もう、追いかけない

クマ三郎@書籍&コミカライズ3作配信中

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 皇太子暗殺未遂の情報が錯綜する中、皇宮内は、自分の利益を守ろうと必死なのであろう貴族たちで溢れ返っていた。
 殿下と共に皇宮の回廊を歩く私に注がれる不躾な視線。
 私がどこの誰かは当然皆知っているはず。  だが、なぜエミル殿下のエスコートを受け、隣を歩いているのか。
 そしてどこへ向かっているのか。
 しかしそれを知るのは私たちのみだ。  

 「ここまで注目を浴びるといっそ爽快だな」  

 これだけの視線に晒されて尚、そんな事が言える余裕があるなんてさすが殿下だ。
 でも、感心している場合じゃない。
 この程度の反応はまだ序の口。
 本当に大変なのは、貴族たちが真相を知ったあとだ。
 私はできるだけすました顔で、貴族たちの横を通り過ぎた。
  長い回廊の先には大きな鉄の扉があり、その前には屈強そうな兵士が二人、槍を構えて立っていた。
 事情は既に聞いているのだろう。
 兵士はエミル殿下の顔を見るなり構えを解いた。
 エミル殿下は立ち止まり、兵士の顔を交互に見たあと口を開いた。

 「覚えておけ。彼女の名はルツィエル。私の伴侶となる女性だ。今日よりこの扉の出入りを自由にする」

 兵士たちは返事をすると、私に礼を取った。   

 「ルツィエル・コートニーと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 彼らは職務中だし、身分を考えても私が挨拶をする必要はない。
 しかし、これから幾度となく顔を合わせる間柄なのだと思うと、自然と言葉が口から出ていった。
 すると当然というか、一瞬だったがふたりとも揃って面食らったような顔をした。
 しかしすぐに何事もなかったかのように平静を装う姿に、今度は殿下が噴き出した。

 「素晴らしい女性だろう?」

 殿下に声をかけられた二人の目元が優しく緩む。
 そして目の前で、重々しい音を立てて扉が開かれた。
 皇族と、その許しを得た者しか足を踏み入れることが許されない禁域。
 緊張で、ゴクリと喉が鳴る。

 「さあ、行こう」

 殿下に手を引かれ、扉の先へと進む。

 「うわぁ……!」 

 真っ先に目を奪われたのは、日の光を浴び、宝石のように輝くステンドグラスの高い天井。
 長く続く廊下を彩るそれは、万華鏡のように均整の取れた美しい模様で、ここはさながら妖精の住む楽園と人間界を繋ぐ道のようだと思った。

 「あのふたり、今日のことを一生忘れないだろうね」

 頭上から突如降ってきた言葉に、夢のような空間に見とれていた私はハッと我に返った。 
 
 「あのふたり……とは、先ほどの兵士のことでしょうか」

 「あぁ。彼らがあの門を守るようになってから随分経つが、君のように名を名乗り、『よろしくお願いいたします』なんて言った貴族の女性は一人もいないはずだ」

 確かに、兵士に挨拶する貴族の女性なんて普通いないだろう。
 なにか用があれば、大概は付き添いの者を介しての会話が一般的だ。
 しかし殿下はさっきの私の行動を快く思っているようだった。
 (なぜかしら)
 皇家の一員になるのであれば、もっと威厳のある振る舞いを求められて当然なのに。  

 「あまり顔には出さなかったけど、胸が震えるような体験だったはずだ。一介の兵士に高貴な生まれの令嬢が声をかけただけでなく、敬意を込めて挨拶までしてくれたのだからね」

