37 / 47
36 家令カーソンside
しおりを挟む長らく勤めたジェベルム侯爵家を辞めることにした。
当主がミゲル様から子息ジェイデン様に代わるタイミングでの私の申し出に、ミゲル様からは再三にわたり引き止められたが私の決心は変わらなかった。
最後の日。
見慣れた光景であるはずなのに、執務室の机についているミゲル様を目にするのはやはり感慨深いものがあった。
いつもの仕事着ではなく、私服で。
長く使い飴色になった鞄を足下に置き、私は最後の挨拶に臨んだ。
「お世話になりました」
「本当に辞めていってしまうのだな」
「はい」と私は答えた。
「若い家令となりますが、ガンナーには他家で勤めていた経験があります。
年季が入っただけの私よりも優秀ですよ。
新当主ジェイデン様の良き相談相手にもなってくれることでしょう」
そう。ガンナーであれば大丈夫だ。
私が見込んだ若者なのだ。
私が辞めた後の家令には是非彼を、とミゲル様に推薦した。
必ずジェベルム侯爵家を盛り上げていってくれるだろう。
王太子殿下の婚約者エミリア様の実家として、恥ずかしくないように。
「そうか……。お前がそう言うのなら安心だな」
自分に言い聞かせるように何度か頷いてから。
ミゲル様は私を見て「寂しくなるな」と呟いた。
私は頭を下げた。
「大変な時に我儘を言いまして、申し訳ございません」
「いや。いいんだ。
私が当主となる前から30年以上も、良く仕えてくれた。
礼を言う」
「痛み入ります」
ゆっくりと頭を上げミゲル様に向かい合えば、ミゲル様の髪には白いものがあった。
目尻には深いしわが。目の下にはくまがある。
―――歳をとられた。
そう思った。
歳をとったのは私も同じなのだが。
私は気になっていたことを聞いてみた。
「……奥様の反応はどうでしたか?」
「……残念ながら何も。変わらず微睡の中にいるようだ。
お前が助言してくれたように《ノーラ》と呼びかけてみたのだが……」
「……そうですか。ですが、まだ数回でしょう。
諦めるには早いです。
今の奥様には短く簡単な言葉の方が届きやすいだろうと医師も申しておりました。
愛称で呼びかけ続ければ、心を取り戻すのも早くなるはずです」
ミゲル様はふ、と疲れたように笑った。
「《どちらを呼んでいるの?》と叱られそうだがな」
「それでも良いではありませんか。
心を取り戻されるなら。そのきっかけが怒りでも」
「……そうだな」
「きっと戻られますよ。今は……そう。
少し眠っておられるだけです。
溜まっていた疲れが出たのでお休みを取られているのですよ。
毎晩、よく眠れるというお薬を差し上げておりましたが、それでも眠れはしなかったようでしたから」
「そうか。……ああ。そう考えることにするよ。
ありがとう、カーソン。礼を言う。子どもたちと、妻レオノーラの分も」
ミゲル様の目尻には光るものがあった。
私はにこりと微笑んで、深く頭を下げた。
「私も感謝しております。
私のような者を長くお側においていただき、ありがとうございました」
57
あなたにおすすめの小説
皇后マルティナの復讐が幕を開ける時[完]
風龍佳乃
恋愛
マルティナには初恋の人がいたが
王命により皇太子の元に嫁ぎ
無能と言われた夫を支えていた
ある日突然
皇帝になった夫が自分の元婚約者令嬢を
第2夫人迎えたのだった
マルティナは初恋の人である
第2皇子であった彼を新皇帝にするべく
動き出したのだった
マルティナは時間をかけながら
じっくりと王家を牛耳り
自分を蔑ろにした夫に三行半を突き付け
理想の人生を作り上げていく
あなたを忘れる魔法があれば
美緒
恋愛
乙女ゲームの攻略対象の婚約者として転生した私、ディアナ・クリストハルト。
ただ、ゲームの舞台は他国の為、ゲームには婚約者がいるという事でしか登場しない名前のないモブ。
私は、ゲームの強制力により、好きになった方を奪われるしかないのでしょうか――?
これは、「あなたを忘れる魔法があれば」をテーマに書いてみたものです――が、何か違うような??
R15、残酷描写ありは保険。乙女ゲーム要素も空気に近いです。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載してます
某国王家の結婚事情
小夏 礼
恋愛
ある国の王家三代の結婚にまつわるお話。
侯爵令嬢のエヴァリーナは幼い頃に王太子の婚約者に決まった。
王太子との仲は悪くなく、何も問題ないと思っていた。
しかし、ある日王太子から信じられない言葉を聞くことになる……。
誰も残らなかった物語
悠十
恋愛
アリシアはこの国の王太子の婚約者である。
しかし、彼との間には愛は無く、将来この国を共に治める同士であった。
そんなある日、王太子は愛する人を見付けた。
アリシアはそれを支援するために奔走するが、上手くいかず、とうとう冤罪を掛けられた。
「嗚呼、可哀そうに……」
彼女の最後の呟きは、誰に向けてのものだったのか。
その呟きは、誰に聞かれる事も無く、断頭台の露へと消えた。
婚約解消は君の方から
みなせ
恋愛
私、リオンは“真実の愛”を見つけてしまった。
しかし、私には産まれた時からの婚約者・ミアがいる。
私が愛するカレンに嫌がらせをするミアに、
嫌がらせをやめるよう呼び出したのに……
どうしてこうなったんだろう?
2020.2.17より、カレンの話を始めました。
小説家になろうさんにも掲載しています。
婚約者の心変わり? 〜愛する人ができて幸せになれると思っていました〜
冬野月子
恋愛
侯爵令嬢ルイーズは、婚約者であるジュノー大公国の太子アレクサンドが最近とある子爵令嬢と親しくしていることに悩んでいた。
そんなある時、ルイーズの乗った馬車が襲われてしまう。
死を覚悟した前に現れたのは婚約者とよく似た男で、彼に拐われたルイーズは……
貴方の運命になれなくて
豆狸
恋愛
運命の相手を見つめ続ける王太子ヨアニスの姿に、彼の婚約者であるスクリヴァ公爵令嬢リディアは身を引くことを決めた。
ところが婚約を解消した後で、ヨアニスの運命の相手プセマが毒に倒れ──
「……君がそんなに私を愛していたとは知らなかったよ」
「え?」
「プセマは毒で死んだよ。ああ、驚いたような顔をしなくてもいい。君は知っていたんだろう? プセマに毒を飲ませたのは君なんだから!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる