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断章
断章62:「大っ嫌い!!」
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※これは「時間戦士は永遠の夢を見るのか」本章第12話の最初の「* * *」の部分に挿入される出来事になります。
<土曜日>
夕食の固形燃料はすっかり燃え尽き、その上の鍋からは湯気も上がらなくなっていた。
……失敗したな……
料理には手を付けることなく、志音は何度目かのため息をついた。今朝の流し台でのこと、そして、さっきの夕食でのこと。
火曜日のホテルの前で、分かったと思った。お互いに軽口を叩き合い、笑い合う。それが、彼女が心地いいと感じる関係。だから、僕はそれに乗った。
でも、多分、本当の彼女は違う。思うように任務を遂行できず、一人苦しんでいる。支えてあげたいとは思う。だけど、もう軽口で笑わせることでは、彼女の不安を薄めることはできない。それはそうだ。彼女にのしかかる責任の重さを思えば。じゃあ、どうすればいい?
……僕にもっと……もっと……何かがあれば、彼女を救うことができるのだろうか? だが、今の僕では……どうにもできない。例え、どんなに彼女のことを想っていたとしても……。
志音はふと顔を上げた。
確か、あれは天女の羽衣伝説だったか……。天界から地上にやってきた美しい天女が、水浴びをしているうちに、男が羽衣を隠してしまう。天界に帰れなくなった天女は、男と生活を共にすることになる。しかし、男が隠した羽衣を見つけた天女は、そのまま天界に帰ってしまった。
言うならば、羽衣はあの球体だ。あれがあるから、彼女はここに留まっている。あれが無くなれば、彼女は天界に帰ってしまう。
……彼女が帰る?……
まだ一週間も経っていないのに、もはや、彼女が隣にいない生活を想像することができなかった。彼女の笑顔が思い浮かぶ。例え、それが本当の彼女ではなかったとしても。きっと、伝説中の男も幸せを感じていたはずだ。
だが、ここは彼女の世界ではない。彼女が自分の世界に帰れば、そこには本来の彼女の人生が待っている。
なら、僕に何ができる? 彼女が自分の世界に帰るための手伝いをする以外に……。男の気持ちを、天女は知っていたのか? そこは問題じゃない。彼女がやってきたのは、男のためではないのだ……。
「……考えろ! あの球体の目的を!……」
志音は呟いた。
* * *
アミカナは、一人で旅館近くの砂浜を歩いていた。途中で、履き慣れない下駄を脱ぎ捨て、素足で砂を踏みしめる。
部屋から見たブイが近くに見える。既に日は落ち、空は急速に藍色へと染め上げられていく。ブイに付いた赤いランプが、彼女の嫌いな夜の訪れを警告するようにゆっくりと明滅していた。それは、冷酷なカウントダウンのようにも思えた。
『どうしてそう暢気なの?! もう時間がないのよ!』
さっき叫んだ自分の言葉が思い出される。
……そう、私達には時間がないの……。恐らく、あと一日もすれば、彼の目の前からも、そして彼の記憶からも、私は消えてなくなる。志音は……それでいいの?
<……仕方がないわよ。彼は知らないんだもの……>
彼女の中の一部が囁く。そう、彼を責めるのは見当違いだと、頭ではわかっている……きっと。
<彼に言わないの?>
「……それだけは絶対に嫌……」
彼女は呟いた。私の運命を知ってしまったら、彼は私のことを憐れに思うだろう。でも、憐れみは、私の選択に対する侮辱だ。強制された訳ではない。私は、自分の意志で、この生き方を選択したのだ。
<そう思うのなら、彼にどう思われようと関係ないじゃない>
<本当は、自分でも、自分のことを可哀想な存在だと思っているんじゃないの?>
「うるさい! うるさい、うるさい!!」
彼女は思わず叫んだ。その場にしゃがみ込む。砂が握られた。
「……私は、可哀想なんかじゃ……ない……」
砂を握ったままの手を額に当てて、彼女はきつく目を閉じた。やがて、彼女の手から力が抜けると、手のひらからは砂が零れていく。その流れを、目を開いた彼女は呆然と見つめていた。
「……本当に欲しいものは、どうして手に入らないの?……」
ふと、彼女は砂の上に緑色に光る石を見つけた。右手で拾い上げる。それはシーグラスだった。波に揉まれて角が削られ、美しくなるシーグラス。『アミカナは、もう綺麗だろ』――金曜日の彼の言葉を思い出す。自分を肯定されたような気がして、嬉しかった。そんなことを言いそうにない彼だから、余計に――。いや、そんなことはない。彼はいつでも、私を肯定してくれていた。だから私は――。
突然、頭上から爆音が響く。軍のヘリが砂浜を横断して、内海の向こう、志音の街の方へと飛び去って行った。球体の偵察? 我に返った彼女は愕然とした。
……私は……志音のことばっかり……
左手で髪を掻きむしる。
……私は、歴史改変阻止者じゃなかったの?……
……ミカに合わせる顔がない……ミカだけじゃない。ラキシス機関のみんなに……。
この一週間、ずっと揉まれてきた。削られる痛みに耐えてきた。でも、どう? 私は……私は……
「……ちっとも……美しいものに……なれてない!……」
歯ぎしりした彼女は、シーグラスを力一杯握りしめた。幾重にも砕かれる悲鳴が響く。やがて、それは緑色の珪砂となって、彼女の手のひらからサラサラと零れ落ちた。
後続のヘリのローターが、再び藍色の大気を揺らし出す。彼女は両肘を砂についた。
「……私なんて……大っ嫌い!!」
彼女の絶叫は、ヘリの爆音に掻き消された。
<土曜日>
夕食の固形燃料はすっかり燃え尽き、その上の鍋からは湯気も上がらなくなっていた。
……失敗したな……
料理には手を付けることなく、志音は何度目かのため息をついた。今朝の流し台でのこと、そして、さっきの夕食でのこと。
火曜日のホテルの前で、分かったと思った。お互いに軽口を叩き合い、笑い合う。それが、彼女が心地いいと感じる関係。だから、僕はそれに乗った。
でも、多分、本当の彼女は違う。思うように任務を遂行できず、一人苦しんでいる。支えてあげたいとは思う。だけど、もう軽口で笑わせることでは、彼女の不安を薄めることはできない。それはそうだ。彼女にのしかかる責任の重さを思えば。じゃあ、どうすればいい?