 「私はそんな……ただこれからお世話になるのだと思ったら、自然と言葉が出ただけで」 

 「そんな君だから、好きなんだ」

 「殿下……」

 慈しむような微笑みを返され、頬が熱くなる。
 しばらく歩いていくと、ドーム型の屋根が開放的な、広い空間に出た。
 その先は道が二手に分かれており、殿下によると、片方は殿下の宮殿、もう片方は陛下たちの住まわれる宮殿へ繋がっているそうだ。 
 (ぼうっとして間違えないように、気をつけなきゃ)
 ここまで壁に覆われていた廊下は等間隔に立つ円柱に変わり、一気に視界が開けた。
 季節の花が植えられた美しい庭園が広がり、その中心には宮殿が建っていた。
 遠目にもわかる美しい大理石の宮殿。
 壁には繊細で芸術的な模様が彫られ、その精緻な美しさに思わず息をのむ。
 
 「今日からここが君の家だ。気に入ってくれると嬉しい」

 殿下が暮らす場所を目にすることができただけでもこんなに嬉しいのに、気に入らないなんてとんでもない。
 恐る恐る足を踏み入れた宮殿内は、その外観に違わぬ素晴らしさだった。
 だが“贅を凝らした造り”という言葉はなんだかしっくりこない。
 金銭の匂いを感じさせない、ある種神聖な雰囲気がするのだ。
 それは案内された殿下の私室も同じだった。
 置かれた家具は間違いなく最高級品だが、余計な装飾などは一切省かれた、長く使える質の良いものばかり。
 そして皇族の私室にしては少し殺風景に感じるほど、無駄な物がない部屋だ。
 
 「ルツィエル、座って」

 殿下に促され、中央に置かれたロールアームとキャメルバックが上品な、ダークブラウンのソファに腰を下ろす。
 (休日はいつもここに座っているのかしら)
 ソファは大人が寝そべっても余裕のある大きさで、なんとなくここでくつろぐ殿下の姿が想像できた。
 殿下は私の隣に座ると、旅にも同行してくれたメイドの二人に、お茶と菓子の用意を言いつけた。

 「あの二人には、引き続き君の身の回りの事を任せてある。信用できる者だから安心して」

 殿下の宮殿内に勤めるメイドは少なくないはず。
 その中でこの二人は信用できるということは、裏を返せばそのほかは信用できないということ。
 粛清がすべて終わるまでは気を抜けない。
 私は改めて肝に銘じた。
 お茶の準備を終えたメイドが、私と殿下の目の前に、紅茶の注がれたティーカップと可愛らしい菓子が載ったティースタンドを並べていく。
 湯気に乗って鼻に届いた紅茶のいい香りに、自然と肩の力が抜けた。

 「疲れただろう。遠回りをさせてすまなかった」

 「そんな。殿下が連れて行ってくださったおかげで、初めてカデナの街を訪れることができました。それに……ふたりで街を歩けたのがとても嬉しかったです」

 「そう思ってくれるなら私も嬉しいよ。これからしばらくああいった機会もないだろうから」

 『しばらく』ということは、またあんな風にお忍びで外を歩く機会があるのだろうか。
 (そうだったらいいな)
 
 「さて、父上との調整もあるからまだはっきりとした日時は言えないが、貴族を集めるのは一週間後くらいだと思っておいてくれ」

 「あの、殿下」

 「なに?」 

 「帝都の家から身の回りの物を運びたいのですが……あと、父にも話しておかないと」

 秘密裏に行動したのは殿下の居場所を敵に悟らせないため。
 だが堂々と正面から皇宮に戻った今、隠す必要はないはずだ。

 「ああ、そうだった。ここまでくればこっちのもの……いや、私が断りもなしに君を連れ出したことで、侯爵もさぞかし心配しているだろう。だからどうかな、ルツィエル」

 「あの、どうかな、とは?」

 「私も謝罪したいし、コートニー侯爵にここまで出向いてもらおうと思うのだが」


 *


 殿下は私の返事を待たずに父へと手紙を書き始めた。
 いきなり事実を聞かされる父の気持ちを考えると少々心苦しいが、私の長年の想いを知っているだけに、きっと笑顔で許してくれるだろう。
 出来上がった手紙は早速ラデク様に手渡され、そこからリレーのようにラデク様の部下に渡った。

