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999年目

10 王太子妃来訪 ※空

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 ※※※ 空 ※※※



南の宮は突然の来訪者に騒然となっている。

門の警護をしていた騎士から連絡を受けたらしいレオンが、宮の中から門へとやってきて来訪者に挨拶をする。

「王太子妃様。どうしてこちらへ……」

護衛と侍女を伴った王太子妃が唇の端をあげた。

「先触れもなしに失礼するわ。
《何故か》チヒロが東の宮に来られないと言うので、ならばと私がこちらへ出向きました。
……チヒロは?」

「……部屋に。ご案内します」

王太子妃に先立って歩き出そうとしたレオンだが、お腹の大きい王太子妃の様子を見て、まず謝罪を口にした。

「申し訳ありません。考えが至らず。
次回から、チヒロには私がついてそちらに伺いますので。
ご無理をなさらないで下さい。どうかお身体を大切に……」

「――この宮には王妃様の絵が一枚もないそうね」

首を垂れているレオンの肩がピクリと揺れた。
王太子妃はレオンから目を逸らすことなく一気に言う。

「チヒロに聞きました。
だからチヒロは王妃様の――貴方のお母様の顔を知らないのだと。
何故ですの?
この宮にはとても沢山の……それこそ王宮中の王妃様の絵が飾ってあったと記憶しておりましたが」

レオンは返事をしない。
王太子妃は眉間に皺を寄せ目を細めた。

「……貴方は。私もお従姉様ねえさまも侮辱するつもり?」

「……は?」

「貴方は女性が子を産むことを何だと思っているのです。
身に子を宿し産む。
それは共に生きたいという強い意思があってのことです。
共に生きるために長くその身で育み、この世に送り出した我が子に重荷に思われてはお従姉様ねえさまがうかばれませんわ。
お母様を誇りなさい。
私が貴方の母ならそうして欲しいわ」

レオンは言葉を失っている。

王太子妃がため息を吐いた。

「……それから。チヒロを閉じこめるのはおやめなさい。
困った人。
貴方は、お父様にそっくりよ。愛情が深すぎて。臆病で。罪深い。
大切だからとその腕で囲えば良い結果にならないことは知っているでしょう?
そして、わかっているのでしょう?
いくら貴方が囲っても、あの子は飛び出していくわよ。
その時に嫌われたくなければ、その腕の中から出して見守りなさい。
あの子が傷つくことが、どんなに恐ろしくてもね。」

レオンは怒りのこもった声を絞り出すように言った。

「――私は陛下になど似てはいない。チヒロを囲ってなどいません」

王太子妃は額に手をやった。

「では今のこの有り様は何?重症ね……自覚もないなんて」

「違います!……私は、ただ――」

「――ただ、なんだと言うのです。この状況を《囲う》というのでしょう。
陛下と会っていたあの子を攫うように連れ去り宮に閉じ込めているそうね。
そんなにあの子をお父様に取られたくなかったの?」

「――気付いて」

思わず声になったのだろうレオンの言葉を、王太子妃は聞き逃さなかった。

「あら。貴方も――。……違うわね。貴方が覚えているはずがない。
そうすると、セバスあたりかしら。……聞いたのね」

王太子妃は遠い目をして言う。

「……ふとした時に見せる表情。仕草。言葉。
時にはっとしてしまうほど、確かに似ているところがある。
セバスや私。そして陛下。……お従姉様ねえさまをよく知る人なら感じるくらいにはね」

「―――――」

「それでもあの子はチヒロよ。お従姉様ねえさまじゃない。
……まさか貴方、あの子がお母様に似ていると聞いて、あの子をお母様だと
思っているわけではないでしょうね?」

「違います」

「それなら何故、陛下に会っていたあの子を―――!」

王太子妃は口に手をあてて。
しばらくして思いあたったのだろう考えを声にした。

「陛下に、『空』にお母様をねだった《子ども》だと思われたくないのね?」

レオンが顔を背けたのを見て、王太子妃が破顔した。

「……ねだったは言いすぎですし、そもそも私は『空』に母が欲しいなんて願ってもいません」

不本意だとばかりに顔をしかめ言ったレオンに、王太子妃は堪えきれず声を上げて笑った。

「それでそんな顔をしているの。
貴方、何故あの子に微かでもお母様の面影があるのか、まるでわからず困惑しているのね?!
なのに陛下にチヒロを見られれば、儀式の時、自分が『空』にお母様をねだったと思われてしまう。
それは不本意よね」

笑いながら続けられれば、レオンはもう言い返す気はないようだ。

王太子妃はひとしきり笑うと、それまでになく穏やかな声で言った。

「ふふ、……笑ったりして、ごめんなさいレオン様。
―――でも初めて貴方の人間らしいところを見た気がするわ」


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