久遠のプロメッサ 第三部 君へ謳う小夜曲

日ノ島 陽

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3章 寂しがり屋のかみさま

1 心なき世界

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 夜の風は夏といえどひんやり冷たい。
 軽く震え上がり、シャルロットは空から視線を外す。
 レガリアが生きとし生けるもの全ての思考力を奪う術式を展開させた今、もたもたしている暇はない。勢いに任せて啖呵を切ったは良いが、具体的にどうすればあの鳥籠の如き威容を破壊出来るのかさっぱり分からない。まずは誰かと合流したい。
 永久の花畑に集まったフェリクスとアルはレイによってどこかに転移させられ、戦っていたビエントとテラ、様子を見に行ったソフィアの誰もが見当たらない。一体どこへ行ってしまったのか。

「レイ……」

 レガリアと共にどこかへ消えてしまった彼を想う。
 刹那、視界に光が映り込んだ。顔を上げると、遠くに青白い光の柱が見えた。白い鳥籠とはまた違う、儚くも美しい光の槍。
 比較的近くにひとつ。残りの二つは少し遠い。
 あれは、何を示しているのだろうか。
 そう考えた瞬間、緩やかな風が吹いて、白い光に照らされた青漆の精霊が姿を見せる。いつもの余裕綽々とした笑みは鳴りを潜め、傷だらけの顔には神妙な表情を浮かべている。

「無事だったか」
「うん。それよりみんなは?」
「なんか冷静だな? まぁいいや。――とりあえずテラはどっか行った。他は知らん。だが」

 ビエントは先ほど現れたばかりの青い柱を一瞥して肩をすくめる。

「あれはなんだ?」
「私にも分からない。でも、なんだか悪いものじゃないような気がするよ」
「ふうん? ま、同感っちゃ同感だが……」
「柱が立っている位置、分かる?」
「目測だが、順にラエティティア城、シアルワ城、あとはどこだ? よく分からんがシアルワ領だ」
「なるほど?」

 どこか釈然としない顔のまま、動かないままでもいけないだろうと思案する。

「とりあえず、青い光の場所に行ってみよう。まずは一番近いラエティティア城からだね」
「そういやゼノの野郎もラエティティア城にすっ飛んでったな……丁度良い、あいつは精霊だから無事なはず。ひとまず話を聞くべきだ」
「ゼノ様も来てくれたんだね。『神の因子を持つ者に干渉出来ない』……か。そうだね。世界がどうなっているかも確認しないと」

 レガリアの言葉を反復し、シャルロットは小さく頷いた。それから転移魔法を発動させようとしたが、それをビエントが制する。

「待て。お前は俺がラエティティア城まで連れて行く」
「いいの?」
「あぁ。あの御方の残した希望だ、少しでも待遇は良くしないとな」

 そう言って逞しい腕がひょいと少女を持ち上げる。ビエントの片腕に座るような形だ。
 バランスを取るために逞しい肩や首に腕を回し、恐る恐る顔を覗き込めばビエントは意外にも片眉を上げて薄く笑む。一年前に故郷を焼いた元凶だとは思えないくらいだ。

「それじゃあ行きますか、我らがヒメサマ」
「精霊にお姫様扱いされるなんて貴重な経験をしたなぁ。後で自慢できそうだね」
「うーん、やっぱりなんか性格変わっただろ」


***


 ふわりと降り立った先はやけに静かだった。白亜の壁にしんと静まりかえった廊下。窓から差し込むのは巨大な鳥籠から発せられる月光の如き白い光。赤いビロードの絨毯が敷かれたそこには等間隔に簡易甲冑を纏った騎士が並んでおり、黒い影が長く伸びている。兜もなく顕わになった顔に表情と呼べるものはない。
 ただの無しかそこにはない。
 どこか異様な空気に息を呑んだ瞬間、並ぶ彼らの顔が一斉にシャルロット達を向く。かしゃん、と手にした剣の金属音。

「侵入者発見。即刻死刑」
「へ?」
「めんどくせぇ雰囲気だな」

 レガリアが術式を発動させてからさほど時間は経っていない。普段のラエティティア王国の雰囲気とは一転したこの空気は術式が正しく作用していることの表れなのだろう。
 城と花畑が近いという理由もあるのだろうが、それにしても効果が表れるのが早すぎやしないか。あの男がどこかでほくそ笑んだような、そんな腹立たしい気配がする。

「ビエント。峰打ちで黙らせて」
「はぁ? 殺せば良いだろうが」
「私の中のシュミネ様がそう言ってるの」
「……」

 しぶしぶ、といった様子で口の端を歪めたビエントだが、結局のところ峰打ちも暴挙もその手で行うことはなかった。
 なぜならば。

「待ちなさい。武器を収め、控えなさい」

 背後から聞こえてきたのは僅かに焦りの混じった少女の声。シャルロットたちが振り向くと、そこに立っていたのは桃色の長髪を頭の横でまとめたラエティティア女王シエルだ。側には険しい顔つきのゼノが控えている。

