2 / 59
1
「まずは患者の手に触れ、損傷部位を正確に感じ取るのだ。それから重症度によって治療の順番を決定し──」
低く穏やかな声が講堂に響き渡る。
声の主は宮廷魔導師団の師団長であり、魔道師の卵たちを養成する機関の首席魔導師、ユーイン・オルブライト。
雪のように真っ白な髪と、深海を思わせる藍色の瞳。
彼はその容貌と、治癒や防護などを専門とする白魔法の使い手であることから、周りからは【白のユーイン】と呼ばれていた。
そんな彼が魔導師を目指す若者たちのために開く講義には、毎回必ず顔を出す若い女性の姿があった。
リーリア・アルムガルド王女だ。
彼女は八年前、ドニエの森でユーインに助けられてからというもの、彼の講義には欠かさず出席するようになった。
しかし、彼女に魔法の素地はない。
通常、講義に出席することを認められるのは魔法の素質があり、将来宮廷魔導師として活躍するであろう魔導師の卵たちである。
なのになぜ彼女がここで使えもしない魔法の講義を受けているのかというと、それはひとえにユーインへ抱く恋心からだった。
渋る父王に必死で頼み込み、アカデミーで学ぶことを特別に許されたリーリアだったが、最初の頃は魔法どころではない。
ユーインが話す言葉すら理解できなかった。
けれど彼の側にいるためには、魔法を学ぶしか理由がない。だから毎日必死で勉強した。
幼い頃はただ彼に近づきたい一心だった。
それはきっと憧れのようなものなのだとリーリア自身思っていた。
しかし成長するにつれ、その気持ちが憧れとは違う、もっと切なく苦しいものなのだと気づくまでに、そう時間はかからなかった。
けれど、気持ちを自覚してからも、リーリアはユーインに何も伝えられないまま、こうして彼の講義に出席し続けている。
「本日の講義はこれで終了する。各自しっかりと復習をしておくように」
リーリアにとってなによりも幸せなひと時は、いつもあっという間に終わってしまう。
首席魔導師でありながら、驕らず真面目な人柄の彼を慕う者は多い。
講義のあと、ほんの少し言葉を交わしたくても、彼の周りにはすぐ人だかりができてしまう。
だからリーリアは、いつもその光景を遠巻きに見つめながら、後ろ髪を引かれる思いで講堂を後にするのだ。
宮廷魔導師団はリーリアたち王族が暮らす王宮内に本部が置かれている。
移動中の危険が少ないことも、リーリアがアカデミーへの立ち入りを許可された要因だろう。
講堂を出た先に、護衛のアーロンの姿が見えたその時だった
「リーリア殿下!」
聞き覚えのある声がリーリアを呼び止めた。
ユーインが身に纏う白地に金の刺繍が入ったローブとは対照的な、漆黒の生地に銀の刺繍が施されたローブに身を包む男。
彼の名はクレイグ・シズリ―。
最年少でユーインと同じ首席魔導士の座に就いた黒魔法の使い手だ。
「今日も白魔法の講義ですか?たまには私の講義にもいらしてくださいと、あれほどお願いしておりますのに」
リーリアは、このクレイグという男が非常に苦手だった。
実力主義で、能力さえ高ければ自分の側に取り立ててやり、その他の者には塵屑だと言わんばかりの視線を向ける。
同じ首席魔導師といっても、魔法を扱う者の人格形成を重要視するユーインとは雲泥の差だ。
ユーインは、大きな力には同等の危険が伴うものだから、常に冷静に物事を俯瞰して見れるようでなければならないと、常日頃若い魔導師たちに説いて聞かせている。
「ごきげんよう、クレイグ様。お誘いは大変光栄なのですが、私は白魔法を……人を癒し救う神秘の力を学びたいのです」
「黒魔法とて人を救いますよ?現に魔物の襲撃や諸国との小競り合いからこの国を守っているのは、私たち黒魔法の使い手です」
確かに前線に出て戦うのは黒魔法の使い手たちだ。
しかし彼らが安心して戦えるのは、後方で援護するユーインたち白魔法を使う魔道師たちの存在があるからこそ。
クレイグはそのことを誰よりも理解しているはずなのに、白魔法の使い手に敬意を払うことはない。
それどころかむしろ馬鹿にしている節さえ見受けられる。
「一度私の講義を受けていただければ世界が変わりますよ。もうすぐ次の講義が始まりますし、いかがでしょう?」
にじり寄るようにして、少しずつ距離を詰めてくるクレイグに、リーリアは後ずさる。
──どうしよう……アーロンを呼ぼうかしら
その強大な魔力を駆使し、戦場で次々に戦果を挙げるクレイグは、父王のお気に入りでもある。
あまり下手な真似はできないが、だからといってこれ以上無礼な振る舞いは、決して看過することができない。
「リーリア殿下」
背後から聞こえた声に、クレイグは眉を寄せ、リーリアは思わず背筋が伸びた。
間違いない。この声は──
あなたにおすすめの小説
異世界に逃げたシングルマザー経理は、定時退勤だけは譲れない
木風
恋愛
DV夫から一歳の娘を抱えて逃げた鈴木優子は、光に飲まれて異世界の王宮へ転移してしまう。
生きるために差し出した武器は簿記と経理経験――崩壊寸前の王宮会計を『複式簿記』で立て直すことに。
