もう、追いかけない

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 「わあ……!」
 
 初めて目にするカデナの街並みに目を奪われた私は、思わず声を漏らしていた。
 馬車の小窓からも見た、大勢の人が行き交う通り。
 そこには様々な店がごちゃごちゃと建ち並び、店先で呼び込みをする店員の声があちこちで響いている。

 「ここはいつもすごい人出なんだ」

 殿下から声をかけられて我に返る。
 いくら珍しい光景だからといって、淑女の作法も忘れて浮かれてしまった。
 恥ずかしくて、上目遣いに殿下を見ると、彼は穏やかに微笑んでいた。

 「さあ、行こうか」

 そういって殿下は手を差し出した。
 さっきは馬車の中だったから、躊躇わずその手を取ったけど、ここは外だ。
 人前で男性と手を繋ぐなんて、貴族の令嬢がそんなことをしてもいいのだろうか。
 戸惑う私に殿下は顔を曇らせる。

 「私と手を繋ぐのは嫌か?」

 「いえ、決してそんなことは!」

 軽率なことをしたら、殿下に迷惑がかかるのではないかと心配なのだ。
 きっと殿下は気にするなと言うのだろうけれど。

 「ルツィエル、この姿で私が皇太子だとわかるか?」

 どうだ?というような顔で殿下は言う。
 カツラのおかげで、広く世間に知られている殿下の特徴、長い銀の髪は短く切り揃えられた栗色に変わり、紫水晶の瞳はわざと長めにしてあるのだろう前髪に隠れて目立たない。
 確かに別人なのだが、元々の造りの良さは隠しようがない。
 造形だけでなく、高い背丈に均整の取れた身体も……
 つまり、色を変えても美しさは変わらないから、とにかく目立つのだ。
 万が一誰かに気づかれて、皇太子が国の大事を放って遊んでいたなんて噂が流れたらと思うと怖い。
 
 「ルツィエルは心配性だな。じゃあこれならどうかな?ラデク、あれを」

 殿下が差し出した手のひらに、ラデク様がのせたのは眼鏡。
 金縁の丸眼鏡が、栗色の髪の毛によく似合う。
 不思議なのだが、殿下がさっきよりも街並みに溶け込んだように見えた。

 「あとは君だけを見ていれば、この瞳の色がばれることもないだろう」

 「……はい」

 遠慮がちに触れた私の手を、殿下はしっかりと握り返した。
 ふたり並んでカデナの街を歩く。
 香辛料の独特な香り、揚げ物やパンの焼けるなんとも香ばしい匂いがどこからともなく流れてくる。
 すれ違う人たちは皆、気になる店の前で無造作に足を止め、家族や恋人と楽しそうに会話しながら買い物を楽しんでいる。
 
 ──ここにいる人々は、誰も私たちのことを知らない

 そう思うと、自然と肩の力が抜けて、身体も心も羽が生えたように軽くなった。
 (なんて楽しいんだろう)
 大好きな人と、なにをするわけでもなくぶらぶらと街を歩く。
 たったそれだけのことが、こんなにも心を浮きたたせてくれる。
 目に映るすべてのものが新鮮で、殿下が私に歩調を合わせてくれていることにも気付かなかった。
 
 「君のそんな顔は初めて見る」

 「えっ?」

 殿下のことをそっちのけで、夢中で景色に見入っていた自分が恥ずかしい。
 けれど殿下はそんな私に穏やかな笑みを向けている。

 「ここ数年、気が張った表情しか見ていなかったから、新鮮だ」

 「私が……ですか?」

 殿下は黙ったまま頷く。
 自分では意識したことがなかったが、そうなのだろうか。
 殿下の側にいたい、殿下にふさわしい女性でありたいと強く願うあまり、知らずのうちに力が入りすぎていたのかも。
 けれどそんなことよりも、殿下が私を見ていてくれたことが嬉しい。
 いつも、どんな時も大勢の人に囲まれていた殿下が。

 「私といることで、君から笑顔が消えるのは嫌だ」

 「殿下……」
 
 「私の側にいるためにはこうでなければならない、などという思い込みは捨てて欲しい」

 「ですが──」
 
 「私たちはただお互いに恋をしただけだ。そしてこれからは愛し合い、支え合って生きていく。皇太子妃だのなんだのというのはただのおまけだ。一番大切なのは君の人生であり、幸せだ」

