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番外編
10ー2 ネイトエンド 今ある幸せ
しおりを挟む侍女が手際よくお茶の用意をし終え、執務室を出ていくのを見送ってから
マティアスの父は独り言のように呟いた。
「変わったな。この屋敷は」
「そうですか?」
と、向かいに座るマティアスが言えば、彼の父は頷いた。
「うむ。6……いや、7年ぶりか。ここへ来たのは。
どこか明るくなった。
そういえば、お仕着せも変えたのだな」
「はい」
「品の良いデザインだな。そのせいか使用人たちも生き生きして見える。
よく細かなところに気が配れたな」
マティアスは思わず父から目を逸らした。
「いえ。それは……」
「スカーレット嬢か」
「はい」
「なるほど」
マティアスの父は静かにお茶を飲んだ。
「惜しかったな。あれほどのご令嬢を見つけておきながら。
結局別れを選ぶとは」
「すみません」
「責めているのではない。ただ惜しんでいるだけだ。
お前が本当に愛しいと思った女性だったのだろうに、と」
「――愛しい?」
「あちらのご領地までスカーレット嬢を追いかけて行ったのだ。
それほどに、想う女性だったということではないか」
「……ああ。そうですね。――今、気づきました」
「おかしな奴だな」
マティアスの父はカップを戻すと、ソファーに深く腰掛けた。
「ちょうど良い。
6年も経つのだから、もうはっきりと聞かせてもらっても良いだろう。
離婚の経緯を」
◆◇◆◇◆
マティアスの父は、息子がぽつぽつと話すのを黙って聞いていたが
すべてを聞き終わると呆れたように言った。
「何故、スカーレット嬢に《友人になろう》などと言った。
領地まで追いかけておきながら《やり直そう》と言わなかったのは何故だ。
愛していたのだろう?
どうして自分の心に従わなかった」
マティアスは
手に持っていたカップを戻した。
「……言おうと思っていたのです」
「ならば」
「ですが、私に向ける彼女の痛々しい微笑みを見て。
私は躊躇った。
彼女にそんな顔をさせているのは自分なのだと思うと怖くなった。
この先もずっと彼女にそんな顔をさせてしまうのではないかと。
それで
《やり直したい》とは言えなくなってしまった。
《友人になろう》と言うのがやっとだったのです……」
約6年前。
スカーレットと領地で向き合った時の、彼女の微笑みを見た時のように
マティアスは膝の上においていた手をぐっと握った。
「それでも、それは彼女を諦めた言葉ではなかった。
友人として付き合っていれば。
時間をかければ。
いつか彼女に、再び結婚の申し込みをすることを許される日が来るのではないかと思い、告げた言葉でした。
……けれど、駄目でした。
時間が経てば経つほど《私とやり直して欲しい》とは言えなくなった。
気づいてしまったのです。
彼女に相応しいのは……誰なのか」
「まさかそれで送り出したというのか。自分の執事を。彼女のところへ」
マティアスの父は信じられないというように言った。
「何故、そんなことを」
少しの沈黙の後。
マティアスは目を伏せ打ち明けた。
「――彼女を追って
あちらの領地まで行こうと言ったのはネイトなのです」
「何?」
「私は躊躇った。
会いに行ってもきっと迷惑だと……動こうとしなかった。
けれどネイトは違いました」
マティアスは小さく笑った。
「思えば、ずっとそうだった。
彼女と向き合い、話をしたのも
彼女を知ろうと手をつくしたのも
そして、彼女を領地まで追いかけたのもネイトだった。
ネイトは彼女を決して諦めなかった。
私は早々に、もう彼女とは駄目なのだと諦めてしまっていたのに……」
「彼は、お前の執事だったのだぞ。
それは全て主人であるお前のためだったのではないのか」
「ええ。そうだったのでしょう。
ネイトは私の為を思い、動いてくれていたのだと思います。
多分ネイトは気づいていなかった。
私より、自分の方が彼女にこだわっていたことにも。
そして、その理由にも」
マティアスの父は、息子の顔をじっと見つめた。
「……それでも。お前とてスカーレット嬢を想っていたのだろう?
お前がきちんと想いを告げていればいくらでも未来は変わったのではないのか。
スカーレット嬢の心はお前にあったのに」
「……私に?」
「そうだろう。
だから彼女は、お前の地位を見た自分を恥じたのだ。
―――いいや。
それ以前に、お前を想っていなければ
あの酷い結婚式の後でも、お前の顔を見るこの屋敷に居たりするものか」
「―――――」
気づいていたのなら
手にできたかもしれない幸せを思ったのかもしれない。
マティアスは膝の上でかたく手を握りしめた。
しかし
時間は戻らない。
一度きつく目を閉じてから
マティアスは言った。
「そうかもしれませんね。
ですが。
一度躊躇ってしまった私には……もうその勇気はなかった。
私では駄目だと。
ネイトといる方が彼女にとって幸せだと、
そうとしか思えなくなってしまったのです」
「…………」
「愚かな選択だったのかもしれない。
けれど、それで良かったのです。
彼女は今、ネイトと共にそれは幸せに暮らしているのですから」
「………マティアス……」
自分を見る父の渋い顔を見て
マティアスは笑った。
「そんな顔をしないでください。
確かに痛む心はありますが。
私は良かったと思っているのです。
なにせ素晴らしい友人夫妻ができたのですから」
「…………」
「この私を、生まれてくる子の名付け親にとまで望んでくれた。
一生の――いいえ。
次世代までの付き合いを望んでくれたのです。……十分です」
父に見つめられ、マティアスは照れた自分を隠すように言った。
「ああ。それに、もうひとつ良いことがありました。
こうして我が屋敷で父上と話すことができている」
これには父も笑った。
スカーレットの説得により、親子は少しずつ絶縁を解消していった。
初めは王都の父母の屋敷をマティアスが短時間訪ねるところから始まり、次に領地に建てた父母の屋敷。
その後、爵位を継いだ兄の屋敷を訪ねる許可が出たところでマティアスはようやく親戚からも親族として扱われるようになった。
そして今。
父がマティアスの屋敷を訪ねるほどの仲になっている。
「妻と執事を失ったお前がどうやっているのか見にきたのだ。
……だが。驚いたな」
「は?」
「兄が妻を迎え、継いだ屋敷にいるのは居心地が悪かろうと、お前にも爵位と領地を与えて独立させたが。
正直、不安だった。
様子は聞いて知っているつもりだったが。
お前が、ここまで良くやっているとは思わなかった」
「―――」
「陛下に進言した《女性にも爵位と領地を持つ権利》も認められ、法が改正されるのだろう?
見直したぞ、マティアス」
マティアスの父はそう言って微笑んだ。
目尻の皺がその微笑みをより穏やかに見せている。
それはマティアスが初めて父に手放しで褒められた瞬間だった。
マティアスは
潤んだ目を隠すように急いで頭を下げた。
「……ありがとうございます」
マティアスの父は言った。
「ああ、だが執事は雇えよ。
いつまでも私の執事を貸しておくわけにはいかないぞ。
妻の方はお前の好きにすれば良いがな」
マティアスは笑いながら幸せを噛みしめていた。
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