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3章 紅炎の巫覡
24 成果
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***
ぴし、ぱし、と亀裂が走る音が聞こえて、レイは聳え立つ壁を見上げた。
瘴気を固めて作られた障壁に白いヒビが入っている。そしてそのままボロボロと崩れ始めていた。小さな破片も大きな破片も下へ下へと落下してくるが、荒廃した地面に辿り着く前に霧散して消える。
消えるその瞬間、小さくも確かな怨嗟の声が不快に耳介に忍び込む。
肩を支えていた少女の身体から力が抜けた。ぐらりと傾いだ華奢な体躯を支え、ゆっくりと地面に座らせてやる。
レイにもたれかかる少女から仄かに輝いていた光は淡く消え、元の少女の姿に戻る。
「はぁ、はぁ……終わった、の?」
「どうなんだろう。障壁は消えたみたいだけど」
シャルロットの顔は酷く青ざめ、体温も随分と下がっていた。瘴気に蝕まれていた証拠だ。
一向に整わない息を浅く繰り返し、身体を預けてくれる少女をそっと抱きしめた。自分の体温で多少不調がマシになってくれればいいと願いながら。
不気味な壁が消えていく様を見て、シャルロットはホッとしたように微笑んだ。
「良かった。私、ちゃんと浄化出来たんだ」
「おつかれ、シャルロ……」
「どうしたの?」
ふと見えた彼女の真っ白なうなじに、見たこともない黒い痣がある。いや、痣というよりは染みに近い。こんなもの、さっきまであっただろうか。真っ黒な墨を垂らしたかのような見た目に少しばかり違和感をおぼえた。
それもまた、彼女が心配そうに見上げる動きで髪に隠れて見えなくなってしまう。
レイは胸の奥底に不快感と違和感をしまい込み、淡く笑んだ。
「いや、なんでもないよ」
「二人とも、無事か? 辺りを見てきたが、特に異常は見当たらなかった。後はここで皆の帰りを……待つまでもなかったようだな」
見回りに行っていたミセリアが戻ってきたころ、乾いた砂を踏みしめる音が数人分聞こえてきた。
パッと顔を輝かせて音の方を向いたシャルロットだが、弧を描いていた唇をそっと真一文字に戻す。
レイもまた、歓迎の気持ちよりも先に困惑が勝ってしまった。
沈み込んだ空気。
先頭を歩くのはフェリクスだ。その手にあの旗が握られているが、心なしか輝きが弱っているようだ。白皙の顔は目元が今にも泣きだしてしまいそうに赤く染まり、それでもなお泣くまいと唇を噛みしめて。そこからは、涙の代わりとばかりに赤い血が覗いていた。
そして、その後ろに続くイミタシアたち。その誰もが沈鬱そうな表情を隠せずにいた。
殿を歩くクロウの腕に横抱きにされている人を認めて、レイは知らず知らずのうちに息を呑んだ。
血に濡れてなお黒いドレス。死人のように白い肌。一部切り落とされた髪は未だに赤いものの、毛先だけ元の淡藤が戻ってきていた。長い睫毛に縁取られた瞼は閉ざされ、頬に影を落としている。その頬に刻まれているのは、きっと涙の跡。幾重にも刻まれているせいで、気を失う前の彼女がどんな状態にいたのか何となく分かってしまう。
強くて気高いと思っていた彼女の、あまりの惨状に声も出ない。いったい、何があったというのか。
ここで、レイは感じていた異変の正体にようやく気がついた。
何よりの異変に、真っ先に声を震わせたのは。
よりにもよって、シャルロットだった。
「――セラフィお兄ちゃんは?」
その問に答えられる者はいなかった。
誰もがうつむき、口を噤み、目を伏せ、血が滲むほど拳を握り締める。それが、言葉の代わりに質問の答えになってしまうことになる。
「みんなと一緒に、いたよね。どこに」
「――セラフィは」
石榴石の瞳が、哀しく前を見据えた。
「なすべきこと、ちゃんと成し遂げたよ」
***
白と静寂に支配された空間を、少年の実体のない身体は楽しげに歩き回る。
倒れた甲冑を踏みつけ、蹴飛ばす素振り。実際に蹴飛ばすことなくほっそりとした脚は甲冑をすり抜けていくだけなのだが、それでも少年は上機嫌に鼻歌まで歌ってみせる。
