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17 エミリアside

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温室と言うものを初めて見た。


一面ガラス張りの広い屋内は温室という名の通り温かく、色鮮やかな美しい花々が咲き誇っている。
見上げれば見たことのない実をつけ、青々とした葉を茂らせた大きな木々。
そして高い天井のガラス越しに輝く青い空が見える。

見回してばかりいたからだろう。
王太子殿下に笑われてしまった。

「そんなに見回していると目が回ってしまうよ」

「申し訳ありません。そうは思うのですが……圧倒されてしまって」

「気に入った?」

「はい。……素晴らしいです」

本当に。なんて綺麗なんだろう……。こんな場所があるなんて。
ほう、と思わずため息が出てしまった。

「すごい……」

少し後ろにいた私付きの侍女のキャシーも感嘆の声を上げた。
私と同じように草木や花々に見惚れている。
温室を見慣れているのか、隣にいる侍従カイゼル様はいつもと変わらないご様子だ。

外観から予想していたのよりはるかに屋内は広い。
でも私たち以外の人の気配は感じない。

きっとこれも王太子殿下のご配慮なのだろう。
人とあまり出会うことなく、私の部屋からこの温室まで来たのと同じように。

そっと隣を伺えば、王太子殿下も笑顔でこちらを向かれていてどきりとした。
殿下のお顔を見ていられなくて、自分の顔を見られたくなくて、私は慌ててお辞儀をした。

「素晴らしい温室を見せていただき、ありがとうございます」

「少しは気が晴れたかな」

「…………え?」

「ずっと部屋で一人教育を受ける日々なんて、息が詰まっただろう?」

「―――――」

―――いつまでも《婚約者エミリア》を部屋に隠しているのは不自然だから。
だから外へと誘われたのだと思っていたのに。
私を心配して……それで、こうして連れ出してくださったの?

ずきりと胸が痛んだ。
私は服の下のペンダントをそっと押さえた。

「……いいえ。大丈夫です。ご心配をおかけしました」

「いいや、私が悪かった。息抜きは大切なのに。
ごめん。今後は教育のペースももっとゆっくりにしよう」

「――そんな。……あの……今まで通りで平気です」

「いいんだよ。教師たちからも言われたんだ。
君の基礎はもう十分で、今後の学びはもっとゆっくりで大丈夫だと。
だからこれからは生活を楽しんで」

「…………」


―――楽しんで?

胸が深くえぐられるように痛かった。
何故、王太子殿下が私にそんなことを言われるのかわからなかった。

私は
義姉《エミリア》様のような貴族のご令嬢ではない。
キャシーのように立派に働き自立している人間でもない。

身代わりなのに。
ただの、身代わりなのに―――――。

それも……もう……。


「―――リア?どうかした?」

「……いえ」

「そう?それでね。今日は、君に合わせたい人がいるんだ」

「え……合わせたい……人?」

「そう。いろいろ相談できる同性の友人がいると、君も心強いかと思ってね。
知っているかな。公爵令嬢のリリローズだよ。
ここへ呼んであるんだ」

「……リリローズ……様?」

「ああ。ほら、噂をすれば。来たね」

かしゃんとドアの開く軽い音がして、温室に人が入ってきた。

淡い金色の髪。榛色の瞳の、それは美しいご令嬢だった。
その後ろには侍女さんがひとり。

「リア。緊張しなくていい。
リリローズは私の従妹だ。気を遣うような性格の令嬢ではないよ」

思わず身体を引いた私の背を、王太子殿下が優しく止めた。
私ははっとして、お辞儀をしてご令嬢――リリローズ様を待った。
伏せた私の目線の先にリリローズ様のドレスが入ると、王太子殿下がおっしゃった。

「リリローズ。私の婚約者殿だ。知っているよね?」

「ええ、もちろん。存じておりますわ。
ジェベルム侯爵家のご令嬢《エミリア》様。
リリローズです。――初めまして」

「―――――」

「ジェベルム侯爵令嬢?どうしたの?」

「――申し訳ございません。
失礼な態度をとってしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。
寛大な御心に感謝いたします。
《初めまして》、リリローズ様。
ジェベルム侯爵家の長女、《エミリア》でございます」


これが正解でありますように。
私は頭を下げたまま目を閉じた。

初めまして、とリリローズ様は言われた。
でもリリローズ様と義姉《エミリア》様は初対面ではありえない。

リリローズ様は王太子殿下の婚約者候補筆頭だったと義姉《エミリア》様が言われていた。

それなら何度か……最低でも一度。
婚約者候補のご令嬢たちを集めて開かれたお茶会で、リリローズ様は義姉《エミリア》様に会っているはず。

それでも今、リリローズ様は私に「初めまして」と言われた。
嫌悪を隠そうともされない声色で。

きっとリリローズ様と義姉《エミリア》様は仲が悪かった。
それでリリローズ様は《貴女のことなど知らないわ》という嫌味で《初めまして》と言われたのだと思う。

だから私はリリローズ様の《初めまして》を《以前、貴女がしたことは忘れるわ》という好意ととって返事をした。

お二人の間に何があったのかはわからないけれど、何があったとしてもまず先に謝罪しなければいけないのは格下の侯爵家の令嬢――義姉《エミリア》様だから。

けれど。
……これでもっとリリローズ様を怒らせてしまったら……どうしよう……。

私はじっとリリローズ様のお返事を待った。


「――ちょっといい?」

リリローズ様がそう言われたので、恐る恐る顔を上げたのだけれど、その言葉は王太子殿下に向けられたものだったようだ。

リリローズ様は王太子殿下の腕を引くようにして少し離れた場所に移ると、小声で王太子殿下に何か言われた。
それを聞いた王太子殿下は笑った。
それは嬉しそうに。私が見たことのなかった笑顔で―――。

その後、戻ってこられたリリローズ様はにっこり笑っておっしゃった。


「これからどうぞよろしくね、エミリア様」


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