 「ラデク、への大事な手紙だ。お前が行け」

 「いいえ、私は明日のご面会まで全力でルツィエル様の身の安全をお守りいたします」

 「面会の日時はコートニー侯爵の都合のいい日で構わないと、特に指定はしていない」

 「いいえ。侯爵は必ず明日の朝一番に……なんなら今日中にいらっしゃることでしょう」

 「ラデク様、父は確かに過保護なところがありますが、さすがに今日届いて今日のうちに来るなんてまさか──」

 しかし私の考えは甘かった。
 日が傾きかけた頃、なんと本当に父がやってきたのだ。


 * 

 
 「や、やあ。久しぶりだな、コートニー侯爵」

 「帝国の若き太陽皇太子エミル殿下この度は度重なるご災難非常に痛み入りますがしかしなぜルツィエルを勝手に領地から連れ去るような真似をされたのかは甚だ疑問にございます」

 「お、お父さま、息継ぎをして?」

 殿下の宮内にある応接室で久しぶりに再会した父は、明らかに不機嫌だった。
 そこに大窓から差し込む夕日を背中に背負ってるものだから、妙な威圧感が加わっている。

 「侯爵の許可を得ず、ルツィエルを連れ出したことは心から申し訳ないと思っている。しかし先ほど説明したように、ルツィエルに危険が及ばないようにするためにはこれが最善だったのだ」

 「殿下は私が愛しい娘の生命ひとつも守れないような腑抜けだとおっしゃるのですか」

 「いや、勘違いしないでくれ。別にそういうことを言っているのではない。訳あって今回の偽物とヤノシュ伯爵の件は、父が預かることになった。父のやり方は侯爵ならよく知っているだろう。しばらくはルツィエルの身にも危険がつきまとう。強引ではあったがこのやり方が一番安全だ。それに、傷ついたルツィエルの心をそのままにしておくことに、私が耐えられなかった。どうか理解してくれないだろうか」

 「お父さま、殿下はあんな目に遭われた直後で気力も体力も限界だったのに、私の身を心配して領地まで来てくださったのよ」

 二人の話に割って入ると、エミル殿下は相好を崩し、父は悔しげな表情でぐっと唇を噛んだ。
 (お父さま、どうしたのかしら)
 いつもの父とまるで違う駄々っ子のような姿に違和感を感じる。
 その時、領地館で殿下が言った言葉がふと頭を過った。

 『君を幸せにするためには、君の周りにもこの結婚に納得してもらわなければならないからね』

 あの時私は、自分の周囲の誰がエミル殿下との結婚に難色を示しているのだろうと疑問に思った。
 (まさか……お父さまなの?)
 しかし父は昔からエミル殿下への私の想いを知っているし、それに関して反対されたことはなかった。
 (でも、待って)
 反対はされなかったが、今思えば一度も『頑張れ』とか『負けるな』といった応援の言葉は聞いたことがない。
 落ち込んだり傷つくたびに『無理をするな』とは慰めてくれたけど……んんん?
 いや待て待て、それだけで父が反対してると決めつけるのは早計だ。
 (きちんと判断するためにも、ここはエミル殿下にお任せしよう)
 ふたりのやりとりを見れば、きっと父の胸の内がわかるはず。

 「お父さま、余計な口をはさんでごめんなさい。エミル殿下も、申し訳ありません」

 「ルツィエルが謝る必要は──」

 「私は、お二人の話が終わるまで見守らせていただきますね」

 そもそも父を呼ぶと言い出したのは殿下だ。
 やはりここは殿下に任せるのが一番。
 しかし殿下の表情は硬い。
 それは父も同じ。
 先に口を開いたのは父だった。

 「殿下、娘は先の一件でこれ以上ないほどに傷つき、そしてこの数日の急展開に冷静さを欠いています。それにいくら偽物を捕らえたといっても、大変なのはこれからです。しかもここには捕らえられた者たちがいます。そんなところにとても娘を置いてはおけません。婚約についても、すべてが落ちついた頃改めてお話させていただきたいと思います」

