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2章 誰が為の蛇
1 次期王からのお呼び出し
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シアルワ城は広い。古い歴史を持つ国だけあって城の増改築も数え切れないほど繰り返されている。そのため少しばかり構造が複雑だったりする。
ソフィアはため息をついた。正直に言ってしまえば、迷子になっていた。
シアルワ城に足を踏み入れたのは二度目だ。しかし覚えられないものは覚えられない。忙しなく働いている使用人たちに話しかけるのもなんだか気が引ける。
リトレでの一件から、ソフィアはシアルワ城にしばらく寝泊まりすることになった。外で意識を失い暴走してしまうのは大変だから、と聞かされている。要するに幽閉同然である。しかし暮らし自体に不自由はなく、扱いは客人として丁重なものである。穏やかな日々が続くせいか、今のところ嫌な夢を見ることも自我を失い暴走することもない。
「あ、ソフィア」
そこへぴょこぴょこと白金の長髪を揺らしながら歩く少女が通りかかった。彼女は翡翠の目をぱちりと瞬き、ソフィアに声を掛けた。
「あら、シャルロット。どうしてここに?」
「この先にルシオラお兄ちゃんがいるから。お見舞いに」
少女シャルロットの答えを聞いてソフィアは自分がどのあたりにいるのかを把握する。
彼女の兄ルシオラは現在、シアルワ城の一室に泊まっている。というよりは捕らわれている。
ラエティティア王国の街リトレでルシオラは事故に巻き込まれたらしい。崖から転落した彼は、間一髪間に合ったシャルロットの力により大きな怪我をすることなく事なきを得て、それからシアルワ城に連行された。
何故隣国が指名手配した罪人である彼がシアルワ城の一室にいるのか。それは、次期シアルワ王フェリクスとラエティティア女王シエルの協議の結果である。ルシオラの妹シャルロットと弟セラフィの懇願もあり、フェリクスは条件付きでルシオラを客室に幽閉することを許可したのだ。シアルワ王国としても聞き出したいことは沢山あったのだろう。この国でやるべきことが終わったらラエティティア王国へと移送されると決まっているらしい。そのおかげで彼の脚には枷が取り付けられ、客室から出られない状況である。それでも彼の罪を考えれば破格の対応だろうとソフィアは思う。
「そう。彼の様子は?」
「ここひと月くらい、セラフィお兄ちゃんと毎日話をしに行ってるの。元気そうだったよ。精霊への復讐を諦めて貰うにはまだ時間がかかりそうだけど……」
「でも、今回の件は彼にとっても良い刺激になったんじゃないかしら。彼なりに考えていると思うわ」
「うん。そうだと信じてる」
ひと月前、リトレの祭祀遺跡――実際には神子の神殿だった――にて、情報屋カラスによる家族愛を彼は目の当たりにしたはずである。家族を引き裂かれたが故に復讐に走ったのだというルシオラにとって、残った弟妹と離別してまで行動することに対して迷いが生じたのではなかろうか。
シャルロットも長兄が良い方向へ進んでくれることを期待しているらしく、にこにこと微笑んだ。
「ソフィアはどうしてここに?」
「……」
「もしかして、迷子だったり……」
「違うわ、断じて違う。絶対ないわ」
「ふふ、冗談のつもりだったのに分かりやすいね。あ、そうだ。フェリクス様がソフィアのこと呼んでいたよ」
シャルロットは苦笑して廊下の先を指さした。
「この先真っ直ぐいけば大聖堂に出られるよ。そこにセラフィお兄ちゃんがいるから、道を聞けば案内してくれると思う」
「あの王子が私に? 行ってみるわ、ありがとう」
「うん。それじゃあね」
***
この世界に国に認められた宗教は存在しないものの、世界を愛したという女神に敬意を表すための教会は各地に存在する。この巨大な大聖堂も女神に感謝の祈りを捧げる場である。王族の結婚式を行う場でもあり、その際は人々で埋め尽くされるのだという。
一国の城らしく円形の大聖堂は繊細なステンドグラスで飾られ、陽光を彩りつつ光の紗幕を垂らしている。