 「ですがそれでは周囲が納得しません」
 
 民だけでなく、この国を支える者たちも、皇太子妃となる者に多くのものを求めるだろう。

 「この国を導くのは私の役割だ。皇太子妃となることで、君には窮屈な思いをさせるだろうが、気負う必要などない。君はもうすでに、十分すぎるほど皇太子妃にふさわしい資質を有しているよ」

 まだまだ未熟な私が皇太子妃にふさわしいなんて、本当だろうか。
 自信がない。
 けれど、優しく細められた殿下の瞳を見る限り、彼が嘘をついているとは思えない。
 皇太子妃という重責を“ただのおまけ”なんて到底思うことはできないが、殿下のその言葉はとても心強かった。

 「ルツィエル、ここに寄ろう」

 殿下が足を止めたのは、通りの中でも珍しいモダンな建物。 
 しかし他の店のように店内の様子が窺えるようなガラス窓はなく、よく磨かれた真鍮の表札には、控えめな字体で店名だけが刻まれていた。

 「ここは……なにを取り扱っているお店なのですか?」

 「入ればわかる」

 開かれた扉の先に足を踏み入れると、そこには所狭しとガラスのショーケースが並んでいた。
 ケースの中には一目で高価だとわかる光り輝く宝石の数々。
 それらに目を奪われていると、店の奥から店主と思しき男性が出てきた。

 「これはこれは、エミル殿下ではありませんか!ようこそおいでくださいました」

 「突然ですまないな、シモン。今日は奥の部屋を使いたいのだが」

 “奥の部屋”
 そう聞いた男性──シモンは、少し驚いたように眉を上げ、殿下の後ろに立つ私に視線を移した。
 (なにかしら……) 
 しかしシモンはすぐに元の表情に戻り、店の奥へと私たちを案内した。
 通されたのは、豪奢な家具が設えられた一室。
 上客専用の個室なのだろう。
 ソファに張られた布地一つとっても、皇宮で採用されている一級品となんら遜色がない。
 殿下は店主と顔なじみのようだった。
 (ということは、殿下はこれまでにも、誰かに宝石を贈ったりしたことがあるのかしら……)
 
 「ルツィエル?」

 「あ、ついぼうっとしてしまって……申し訳ありません」

 「大丈夫か?」

 「はい」

 私たちは応接用に置かれたソファに並んで腰を下ろした。
 殿下はもう二十八歳だ。
 女性に贈り物の一つや二つくらい、経験があってもおかしくはない。
 今でこそ私を大切にしてくれてはいるが、以前はこの場所が誰かのものだったかもしれない。
 (私、なにを考えているの)
 たとえそうだとしても、殿下はなにも悪くない。
  (それに、今は私だけを大切にしてくれているのだから……)
 心はもやもやとしていたが、雰囲気を悪くしたくなくて、なるべく自然に見えるよう笑顔を作った。
 
 「殿下……もしかしてこちらのご令嬢が?」
 
 シモンは遠慮がちに私を見た。

 「ああ、そうだ。出来上がっているか?」

 「はい。今お持ちいたします」

 シモンは恭しく礼をして部屋を出た。
 『出来上がっているか』とはいったいなんのことだろう。
 しばらくして戻ってきたシモンは、大きなビロードの箱をやや緊張した面持ちで抱えてきた。
 そしてそれを慎重にテーブルの上に置き、白い手袋をはめた手でゆっくりと開いてみせた。

 「わぁ……!」

 現れたのは、なんとティアラだった。
 あまりの美しさに思わず感嘆の声が漏れる。
 ティアラは円形で、見たこともない大きさのアメジストが等間隔で並び、周りには無数のダイヤモンドが散りばめられている。
(まるで、殿下の瞳を見つめているようだわ)
 
 「君のだよ」

 「私の……?」

 「このカデナには、その昔鉱山があってね。今はもう採掘は行われなくなったが、宝石の研磨技術は受け継がれてきた」

 「書物で読みました。その研磨技術を求め、各地から商人が集まってくると」
 
 「ああ。ティアラは皇族のみに着用が許されている。生まれながら皇家に属するものは、成人を機に製作されるが、君は私の妻になる日に必要となるから……シモンに頼んで作らせておいたんだ」

 

 
  

 
 

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