちらへと向けた。

「……先ほど、人間の“命”を回収するため、ヴァルカンという国に出向いていた部下の一匹が帰って来たのだが、その者は、襲撃した跡地に置いて、例の“白髪”と族長に襲われたらしい」

「失礼だが、族長というのは何だ?」

「族長というのは、魔物をいくつかの種に分別した時の長のことだ。例えば、私は竜族を束ね、他の長は獣族を束ねたりしている。今回はその獣の長に襲われたようだ……」

「なるほど、人間でいうところの領主、或いは、小さなコミュニティの統率者の様なものか。それで?」

「話によれば、その“白髪”と族長は我々が起こしている今回の襲撃事件について話し合い、既に我々への目星をつけていたらしい。そして、その結果、話を盗み聞きしてくれていた部下たちは襲われたのだろう」

平静に努めようとしているのだろうが、今にも自然発火しそうな程の、熱風を口から吐き出しながら、黒龍は苦々しげに告げると、静かにとある一点を指差す。

その方向に顔を向けると、そこには、腕や脚は勿論、翼までもがあらぬ方向に曲がり、元からそういう模様であったとは到底思えぬ、不自然なまだら模様の様に、至る所が炭化した身体を、未だ朝露に濡れる薄暗い地面へと横たえた竜が一匹、数匹の人型の竜たちに手当てを受けていた。

「……やはり魔王様は我々を滅ぼすおつもりなのでしょうか?」

どうしようもなく重苦しい沈黙に堪え兼ねたのか、黒龍の近くに座る一匹の竜が、消え入りそうなまでに小さな声で、誰とも無しにぽつりと呟く。

すると、その隣にいた竜が、その大きな腕を地へと叩きつけ、唾と土埃を撒き散らしながら、不安を掻き消す様に声を荒げた。

「ば、馬鹿を言うな!我々の計画はあくまでも、魔物の脅威となるであろう“白髪”たちを殲滅するためもの!それを知れば、魔王様とて、今回のことはお許してくださるに違いない!」

「あの子もその旨を告げようとしたと言っていました!しかし、それすら無視して、ベヒモスと“白髪”は一緒となってあの子たちを襲ったというではないですか!?もし話を聞く気があるのなら、そんなことはしないはずです!」

「そ、それはきっと……」

「……潮時、だな」

未だ盲目的に魔王を信じ続ける部下には、いかんせん反論し難い質問であると察したのか、荒げていた声をすぐに引っ込め、大きな肩を小さく窄める竜の代わりに、黒龍は深呼吸と共に告げた。

……どうやら、腹を括る覚悟が出来たらしい。

そもそも、黒龍の話を聞いた時点で、魔王の真意こそ読み切れないものの、“失敗作”たちとの関係を断つ気がないことは、魔王に畏怖し、心酔する魔物たちならばいざ知らず、傍からは十分に察する事が出来た。

魔王がもし本気で“失敗作”たちを処分する気があったならば、こんな魔物たちに任すのではなく、コハブという街を壊滅させた時を契機に、自らが大軍を率いて襲いかかるはずなのだ。

しかし、そうはならず、あくまでも依然として、“失敗作”たちの処分を、“僕”という存在を知らぬままに、力足らずの黒龍たちに任せているということは、その結果も容易に予想し、そして望んでいるからに違いない。

「……魔王があくまで我々ではなく、あの“白髪”共を選ぶというなら、我々もまた何かしら手を打たねばならない」

「しかし、長……!相手はあの魔王様、戦うなど……!」

「戦うつもりはない。しかし、“白髪”を殺すためとはいえ、我々が小さな街や村を襲ったことは事実。ばれてしまっては釈明する他ないそれについて、それに、今後の竜族のことを考えるならば、あの“白髪”共すら凌ぐ力を得たことを、早々に示さねばならない。……“白髪”、例の物というのはまだ完成しないのか?」

戦々恐々とする部下たちを手で制する様に宥めると、黒龍はちらりとこちらに目線を向け、落ち着き払った声ではあるものの、その額からは冷や汗を滲ませ、地に着いた両手足はどこかそわそわした様子で動かしながら僕に尋ねる。

