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しおりを挟む「皇后陛下におかれましてはご機嫌麗しく存じます。慌ただしくしており、ご挨拶に伺うことができず申しわけありません」
皇后陛下は私の側までやってくると、礼を解くよう促した。
「まあルツィエル、頭を上げてちょうだい。領地に帰っているあなたをエミルが無理やり連れてきたと聞いたわ。あの子ったら本当に強引なんだから。ごめんなさいね」
皇后陛下と私の母は幼少時代からの親友で、その友情はお互いが結婚したあとも変わらず続いていた。
だから皇后陛下は母の娘である私のことも、とても可愛がってくれていた。
偽物殿下の記憶喪失騒ぎで、最近はお会いする機会もなかったが、久しぶりに見る優しい笑顔に、緊張で張りつめていた心が解れるようだった。
「ここで会えてよかったわ。ルツィエル、少し話をしない?」
「はい。では今すぐ殿下にお伝えして参ります」
だが、踵を返そうとした瞬間止められた。
「大丈夫。ラデクにうまくやるよう伝えておくわ」
「ですが……」
「あなたが伝えに行くと、あの子絶対についてきちゃうから」
確かに殿下ならついてきそうだが、聞かれてはまずい話でもあるのだろうか。
(まさか……皇后陛下も私たちの婚約に反対なの……?)
不安な気持ちを抱えながら皇后陛下のあとをついていくと、対のように建つ二つの宮殿が見えた。
おそらく片方は陛下の住まいだろう。
「さあルツィエル、こっちよ」
案内された皇后陛下の宮の応接室は、エミル殿下の宮で感じた雰囲気とよく似ていた。
あえて違うところを挙げるとすれば、女性らしさだろうか。
目の前に本日何杯目かの紅茶が置かれ、思わず真顔で見てしまう。
「お茶は……コートニー侯爵が来ていたのなら、もうたくさん飲んだわよね。無理しないで」
「ありがとうございます」
正直お腹はいっぱいだったので、皇后陛下の気遣いが嬉しかった。
「今回のこと……本当にごめんなさいね、ルツィエル」
「そんな、皇后陛下のせいではありません」
「けれど、自分の息子かどうかも見抜けないなんて……母親失格ね」
それを言うなら私もだ。
ずっと慕ってきた大切な人が別人だと気付きもしなかった。
「それに危ない目にも遭ったと聞いたわ。私がもっとしっかりあなたのことを考えてあげていればよかったのに……」
宿場でのこともそうだが、この事件の黒幕はあらゆる人の目を欺いてみせた。
皇后陛下が責任を感じる必要なんてどこにもない。
それに……殿下から、彼の偽物は陛下の実子であると聞いた。
私よりも皇后陛下の方がずっと深く傷ついたはず。
それなのに私のことにまで心を砕いてくださっていたなんて。
(強い人……)
「お気遣いありがとうございます。でも私はもう大丈夫です。殿下が迎えにきてくださいましたから」
「ふふ、そうみたいね。戻ってきてすぐにまた出て行ったと聞いた時は本当にびっくりしたわ。よほどあなたに会いたかったのね
そう言うと、皇后陛下はいたずらっぽく笑った。
「ねえルツィエル?あなた、エミルのどこが好きなの?」
「えっ?」
「エミルのことを妖精のようだって言っていたわね……懐かしいわ。今でもエミルはあなたにとって妖精さんなのかしら?」
「いえあの……」
「どうしたの?」
こんなこと言ってもいいのだろうか。
けれど皇后陛下ならこの質問の答えをくれるかもしれない。
「これまで私は皇后陛下のおっしゃる通り、エミル殿下を妖精のように美しい方だと思っていました。外見の美しさと同じくその内面も高潔で、けれど思いやりがあって……本当に素晴らしい方だと」
「ぇ、ぇぇ……」
まだ本題に入っていないのにもかかわらず、歯切れの悪い返事が返ってくる。
それに声は限りなく小さい。
しかもお茶を飲むと見せかけて、目を逸らされたような……気のせいだろうか。
「ここ数日、殿下とずっと行動をともにしていたら、違和感を感じることが何度かあったのです……」
「違和感……例えば?」
「旅の途中、殿下が個人的に交流を持たれている方々とお会いしたのですが、まるで問題児のような言われようでした」
『問題児』という言葉に皇后陛下の表情が気まずそうに固まる。
「あとは……私の父との話し合いの最中に──いえ、多分これは私の思い過ごしです。申し訳ありません」
「いいのよ。大丈夫だから、話してちょうだい」
(こんなこと言っていいのかしら……)
私と過ごした三日間の詳細を話し終えたあと、消沈する父を勝ち誇ったような顔で見ていたなんて。
失礼すぎる内容に、本当に言っていいものなのか躊躇ってしまう。
しかし続きを促す皇后陛下に嫌と言えるはずもなく。
それでも精一杯気を遣い、遠回しに伝えると、皇后陛下からは深いため息が返ってきた。
「……詰めが甘いわねぇ……」
残念そうな表情。
これはまさか、私の予想が当たっているというのだろうか。
「も、もしかして殿下は、あれが素なのでしょうか」
違和感を感じるたびに考えていた。
もしかしたら殿下は、本当の自分を隠しているのではないかと。
「そうだとしたら、あなたはどうする?」
「どうもこうも……驚くことはあるかもしれませんが、殿下への気持ちはこれまでとなにも変わりません」
それだけは自信を持って言える。
でも本当にそうなら、殿下はなぜ自分の本性を隠しているのだろう。
皇家のイメージダウンを防ぐため?