……僕にもっと……もっと……何かがあれば、彼女を救うことができるのだろうか? だが、今の僕では……どうにもできない。例え、どんなに彼女のことを想っていたとしても……。
志音はふと顔を上げた。
確か、あれは天女の羽衣伝説だったか……。天界から地上にやってきた美しい天女が、水浴びをしているうちに、男が羽衣を隠してしまう。天界に帰れなくなった天女は、男と生活を共にすることになる。しかし、男が隠した羽衣を見つけた天女は、そのまま天界に帰ってしまった。
言うならば、羽衣はあの球体だ。あれがあるから、彼女はここに留まっている。あれが無くなれば、彼女は天界に帰ってしまう。
……彼女が帰る?……
まだ一週間も経っていないのに、もはや、彼女が隣にいない生活を想像することができなかった。彼女の笑顔が思い浮かぶ。例え、それが本当の彼女ではなかったとしても。きっと、伝説中の男も幸せを感じていたはずだ。
だが、ここは彼女の世界ではない。彼女が自分の世界に帰れば、そこには本来の彼女の人生が待っている。
なら、僕に何ができる? 彼女が自分の世界に帰るための手伝いをする以外に……。男の気持ちを、天女は知っていたのか? そこは問題じゃない。彼女がやってきたのは、男のためではないのだ……。
「……考えろ! あの球体の目的を!……」
志音は呟いた。
* * *
アミカナは、一人で旅館近くの砂浜を歩いていた。途中で、履き慣れない下駄を脱ぎ捨て、素足で砂を踏みしめる。
部屋から見たブイが近くに見える。既に日は落ち、空は急速に藍色へと染め上げられていく。ブイに付いた赤いランプが、彼女の嫌いな夜の訪れを警告するようにゆっくりと明滅していた。それは、冷酷なカウントダウンのようにも思えた。
『どうしてそう暢気なの?! もう時間がないのよ!』
さっき叫んだ自分の言葉が思い出される。
……そう、私達には時間がないの……。恐らく、あと一日もすれば、彼の目の前からも、そして彼の記憶からも、私は消えてなくなる。志音は……それでいいの?
<……仕方がないわよ。彼は知らないんだもの……>
彼女の中の一部が囁く。そう、彼を責めるのは見当違いだと、頭ではわかっている……きっと。
<彼に言わないの?>
「……それだけは絶対に嫌……」
彼女は呟いた。私の運命を知ってしまったら、彼は私のことを憐れに思うだろう。でも、憐れみは、私の選択に対する侮辱だ。強制された訳ではない。私は、自分の意志で、この生き方を選択したのだ。
<そう思うのなら、彼にどう思われようと関係ないじゃない>
<本当は、自分でも、自分のことを可哀想な存在だと思っているんじゃないの?>
「うるさい! うるさい、うるさい!!」
彼女は思わず叫んだ。その場にしゃがみ込む。砂が握られた。
「……私は、可哀想なんかじゃ……ない……」
砂を握ったままの手を額に当てて、彼女はきつく目を閉じた。やがて、彼女の手から力が抜けると、手のひらからは砂が零れていく。その流れを、目を開いた彼女は呆然と見つめていた。
「……本当に欲しいものは、どうして手に入らないの?……」
ふと、彼女は砂の上に緑色に光る石を見つけた。右手で拾い上げる。それはシーグラスだった。波に揉まれて角が削られ、美しくなるシーグラス。『アミカナは、もう綺麗だろ』――金曜日の彼の言葉を思い出す。自分を肯定されたような気がして、嬉しかった。そんなことを言いそうにない彼だから、余計に――。いや、そんなことはない。彼はいつでも、私を肯定してくれていた。だから私は――。
突然、頭上から爆音が響く。軍のヘリが砂浜を横断して、内海の向こう、志音の街の方へと飛び去って行った。球体の偵察? 我に返った彼女は愕然とした。
……私は……志音のことばっかり……
左手で髪を掻きむしる。
……私は、歴史改変阻止者じゃなかったの?……
……ミカに合わせる顔がない……ミカだけじゃない。ラキシス機関のみんなに……。
この一週間、ずっと揉まれてきた。削られる痛みに耐えてきた。でも、どう? 私は……私は……
「……ちっとも……美しいものに……なれてない!……」
歯ぎしりした彼女は、シーグラスを力一杯握りしめた。幾重にも砕かれる悲鳴が響く。やがて、それは緑色の珪砂となって、彼女の手のひらからサラサラと零れ落ちた。
後続のヘリのローターが、再び藍色の大気を揺らし出す。彼女は両肘を砂についた。
「……私なんて……大っ嫌い!!」
彼女の絶叫は、ヘリの爆音に掻き消された。
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