久遠のプロメッサ 第三部 君へ謳う小夜曲

日ノ島 陽

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3章 寂しがり屋のかみさま

10 希う

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***


 軽く両腕を上げ、降参のポーズをとるレガリアにシャルロットは一瞬呆気にとられたものの、とりあえず胸を反らしてツンとそっぽを向いてやる。

「そ、そういうことだから! だから……その、レイを返してくれる?」
「その前に、ひとつ質問をしよう」
「……」
「僕がこの体をレイに明け渡したとして、その後の世界をどうするつもり?」

 レガリアは方法こそ極端だったものの、人知れず腐りゆく運命にあった大地を存続させようとしていた。人間が様々な感情を抱え込んで生きるのならば、瘴気はずっと生まれ続ける。感情を封じ込め、人間を操り人形に仕立て上げる巨大術式は効率的に世界を救う手段と言っても良いくらいだった。
 しかし、シャルロットたちはそれを否定し、破壊する道を選んだ。代替手段がないのならば、大地の腐敗を肯定しているのも同義である。
 その重要な答えを、シャルロットは軽く笑いながら答える。

「どうしようね? よく分からないや」
「は?」
「だって、大神子なんて大層な呼ばれ方をしているけれど、私はただの人間で一般人なんだよ? 国を治める王様でもないしそうあれと育てられたわけでもない。だから分からない。……あ、でも貴方みたいな強制的に何かさせるようなことはしないかな。もちろんレイに何かをさせるわけでもないよ」
「この世界の大神子のくせに、無責任を認めるってこと?」
「何もしないわけじゃないよ? 私に出来ることがあったらするし、協力したいと思う。精霊たちが理不尽に人間を苦しめないようにお願いするし、そうさせたい。その時にできることを見つけていきたい、かな。……ただ」

 黒い指先がレガリアの胸を指し示す。

「我儘であることはよく分かってる。でも私はレイと一緒にいるって約束したから、それを一番大事にしたいの」

 その立ち姿には女神の貫禄も復讐者の怒りもない。
 ただ一人の、等身大の少女が一人の青年のために希う。
それだけのちっぽけな光景に、レガリアは言葉を失う。レイがそうであったように、自分もこの女には敵わないのだろうか。
 これ以上の抵抗は無駄だろうと悟り、シャルロットの願いを叶えてやろうとしたその時。

 ――刹那、幻想的な空気を切り裂く悪寒が走る。


***


 シャルロットが一度瞬き、目を瞠った時には視界に異物が紛れ込んでいた。
 それは、透明度がありながら光を反射し、キラキラと輝く水であった。ゆらゆらと空気中を漂いながら徐々に――しかしとてつもない早さで巨大化し、巨大な手のような形に変化していく。
見上げるほどに大きいそれが、シャルロットを握りつぶそうとするかの如く迫る。

「シャルロット!!」

 名前を呼ばれてハッとすると、水の向こうで白金とセピア色が混じったような、そんな不思議な色合いの髪をした彼が腕をこちらに伸ばしている姿が見えた。

「レイ!!」

 次の瞬間、シャルロットは思い切り後ろへと弾き飛ばされた。彼の力で水の手から逃れたのだと悟ったが、次に起こすべき行動を理解し、実行するまでがあまりにも遅すぎた。
 咄嗟に黄金の花を出すも一瞬の逡巡が徒となる。
 シャルロットを捕らえることが出来なかった水の手は、次いで後ろを向き――彼を呑み込んでいった。まるで握りつぶすかのように球体を形作ったそれは、数瞬の後にはじけ飛ぶ。

「きゃあ!」

 大量の水しぶきが四方八方に飛び散る。急いで駆け寄ろうとしたシャルロットは思いのほか強かった水圧に耐えきれず地を転がる。咄嗟に顔面を庇った腕に裂傷が走り、鋭い熱と痛みが脳裏を焼く。
 しかし、そんなことは気にしていられないと顔を上げる。
 彼は無事か?

 顔を上げた先、なぎ倒された木々が空間を広く見せる中。
 彼の姿は、どこにもなかった。


***


「本当に良かったのか? ビエント」
「何がだよ」
「シャルロットについていきたかったんだろう? 君、女神様のこと大好きみたいだし」
「うるせぇな」

 レガリアの術式を破壊してから、シャルロットは一人でレガリアが待つ森へと向かっていった。
 はじめこそ当たり前のように同行しようとしたビエントだが、彼女の希望により仕方なく諦めたというわけである。もしも危険を感知したら一瞬で飛んでいくのだろうということは想像に難くない。
 ソフィアは様子のおかしい神のゆりかごを調べてくる、と一足先にこの場を離れた。シエルはラエティティア王国の様子を確認するため、ゼノと一緒に帰って行った。
 一方のフェリクスはと言うと、ビエントに頼み込んでシアルワ城に飛ばしてもらおう――と言い出す前にミセリアに休めと言いつけられた。顔色が悪かったらしい。そのため、浄化祭の再現を行ったその場所で座らされているというわけである。
 言われて初めてなんだか体が重いことに気がついたあたり、今まで気を張り詰めていたのだと自覚する。

「――辛いか?」

 隣で寄り添ってくれるミセリアにいつも通りの笑顔を向ける。

「いいや、平気。だけど、なんだか嫌な感じはするかな。説明しにくいけど……」

 ふと胸元に手をやると、何故かひんやりと冷たい。
 怪訝な顔をするミセリアの横でマントの中身を探る。そして指先で摘まむように青い石を取り出した。
 伝説に聞く海とはきっとこの色なのだろう。そんな深い青色の石。
 かつてビエントと対峙していた時に、大精霊アクアから授かったものだ。彼女の力が封じられたお守りのようなもの。テラに殺されたのを目の当たりにしてからというものの、力を失ったものと思い込んでいたが――。
 触れた指先からは異様なほどの冷たさを感じる。今までこんなことはなかったというのに、一体なぜ。

「お前――それ、は」

 つと視線を寄こしたビエントが、その青漆の双眸を見開く。
 表情が驚愕に染まったその瞬間、細く鋭い風が青い石を叩き落とす。恐らくは同時に壊したかったのだろうが、それは叶わなかった。
 石はフェリクスの手を離れてひとりでに宙に浮かび上がる。
 明けぬ夜に冷酷な光を放ちながら、どこからか彼女がくすりと笑んだような気配がした。


 シアルワ王国とラエティティア王国、国境の中心に位置する城“神のゆりかご”。
 現在は謎めいた力により見えなくなっているが、静寂を保ったまま変化しようとしていた。

 鮮やかな蒼の光が巨大な渦を巻きながら半透明のドームを作り上げる。その内側は相も変わらず空間が歪んだように見えるが、遠くからでも分かるほど豪奢にきらきらと光が舞っているのが見て取れる。まるで巨大なスノードームのようだ。

「やはりそうか。回りくどい結界といい、あっさりテラに消される結末といい……薄々そんな気はしていたが」

 しばし呆然とその光景を眺めていたビエントは、やがてその眉根を寄せて複雑な顔をする。

「生きていたのか、アクア」

 幼い頃から完璧主義だった、しっかり者の彼女。
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