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3章 紅炎の巫覡
後日談 手紙
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先ほどこの国の王から差し出された封筒を、ようやく開く決心がついた。
この手紙が王直々に届けられてからどれだけの時間が経っただろうか。少なくとも数日が過ぎている。それくらい触りたくなかった。綺麗なままで置いておきたかった。
だがそういうわけにもいかないのが現実というもの。
カーテンを閉じきった軟禁部屋の中、ルシオラはぼんやりと見覚えのある筆跡を眺めた。
――兄さんへ
封筒に書かれた字。弟のものだ。
やっと再会できた弟だった。ルシオラが弟の大事な友人を間接的にとは言え死に追いやった張本人であるため、再会したその日は憎悪を向けられてしまった。
それも仕方のないことだと思う。セラフィが自分を憎む気持ちはよく分かる。
なぜなら、自分も同じだから。
両親を目の前で殺された記憶は今でも鮮明に思い出せるほど脳に強く刻み込まれてしまった。母親――今思えば、シャルロットは母親によく似た――が、生まれたばかりの赤ん坊をおくるみに包んでルシオラへ託し、「貴方たちだけでもどうか生きて」と村から無理矢理追い出したあの日。その背後では父親の絶叫が聞こえた。「息子をかえせ」と、掠れた叫びが耳に残っている。
無我夢中で逃げて、赤ん坊らしく泣き喚く妹を落とさないように抱えて、それから何年の時が経っただろうか。
ルシオラが両親の命と弟を奪った精霊を憎むのもまた、仕方のないことだった。
憎んでいるからといって無辜の人間を傷つけたルシオラへ、大切な妹の心までも傷つけたルシオラへ、セラフィは話をしようと歩み寄ってくれたのに。
夢に見た兄妹三人そろって祭りを楽しむことができたのに。
今度こそ、その弟は永遠に失われてしまった。もう二度と戻ってこない。
力なく封蝋を開ける。
中に入っていたのは数枚の紙。びっしりと文字で埋め尽くされた便せんには、金木犀の絵が薄く描かれていた。
――兄さんへ。
その言葉から始まり、簡単な挨拶と続いた後に始まったのは、セラフィからルシオラへの願い事だった。
《まずは、もう二度と精霊への復讐を考えないで欲しい。兄さんのしたことは許されることじゃない。ケセラだけじゃなく、兄さんは沢山の人を殺したことがあるんだろう。これ以上、誰も殺さないで欲しい。正しく裁かれて、罪を償いながら生きて欲しい》
それもそうだ。
《それと、シャルロットのことは何が何でも守って。レイ君も一緒にいてくれるけど、兄さんは兄さんなんだから。妹を守る義務があるだろう? これまでおざなりにしてきたんだから、ちゃんと兄らしいところは見せること。約束だから》
大事な妹の可愛らしい笑顔を思い浮かべた。
ルシオラは日だまりのような少女を、家族を奪った精霊への復讐を言い訳にして一人にしてしまった。その隙をつかれて精霊に家を焼かれる恐怖を感じさせてしまった。
その後もセラフィがついているから大丈夫だろうと、ここに捕まるまで守ろうとしなかった。
自分は兄として失格だな、と自嘲的な笑みが浮かぶ。くしゃりと歪んだ笑みだった。
《シトロンとは手を切ること。あいつが何かしてこようなら全力で止めること。もう誰も傷つけたりしないこと》
《彼女をどうか責めないであげて欲しい。彼女は何一つ悪くないから》
《研究するのは別にいいけど、僕の愛するこの国に役立つものにして。それ以外はだめ》
《兄さん、これを読む頃に僕はもういないかもしれないけれど》
ふいに、涙が零れた。
久しく復讐に涙は必要ないと閉ざしていた涙腺が、こういう時に限っていらない働きをしてくる。視界が滲んで、文章がろくに読めもしないのが腹立たしかった。
雑に拭いながらその一文を読む。
《少ししか一緒にはいられなかったけど。兄さんが僕とシャルロットを愛してくれていたのは嬉しかったよ。……ありがとう》
その下に小さくセラフィ、と名前が続く。
涙で手紙を汚してしまわないようにテーブルへ避難させ、ルシオラは窓際へ歩み寄る。壁に背を預け、ずるずると床へ座り込んだ。真上で揺れるカーテンの隙間から、憎らしいほど赤い朝日が差し込んでくる。
セラフィが精霊に捕らわれたのは、彼が二歳の時だった。
それから十六年の時が経っている。
その間に弟は弟なりに人との関係と世界を築き、家族の庇護がなくとも懸命に育ってきた。そう、彼らが何の問題もなく家族でいられたのはたったの二年間だけだった。
ただ血のつながりがあるだけの男を、仲間を殺した男を、最期まで兄と呼んでくれていた。
