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3章 紅炎の巫覡

13 兄妹水入らず

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 長い旅路を経てシャーンスに戻り、穏やかな気候を肌で感じる。季節は冬だが、ニクスに比べれば天と地ほどの気温差がある。
 慣れた空気を吸い込めば、いつの間にか身体に入っていた力が抜けていった。
 ソフィアは城の一室で、頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。城から街まではそれなりに距離があるため様子を窺うことは出来ないのだが、浮ついた雰囲気くらいは伝わってくる。

 ミセリアが聖火を持って帰ってから、街も城もずっとこんな感じだ。
 ソフィアが仲間達のあれこれに首を突っ込んでいる間に、彼女はフェリクスのパートナーとしての地盤を着実に固めていたようだ。城で働く従者たちのざわつき具合からそう判断する。

 明日。
 あの二人は結婚する。戴冠式も同時に兼ねるとのことで、シアルワ王国にとって大きな節目となる日になるだろう。
 今まで王族はなるべく血を薄めないように、と慎重に慎重を重ねて結婚を検討してきたそうだ。神子の血筋を守るためだろうが――突然現れた一般人の女性が王族の、しかもフェリクスのパートナーとして名乗りを上げたのだ。周りが驚くのも無理はない。
 今夜は前夜祭だ。とはいいつつ、昼間でも露店や旅芸人の舞台は賑わっている。
 そんな中、ソフィアは部屋で一人座って居る。

「ソフィア、いる?」

 声に振り向けば、黒髪を背に流した赤い騎士が立っている。といっても、格好はラフなものだ。明日はフェリクスたちの警護にあたるだろうから、今日はその分の休みだと聞いていた。
 にこ、と微笑んだ彼――セラフィはソフィアの腰掛ける椅子の側までやってきた。

「……街へはいかないの?」
「これから行くよ。だけど、その前に話があってさ」
「話?」
「そう」

 話とはなんだろうか。ソフィアには想像が付かない。
 様々な思惑を孕んで淡く光る翡翠の視線を、彼女は真っ直ぐに受け止めながら言葉を待った。窓から差し込む陽光が、じりじりと背を焼くかのようで……僅かな沈黙の時間に居心地の悪さを覚える。
 セラフィは大きく深呼吸をして、意を決したように口を開いた。

「ソフィア、僕は君を――」
「あ、セラフィお兄ちゃんここにいたの? お祭り行かない?」

 開けっぱなしだった扉の向こうから覗く白金の髪の少女の声が、二人の間に流れる緊張感を打ち砕いた。
 彼女の後ろにはルシオラの姿がある。
 シャルロットは微妙な空気が生まれたことを察すると、すごすごと引き下がろうとする。

「……ごめんね、邪魔しちゃったね」
「あ、え、ちが」
「セラフィ、話ならまた後で出来るわ。せっかくの祭りなのだし、兄妹三人で楽しんできたらどう? 兄妹で出かけるのは初めてでしょう」

 ルシオラがここにいるということは、フェリクスからの外出許可が下りたということだ。それに、この兄妹は少し前まで生き別れの状態になっていたのが奇跡の再会を果たしている。
 再会してからも色々な事件があったりして、水入らずの時間を過ごせていないはずだった。今日くらいは、しがらみを忘れて過ごしても良いはずだ。

「ソフィア」
「私は良いから。さぁ、行ってきて。明日は忙しいのでしょう?」
「……分かった。それじゃ、また後で」


***


「ごめんね、ほんとにごめんね」
「だから違うんだってぇ……えぇと、伝言があっただけで……」
「青春か。良いことだ」
「兄さんいくつなの。貫禄ある父親か」

 あれから街に出た兄妹三人だが、しばらくの間はからかわれ――いや、勘違いの上で謝られたり心配されたりし続けていた。
 可愛い妹を小突くことはできないため、代わりに兄の背を叩いておく。思ったより力が入ってしまったのか、長身がよろめいてしまうが反省はしない。

 街は人々であふれかえっている。シャーンスの住民だけでなく、他の地域からやってきた人間も多いのだろう。白い石造りの壁と赤い屋根が瀟洒な大通りは、花や手作りのガーランドで飾り立てられており、眺めるだけでも楽しい空間と化していた。
 半年ほど前、フェリクスの誕生祭が行われた日よりも華やかで、喜びに満ちているような気がする。あの時は主役であるはずのフェリクスが暗殺事件に巻き込まれ、しばらく行方をくらますという事態に陥ってしまい大変だった記憶がある。
 その彼がまさかのパートナーを見つけて戻ってくるという。元々慕われていた王子だ、民の喜びも大きい。