それとも他に理由が?
「誰でも、本当に大切な人には隠しておきたい一面があるものよ」
「……殿下は誰に隠しておきたいのでしょう」
やはり国民にだろうか。
民の望む姿でありたいなんて、そうだとしたらさすがだ。
「ふふっ。ルツィエル、多分あなたが考えていることは違っているわ。エミルは昔から人にも物にも執着しない。けれどそんなあの子が唯一大切にしているのは誰?」
殿下が唯一大切にしてるもの……ううん、今皇后陛下は『誰』と言った。
まさかそれって──
「……私、なのですか?」
「本当の自分を見せて嫌われたくなかったのかしら。我が息子ながら、意外と可愛いところもあるのね」
「そんな、殿下を嫌うなんて有り得ません」
「わかっていても恐れてしまうのが恋なのだと私は思うわ」
殿下が私のためにずっと本当の自分をひた隠してきたなんて。
それが私に嫌われたくなかったからなんて。
(信じられない)
そんなにも深く想われていたなんて。
けれど感動すると同時にとてつもない罪悪感に見舞われた。
もしも黒装束の殿下が彼の素なら、本当は強くて結構乱暴で色々雑なところがある人だ。
でもなぜなの?
どうして自分を偽る必要が──
『なんだ……妖精さんじゃなかったのね……』
それは、エミル殿下と初めて出会った日に私が口にした言葉。
妖精ではなく、皇太子殿下だと知ってもなお、幼い私は殿下を妖精だと思いこんでいた……いや、自分が出会ったのは紛れもなくお伽噺に出てくる妖精だと、そう思いたかったのだ。
ありもしない幻想を抱くことは、あの年頃の少女にはよくあること。
もしかしてその幻想を殿下がずっと守ってくれていた?
幼い私の憧れや夢を守り、慈しんでくれていたのだとしたら──
「殿下はなんて優しい方なのでしょう」
眦に熱いものがせりあがる。
そして、これまで殿下に感じてきた愛しさをはるかに上回る大きな愛が、心の中を埋め尽くしていく。
「陛下にそっくりなのよ」
「陛下に……ですか?」
「ええ。けれどエミルの方が自分の心に正直ね。……ルツィエル、貴族を招集することは聞いてるわね?でも心配しなくて大丈夫よ。どんなことが起ころうとも、エミルは真正面からあなたを守ってくれるわ」
「はい!あの、皇后陛下……私そろそろ」
早くエミル殿下のもとに戻りたい。
そしてもう妖精のフリなんてしなくていいと伝えたい。
「ええ。また一緒にお茶を飲みましょうね」
私は立ち上がり礼をとると、急いでその場をあとにした。
*
ドレスの両端をつまみ、急ぎ足できた道を戻る。
まず最初になんて言おう。
『これまでずっと無理をさせてごめんなさい』『どんな殿下も大好きだから』『本当は乱暴者なんですよね』
駄目だ。
どれもしっくりこない。
私が一番伝えたいことはなんなの?
