嘘つきな獣

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 「シャロン」

 大切そうに名前を呼ぶと、セシルは再びシャロンに唇を寄せる。
 シャロンはセシルの身体を両手で押し返し、顔を背けた。
 
 「だめ……」

 予想もしなかったセシルの告白に、シャロンは激しく動揺していた。
 彼はシャロンを軽んじていた訳ではなく、また嫌っていた訳でもなかった。

 ──愛していると、確かに言った

 ろくに言葉を交わしたこともないのに。
 いつもそっぽを向いていたのに。
 彼の気持ちを聞いた今、あれらの行動はすべて、彼の幼さが生んだ愛情の裏返しだったのだと理解できる。
 今回の事はひとえに若さゆえ、激情のまま行動してしまったというのが正しいだろうか。
 なぜだろう。
 セシルが本音を話してくれたことに、どこか喜びを感じている自分がいる。
 けれどこのまま黙って流される訳にはいかない。
 なぜなら彼はまだ、肝心な事を何一つ話していないからだ。
 シャロンの祖国ロートスはどうなったのか、そしてアイリーンの事に関しても、彼はどのように説明するつもりなのだろう。
 シャロンの記憶がないのをいいことに、すべてを無かったことにしようとはしていないか。
 このまま自分に都合の良いように事を進めようとはしていないだろうか。
 本当にシャロンを愛していると言うのなら、誠実に対応してもらいたかった。
 恐る恐る見上げると、熱を持って潤む瞳と目が合う。

 「いい加減な気持ちでしている訳じゃない」

 どうやらシャロンに拒否された事が不満なようだ。
 こういう俺様なところは彼の素なのだろう。

 「真剣なら何をしてもいい訳ではありません。こういう事は、お互いの合意の上でなされるべきかと」

 暗に彼への気持ちがないと言っているようなものだ。
 言葉の意味を悟ったのか、セシルは僅かに眉根を寄せた。

 「記憶を失ったあなたの支えになりたい。もっと俺を頼って、甘えて欲しいと思うのは我儘だろうか」

 「そう思ってくださる気持ちを否定する訳ではありませんが、それならすべてを話してください。私はただ、自分が今置かれている状況を知りたいのです」

 「それは……もう少しだけ待っていて欲しい」

 「どうしてですか?」

 シャロンの問いに、セシルは視線を落とし黙り込んだ。
 やはり彼にも制御し難い問題が起きているのだろうか。
 (全部、話してくれればいいのに)
 だがそれも、彼の性格からは難しいのかもしれない。

 「俺が年下だから、信用できませんか」

 「え……」

 「年下は頼りない?」

 (何で今そんな話しを?)
 セシルは確かにシャロンより四歳年下だが、彼を頼りないと思った事なんて一度もない。
 そもそも頼りがいがあるとかないとか感じるほど、大人になってから彼に会う機会がなかったし、再会した途端に攫われて乱暴されたから、『頼る人』という概念の中から彼は完全に排除されていた。
 だがシャロンがそう思うのも、すべてセシルの自業自得。
 それに年の差を引け目に思うというのはむしろシャロンの方だ。
 結婚適齢期を過ぎた四歳も年上の女を妃に貰わなければならないセシルに、心のどこかでいつも申し訳ないと思っていた。

 「包容力も女性の扱いも、あなたにとって俺では物足りなく感じてしまうのもわかってる」

 「……記憶を失う前の私はそんな事を言っていたのですか?」

 「いや……それはあなたから直接聞いた訳じゃないが……」

 セシルは言葉を濁したが、おそらくそれはエドナの間諜が彼に伝えた情報だろう。
 悪意のある偽の情報。
 彼は未だそれに気付いてはいないのだろうか。

 「俺を男としては見れませんか?」
 
 「それは……こんな状態では何とも……」

 だが、今は恋人ごっこをしている場合じゃない。
 それだけははっきりと言える。
 
 「シャロン」

 再び名前を呼ばれ顔を向けると、啄むような口づけをされた。

 「い、いけません!」

 しかしセシルはシャロンの抗議など聞く耳を持たない。
 二度、三度と小鳥のように口づけると、今度は熱い舌が深くまで押し入ってきた。

 「ぁ……ん……んぅ……!」

 今度はいくら押し返してもびくともしない。
 後ろに回された逞しい腕が、逃さないとばかりにシャロンの華奢な身体を掻き抱く。
 (もう、無理矢理は嫌)

 「乱暴はしないで……!」

 何とか逃れ、必死で声を絞り出した。

 「俺だって乱暴になんかしたくなかった。でも悔しくて……どうにもできなかったんだ!」

 それは目の前にいるシャロンではなく、記憶を失う前のシャロンに向けた言葉に違いない。
 セシルは今にも泣き出しそうな、子どものような顔をしている。
 彼はシャロンをどうしたかったのだろう。
 彼がこんなにも素直に向き合ってくれているのは、今のシャロンが記憶を失っていると思い込んでいるからだ。
 記憶を取り戻したシャロンの前ではきっとまたひねくれた態度になるのだろう。
 目の前の青年の事をもう少し知りたい。
 そんな気持ちが勝ってしまった。

 「あなたは……セシル殿下は、本当は私にどんな風になさりたかったのですか……?」

 シャロンの問いに、セシルは虚を衝かれた表情をした。

 「優しくしたかった……」

 呟きにも似た小さな声を聞き逃さないよう、シャロンは耳を澄ませた。

 「大切にしたかったんだ」

 セシルの声が、僅かに震えた。
 するとシャロンは、彼の目にうっすらと涙が滲んでいることに気付く。

 「恋をして、焦がれて……今は愛してる。そして愛して欲しい……シャロン、あなたに」

 どうしてそれを最初に伝えてくれなかったのだろう。
 侵攻ではなく、迎えに来てくれていたなら。
 私を信じて手を差し伸べてくれていたなら。
 (きっと私、喜んであなたの手を取ったのに)
 無意識にセシルの目元に手が伸び、シャロンは人差し指で滲む涙をそっと拭う。
 するとセシルはその手を取り、熱い唇を押しあてた。

 「あなたが俺を忘れてしまったのも、やり直しがきかないのも、すべて自分のせいだとわかってる。本当にすまない」




 
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