いたらいいな、と思っていた花嫁は連れ戻されてしまった。しかしそんなことは気にしない。始めからいたらいいな、程度なのだ。
気にくわないあの黒髪の男は予想外な方法で彼女を取り戻してしまったが、結局は死んでしまった。
そう、これでいい。全ては計画通りだ。予定通り、あの邪魔な男を消せたのだから。
これまで彼女を唆して動かしたのは、全部そのためだ。イミタシアとかいう出来損ないどもと関わらせて、彼女に焦燥を募らせて追い詰めて、そして殺し合いをさせる。
思い通りに行って、大変気分が良い。
ここまで考えて、ふと立ち止まる。
何が計画通りだ。
実のところ、レガリアの“叶えたい夢”を叶える道筋は大きく歪んでしまっていた。
レガリアが自らを封印して、その魂だけが目覚めた時、世界は思い描いたようになっていなかった。それどころか邪魔をするように事態は悪化していて、状況を理解した時には久しぶりに苛立ちを隠しきれなかったものだ。いつもは笑顔を浮かべている少年だが、それも叶わないくらいに怒りを覚えた。
それで終わるわけもなく、夢を叶えるためにはもちろん軌道修正を図らなければならない。今回の事はそのための一歩だ。
再び歩き出し、足音もなく立ち入るのは玉座の間。以前はテラが座って居た玉座だけがぽつんと置かれた寂しい場所は、白一色の建物の中で唯一赤に染めてやった。そう、ついさっき。
『ねぇ、君は知ってる? まだひとつの通過点を過ぎただけなんだよ』
誰にも届かないのに、邪魔をしやがったあいつへ向けて嗤ってみせる。
『あは、待ってなよ。――僕の邪魔をした報い、思い知らせてやる』
透き通る両腕を広げれば、床に広がったおびただしい量の血が一瞬にして彼岸花と化す。血を養分に咲きみだれるそれは、白を背景に実に鮮やかに輝いていた。
残酷にも命の証を弄ぶその様は、人間というにはやはり酷く遠かった。
天井から差し込むシャンデリアの光に照らされて、花を踏み散らした少年が浮かべる狂気の笑みもまた、人間離れした美しさを誇っていた。
久遠のプロメッサ第二部三章 紅炎の巫覡 完
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久遠のプロメッサ第三部一章 贖罪の憤怒蛍
ぴし、ぱし、と亀裂が走る音が聞こえて、レイは聳え立つ壁を見上げた。
瘴気を固めて作られた障壁に白いヒビが入っている。そしてそのままボロボロと崩れ始めていた。小さな破片も大きな破片も下へ下へと落下してくるが、荒廃した地面に辿り着く前に霧散して消える。
消えるその瞬間、小さくも確かな怨嗟の声が不快に耳介に忍び込む。
肩を支えていた少女の身体から力が抜けた。ぐらりと傾いだ華奢な体躯を支え、ゆっくりと地面に座らせてやる。
レイにもたれかかる少女から仄かに輝いていた光は淡く消え、元の少女の姿に戻る。
「はぁ、はぁ……終わった、の?」
「どうなんだろう。障壁は消えたみたいだけど」
シャルロットの顔は酷く青ざめ、体温も随分と下がっていた。瘴気に蝕まれていた証拠だ。
一向に整わない息を浅く繰り返し、身体を預けてくれる少女をそっと抱きしめた。自分の体温で多少不調がマシになってくれればいいと願いながら。
不気味な壁が消えていく様を見て、シャルロットはホッとしたように微笑んだ。
「良かった。私、ちゃんと浄化出来たんだ」
「おつかれ、シャルロ……」
「どうしたの?」
ふと見えた彼女の真っ白なうなじに、見たこともない黒い痣がある。いや、痣というよりは染みに近い。こんなもの、さっきまであっただろうか。真っ黒な墨を垂らしたかのような見た目に少しばかり違和感をおぼえた。
それもまた、彼女が心配そうに見上げる動きで髪に隠れて見えなくなってしまう。
レイは胸の奥底に不快感と違和感をしまい込み、淡く笑んだ。
「いや、なんでもないよ」
「二人とも、無事か? 辺りを見てきたが、特に異常は見当たらなかった。後はここで皆の帰りを……待つまでもなかったようだな」
見回りに行っていたミセリアが戻ってきたころ、乾いた砂を踏みしめる音が数人分聞こえてきた。