それは──
「殿下大好き!!痛っ!!」
勢いよくなにかにぶつかったと思ったら、視線の先に男物の靴が見えた。
「も、申し訳ありませ──へ、陛下!」
急いで顔を上げるとそこには皇帝陛下が立っていた。
一気に顔から血の気が引く。
しかも私、今とんでもない言葉を口にしていなかったか。
「殿下大好き……か。うまくいってるようでなによりだ」
全部聞かれてる。
殿下そっくりの顔で、しかも真顔で復唱されるというこれ以上ない羞恥に、顔が燃えるように熱くなる。
しかしいつまでも羞恥に悶えているわけにはいかない。
私は急いで膝を折った。
「帝国の太陽、尊き皇帝陛下。こんな形でご挨拶することになってしまい、誠に申しわけございません」
「気にしなくていい。エミルが君を連れてくることは予想していたからね。それより侯爵が来たようだが、大丈夫だったか?」
「は、はい。殿下が説得してくださいました」
「説得?へえ……あの子、そういうこともできるんだね」
……ん?
「あれは直情型が過ぎるから、よく考えて発言したり行動するということができない人間だと思っていた。ましてや人に対して気を遣うなんて。侯爵がやけにあっさり帰ったものだから、てっきり脅したんだと思っていたのだがね」
「お、脅す!?」
皇后陛下から聞いた言葉よりもだいぶ過激だ。
驚く私の表情を見て陛下は口の端を上げた。
「驚いたかい?憧れの妖精さんが、どんどんボロを出してきて」
既視感とはまさにこのこと。
陛下の顔は、エミル殿下が父に向けた表情に酷似していた。
けれど不思議とそこに嫌なものは感じない。
それにしてもまるで一部始終を知っているような口振りだ。
「陛下」
「うん?」
「私はこれまでエミル殿下に相応しくなりたい、遜色なく隣に立てる女性になりたいとそればかりを考えて、焦っていました」
そうしなければエミル殿下の隣を誰かに取られてしまう。
そんな風に、いつも焦燥感に駆られていた。
「エミル殿下はそんな私をずっと見守っていてくださった。焦る必要なんてなかったんです。だって殿下はずっと妖精を演じるほど私のことを大切に思っていてくれたのだから」
そこまで言うと、陛下は『ブフッ』と吹き出した。
「そう、エミルが本当はどんな男なのか、なんとなく掴んだんだね。それでも気持ちが変わらない?」
「変わるわけがありません。だって私は妖精さんが好きなんじゃない。エミル殿下が好きなのですから」
「今はそうかもしれないが、この先嫌になるかもしれない。口ではなんとでも言えるさ」
「……陛下は、本当の姿を見せて嫌われたことがあるのですか?」
これに陛下は答えなかった。
目を逸らし、ここではないどこか遠くを見ているようだった。
本当の陛下はどんな人なのだろう。
きっと今私に見せている姿は作り物だ。
「……エミルが貴族を招集した。君にはまた嫌な思いをさせるだろう。やめるなら今だよ」
「それは、エミル殿下との婚約をということですか」
「いつか後悔する日が来るかもしれない。傷つけられて、こんな男の元に嫁がなければ良かったと」
「陛下……」
なんとなく、これは私に向けて言っているのではないのだと感じた。
きっと陛下が答えを聞きたい人は──
「陛下」
私の呼びかけに、陛下はハッとしてこちらを見た。
「皇后陛下は、エミル殿下は陛下にそっくりだとおっしゃってました」
「ユスティーヌが……君にそんなことを?」
「はい。そして、エミル殿下はなにがあっても私を守ってくださるとも。だから私、絶対に後悔しません。というよりきっと、エミル殿下がさせてくれません」
私は淑女にあるまじき、思いっ切りの笑顔を陛下に向けた。
陛下と皇后陛下の間には、私が殿下から聞いたこと以上のなにかがあるような気がする。
もしかしたら殿下も知らないなにかが。
私にできることはなにもない。
ただ、おふたりの宝物である殿下と誰よりも幸せになって、この選択は間違っていなかったと証明することはできる。
人の幸せは身分や立場が決めるものではない、自分が決めるのだと。
「そうか……では私も負けてはいられないな」
「陛下?」
「息子にできて私にできないはずがない」
そして陛下はさっきよりもずっと悪い顔をして微笑んだ。
「さあ、もう行きなさい。『殿下大好き』って伝えるんだろう?」
「あ」
忘れかけていた羞恥がよみがえり、再び頬が火を噴いたように熱くなる。
「じゃあね」
陛下は私が礼を取るより先に歩き出した。
気のせいだろうか。
その足取りはやけに軽く見えた。
応援ありがとうございます!
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