「シエル様」
「この者たちは私が直接尋問いたします。手を出さないように」
「しかし、シエル様の公務の作業効率が落ちます。それでは国政が滞る」
「いいえ。彼らは精霊と女神の恩恵を受けた者。それこそ利用せねばなりません。私は神子です。彼らの対応は私以外にあり得ません」

 以前のような柔らかな雰囲気から一転、あのミラージュを彷彿とさせる彼女は小さく息継ぎをして、その翠玉の瞳に女王の眼光を宿した。

「これ以上の口答えは許しません。貴方たちは貴方たちの役割を全うなさい。それが使命でしょう」
「……御意に」

 騎士達は無表情のまま、剣を鞘に収めて元の位置に持ち直す。また不気味な廊下が出来上がった。
 再び静まりかえったそこで、シエルはシャルロットとビエントをチラリと見やる。

「こちらへ。話をしましょう」


***


 シエルとゼノに案内されたのはいつもの執務室ではなく、城の展望室だ。シアルワ王国のものとは違った、大理石で作られた白い造花をあしらった柱が円形に並び、青空を模した天井の柱廊広間。壁の一部はガラス張りで、いくつかはバルコニーに繋がる扉にもなっている。そのうちのひとつを開けて女王はバルコニーへシャルロットたちを案内する。
 静謐な夜に人の気配を感じない街の風景。明かりは灯っているが、キラキラと瞬く活気は一切ない。
 ただ夏にしては冷えた風が寂しく吹いていた。

「ゼノ様から事情は聞きました。レガリアなる新しい神が降臨されたようですね」
「はい。この状況も彼が引き起こしたもので間違いありません」

 簡潔に事情を話すとシエルは哀しそうに眉をひそめた。

「なるほど、あの術式はそういう……。だからアルも……。私たちもいつかは心を失ってしまうかもしれない、と」
「――はい。でも、私は彼を止めると誓いました。協力してくださいますか」
「えぇ、それはもちろん。でも」

 翠玉の瞳が陰る。幼さの残っていたはずのそこには国を憂う涙の膜がうっすらと張っていた。

「私は神子です。あくまで女神の力、その一部をお借りした血筋に過ぎません。そして私自身はミラージュ様から力の使い方を教わっていません。そんな身で何かお役に立てることがあるのかと、不安に思っています」
「神子の力……」

 ラエティティアの神子が受け継いできた能力は魂に関するものだ。
 元は魂に刻まれた記憶を子孫に引き継ぎ、世界の歴史を正しく記録するというものだ。それをミラージュは悪用し、記憶だけでなく魂ごと子孫に引き継いで五百年を生きるという荒業をやってのけていたのだが……。
 神子はシャルロットを除き合計三人だ。正確には四人だが、それぞれの血筋で最も強い力を持つのは三人。予測だが、その誰もがまだレガリアの術式から逃れられているはず。
 状況を打破するために神子の力を借りられないだろうか。
 そう言えば、と顔を上げる。

「ミラージュさまはお眠りになっているんですよね?」
「えっと、多分。私が魂の記憶を次代に引き継いで死ぬまでの間は大人しくしていると……」
「シエル様も神子ですから、ご自身の魂に働きかけることも可能なはずです。まずはミラージュ様からお話を聞きましょう」
「へ? で、でもわたし」

 シャルロットはにっこりと笑ってシエルの手を両手で包み込む。

「大丈夫です。やり方は分からなくても、案外なんとかなるものですよ! 私がそうでしたから」
「やっぱりお前性格が」
「うるさい、黙ってて」
「……」

 後ろの大精霊を黙らせて、シャルロットはもう一度女王殿下に向き直る。

「こんな状況です、少しでも出来ることを試していかなければいけないと思うのです、えぇ」
「そう、ね。そうですよね! 私、頑張ります!」
「はい! でもここは危険ですし、とりあえずシアルワ城に行きませんか? フェリクス陛下や仲間たちの無事も確認したいのもありますし」

 シエルはその提案にゼノを振り返るが、白い精霊は静かに頷くだけだ。

「分かりました。そうします」
「決まりですね! それじゃあ行きましょう」

 少しばかり押しの強い発言にシエルが気圧されて頷いている姿にゼノはうっかり苦笑いを浮かべ――それからいつかは戦ったことのあるビエントが謎にドヤ顔を浮かべているのを見て、やれやれと額を抑えるのだった。
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