ただし譲れない条件はひとつ、「午後五時の定時退勤」。娘の迎えが最優先だからだ。
その姿勢に、なぜか若き国王ヴィクトルが毎日経理室へ通い始めて――仕事と子育ての先に、家族の形が芽吹いていく。
死ぬまでに叶えたい十の願い
木風
恋愛
「あなたを妻として、愛することはない。おそらく、生涯抱くこともないだろう」
三年間の白い結婚——捨て置かれた王太子妃エリアーナに、側妃が『死の呪い』をかけ余命一年を宣告する。
離縁を願うも拒否され、代わりに「死ぬまでに十の願いを叶えて」と契約する——
二人きりの外出、星空、海…ささやかな願いが王太子の心をほどいていく。
蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
本当は、二番目に愛してます
唯純 楽
恋愛
元準男爵令嬢のビヴァリーは、落ちぶれた暮らしを強いられながらも、乗馬の腕前を生かして競馬で大金を稼いでいた。ところが、ある日突然、誘拐まがいに連れ去られ、引き籠りの王子妃の乗馬の相手をしてほしいと頼まれる。頼んできたのは五年前にひと夏を共に過ごした初恋の相手ハロルド。身分差から気持ちを打ち明けられずにいたビヴァリーだったが、酔ったハロルドと一夜を共にしてしまう。義務と責任感から結婚しようとするハロルドに、ビヴァリーは望まぬ結婚はすべきではないと、式の途中で逃げ出したのだが、ハロルドは今さら結婚を取りやめることはできないと、ビヴァリーを一晩中淫らに責め立てた……。ほんの小さな誤解から拗れた関係は、壊れる前に修復できるのか?白馬に乗った王子様より、白馬のほうを愛する女の子の波乱万丈な物語。【番外編も投稿しています!】
閨から始まる拗らせ公爵の初恋
ボンボンP
恋愛
私、セシル・ルース・アロウイ伯爵令嬢は19歳で嫁ぐことになった。
何と相手は12歳年上の公爵様で再々婚の相手として⋯
明日は結婚式なんだけど…夢の中で前世の私を見てしまった。
目が覚めても夢の中の前世は私の記憶としてしっかり残っていた。
流行りの転生というものなのか?
でも私は乙女ゲームもライトノベルもほぼ接してこなかったのに!
*マークは性表現があります
■マークは20年程前の過去話です
side storyは本編 ■話の続きです。公爵家の話になります。
誤字が多くて、少し気になる箇所もあり現在少しずつ直しています。2025/7
大人になったオフェーリア。
ぽんぽこ狸
恋愛
婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。
生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。
けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。
それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。
その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。
その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。
【完結】裏切られたあなたにもう二度と恋はしない
たろ
恋愛
優しい王子様。あなたに恋をした。
あなたに相応しくあろうと努力をした。
あなたの婚約者に選ばれてわたしは幸せでした。
なのにあなたは美しい聖女様に恋をした。
そして聖女様はわたしを嵌めた。
わたしは地下牢に入れられて殿下の命令で騎士達に犯されて死んでしまう。
大好きだったお父様にも見捨てられ、愛する殿下にも嫌われ酷い仕打ちを受けて身と心もボロボロになり死んでいった。
その時の記憶を忘れてわたしは生まれ変わった。
知らずにわたしはまた王子様に恋をする。
【完結】今さら執着されても困ります
リリー
恋愛
「これから先も、俺が愛するのは彼女だけだ。君と結婚してからも、彼女を手放す気はない」
婚約者・リアムが寝室に連れ込んでいたのは、見知らぬ美しい女だった――
アンドレセン公爵令嬢のユリアナは、「呪われた子」として忌み嫌われながらも、政略結婚によりクロシェード公爵家の嫡男・リアムと婚約し、彼の屋敷に移り住んだ。
いつか家族になれると信じて献身的に尽くすが、リアムの隣にはいつも、彼の幼馴染であり愛人のアリスがいた。
蔑まれ、無視され、愛人の引き立て役として扱われる日々。
ある舞踏会の日、衆前で辱めを受けたユリアナの中で、何かがプツリと切れる。
「わかりました。もう、愛される努力はやめにします」
ユリアナがリアムへの関心を捨て、心を閉ざしたその夜。彼女は庭園で、謎めいた美しい青年・フィンレイと出会う。
彼との出会いが、凍りついていたユリアナの人生を劇的に変えていく。
一方、急に素っ気なくなったユリアナに、リアムは焦りと歪んだ執着を抱き始める。
・全体的に暗い内容です。
・注意喚起を含む章は※を付けています。