その最奥。女神を模した石像の横で二人の人間が話をしている様をソフィアは目撃する。
一人は目当ての青年、結い上げた艶やかな黒髪と赤銅色の騎士服を纏ったセラフィ。一人は夜空色の髪を黒いレースの髪飾りでまとめ、純白と紺を基調とした衣装を身に纏った女性ミセリアである。ソフィアの記憶とは異なり、今の彼女は元の美貌も相まって貴族らしく見える。実際はそういうわけではないのだが。
「なるほど。ふふ、僕はそうなると思っていました! もちろん最初からね!」
「嘘つけ。最初は私を大層警戒してくれていたじゃないか」
「えーだってミセリアだって殿下をね……。まぁそれはともかく、おめでとうございます」
「お前にも感謝している」
「こちらこそ。……あ、ソフィア」
ソフィアに気がついたセラフィが片手を挙げて彼女に挨拶をする。振り向いたミセリアも軽く会釈をする。
ソフィアはなんだか二人の会話を邪魔したような気がして居心地が悪かったのだが、パッと切り替えたセラフィにより話の流れが変わる。
「ちょうど捜していたんだ。殿下がお呼びでね……そういえばいつまで殿下ってお呼びしたら良いんだろう……」
「戴冠するまでそれでいいんじゃないか。……そろそろ時間だ、私はここで失礼する。それじゃあな」
「はーいミセリアも頑張ってくださいね~」
その場を去るミセリアにソフィアも会釈をする。それに応えつつ、夜空色の髪の美しき妃候補筆頭は足早に大聖堂を後にした。城に来てから様々な勉強をしたのだろう、仕草に品が増えてきているような気がする。
そんなことを考えつつソフィアも思考を切り替える。彼女が大聖堂を訪れた目的はセラフィである。
「それで? 次期王が私に何の用なのかしらね」
「僕もまだ聞いてないよ。とにかく殿下のところに行こうか」
カラカラ笑い、セラフィはゆっくり歩き出す。ちら、と振り返り手招きを一回。ソフィアはそれに着いていく。
「案内を頼むわ」
「お任せを」
迷いなく進むセラフィの一歩後ろをソフィアは歩く。城で働き始めて随分と経つ彼はもちろん城の構造を把握しているようで、あちこちを紹介しつつソフィアの様子を窺っているようだった。彼の話は案外面白く、相槌を打ちながら微笑むことも多かった。
しばらく廊下を進み、螺旋階段を上り、高い位置にある一室の前へと辿り着く。
コンコンコン、と軽くノックをすると「どうぞ」と部屋の主から返ってくる。
「失礼します、殿下。ソフィアを連れてきました」
「うん、ありがとう」
セラフィが扉を開けた先はシアルワの次期王フェリクスの執務室だ。穏やかな陽光が温かいその部屋は、大して広くはないもののきちんと整理され機能的であるように見える。
ソフィアはフェリクスとの初対面で少しばかり脳天気な少年だと感じたのだが、実際の彼はそういうわけではないらしい。自分の浅はかな第一印象を改め、心の中でこっそり謝る。
「そこのソファに掛けて待ってて。もう少しで書類処理が終わりそうだから」
「分かったわ」
「それじゃあ僕、お茶でも淹れてきますね。先日シェキナが新しい茶葉を手に入れたとウキウキしていたので、それでも開けましょうか」
「ありがとう」
ソフィアが柔らかなソファに腰掛ける頃にはフェリクスの意識は書類へと戻り、何やら真剣な眼差しで読み進め、時に文字を素早く書き込む。サインでもしているのだろうか。
数分ぼんやりと待っていると、セラフィがティーセットを持って戻ってきた。甘くも爽やかな香りが漂っている。慣れた手つきで三人分のティーカップに紅茶を注ぎ、彼は主の許可なくソフィアの横に腰掛ける。それと同時に仕事にきりを付けたのか、フェリクスはペンを置いて一回伸びをする。あくびが漏れた様子は年相応のようにも見える。
フェリクスは向かいの一人がけのソファに優雅に座り、紅茶を一口含んだ。
「美味しい。流石セラフィ。……待たせたね」
「いえ、別に。それで話というのは?」
「あぁ、うん。ソフィアとセラフィに行って貰いたいところがあってさ。そのお願いをしようかと思って呼んだんだ。城に長いこといても退屈だろ? 気分転換にもなると思って」
カップをソーサーに置き、フェリクスは一枚の紙をローテーブルに置く。
