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 「殿下は本当に何もかも忘れておられました。臣下の顔も、政務の内容も。ですから万が一記憶が戻らなかった時のためにも、色んな方と会って会話を交わし、また政務の方も一から覚え直すよう勧めました。殿下は概ねその通りにしてくださったのですが……なぜかルツィエル様の事だけは最初から毛嫌いされて」

 「だが、一度も面会していないのだろう?」
 
 「はい。ですが名前を聞いただけで“会わない”の一点張り。私共も困惑しました」

 私とルツィエルの婚約内定を知っている一部の者たちは、状況を何もわかっていない偽物にそれを告げる事で起きるかもしれない情報漏洩を恐れ、ルツィエルと私の関係については詳しく説明しなかったそうだ。
 しかし偽物はそれとは関係なく、頑なにルツィエルとの面会を拒否した。

 「……そのうちにヤノシュ伯爵令嬢が殿下の執務室を訪れるようになった。それで私共は、もしかしたらヤノシュ伯爵令嬢に心惹かれた殿下が、彼女に遠慮してルツィエル様に会わないようにしているのかと考えたのです」

 「あるわけないだろ。それはお前だってよく知ってるだろうが」

 「はい。ルツィエル様のために二十八にもなってまだ妖精として生きようとする涙ぐましいぐふぅぅう!!」

 腹立たしいがしかし、記憶を失ったと言われれば、周りは信じるしかないのもわかる。

 「ですが会わないのはルツィエル様だけなのです。他にも数名、令嬢を連れた貴族が殿下を見舞いたいと面会を求めましたが、断られた者は一人もいません」

 「それはおかしいな」

 「ルツィエル様との婚約内定だって知らないはずなのに、ある日突然、我々に何も相談せずに手紙を送ったと聞き驚きました」

 「偽物がそう言ったのか?」

 「いえ、発覚したのは別のルートです。ここ数年ずっと暗い顔をしていたコートニー侯爵が、やたらと明るい顔で陛下の元に来まして『この度は大変残念なことではございますが……殿下の幸せのためとあれば仕方ありません。我がコートニー侯爵家は、これからも皇家に変わらぬ忠誠を誓います』とおっしゃって」

 「……それで発覚したのか……」

 頭が割れそうに痛いし何やら鼻の奥がツンとする。
 しかし今は未来の義父との関係に悩んでいる暇はない。

 「当然お前たちだって、どこで婚約内定の事実を知ったのか、偽物に問い質しただろう?」

 「はい。しかし、“噂話を聞いた”の一点張り。誰から聞いたのかまでは……」

 「お前……なにかおかしいと思わなかったのか?」

 「答えない、という事に関して言いますと、殿下のそういう意地の悪さは今に始まったことではございませんし、記憶を失くしてもそこは健在なのかとぐふぅぅうぁぁあ!!」

 ここまで絞め上げられてもまだ憎まれ口が叩けるとは、さすが長年父上の側にいるだけあって根性がある。

 「マクシム、バラーク侯爵が私とルツィエルの情報を掴む事は可能か?」

 「そ、それは……やり方次第ですが、おそらく可能です。人に口という器官が付いている限り、情報漏洩は失くならない問題でしょうから」

 「お前のように愛しい孫娘の未来を盾に取られ、あっさり主の秘密をバラす家臣もいるしな」
 
 マクシムは恨みがましい目で私を見ている。
 残念だがお前への脅しなど、私が現在進行系で見舞われている大凶事に比べたら、不幸のうちには入らない。

 「確かにバラーク侯爵家は昨今権力の中枢からは遠ざかっておりましたが、だからといって皇妃まで出した家門は伊達じゃありません。陰ながらバラーク侯爵を支持する貴族も数多く存在します」

 「という事は、敵はあちら側につく貴族すべてだと言っても過言ではないかもしれないな……ふふ、いい度胸じゃないか」

 私に喧嘩を売った事、あの世に行っても後悔するようにしてやるだけだ。

 「……マクシム、私とルツィエルが婚約を発表する予定だった夜会はどうなった」

 ルツィエルとの婚約内定を白紙にしたというのなら、夜会そのものを開く意味がない。
 
 「いえ……皆殿下が本物だと思っているので、予定通り開催されます」

 「は?」

 

 
 

 
 
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