侵略戦争において、その前線に風穴を開けられた話を聞いた時も、コハブの街が数時間の内に消し飛んだという話を聞いた時も、決して恐れることなく、あくまで仲間や他の魔物たちを殺した、恐らくその全員がより集まれば、現状の世界において、右に出る者はいない程の力を持つであろう“失敗作”たちに、憎悪一色の眼差しを向け続けていた、気丈な黒龍ですら、全ての魔物を統べる魔王へ、完全なる反旗を翻すというのは、どうやら相当に恐ろしく、強靭な精神力が必要なようだ。

「本当はもう少し時間が必要だが、利用しようと思えば、利用も出来るはずだ」

「……いいだろう。ならば、準備しろ、その“勇者”の力を得るためのな」

恐怖の色が薄く見えつつも、それを、憎悪とはまた違う、長としての決意の様なもので覆う黒龍の瞳に、小さく頷いて見せると、その浅はかな頭であっても、容易に結果が予想されたらしい、必死で長と魔王の接触を止めようとする他の竜たちの悲痛な叫びを背に、再び“彼女”の元へと向かった。



薄暗い地下の一室、自然界ではまず見ることがないであろう程の赤黒い液体に満たされた水槽内で、各地から集まって来る“命”を吸収しながらも、未だ意識の覚醒せぬ“彼女”を取り出す。

……あの頃と変わらない。

髪色こそ、あの“失敗作”たちと同じ“白髪”へと変わらざる得なかったが、それでも、“あの子たち”の世話をするのに邪魔になるからと、決して伸ばそうとしなかった、女性にしては少し短い気もする髪型に、研究や実験、そして、“子育て”に追われ、まるで食事も満足に取れなかった故の、美しくも哀しいほっそりとした身体。

「……メシア」

大きな意図もなく、身体中に付着する薄汚い魔物たちの血液を拭き取り終えた“彼女”を、一度静かに眺めていると、悲しいと思うことが、辛いと感じることが何一つ無いにも関わらず、その瞳から大粒の涙が溢れさせながら、“僕”はぽつりと呟いていた。

……“僕”は何故涙を流し、“彼女”の名など呼んだのだろうか?

此処には“彼女”などおらず、単なる“彼女”の形を模しただけの“勇者”が、覚醒の時を今か今かと待ち侘びているだけなのに。

感じたこともない不安と焦燥感、そして、恐怖に心を握り潰されたかの様に、急な息苦しさを感じた“僕”は、裸の“彼女”を抱き上げ、急いで黒龍たちの元へと戻った。



「……この女が“例のもの”か?」

「そうだ。体内に取り込めば、“勇者”の力を貸してくれるはずだ」

「つまり、この女を喰らえ、と?」

目の前に置かれた“彼女”と、至極真面目な顔で説明しているつもりの“僕”に、黒龍はひどく疑わしげな表情を向け、微かに殺意すら含んだ、生温かな吐息を吹きかける。

確かに、傍目には単なる裸体の人間の女性であり、“勇者”そのものを見たことがなく、“マシアハ”一族のことも知らないとなれば、到底これが“勇者”であるとは認められず、また、その“勇者”を創る為に、多くのもの失ったというのに、それをいきなり喰らえと言われれば、どんな者たちであろうと、黒龍の様になろう。

しかし、“僕”の遺した“命”に従う“僕”同様、魔王の裏切りを確信し、それから他の竜たちを守ろうとしつつも、未だ“失敗作”への復讐を止められぬ黒龍もまた、選択の余地はないはずだ。

「……分かった、喰らおう。だが、もう少しだけ時間が必要だと言っていたな?そこは問題ないのか?」

「“彼女”の力を完全に発揮するには、もう少し“命”が必要ということだ。しかし、それももうじき、君の部下たちが解決してくれるはずだろう」

「そうか……。なら……」

一度近くの部下たちに目配せすると、黒龍は“彼女”へと、その焼けそうな程に熱い吐息を吐き出し続ける口を近づけるが、僕は決して“彼女”の傍を離れようとはしなかった。

「退け。貴様も一緒に喰ろうてやろうか?」

「そうしてくれると助かる。僕の命もまた、“彼女”を呼び覚ます一つになれるのなら、本望だ」

「……礼は言えぬぞ」

「いらないさ」










……これで“僕”はやっと、“僕”から解放される。









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