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しおりを挟む出立の時、どこからともなく現れた黒装束の集団に、見送りに出た屋敷の者たちは怯えた。
お忍びとはいえ、この一行にフェレンツ帝国の皇太子が紛れ込んでいるなんて、すれ違う者たちは夢にも思わないだろう。
殿下の私兵は約二十名ほど。
いささか心許ない気がするが、殿下はこれで十分だという。
殿下は執事を呼び、私たちの出立に関し決して父に知らせてはならないと念を押した。
なぜそうまでして父に知らせることを拒むのか、疑問に思わなかったわけではないが、殿下の徹底した態度から、おそらく私が聞かされたのとは別の理由があるのだろう。
あえて聞くのも憚られ、とにかく殿下を信じることにした。
私は帝都からついてきてくれた者たちに、身の安全にはくれぐれも留意し、荷物とともにゆっくり戻ってくるよう言い聞かせ、領地館をあとにしたのだった。
行きは強行軍だったが、通常なら帝都までは二、三日かかる。
(宿場などはどうするのかしら)
そんなことを考えていると、窓から見える風景がいつも通る道とは違うことに気づく。
「殿下、この道は?」
「ああ、カデナを通って帰ろうと思ってね」
カデナは、コートニー侯爵領から直線の帝都までの道を、右に大きく迂回した場所に位置する。
交通の要衝という立地条件を生かして発展した街だ。
隣国との物流も盛んに行われており、街全体に大変活気があると聞いている。
「ルツィエルはカデナに行ったことは?」
「いいえ。ですが話に聞くたびに、行ってみたいと思っておりました」
帝都からも領地からもそう遠くないカデナだが、私が行きたいというと過保護な父はあまり良い顔をしなかった。
カデナは行商人の出入りが激しく、荒っぽい連中もいるから心配なのだとか。
それを話すと殿下は『いかにも娘思いのコートニー侯爵らしいな』と笑った。
「確かにそういった輩がいるのも事実だが、心配はいらない。君のことはなにがあっても私が守る」
「はい……」
心強い言葉に胸が温かくなるのと同時に、少しむず痒い。
「こっちにおいで」
向かい合わせに座る殿下が私に向かって手を差し伸べた。
広い座席は二人並んで座っても十分な広さがある。
(嬉しい)
隣同士に座るなんて、まるで恋人同士のようだ。
いや、“ようだ”というのは正しくない。
(思いあっているのだから、恋人……なのよね)
改めて今の関係性を自覚すると、なんだか恥ずかしいような気持ちになる。
恐る恐る殿下の手を取り、隣へ座ろうとすると手を引かれ、たくましい腕が腰に回る。
「そっちじゃない」
声を出す間もなく、あっという間に殿下の膝の上に乗せられた。
「で、殿下」
「なに?」
「い、いえあの……」
「君の席はここだ。いいね」
悪いわけがない。むしろ嬉しい。
けれど恥ずかしくて、火を噴きそうなほど顔が熱い。
そしてさっきからうるさく音を立てる胸の鼓動が、今にも殿下に聞こえてしまいそうだ。
私はそれを誤魔化すように、殿下の肩口に顔をうずめ、子どものように抱かれていた。
行きと同じように、追手が来るのではないかと不安だったが、危惧していたことは何も起こらず、私たちは無事カデナの街にたどり着いた。
噂に聞いていた通り、とても活気のある街で、通りには商店と屋台が入り混じるようにして立ち並んでいる。
「すごい。こんなに大勢の人が集まっているなんて」
初めて見る市場の風景は、何もかもが新鮮だった。
馬車の小さな窓から見える景色にさえ、心が浮き立ってしまう。
広場のような場所にさしかかった時、殿下は馬でついてきていたラデク様に馬車を止めるよう声をかけた。
ちなみに彼らはここにつく前、黒装束を解いている。
停車すると扉が開かれ、この街独特の空気が車内に流れ込んできた。
「殿下、どうぞ」
車外のラデク殿が差し出したのは小さな袋。
中身はなんと、栗毛のカツラだった。
殿下は地毛をひとまとめにすると、慣れた手つきでそれを装着する。
「さあ、行こうかルツィエル」
「え?行くって、どこへ」
「ふふ、なにも持たずに来てしまっただろう?色々買わなくては」
確かに、殿下が手ぶらでいいというのでなにも持たずに出てきてしまった。
どうするのかと思っていたが、ここで揃えるつもりだったのか。
殿下の笑顔と外から聞こえてくる喧騒に、私は胸を高鳴らせた。
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