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8 優しい手
それからわたしは、婚約解消のために自分が犯すべき過ちは何であるかを考えて考えて考え続けて……倒れた。
思えばこの世界に来てから五年間、バッドエンドへの恐怖から、ろくに気が休まることがなかった。
おそらく蓄積した疲労が今回の体調悪化を引き起こしたと思われる。
「お嬢様、ラクリモサ公爵がお見えです」
慌てた様子で入室してきた執事の言葉に、わたしは自分の耳を疑った。
「……ノクティス様が?」
「はい。お見舞いにいらしたそうで、ひと目だけでもお会いしたいと」
先日体調不良を理由に、恒例のお茶会を断ったばかりだった。
まさか彼がお見舞いに来てくれるなんて。
──まあ……ノクティス様は律儀な人だからね……
お茶会が良い例だ。
嫌いな相手なのに断らず、遅刻もしない。
わたしは熱のせいでうまく回らない頭を抱え、どうすべきか逡巡する。
鏡で見なくてもわかるほど髪はボサボサで、格好はしわくちゃの夜着姿。
こんな姿を見られたら、いくら病人とはいえ幻滅するに違いない。
──でも、その方がいいのかしら
手っ取り早く嫌われて、彼の方から積極的に婚約解消に向けて働きかけて貰った方が──
「エリーゼ、僕だ。入るよ」
規則的なノック音のあと、返事を待たずに扉が開いた。
骨の髄までマナーが染みついているノクティス様が、こんな無遠慮に婦女子の部屋へ入るだなんて信じられない。
扉の向こうから現れたノクティス様の息は乱れていて、腕には大きな花束を抱えていた。
──お花……まさかわたしに……?
彼は迷いない足取りでベッドの側まで来ると、膝をついてわたしと目線を合わせた。
「大丈夫?少し触れるよ」
大きな手のひらが額を覆う。
外気のせいか、ひんやりと冷えた手が気持ちいい。
されるがまま目を細めるわたしは、撫でられてうっとりする猫のように見えただろう。
「……だいぶ熱があるね」
「ご心配おかけして……申し訳ありません」
「どうして謝るの。君は僕の婚約者だ。心配して当然だろう?」
「……ふふ……」
「僕、何かおかしい事でも言った?」
ノクティス様は本当に優しい人だ。
こんな仮初めの婚約者を義理とはいえ心配してくれるのだから。
「早く……ノクティス様を幸せにしてあげたいです……」
そのためには一刻も早く、彼の元から去らなければならない。
倒れている暇なんてないのに。
「もう少しだけ待っていてくださいね……今、考えているんです……」
「……何を?」
「ノクティス様が誰からも責められずに、我が家……父とわたしから離れられる方法です」
ノクティス様は聡明な方だ。
今はまだ気付いていないかもしれないが、いつの日かきっと、父が彼と彼の家族に何をしたのかを知るだろう。
「……ごめんなさい……父のした事を許して貰えるなんて思っていません。だからせめて、わたしの人生をかけてでも、ノクティス様を解放してみせる……」
今のノクティス様は、何に対してわたしが謝罪しているのかわかっていないだろう。
けれど、自分でもよく分からないが、どうしても言わずにいられなかった。
熱に浮かされながらやっとの思いで告げた言葉に、ノクティス様からの返事はなかった。
沈黙が支配する部屋で、いつの間にかわたしの意識は遠のいていた。
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