「二人はさ、こんな噂を聞いたことある?」
「噂?」
「そう。最近シャーンスで広がっているらしくてね。その噂って言うのが……」
フェリクスは一呼吸おき、その内容を口にした。
「“ある村に、あらゆる人を救ってくれる手が存在する”っていうものらしいよ」
ソフィアはため息をついた。正直に言ってしまえば、迷子になっていた。
シアルワ城に足を踏み入れたのは二度目だ。しかし覚えられないものは覚えられない。忙しなく働いている使用人たちに話しかけるのもなんだか気が引ける。
リトレでの一件から、ソフィアはシアルワ城にしばらく寝泊まりすることになった。外で意識を失い暴走してしまうのは大変だから、と聞かされている。要するに幽閉同然である。しかし暮らし自体に不自由はなく、扱いは客人として丁重なものである。穏やかな日々が続くせいか、今のところ嫌な夢を見ることも自我を失い暴走することもない。
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そこへぴょこぴょこと白金の長髪を揺らしながら歩く少女が通りかかった。彼女は翡翠の目をぱちりと瞬き、ソフィアに声を掛けた。
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ラエティティア王国の街リトレでルシオラは事故に巻き込まれたらしい。崖から転落した彼は、間一髪間に合ったシャルロットの力により大きな怪我をすることなく事なきを得て、それからシアルワ城に連行された。
何故隣国が指名手配した罪人である彼がシアルワ城の一室にいるのか。それは、次期シアルワ王フェリクスとラエティティア女王シエルの協議の結果である。ルシオラの妹シャルロットと弟セラフィの懇願もあり、フェリクスは条件付きでルシオラを客室に幽閉することを許可したのだ。シアルワ王国としても聞き出したいことは沢山あったのだろう。この国でやるべきことが終わったらラエティティア王国へと移送されると決まっているらしい。そのおかげで彼の脚には枷が取り付けられ、客室から出られない状況である。それでも彼の罪を考えれば破格の対応だろうとソフィアは思う。
「そう。彼の様子は?」
「ここひと月くらい、セラフィお兄ちゃんと毎日話をしに行ってるの。元気そうだったよ。精霊への復讐を諦めて貰うにはまだ時間がかかりそうだけど……」
「でも、今回の件は彼にとっても良い刺激になったんじゃないかしら。彼なりに考えていると思うわ」
「うん。そうだと信じてる」
ひと月前、リトレの祭祀遺跡――実際には神子の神殿だった――にて、情報屋カラスによる家族愛を彼は目の当たりにしたはずである。家族を引き裂かれたが故に復讐に走ったのだというルシオラにとって、残った弟妹と離別してまで行動することに対して迷いが生じたのではなかろうか。
シャルロットも長兄が良い方向へ進んでくれることを期待しているらしく、にこにこと微笑んだ。
「ソフィアはどうしてここに?」
「……」
「もしかして、迷子だったり……」
「違うわ、断じて違う。絶対ないわ」
「ふふ、冗談のつもりだったのに分かりやすいね。あ、そうだ。フェリクス様がソフィアのこと呼んでいたよ」
シャルロットは苦笑して廊下の先を指さした。
「この先真っ直ぐいけば大聖堂に出られるよ。そこにセラフィお兄ちゃんがいるから、道を聞けば案内してくれると思う」
「あの王子が私に? 行ってみるわ、ありがとう」
「うん。それじゃあね」
***
この世界に国に認められた宗教は存在しないものの、世界を愛したという女神に敬意を表すための教会は各地に存在する。この巨大な大聖堂も女神に感謝の祈りを捧げる場である。王族の結婚式を行う場でもあり、その際は人々で埋め尽くされるのだという。
一国の城らしく円形の大聖堂は繊細なステンドグラスで飾られ、陽光を彩りつつ光の紗幕を垂らしている。
その最奥。女神を模した石像の横で二人の人間が話をしている様をソフィアは目撃する。
一人は目当ての青年、結い上げた艶やかな黒髪と赤銅色の騎士服を纏ったセラフィ。一人は夜空色の髪を黒いレースの髪飾りでまとめ、純白と紺を基調とした衣装を身に纏った女性ミセリアである。ソフィアの記憶とは異なり、今の彼女は元の美貌も相まって貴族らしく見える。実際はそういうわけではないのだが。
