久遠のプロメッサ 第二部 誓約の九重奏

日ノ島 陽

文字の大きさ
29 / 89
2章 誰が為の蛇

1 次期王からのお呼び出し

しおりを挟む
 シアルワ城は広い。古い歴史を持つ国だけあって城の増改築も数え切れないほど繰り返されている。そのため少しばかり構造が複雑だったりする。
 ソフィアはため息をついた。正直に言ってしまえば、迷子になっていた。
 シアルワ城に足を踏み入れたのは二度目だ。しかし覚えられないものは覚えられない。忙しなく働いている使用人たちに話しかけるのもなんだか気が引ける。

 リトレでの一件から、ソフィアはシアルワ城にしばらく寝泊まりすることになった。外で意識を失い暴走してしまうのは大変だから、と聞かされている。要するに幽閉同然である。しかし暮らし自体に不自由はなく、扱いは客人として丁重なものである。穏やかな日々が続くせいか、今のところ嫌な夢を見ることも自我を失い暴走することもない。

「あ、ソフィア」

 そこへぴょこぴょこと白金の長髪を揺らしながら歩く少女が通りかかった。彼女は翡翠の目をぱちりと瞬き、ソフィアに声を掛けた。

「あら、シャルロット。どうしてここに?」
「この先にルシオラお兄ちゃんがいるから。お見舞いに」

 少女シャルロットの答えを聞いてソフィアは自分がどのあたりにいるのかを把握する。
 彼女の兄ルシオラは現在、シアルワ城の一室に泊まっている。というよりは捕らわれている。
 ラエティティア王国の街リトレでルシオラは事故に巻き込まれたらしい。崖から転落した彼は、間一髪間に合ったシャルロットの力により大きな怪我をすることなく事なきを得て、それからシアルワ城に連行された。
 何故隣国が指名手配した罪人である彼がシアルワ城の一室にいるのか。それは、次期シアルワ王フェリクスとラエティティア女王シエルの協議の結果である。ルシオラの妹シャルロットと弟セラフィの懇願もあり、フェリクスは条件付きでルシオラを客室に幽閉することを許可したのだ。シアルワ王国としても聞き出したいことは沢山あったのだろう。この国でやるべきことが終わったらラエティティア王国へと移送されると決まっているらしい。そのおかげで彼の脚には枷が取り付けられ、客室から出られない状況である。それでも彼の罪を考えれば破格の対応だろうとソフィアは思う。

「そう。彼の様子は?」
「ここひと月くらい、セラフィお兄ちゃんと毎日話をしに行ってるの。元気そうだったよ。精霊への復讐を諦めて貰うにはまだ時間がかかりそうだけど……」
「でも、今回の件は彼にとっても良い刺激になったんじゃないかしら。彼なりに考えていると思うわ」
「うん。そうだと信じてる」

 ひと月前、リトレの祭祀遺跡――実際には神子の神殿だった――にて、情報屋カラスによる家族愛を彼は目の当たりにしたはずである。家族を引き裂かれたが故に復讐に走ったのだというルシオラにとって、残った弟妹と離別してまで行動することに対して迷いが生じたのではなかろうか。
 シャルロットも長兄が良い方向へ進んでくれることを期待しているらしく、にこにこと微笑んだ。

「ソフィアはどうしてここに?」
「……」
「もしかして、迷子だったり……」
「違うわ、断じて違う。絶対ないわ」
「ふふ、冗談のつもりだったのに分かりやすいね。あ、そうだ。フェリクス様がソフィアのこと呼んでいたよ」

 シャルロットは苦笑して廊下の先を指さした。

「この先真っ直ぐいけば大聖堂に出られるよ。そこにセラフィお兄ちゃんがいるから、道を聞けば案内してくれると思う」
「あの王子が私に? 行ってみるわ、ありがとう」
「うん。それじゃあね」


***


 この世界に国に認められた宗教は存在しないものの、世界を愛したという女神に敬意を表すための教会は各地に存在する。この巨大な大聖堂も女神に感謝の祈りを捧げる場である。王族の結婚式を行う場でもあり、その際は人々で埋め尽くされるのだという。
 一国の城らしく円形の大聖堂は繊細なステンドグラスで飾られ、陽光を彩りつつ光の紗幕を垂らしている。
 その最奥。女神を模した石像の横で二人の人間が話をしている様をソフィアは目撃する。
 一人は目当ての青年、結い上げた艶やかな黒髪と赤銅色の騎士服を纏ったセラフィ。一人は夜空色の髪を黒いレースの髪飾りでまとめ、純白と紺を基調とした衣装を身に纏った女性ミセリアである。ソフィアの記憶とは異なり、今の彼女は元の美貌も相まって貴族らしく見える。実際はそういうわけではないのだが。

「なるほど。ふふ、僕はそうなると思っていました! もちろん最初からね!」
「嘘つけ。最初は私を大層警戒してくれていたじゃないか」
「えーだってミセリアだって殿下をね……。まぁそれはともかく、おめでとうございます」
「お前にも感謝している」
「こちらこそ。……あ、ソフィア」

