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断章
断章61:「きっと治らない……」
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※これは「時間戦士は永遠の夢を見るのか」本章第12話の前、一夜明けた旅館での出来事になります。
<土曜日>
二人は、朝日の中、旅館の廊下にある共同の流し台に並んで歯を磨いていた。アミカナはちらりと志音を見る。ひどい寝癖の彼は、明らかに寝不足の顔をしていた。
……何か、ごめんね……
彼女のせいではなかったが、結果的に眠れない状況を作り出したことを、彼女は何となく申し訳なく感じた。結局、昨夜は何もなかった。ただ、お互いの息遣いを気にするだけの数時間だった。
昨夜は幻惑的だった庭の露天風呂も、眩い朝日に照らされると、その狭さと古さに驚かされる。あの中で、私は一人悶々としていたのか。夜の魔力は恐ろしい。
そう。昨夜、彼が言った通りであった。朝日は、『そんなことで悩んでんじゃねぇよ、バ~カ』って、明るい感じで言ってくれる気がする……。昨夜の彼女の期待や戸惑いや苛立ちや切なさも、この目の眩む光で、全て笑い飛ばされたような気がした。
「……露天風呂、どうだった?……」
彼が聞いていた。
「ああ、気持ちよかった! 星空の下でのお風呂って最高ね! ほら、お肌もツルツル。触ってみる?」
努めて無邪気に答えた彼女は、袖をまくって左腕を出した。彼はちらりと彼女を見たが、すぐに正面を向いた。
「……いや、遠慮しとく……」
予想通りのリアクションに、彼女は内心ホッとしていた。触られても困る……
「……そう言えば……」
開いているのかいないのか分からない目で、彼は天井を見上げた。
「ここの温泉、冷え性にも効くらしいよ……」
何気なく彼は言った。聞き流しかけて、彼女はハッとした。
……木曜日の神社で、やっぱり気付いてたのね……
彼女のボディは戦闘特化型だった。そのため、戦闘に必要のない機能は極限まで省略されていた。食べることも、眠ることも、体温を維持することも……そして泣くことも。彼女の肌が冷たいのはそれが理由だった。彼がそれを知るはずはない。だから、私が冷え性だと思って、それでも気付かないふりをしてくれた?……
……もしかして、昨日、ラキシス憲章まで持ち出して温泉を勧めていたのは、そのため?……
……何なの、もう……
感情がこみ上げる。ただ、それは複雑な感情だった。甘さと苦さが入り交じった、近寄りたいのに近寄って欲しくない感情。自分のひねくれた心に、心底うんざりする。涙を流すことができれば、少しは気が晴れたりするのだろうか……
思わず自身の浴衣の胸元を掴んでいることに、彼女は気付いていなかった。
「……どうした?……」
彼に聞かれて、我に返った彼女は焦った。
「……ああ、私、歯を磨くと、この辺が痒くなるの……」
咄嗟に言ってしまってから、彼女は酷く後悔した。そんな馬鹿な言い訳ある?!……彼女は彼の方を向くことができなかった。本当の気持ちに気付かれた気がした。
「ああ、分かる分かる。僕も、耳掃除をすると咳が出るから。しかも右耳だけ」
彼は歯を磨き続けていた。
「……は?」
……そんな納得の仕方ある?……
「掻いてあげようか?」
彼は軽口を叩いた。内心の焦りを馬鹿にされた気がして、彼女は苛立った。
「変態!……って言うと思った?」
微笑みながら、彼女は彼を睨んだ。
「お願い……って、私が胸をはだけたらどうする?」
浴衣の襟に手をかける。突然のことに、彼の歯を磨く手は完全に止まっていた。
急に心が痛んだ。彼は私のことを気遣ってくれているのに、私は一体何をしているの?
