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しおりを挟むその日の夕刻。王都のガルヴァ―二侯爵邸内に、まるで狼のような咆哮が木霊した。
「殿下が浮気して侍女を孕ませただとおおおおおおおお!!!!!」
「お父様、落ち着いてください。それに叫びたいのは私の方です」
「あなた、ルクレツィアの言う通りです。それと控え目に言ってうるさいわ」
命からがら王宮から帰宅したルクレツィアは、現在人生初にして最大のピンチを迎え、家族を緊急招集した。
目に入れても痛くないからむしろ突っ込んでしまいたいくらいルクレツィアを溺愛しているガルヴァ―二侯爵は、娘の口から聞かされたシルヴィオとのやりとりに激高した。
「わ、わしの可愛い可愛い可愛い可愛いルクレツィアになにしてくれとるんじゃあのワカメ頭がああああああああああ!!こうなったら離反じゃ!いざとなれば領を挙げて戦うぞ!!」
「お父様、可愛いが多すぎます。私ももう大人なのですから、いい加減恥ずかしいのでやめて下さい。それにシルヴィオ様はワカメ頭ではなく緩やかなくせ毛です。誰かが聞いていたら不敬罪に問われますよ」
「あなた、ルクレツィアの言う通り、年頃の娘に向かってその言葉は控え目に言って気持ち悪いわ。それと罪もない領民を巻き込むのはやめて下さい」
当事者であり、一番傷ついているはずの娘と、娘と同じくらい愛している妻から冷たい言葉を浴びせられ、ガルヴァ―二侯爵は両手で胸を押さえながら静かに着席した。
「それにしても意外だわ」
「なにが?」
「あなたが思ったより傷ついてなくて。だってあなたったら、出会った日から今までずっとシルヴィオ殿下のことしか頭になかったじゃない」
「そうね……自分でも不思議だわ。シルヴィオ様のしたことや言ったことがあまりにも最低すぎて、悲しい気持ちが吹き飛んでしまったみたい」
「ふふっ。それなら結婚前に本性を見せてくれたこと、殿下にお礼を言わなきゃね。それよりお母様はアンジェロ殿下の方が気になるわ。あなたはどうなの?ルクレツィア」
「どうなのって言われても……まずはシルヴィオ様とのことをどうするのかが先よ。お父様、失礼にあたらないよう殿下との婚約を破棄することは可能かしら?」
自分から好きになって、喜んで結んだ婚約だった。それなのに今度はこんな理由で婚約破棄なんて。いったい父にはどれほどの迷惑がかかるだろう。
ルクレツィアは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。しかし顔を上げるとソファに座っていたはずの父がいない。
「あそこよ」
母に促された先に視線をやると、父は机に向かって一心不乱になにかを書いていた。
「……このたびはそちらの二番目のバカ息子のせいでうちのルクレツィアがこんなに傷ついちゃってほんとにどうしてくれるんだこのやろう……それと三番目のバカ息子にもうちの娘に手を出したらただじゃおかないといっておけよちくしょう無駄に外見がいい嫌な野郎め……」
書いている内容と気持ちを口から垂れ流している。これは非常にまずい気がする。
だが心配するルクレツィアとは対照的に、父のこの異常なまでの愛の一番目の犠牲者である母は慣れたものだ。
「あの人なら大丈夫よ。手紙はあとで執事に書き直させるから。それよりルクレツィア、半月後の夜会はどうするつもり?」
「半月後の夜会……あっ!」
すっかり忘れていたが、半月後はシルヴィオの誕生日を祝う夜会が開かれる。だからその場で正式に結婚の日取りを発表するのではないかと思い、今日はその話をされるのだろうと朝から浮かれていたのだ。
「今さら欠席できるかしら……」
主役である王子の婚約者が祝宴を欠席するなど前例がない。具合が悪かろうとなんだろうと出席することを余儀なくされる。
シルヴィオとの婚約を破棄するにしても、それはもう少し先の話だ。周りから変に勘繰られるのはお互いにとっても喜ばしくない。
「そうね……。まあ少し様子を見ましょう。あちらがどう出るのかもこれからだし」
ルクレツィアはこれ以上なにも起こらないようにと願うばかりだった。
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