久遠のプロメッサ 第三部 君へ謳う小夜曲

日ノ島 陽

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1章 贖罪の憤怒蛍

3 冬明けの祭り

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***


 どさ、と腕に抱えていたものを投げ捨てる。「ごぇっ」という醜いうめき声を聞いているのかいないのか、白衣の男は軽い足取りでその空間を出て、重い扉をしっかりと閉める。もちろん、鍵をつけることも忘れない。
 ここ最近――と言っても一年以上前の話だが――になって相方が発明した最新式の鍵だ。薄いカード状のそれをポケットにしまいこみ、男は舌舐めずりをする。ふと口内に広がる鉄の味に気がついて、手で雑に口元を拭えば赤色が付着した。うっかり付けてしまっていたらしい。
 あとで洗顔しないと……そもそも洗顔料のストックはあっただろうか。と場にそぐわぬことを考えつつ男は無機質な廊下を歩く。
 その後ろで、幼い少女のすすり泣きや大の男の怒号、そのほかにも雑多な声が折り重なっているが白衣の男の耳に入ることはない。

「――本当に、あの方はここに来てくれるのでしょうね?」

 廊下を歩いた先に、壁に沿うように立っていた白い髪の女が鋭い眼光で男を睨む。
 アンティークゴールドの視線を軽くいなし、男は血の痕の残る顔ににっこりと笑顔を浮かべて見せた。そのなんと不気味なことか。女は気付かれぬよう奥歯を噛みしめて恐怖を顔に出さぬように堪えたが、男にはお見通しだ。
 橙色の瞳を細め、片手をひらひらと振る。

「そんなに心配しなくったって大丈夫だよ。君の愛するルシたんには明確な弱点があるんだから、それを突いてあげればすぐに戻ってきてくれるよ」
「……」
「俺っちがぜぇんぶやるから、君は何もやらなくて良い。――あぁ、頑張って集めた材料には手を出しちゃだめだよ?」
「……貴方には本当は関わりたくないんです。勝手に手出しはしません」
「あは、ならいいよ。――さて、あれだけ集めれば大丈夫かな。そろそろ実行に移すから、君は隠れて見ていると良い、メイル」

 メイルと呼ばれた女は、今度は不快感を強く顔に出す。無言で背を向けヒールの音とともに歩み去って行く背中を見送って、男はひとつ大きく伸びをした。
 ふぁ~あ、と間延びしたあくびがひとつ、薄暗い廊下にこぼれ落ちた。


***


 その日は生憎の曇り空だ。
 蒼穹は薄い雲に閉ざされていたが、街の間を駆け抜ける風はどこか生ぬるい。先日までは寒いと感じていたが、それだけで季節の巡りを感じるとレイは思う。
 空気が暖かいのは人々が活気づいているせいもあるだろう。
 どこかから楽器の音と歌声が響き、祭りだからと格安で売られた料理の匂いが漂い、その中を親子や恋人たち、友達同士、あるいはひとりで歩き回る人々。そこに老若男女の偏りはなく、皆が楽しそうだ。
 飾られた精緻な彫刻を見上げていたレイの耳に、シャルロットから零れた呟きが届く。

「行方不明者が多発しているなんて信じられないくらいに賑やかだね」
「まぁ、確かに」

 三人がこの地を訪れた表向きの理由は、行方不明者の捜索だ。
 多発している故に市井にも知られているはずで、だというのに街にそんな雰囲気は一切見られない。

「なんでも噂によると人攫いが現れるのは夜、人が少ない時間帯だそうだ。だからではないか? 今日はこんなに人が集まっている。何かしようものならどこかに人の目がある」

 人が多い分、犯人も紛れ込みやすくなるが。そこまでルシオラは言わない。言ったとしても仕方のないことだ。

「それに、お前だけは俺が守るから」
「ふふ、レイのこともお願いね?」
「男なんだから自分の身くらい守れるだろう」
「えーと、そうですかね」
「君はもう少し自信を持ってもいいと思うのだが」