それなのに、その兄は。
「――すまない」
たった一人の懺悔が、狭い部屋に響いて消えた。
この手紙が王直々に届けられてからどれだけの時間が経っただろうか。少なくとも数日が過ぎている。それくらい触りたくなかった。綺麗なままで置いておきたかった。
だがそういうわけにもいかないのが現実というもの。
カーテンを閉じきった軟禁部屋の中、ルシオラはぼんやりと見覚えのある筆跡を眺めた。
――兄さんへ
封筒に書かれた字。弟のものだ。
やっと再会できた弟だった。ルシオラが弟の大事な友人を間接的にとは言え死に追いやった張本人であるため、再会したその日は憎悪を向けられてしまった。
それも仕方のないことだと思う。セラフィが自分を憎む気持ちはよく分かる。
なぜなら、自分も同じだから。
両親を目の前で殺された記憶は今でも鮮明に思い出せるほど脳に強く刻み込まれてしまった。母親――今思えば、シャルロットは母親によく似た――が、生まれたばかりの赤ん坊をおくるみに包んでルシオラへ託し、「貴方たちだけでもどうか生きて」と村から無理矢理追い出したあの日。その背後では父親の絶叫が聞こえた。「息子をかえせ」と、掠れた叫びが耳に残っている。
無我夢中で逃げて、赤ん坊らしく泣き喚く妹を落とさないように抱えて、それから何年の時が経っただろうか。
ルシオラが両親の命と弟を奪った精霊を憎むのもまた、仕方のないことだった。
憎んでいるからといって無辜の人間を傷つけたルシオラへ、大切な妹の心までも傷つけたルシオラへ、セラフィは話をしようと歩み寄ってくれたのに。
夢に見た兄妹三人そろって祭りを楽しむことができたのに。
今度こそ、その弟は永遠に失われてしまった。もう二度と戻ってこない。
力なく封蝋を開ける。
中に入っていたのは数枚の紙。びっしりと文字で埋め尽くされた便せんには、金木犀の絵が薄く描かれていた。
――兄さんへ。
その言葉から始まり、簡単な挨拶と続いた後に始まったのは、セラフィからルシオラへの願い事だった。
《まずは、もう二度と精霊への復讐を考えないで欲しい。兄さんのしたことは許されることじゃない。ケセラだけじゃなく、兄さんは沢山の人を殺したことがあるんだろう。これ以上、誰も殺さないで欲しい。正しく裁かれて、罪を償いながら生きて欲しい》
それもそうだ。
《それと、シャルロットのことは何が何でも守って。レイ君も一緒にいてくれるけど、兄さんは兄さんなんだから。妹を守る義務があるだろう? これまでおざなりにしてきたんだから、ちゃんと兄らしいところは見せること。約束だから》
大事な妹の可愛らしい笑顔を思い浮かべた。
ルシオラは日だまりのような少女を、家族を奪った精霊への復讐を言い訳にして一人にしてしまった。その隙をつかれて精霊に家を焼かれる恐怖を感じさせてしまった。
その後もセラフィがついているから大丈夫だろうと、ここに捕まるまで守ろうとしなかった。
自分は兄として失格だな、と自嘲的な笑みが浮かぶ。くしゃりと歪んだ笑みだった。
《シトロンとは手を切ること。あいつが何かしてこようなら全力で止めること。もう誰も傷つけたりしないこと》
《彼女をどうか責めないであげて欲しい。彼女は何一つ悪くないから》
《研究するのは別にいいけど、僕の愛するこの国に役立つものにして。それ以外はだめ》
《兄さん、これを読む頃に僕はもういないかもしれないけれど》
ふいに、涙が零れた。
久しく復讐に涙は必要ないと閉ざしていた涙腺が、こういう時に限っていらない働きをしてくる。視界が滲んで、文章がろくに読めもしないのが腹立たしかった。
雑に拭いながらその一文を読む。
《少ししか一緒にはいられなかったけど。兄さんが僕とシャルロットを愛してくれていたのは嬉しかったよ。……ありがとう》
その下に小さくセラフィ、と名前が続く。
涙で手紙を汚してしまわないようにテーブルへ避難させ、ルシオラは窓際へ歩み寄る。壁に背を預け、ずるずると床へ座り込んだ。真上で揺れるカーテンの隙間から、憎らしいほど赤い朝日が差し込んでくる。
セラフィが精霊に捕らわれたのは、彼が二歳の時だった。
それから十六年の時が経っている。
その間に弟は弟なりに人との関係と世界を築き、家族の庇護がなくとも懸命に育ってきた。そう、彼らが何の問題もなく家族でいられたのはたったの二年間だけだった。
ただ血のつながりがあるだけの男を、仲間を殺した男を、最期まで兄と呼んでくれていた。
それなのに、その兄は。
「――すまない」
たった一人の懺悔が、狭い部屋に響いて消えた。
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