 「捕らえられている者に関しては心配いらない。それにルツィエルの気持ちに関しても──」

 殿下はそこで一旦言葉を止め、私の顔を見た。
 
 「ルツィエル、すべて話してもいいね?」

 きちんと話し合い、考えた上で、この宮で暮らす選択をしたことを話すつもりなのだろう。
 私は黙って頷いた……のだが、殿下の話したいことはまるで違った内容だった。
 
 「侯爵。再会した夜、私たちはお互いの気持ちをちゃんと確かめ合った」
 
 「よ、夜!?」

 『夜』という単語に血相を変える父。 

 「お互いの気持ちを確かめ合った!?それはいったいどういうことですか、殿下!!」

 動揺の度合いがひどすぎやしないだろうか。
 しかもそんな父を見て殿下の口の端が少し上がったような……いやまさかそんな。
 きっと見間違いだ。
 殿下はそんな、人を嘲笑うような性格の悪い人じゃない。

 「閉鎖中の領地に無断で入っただけでなく、ルツィエルの寝所で一夜を明かしたことも、重ねて謝罪する」

 「寝所で一夜!?」

 「あ、あの殿下、それは……」

 てっきりそのことについては父には話さないものだと思っていた私は慌てた。
 しかし私の反応で、父は殿下の言葉が真実と確信してしまった。
 そして殿下は慌てる私の姿を楽しんでいるようだ。

 「ふふ、翌朝は私の髪も洗ってくれたね」

 脳裏には、その銀の髪を洗った美しい思い出よりも、神々しい殿下の臀部が色鮮やかによみがえる。

 「わたしのすべてを知っているのはルツィエルだけだよ」

 私の息の根を止めにかかったあの美々しい臀部。
 そのエピソードが今度は父に襲い掛かる。

 「一晩同じ寝所で過ごして翌日は浴室で髪を洗って……すべてを知ってるって……すべてって……」

 膝に置かれた父の手がわなわな震えている。
これはまずい。
 父は今混乱を極めていて気持ちを確認するどころではない。
 しかしそんな父に殿下はさらに追い打ちをかけた。

 「ここの湯殿は広いから、一緒に入ろう。今度は私がルツィエルの髪を洗ってあげるよ」

 「殿下、どうかもうその辺で……!」

 前を見ると、戦い終わり、灰と化した戦士の亡骸のような父がそこにいた。

 結局軍配は殿下に上がった。
 私は、納得したとかしないとかいう次元を超えた父の手を引き、皇宮の入口まで見送った。

 「……お父さま、本当はこの婚約に反対だったの?」

 結局今回の話し合いでは父の気持ちを知ることができなかった。
 モヤモヤした気持ちを引きずりたくなくて、思い切って馬車に乗り込む背中に問いかけてみた。

 「……お前が幸せならそれでいいんだ」

 こちらを振り返った父の顔は寂しそうに微笑んでいて、胸がぎゅっとなる。
 (やっぱりお父さまは賛成してくれているのね)
 しかしそう思ったのも束の間、細められていた父の目がぐわっと見開いた。

 「でもね、ルツィエル!殿下のことが嫌になったら帰ってきていいんだからね!」

 そんな大きな声で不敬極まりない言葉を口にするとは。
 しかもここは皇家の皆さまが暮らす皇宮内。
 前言撤回だ。
 理由は定かではないが、やはり父はこの婚約に反対なのだ。
 娘を凝視しながら目を潤ませる中年男性と、呆然とするその娘に向けられた、宮内の兵士たちの視線が痛い。

 「お父さま。落ちついたら帰るから、その時色々聞かせて」

 そうして私は父を馬車に押し込んだのだった。


 *


 再び殿下の宮へ続く分かれ道にたどりつくと、少し先を歩く数人の女性がいた。
 後ろにいたメイド服の女性が私に気づき、自分たちの先頭を歩く人物に向かって声をかけた。
 後ろを歩いていたメイドたちが一斉に両脇に分かれ、姿を見せたのは豊かな金の髪とサファイアのような深く青い瞳の女性。

 「皇后陛下……!」

 私は急いで礼を取った。






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