 向けられた呆れ顔に苦笑いで返し、レイは頬を掻く。
 そんな感じでのんびりと散策していた三人の間に先日のような暗さはない。正確には押し隠しているだけなのだが、今日は比較的お気楽な旅行客を装えている。少しばかりボロが出ている感覚は否めないが。
 少しばかり歩き続け、疲れたことだし休憩でもしようと適当なカフェに立ち寄る。運良く空いている席があったため、そこに座って各々が注文した飲み物を楽しむ。
 店に備えてあった雑誌を捲っては書いてある簡単なゲームをやってみたり、ルシオラによる豆知識披露大会が行われたりと数十分ほど過ごすうち、レイの思考からは行方不明事件のことなどすっかり消え去ってしまっていた。
 それがいけなかった、とは言えまい。誰もこんな昼間、人が多いカフェの中、自分たちに向けてピンポイントで事件が降りかかろうなどと思えないだろうから。

 こつこつと床を踏む足音も、店員のものなのだろうと大して気にしていなかった。こちらに近づいてくることは分かったが、きっと近くの客に料理でも運んできたのだと。
 しかし予想は外れ、三人が居る一角でぴたりと立ち止まるその男。
 瞬間、酷い悪寒が背を駆け抜けて、レイはその男の方を向く。

 半分紫色に染まった、けれど地毛はくすんだ黄緑色だと分かる跳ねた髪と、橙色の瞳。祭りには明らかに不釣り合いな、真っ白な白衣。裏には洗っても落ちなかっただろう、黒いペンで書かれた何かのメモ。その手に握られた、些か油が多すぎるように思える古風なランタン。ゆらゆらと不安定に揺れる炎は、明るい昼間には必要のない光をもたらす。

「やっほー。おひさじゃん」

 無意識のうちに隣に座るシャルロットを抱え込む。
 少女が悲鳴を上げる前に、向かい側に座って居たルシオラが立ち上がってその腕を男――シトロンに向けた。その手に握られていたものは、黒々と艶めかしく光を反射する、銃。
 しかし、銃声がレイの耳に届くことはなかった。
 それ以上の轟音が店内を震え上がらせたからだ。
 硝子が割れるけたたましい音。家具や人が吹き飛ぶ喧しい音。
 同時に、何やら焦げ臭い音。
 振動で軸がぶれたルシオラの銃が、シトロンの頭を打ち抜くことはなかった。始めから何もかも分かっていたかのように微笑みを崩さない彼は、わざとらしく手にしていたランタンを落とした。
 頭が割れそうなほどの轟音の中、その動作だけはやけにゆっくりと見えて。
 零れた油に呆気なく小さな火がつき、数秒も経たないうちに大きく成長してしまう。
 叫ぶこともできず震えているシャルロットを抱きしめていたレイは、広がる炎に気を取られてしまっていた。

「――っ!!」

 ルシオラの悲鳴らしきものが聞こえてようやく気がついた。
 少なくとも数歩分は離れていたはずのシトロンがいつの間にか触れそうなほど近づいてきて、こちらを見下ろしていたこと。その手に新しく握られた、大きな硝子の破片。

 それが今まさしく、振り下ろされた。


***


 ロンガの警備隊が調べたところによると、そのカフェには元々奇妙な機械が仕掛けられていたそうだ。否、そのカフェだけではない。
 表通りの店という店に同じようなものが仕掛けられており、今回起動したのがそのカフェだけだった。何故全てが起爆しなかったかは判明していない。
 分かっているのは、そのカフェは全焼してしまったこと。偶然爆弾の近くにいた客は即死してしまったこと。怪我人も多いこと。
 そして、目撃者の証言によると、男が気を失った少女を抱えてどこかへ立ち去ってしまったらしい。
 不運なのか、その男の容姿は証言者によってまばらだった。背の高い大男だの、痩せた細い男だの、顔に傷のある中年だの、着ていたのは返り血にまみれたロングコートだの。そんなこんなで警備隊が男の行方を掴むことは出来ない状況だった。

 それともう一つ証言があった。
 炎に包まれる店内で、黒い衣服を纏っただれかが空間から溶け出すように現れたのだという。
 そちらは恐慌状態による見間違いか何かだろうと片付けられ、特に気にされることはなかった。
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