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10 宴
しおりを挟む欠席しようかとも思ったが、わたしの中に残るわずかな希望と一緒に過ごした五年間の記憶がそれを許さなかった。
宴の当日、わたしはクローゼットの中から一着のドレスを取り出した。
シルクを染めた深緑色の生地で仕立てられ、袖口と裾に繊細なレースをたっぷりとあしらったこのドレスは、いつかノクティス様と出席するであろう夜会のために用意していたものだ。
──結局、一度も誘ってはくれなかったけど
ノクティス様のエメラルド色の瞳と同じこのドレスは、わたしにとって少なからず思い入れのある一品だが、ことと次第によっては二度と日の目を見ぬまま誰かの手に渡ってしまうかもしれない。
そう思うと他のドレスを選ぶ気にはとてもなれなかったのだ。
王宮へ向かう馬車の中、緊張から心臓が大きな音を立てて打ち付ける。
会場となる大広間には既に大勢の招待客がひしめき合っていて、大小様々な人の輪があちこちに作られていた。
使節団と思しき隣国の服装をした者たちも、我が国の貴族たちと交流を楽しんでいる。
──ノクティス様はどこにいるのかしら
会場を見渡したが、ノクティスの姿はどこにも見えない。同様にヒロインの王女の姿も。
「あら……あの方は……」
会場にひとりたたずむわたしに気付いたご婦人が、こちらをみながら手に持った扇の裏でひそひそと何かを話し始めた。
──いつもの事だけれど、居心地が悪いわね
ゲームの中のエリーゼは、父の悪行のせいで身に覚えのない陰口を叩かれる事が常だった。
ただでさえそんな状況なのに、今はもう一つ格好の話の種が増えてしまった。
わたしは彼らから逃れるようと、足早に会場の隅へと移動した。
物陰に隠れながら会場の様子を観察していると、急に周囲がざわつき始めた。
人々の視線が集中する方へ目をやると、そこには美しく装ったヒロインと、盛装に身を包んだノクティス様の姿が。
──なによ……あれ……
美しい銀の髪を丁寧に撫でつけ、多彩な色糸で施された刺繍が見事な上着は、彼の持つ神秘的な魅力を十分に引き立たせていた。
これまでのノクティス様は、ラクリモサ公爵領の財政再建が最優先事項で、自身の身なりは二の次だった。
公爵家の品位を保つために必要最低限のものは仕立てていたが、その他の贅沢は一切しなかった。
わたしはそんな彼をとても尊敬していたのだが──
──恋って、こんなにも人を変えるのね
五年も一緒にいたのに、彼がわたしのために装ってくれた事なんて一度もない。
それなのにヒロインは、たったの数週間で彼を一変させてしまった。
ヒロインをエスコートするノクティス様は柔らかな笑みを浮かべていて、その瞳には愛おしさが溢れていた。
──もう、駄目だ
物語は既にわたしの手の及ばないところまで進んでしまった。
このままでは父はヒロインを毒殺しようと暗躍し、わたしはノクティス様に殺されてしまう。
──ここから逃げよう
何もかも放り出して、誰の手も届かない場所へ。
思うより先に、足が動いていた。
息を切らしながら正門まで全速力で走るわたしに、すれ違う人は皆驚いたように目を見開いていた。
真新しい靴が擦れ、踵に血が滲んで痛む。
正門までたどり着くと、待機させていた馬車に勢いよく乗り込んだ。
「お嬢様!?」
「出して……早く出してちょうだい!」
一刻も早くこの場所から去りたかった。
けれど今思えば笑ってしまう。
急ぐ必要なんてなかった。
だって誰も追いかけてこないのだから。
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