「なるほど。ふふ、僕はそうなると思っていました! もちろん最初からね!」
「嘘つけ。最初は私を大層警戒してくれていたじゃないか」
「えーだってミセリアだって殿下をね……。まぁそれはともかく、おめでとうございます」
「お前にも感謝している」
「こちらこそ。……あ、ソフィア」
ソフィアに気がついたセラフィが片手を挙げて彼女に挨拶をする。振り向いたミセリアも軽く会釈をする。
ソフィアはなんだか二人の会話を邪魔したような気がして居心地が悪かったのだが、パッと切り替えたセラフィにより話の流れが変わる。
「ちょうど捜していたんだ。殿下がお呼びでね……そういえばいつまで殿下ってお呼びしたら良いんだろう……」
「戴冠するまでそれでいいんじゃないか。……そろそろ時間だ、私はここで失礼する。それじゃあな」
「はーいミセリアも頑張ってくださいね~」
その場を去るミセリアにソフィアも会釈をする。それに応えつつ、夜空色の髪の美しき妃候補筆頭は足早に大聖堂を後にした。城に来てから様々な勉強をしたのだろう、仕草に品が増えてきているような気がする。
そんなことを考えつつソフィアも思考を切り替える。彼女が大聖堂を訪れた目的はセラフィである。
「それで? 次期王が私に何の用なのかしらね」
「僕もまだ聞いてないよ。とにかく殿下のところに行こうか」
カラカラ笑い、セラフィはゆっくり歩き出す。ちら、と振り返り手招きを一回。ソフィアはそれに着いていく。
「案内を頼むわ」
「お任せを」
迷いなく進むセラフィの一歩後ろをソフィアは歩く。城で働き始めて随分と経つ彼はもちろん城の構造を把握しているようで、あちこちを紹介しつつソフィアの様子を窺っているようだった。彼の話は案外面白く、相槌を打ちながら微笑むことも多かった。
しばらく廊下を進み、螺旋階段を上り、高い位置にある一室の前へと辿り着く。
コンコンコン、と軽くノックをすると「どうぞ」と部屋の主から返ってくる。
「失礼します、殿下。ソフィアを連れてきました」
「うん、ありがとう」
セラフィが扉を開けた先はシアルワの次期王フェリクスの執務室だ。穏やかな陽光が温かいその部屋は、大して広くはないもののきちんと整理され機能的であるように見える。
ソフィアはフェリクスとの初対面で少しばかり脳天気な少年だと感じたのだが、実際の彼はそういうわけではないらしい。自分の浅はかな第一印象を改め、心の中でこっそり謝る。
「そこのソファに掛けて待ってて。もう少しで書類処理が終わりそうだから」
「分かったわ」
「それじゃあ僕、お茶でも淹れてきますね。先日シェキナが新しい茶葉を手に入れたとウキウキしていたので、それでも開けましょうか」
「ありがとう」
ソフィアが柔らかなソファに腰掛ける頃にはフェリクスの意識は書類へと戻り、何やら真剣な眼差しで読み進め、時に文字を素早く書き込む。サインでもしているのだろうか。
数分ぼんやりと待っていると、セラフィがティーセットを持って戻ってきた。甘くも爽やかな香りが漂っている。慣れた手つきで三人分のティーカップに紅茶を注ぎ、彼は主の許可なくソフィアの横に腰掛ける。それと同時に仕事にきりを付けたのか、フェリクスはペンを置いて一回伸びをする。あくびが漏れた様子は年相応のようにも見える。
フェリクスは向かいの一人がけのソファに優雅に座り、紅茶を一口含んだ。
「美味しい。流石セラフィ。……待たせたね」
「いえ、別に。それで話というのは?」
「あぁ、うん。ソフィアとセラフィに行って貰いたいところがあってさ。そのお願いをしようかと思って呼んだんだ。城に長いこといても退屈だろ? 気分転換にもなると思って」
カップをソーサーに置き、フェリクスは一枚の紙をローテーブルに置く。
「二人はさ、こんな噂を聞いたことある?」
「噂?」
「そう。最近シャーンスで広がっているらしくてね。その噂って言うのが……」
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