 ソフィアに気がついたセラフィが片手を挙げて彼女に挨拶をする。振り向いたミセリアも軽く会釈をする。
 ソフィアはなんだか二人の会話を邪魔したような気がして居心地が悪かったのだが、パッと切り替えたセラフィにより話の流れが変わる。

「ちょうど捜していたんだ。殿下がお呼びでね……そういえばいつまで殿下ってお呼びしたら良いんだろう……」
「戴冠するまでそれでいいんじゃないか。……そろそろ時間だ、私はここで失礼する。それじゃあな」
「はーいミセリアも頑張ってくださいね~」

 その場を去るミセリアにソフィアも会釈をする。それに応えつつ、夜空色の髪の美しき妃候補筆頭は足早に大聖堂を後にした。城に来てから様々な勉強をしたのだろう、仕草に品が増えてきているような気がする。
 そんなことを考えつつソフィアも思考を切り替える。彼女が大聖堂を訪れた目的はセラフィである。

「それで? 次期王が私に何の用なのかしらね」
「僕もまだ聞いてないよ。とにかく殿下のところに行こうか」

 カラカラ笑い、セラフィはゆっくり歩き出す。ちら、と振り返り手招きを一回。ソフィアはそれに着いていく。

「案内を頼むわ」
「お任せを」

 迷いなく進むセラフィの一歩後ろをソフィアは歩く。城で働き始めて随分と経つ彼はもちろん城の構造を把握しているようで、あちこちを紹介しつつソフィアの様子を窺っているようだった。彼の話は案外面白く、相槌を打ちながら微笑むことも多かった。
 しばらく廊下を進み、螺旋階段を上り、高い位置にある一室の前へと辿り着く。
 コンコンコン、と軽くノックをすると「どうぞ」と部屋の主から返ってくる。

「失礼します、殿下。ソフィアを連れてきました」
「うん、ありがとう」

 セラフィが扉を開けた先はシアルワの次期王フェリクスの執務室だ。穏やかな陽光が温かいその部屋は、大して広くはないもののきちんと整理され機能的であるように見える。
 ソフィアはフェリクスとの初対面で少しばかり脳天気な少年だと感じたのだが、実際の彼はそういうわけではないらしい。自分の浅はかな第一印象を改め、心の中でこっそり謝る。

「そこのソファに掛けて待ってて。もう少しで書類処理が終わりそうだから」
「分かったわ」
「それじゃあ僕、お茶でも淹れてきますね。先日シェキナが新しい茶葉を手に入れたとウキウキしていたので、それでも開けましょうか」
「ありがとう」

 ソフィアが柔らかなソファに腰掛ける頃にはフェリクスの意識は書類へと戻り、何やら真剣な眼差しで読み進め、時に文字を素早く書き込む。サインでもしているのだろうか。
 数分ぼんやりと待っていると、セラフィがティーセットを持って戻ってきた。甘くも爽やかな香りが漂っている。慣れた手つきで三人分のティーカップに紅茶を注ぎ、彼は主の許可なくソフィアの横に腰掛ける。それと同時に仕事にきりを付けたのか、フェリクスはペンを置いて一回伸びをする。あくびが漏れた様子は年相応のようにも見える。
 フェリクスは向かいの一人がけのソファに優雅に座り、紅茶を一口含んだ。

「美味しい。流石セラフィ。……待たせたね」
「いえ、別に。それで話というのは?」
「あぁ、うん。ソフィアとセラフィに行って貰いたいところがあってさ。そのお願いをしようかと思って呼んだんだ。城に長いこといても退屈だろ? 気分転換にもなると思って」

 カップをソーサーに置き、フェリクスは一枚の紙をローテーブルに置く。

「二人はさ、こんな噂を聞いたことある?」
「噂?」
「そう。最近シャーンスで広がっているらしくてね。その噂って言うのが……」

 フェリクスは一呼吸おき、その内容を口にした。

「“ある村に、あらゆる人を救ってくれる手が存在する”っていうものらしいよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

誰からも食べられずに捨てられたおからクッキーは異世界転生して肥満令嬢を幸福へ導く!

ariya
ファンタジー
誰にも食べられずゴミ箱に捨てられた「おからクッキー」は、異世界で150kgの絶望令嬢・ロザリンドと出会う。 転生チートを武器に、88kgの減量を導く! 婚約破棄され「豚令嬢」と罵られたロザリンドは、 クッキーの叱咤と分裂で空腹を乗り越え、 薔薇のように美しく咲き変わる。 舞踏会での王太子へのスカッとする一撃、 父との涙の再会、 そして最後の別れ―― 「僕を食べてくれて、ありがとう」 捨てられた一枚が紡いだ、奇跡のダイエット革命! ※カクヨム・小説家になろうでも同時掲載中 ※表紙イラストはAIに作成していただきました。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

処理中です...