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しおりを挟む「いくら病弱とはいえ、万が一男の力で組み敷かれたら、お前は逃げることができないだろう!?」
「そんな、いくらなんでも会ったばかりの兄嫁を襲おうなんて、そんなことアスラン殿下がなさるはずありません」
「どうだかな。あいつもおまえのことを随分気に入っていたようだったし。女慣れしてない奴の勘違いほど恐ろしいものはないぞ」
それではまるで、自分は女慣れしてると言っているようなものではないか。
いや、あながち間違いではないのかもしれない。
毎日同じ寝台で眠っているのに、未だアルウェンに手を出さないのは、女に困っていないからということも考えられる。
アルウェンは胃の奥がモヤモヤした。
「サリオン殿下からの指示であれば、次回からはなんの憂慮もなくお断りするすることができます。私が至らないばかりに、殿下の手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした」
到底納得はできなかったが、サリオンの言うこともわからなくはない。
皇宮にきてまだ日が浅いアルウェンには、知らされていない事情もあるのだろう。
たったひとり、なんとかここで根を張ろうという気持ちが先走り、急ぎすぎたのかもしれない。
アルウェンは大きく深呼吸した。
「……少し頭を冷やしてきます」
頭を下げ、そのまま部屋を出た。
サリオンがどんな表情をしていたのかはわからない。
日が暮れるまで自室でぼんやりと外を眺めていたら、夕食の支度ができたとアルマが呼びに来た。
ここへ来てから毎日くぅくぅ鳴っていた腹は、今日に限って静かだ。
「……殿下も召し上がるの?」
「いえ、本日は遅くなるとのことで」
「そう……申し訳ないのだけれど、冷めても食べられそうなものだけこの部屋に運んでおいてもらえるかしら。お腹が空いたらいただくわ。調理場の皆には、残してごめんなさいと伝えておいてくれる?」
「かしこまりました……あの、妃殿下」
「うん?」
「余計なことですが……サリオン殿下は妃殿下のことが心配だったのだと思います。その証拠に、妃殿下がアスラン殿下からのお誘いを受けたことを伝えるなり、殿下は血相を変えて部屋から飛び出して行かれました」
「……そうなの……」
「ですからどうか、あまり気に病まれぬように……」
「ありがとうアルマ。今日のことは私が悪かったの。色々と焦りすぎたわ」
今度こそ誰にも居場所を奪われぬように、早く自分の地位を確固たるものにしたかった。
サリオンの目に、そんなアルウェンの姿はさぞかし危なっかしく映ったことだろう。
時間を置いて冷静になった今、謝りたい気持ちはあれども、どんな顔をして彼の前に出れば良いのかわからない。
アルマが部屋を出て行ったあと、アルウェンは寝台に横になった。
(疲れたわ……)
目を閉じて、深い闇の底に意識を追いやった。
*
アスランは、侍女から手渡された薬湯に口をつけた。
いつもなら不味くて顔を顰めるところだが、今夜はその凶悪な味もまったく苦にならなかった。
(義姉上……大丈夫だったかな……)
アルウェン──偶然出会った兄の妃。
遠目からでもすぐにわかった。
あんな人、皇宮にはいないから。
凛とした佇まいに意志の強そうな瞳。
アスランの招待を知っても目の色を変えず媚びもせず、お茶の誘いも断ろうとした。
そんな人間に出会うのは初めてだった。
貴族に名を連ねる者たちは皆、アスランを見れば喜色を丸出しにして機嫌を取ろうとする。
アスランに媚びたところで良いことなんてなにもない。
ただサリオンの不興を買うだけだ。
それでもアスランに近づこうとする者は後を絶たない。
それは、サリオンに万が一のことがあった時のため、保険をかけているのだろうと思う。
そしてその万が一を作り出そうとしているのがサウラ妃──母であることもよくわかっている。
(僕なんかに兄上の代わりが務まるわけないのに)
どうして母はアスランの気持ちを理解してくれないのだろう。
アスランはそのことについてずっと訴えてきた。
けれども母は理解するどころか年々頑固になっていく。
まるでなにかに取り憑かれたかのように。
眉目秀麗、文武両道のサリオン。
アスランは母のせいもあり、近くに寄ることはできないが、昔から兄のことを尊敬していた。
羨ましいなんて思ったこともない。
なぜならアスランなりに、サリオンに背負わされた重責がどれほどのものか理解していたからだ。
けれど、そんなアスランの心境に僅かな変化が生まれた。
(義姉上……素敵な人だったな……)
これまでアスランが接してきたどの女性とも違う。
──私も、アスラン殿下のような弟が欲しかったです
下心を全く感じさせない言葉が、素直に嬉しかった。
その時の光景が今も胸の中を占めてしまうほどに。
弟でもいいから、もう少し側にいたい。
兄との関係を改善することができれば、またアルウェンと話をすることができるだろうか。
(あんな人が側にいてくれて、兄上はいいな……)
アスランはこの日、生まれて初めて“羨ましい”という感情を知ったのだった。
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