パッと顔を輝かせて音の方を向いたシャルロットだが、弧を描いていた唇をそっと真一文字に戻す。
レイもまた、歓迎の気持ちよりも先に困惑が勝ってしまった。
沈み込んだ空気。
先頭を歩くのはフェリクスだ。その手にあの旗が握られているが、心なしか輝きが弱っているようだ。白皙の顔は目元が今にも泣きだしてしまいそうに赤く染まり、それでもなお泣くまいと唇を噛みしめて。そこからは、涙の代わりとばかりに赤い血が覗いていた。
そして、その後ろに続くイミタシアたち。その誰もが沈鬱そうな表情を隠せずにいた。
殿を歩くクロウの腕に横抱きにされている人を認めて、レイは知らず知らずのうちに息を呑んだ。
血に濡れてなお黒いドレス。死人のように白い肌。一部切り落とされた髪は未だに赤いものの、毛先だけ元の淡藤が戻ってきていた。長い睫毛に縁取られた瞼は閉ざされ、頬に影を落としている。その頬に刻まれているのは、きっと涙の跡。幾重にも刻まれているせいで、気を失う前の彼女がどんな状態にいたのか何となく分かってしまう。
強くて気高いと思っていた彼女の、あまりの惨状に声も出ない。いったい、何があったというのか。
ここで、レイは感じていた異変の正体にようやく気がついた。
何よりの異変に、真っ先に声を震わせたのは。
よりにもよって、シャルロットだった。
「――セラフィお兄ちゃんは?」
その問に答えられる者はいなかった。
誰もがうつむき、口を噤み、目を伏せ、血が滲むほど拳を握り締める。それが、言葉の代わりに質問の答えになってしまうことになる。
「みんなと一緒に、いたよね。どこに」
「――セラフィは」
石榴石の瞳が、哀しく前を見据えた。
「なすべきこと、ちゃんと成し遂げたよ」
***
白と静寂に支配された空間を、少年の実体のない身体は楽しげに歩き回る。
倒れた甲冑を踏みつけ、蹴飛ばす素振り。実際に蹴飛ばすことなくほっそりとした脚は甲冑をすり抜けていくだけなのだが、それでも少年は上機嫌に鼻歌まで歌ってみせる。
いたらいいな、と思っていた花嫁は連れ戻されてしまった。しかしそんなことは気にしない。始めからいたらいいな、程度なのだ。
気にくわないあの黒髪の男は予想外な方法で彼女を取り戻してしまったが、結局は死んでしまった。
そう、これでいい。全ては計画通りだ。予定通り、あの邪魔な男を消せたのだから。
これまで彼女を唆して動かしたのは、全部そのためだ。イミタシアとかいう出来損ないどもと関わらせて、彼女に焦燥を募らせて追い詰めて、そして殺し合いをさせる。
思い通りに行って、大変気分が良い。
ここまで考えて、ふと立ち止まる。
何が計画通りだ。
実のところ、レガリアの“叶えたい夢”を叶える道筋は大きく歪んでしまっていた。
レガリアが自らを封印して、その魂だけが目覚めた時、世界は思い描いたようになっていなかった。それどころか邪魔をするように事態は悪化していて、状況を理解した時には久しぶりに苛立ちを隠しきれなかったものだ。いつもは笑顔を浮かべている少年だが、それも叶わないくらいに怒りを覚えた。
それで終わるわけもなく、夢を叶えるためにはもちろん軌道修正を図らなければならない。今回の事はそのための一歩だ。
再び歩き出し、足音もなく立ち入るのは玉座の間。以前はテラが座って居た玉座だけがぽつんと置かれた寂しい場所は、白一色の建物の中で唯一赤に染めてやった。そう、ついさっき。
『ねぇ、君は知ってる? まだひとつの通過点を過ぎただけなんだよ』
誰にも届かないのに、邪魔をしやがったあいつへ向けて嗤ってみせる。
『あは、待ってなよ。――僕の邪魔をした報い、思い知らせてやる』
透き通る両腕を広げれば、床に広がったおびただしい量の血が一瞬にして彼岸花と化す。血を養分に咲きみだれるそれは、白を背景に実に鮮やかに輝いていた。
残酷にも命の証を弄ぶその様は、人間というにはやはり酷く遠かった。
天井から差し込むシャンデリアの光に照らされて、花を踏み散らした少年が浮かべる狂気の笑みもまた、人間離れした美しさを誇っていた。
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