「……な~んてね! 鼻の下伸びてるわよ!」
そう言って彼女は流し台を離れた。もう彼の傍にいることができなかった。泣き出したい。しかし、それも彼女には許されなかった。
<本当に言いたかったこと、言わなくていいの? 思ったことは口にする主義なんでしょ?>
彼女の中の一部が囁く。
……もういいの……
<ふ~ん。日本的なのね>
彼女は苦笑した。
……私のルーツは関係ない。ただ、臆病なだけ……
流し台に取り残された彼をちらりと振り返る。
……彼が強い私を望むなら……
<彼が、強いあなたを望んでいるって、どうして分かるの?>
……分かるわ。だって……ずっとそれを見せてきたんだもの……
彼女は震える息をついた。
……だから、彼がそう望むなら、この胸の痛みは……きっと治らない……
<土曜日>
二人は、朝日の中、旅館の廊下にある共同の流し台に並んで歯を磨いていた。アミカナはちらりと志音を見る。ひどい寝癖の彼は、明らかに寝不足の顔をしていた。
……何か、ごめんね……
彼女のせいではなかったが、結果的に眠れない状況を作り出したことを、彼女は何となく申し訳なく感じた。結局、昨夜は何もなかった。ただ、お互いの息遣いを気にするだけの数時間だった。
昨夜は幻惑的だった庭の露天風呂も、眩い朝日に照らされると、その狭さと古さに驚かされる。あの中で、私は一人悶々としていたのか。夜の魔力は恐ろしい。
そう。昨夜、彼が言った通りであった。朝日は、『そんなことで悩んでんじゃねぇよ、バ~カ』って、明るい感じで言ってくれる気がする……。昨夜の彼女の期待や戸惑いや苛立ちや切なさも、この目の眩む光で、全て笑い飛ばされたような気がした。
「……露天風呂、どうだった?……」
彼が聞いていた。
「ああ、気持ちよかった! 星空の下でのお風呂って最高ね! ほら、お肌もツルツル。触ってみる?」
努めて無邪気に答えた彼女は、袖をまくって左腕を出した。彼はちらりと彼女を見たが、すぐに正面を向いた。
「……いや、遠慮しとく……」
予想通りのリアクションに、彼女は内心ホッとしていた。触られても困る……
「……そう言えば……」
開いているのかいないのか分からない目で、彼は天井を見上げた。
「ここの温泉、冷え性にも効くらしいよ……」
何気なく彼は言った。聞き流しかけて、彼女はハッとした。
……木曜日の神社で、やっぱり気付いてたのね……
彼女のボディは戦闘特化型だった。そのため、戦闘に必要のない機能は極限まで省略されていた。食べることも、眠ることも、体温を維持することも……そして泣くことも。彼女の肌が冷たいのはそれが理由だった。彼がそれを知るはずはない。だから、私が冷え性だと思って、それでも気付かないふりをしてくれた?……
……もしかして、昨日、ラキシス憲章まで持ち出して温泉を勧めていたのは、そのため?……
……何なの、もう……
感情がこみ上げる。ただ、それは複雑な感情だった。甘さと苦さが入り交じった、近寄りたいのに近寄って欲しくない感情。自分のひねくれた心に、心底うんざりする。涙を流すことができれば、少しは気が晴れたりするのだろうか……
思わず自身の浴衣の胸元を掴んでいることに、彼女は気付いていなかった。
「……どうした?……」
彼に聞かれて、我に返った彼女は焦った。
「……ああ、私、歯を磨くと、この辺が痒くなるの……」
咄嗟に言ってしまってから、彼女は酷く後悔した。そんな馬鹿な言い訳ある?!……彼女は彼の方を向くことができなかった。本当の気持ちに気付かれた気がした。
「ああ、分かる分かる。僕も、耳掃除をすると咳が出るから。しかも右耳だけ」
彼は歯を磨き続けていた。
「……は?」
……そんな納得の仕方ある?……
「掻いてあげようか?」
彼は軽口を叩いた。内心の焦りを馬鹿にされた気がして、彼女は苛立った。
「変態!……って言うと思った?」
微笑みながら、彼女は彼を睨んだ。
「お願い……って、私が胸をはだけたらどうする?」
浴衣の襟に手をかける。突然のことに、彼の歯を磨く手は完全に止まっていた。
急に心が痛んだ。彼は私のことを気遣ってくれているのに、私は一体何をしているの?
「……な~んてね! 鼻の下伸びてるわよ!」
そう言って彼女は流し台を離れた。もう彼の傍にいることができなかった。泣き出したい。しかし、それも彼女には許されなかった。
<本当に言いたかったこと、言わなくていいの? 思ったことは口にする主義なんでしょ?>
彼女の中の一部が囁く。
……もういいの……
<ふ~ん。日本的なのね>
彼女は苦笑した。
……私のルーツは関係ない。ただ、臆病なだけ……
流し台に取り残された彼をちらりと振り返る。
……彼が強い私を望むなら……
<彼が、強いあなたを望んでいるって、どうして分かるの?>
……分かるわ。だって……ずっとそれを見せてきたんだもの……
彼女は震える息をついた。
……だから、彼がそう望むなら、この胸の痛みは……きっと治らない……
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