 その中を再会できた兄と妹と三人で歩くことは、はっきり言ってしまえば幸せの一言に尽きる。
 それこそ再会する前は二人とも死んでしまったと思い込んでいたのだ。
 フェリクスを探す中、辛うじて覚えていた妹の名と同じ名を持つ少女と出会い、自分と同じ色の瞳に既視感を覚え――彼女が兄だという男の名は、なんと自分の兄の名と同じではないか。そこから少女が自分の妹で、実は生きていたのではないかと思うようになり……ラエティティアでルシオラの顔を見た瞬間、全てを確信した。
 親は死んでしまったが、血を分けた兄妹は生きていたのだと。実に十六年ぶりの邂逅だった。

「あ、あそこで似顔絵描いてもらえるんだって。行ってみようよ」

 シャルロットの指さす先には、サイズこそあまり大きくはないが、一枚一枚が丁寧に描かれた絵が所狭しと並ぶ露店がある。店主は道行く人をぼんやりと眺めては筆を動かしていた。

「すみません、私たちの似顔絵を描いてくれませんか?」

 兄二人の手をとって露店に向かうシャルロットは、笑顔を輝かせて店主に声をかけた。

「いらっしゃい。おや、兄妹ですかな」
「そうなんです。私たち三人揃った絵をお願いしたくて」
「もちろんですとも」

 流れるようにやりとりは進み、セラフィとルシオラはシャルロットを挟むように寄り添う形になる。シャルロットが兄二人の腕を抱え込むような、そんな格好だ。
 しばらくその格好でいると、店主が満足そうに頷いて色紙を一枚差し出してきた。
 なるほど店主の腕は確かだったらしく、そこに描かれた似顔絵は兄妹そっくりだった。満面の笑みを浮かべるシャルロットと、緊張気味のセラフィ、ぎこちなくも確かに口元が緩んでいるルシオラ。どこから見ても幸せそうな三人がそこにいる。

「わぁ、ありがとう! 大事にします! お代を……」
「いいよいいよ、ここ最近で一番いい顔を描かせて貰えたから。このめでたい日だ、その分のお金で美味しい物でも買って三人でお食べなさい」
「でも……」
「お嬢さん可愛いからおまけだと思っておくれ」

 眉を寄せたシャルロットの肩にルシオラが手を添える。

「有り難く受け取ろう、シャルロット。……感謝する」
「あ、ありがとうございます」


***


 屋台で買った昼食を食べ終え、広場の隅に並べられたテーブル席に腰掛けたシャルロットは描いて貰った似顔絵をずっと眺めている。
 コーヒーを飲んでいたルシオラは今までに見たことがないほどに穏やかに笑んだ。

「嬉しそうだな」
「うん。こういうの、小さい時からの夢だったから。……これ、宝物にしようっと」
「……これまでお前を一人にしていたことも多かったから。すまない」
「ルシオラお兄ちゃんがやってきたことは良いよって言ってあげられない。それはごめんね。でも、夢が叶って良かった」

 話を聞くに、シャルロットは幼い時からひとりぼっちで過ごすことも多かったらしい。ルシオラが研究――人体実験も含む――のために、各地に出回っていたからだ。
 こんなに笑顔の可愛い妹に寂しい思いをさせていたのか、とルシオラを睨み付けてやれば、彼は気まずそうにコーヒーをすする。

「……また今度、夜華祭りがあるだろう。その時はまた一緒に行こう」
「それ、いいね! 今度はレイやソフィアも一緒にだね」
「人数増えるなぁ」
「その方が賑やかで楽しいよ、きっと」

 件の二人だが、城に残って式の準備を手伝うとのことだ。
 兄妹だけで過ごせるよう取り計らってくれた可能性が高いだろう。心の中で感謝の念を送っておく。

「さ、次はどこ行こうか? レイ君にでもプレゼント用意する?」
「ほぇ。そ、それを言うならソフィアにも、だよ。ね? セラフィお兄ちゃん」
「……なんか勘違いしてるよねぇ」
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