7 / 115
夜明けの幻想曲 1章 黄金蝶の予言者
4 王子の外出
しおりを挟む
西の大国シアルワの王都シャーンスは、赤い屋根の建物が連なる活気ある都である。白い漆喰の壁とのコントラストが美しい。
普段から多くの人々が行き交う商業区にある大通りだが、今日は更に人が多い。
商店、宿屋……ありとあらゆる建物に色とりどりのガーランドで飾られ、窓越しに見える屋内はどの建物にも花が飾られている。通りに所狭しと並ぶ出店の主人は大声で客を集め、客は今日限定の食べ物や商品を買い集める。
今日は第三王子フェリクスの誕生祭だ。フェリクスは国民にすさまじい人気を誇るからか、兄王子達よりも豪華な祭りになっている節があったりする。この調子だと、国民の人気っぷりからフェリクスが次期王に選ばれるのではないかと根拠不明な噂がまことしやかに囁かれている。実際にその噂は真実であったりするのだが、国家機密であるそれを国民が知るよしはない。
祭りの主役であるフェリクスはというと、城の自室のベッドにごろりと寝そべっていた。
(街に出て買い物してもいいけど声をかけてくれる全ての人に応えることはできないし、お城の人は夜のパーティーの準備で大忙し。セラフィもシェキナも忙しそうだし。でも仕事も今日はしなくていいから、こうして寝てるのが一番平和なのかも)
以前読みかけだった本でも読んでおこうか。栞は挟んであったっけ。
ベッドわきに置いてあるフェリクスの背丈よりも大きな本棚から目的の本を無造作に引っ張り出す。いつ挟んだかも覚えていない栞をとってぱらぱらとページを捲ってみても、内容をすっかり忘れてしまっていた。
「……ううん、文字疲れるぅ……」
昨日までの書類漬けの日々のせいか、早くも本を放り出して大の字になる。
少し前に午後の3の鐘が鳴った。午後の六の鐘まではまだ時間がある。展望室に向かうにはまだ早い。行ったとしてもセラフィやシェキナに怒られてしまうのがオチだろう。
(少しくらいなら)
ベッドから起き上がり、クローゼットへ向かう。
小遣いの入った財布をスラックスのポケットに突っ込んで、目立つ金赤色の髪を覆うようにフードのついた地味な外套を羽織る。裾に小さく王家の紋章が刺繍されているが、注目するほど目立つわけでもない。
フェリクスはバルコニーに出る。ここからでも街からの美味しそうな匂いや人々の声が届く。天気も快晴。気分も上々。
「いってきまーす」
小さい頃に脱走で使った手である。自室のバルコニーから下の階のバルコニーへと移動していく方法だ。最上階と言っても階層は5階分。頑張れば行けなくもない。小さい頃はロープを使っていたが、背の伸びた今なら手すりに掴まってゆっくり降りていけるはずだ。
念入りにストレッチしてから手すりの外側へと立つ。僅かな隙間しかなく一歩足を滑らせれば大惨事になること間違いなしだ。
それでも臆さずに手すりに手をかけて慎重にしゃがみ込む。目線を次の足場……階下のバルコニーへ向ける。手に力を込めて足を片方ずつ降ろす。全体重を支え腕が軋むが、セラフィと定期的に筋トレをしていたので多少なら大丈夫である。手すりにぶら下がった体制から、脚を振って勢いをつけて飛ぶ。うまいこと着地し、息を整えてから同じことを繰り返す。
普通に扉から出ても良かったのだが、街に出るとなれば護衛役として騎士を数人引き連れることになるし、目立ってしまうため先ほどの懸念が現実になってしまうだろう。
自分のための買い物は別にしなくてもいい。それよりも姉への土産を秘密裏に用意したかった。
芝生が敷き詰められた地面へたどり着けばもうこちらのもの。王族と騎士団上層部にのみ知られる緊急用の脱出口を探す。芝生に隠された地下通路への扉。そこから通って街の地下に広がる無人の下水施設を経由すればシャーンスの住宅街へと出る、という寸法だ。
フェリクスは順調に暗く湿った地下道を通り抜け、下水施設へとたどり着く。
青黒い鉱石を使って作られたこの下水施設は、昔は何かの遺跡だったらしい。はるか昔ここに居を構えた王族が市民に命じて作らせたとされる。所々に遺跡だったころの名残なのか変わった文様が描かれていたり、発光する石のランプがあったりと興味を引かれる場所なのだが、少しばかり臭いがきついので隅々まで探検したことはない。
今日も足早に通り抜けるつもりだった。
しかし、そうはいかないようだった。
無人のはずの空間に、足音が響く。本来なら一人分のはずの足音が、二人分聞こえる。
フェリクスは眉根を寄せて歩を早める。じっくり聞いてみたところ、足音は後ろから聞こえてくるようだ。
(何者だ……? ここは人が立ち入らないはず。暗殺者の類なら足音をたてるような真似はしないだろうし。ならセラフィ?)
ぐるぐると思考しても仕方ない。フェリクスは外に出たことを若干後悔しながらも勢いよく振り向いた。
そこにはやはりというべきか、見知らぬ人影が立っていた。
女性だろうか。フェリクスよりもいくらか低い背丈に、女性らしい体つき。身に纏うのは体の輪郭がわかるフィットしたもの。腰や太もも、腕には太めのベルトが巻き付けられ、何本かのダガーや小ぶりのナイフが括り付けられていた。表情は仮面とフードで隠れて見えない。
その姿格好は、まさに。
(暗殺者……? え、ほんとに……?)
まずい。非常にまずい展開だ。
今はセラフィがいないし、フェリクス自身も護身用のナイフを持っているといえども戦闘用の訓練をしてきたわけではない。
「……お前に恨みはないが、ここで死んでもらう。第三王子フェリクス」
低い声に冷や汗をかく。
「あの……人違いだと思うんですけど……俺はただの騎士見習いなんで……」
「この地を知っての発言か? ただの騎士見習いがここに来るはずないだろう。苦し紛れの言い逃れはやめるんだな」
(しまった――!!)
ここでミスをしてしまってはもうどうにもならない。
女暗殺者が腰のダガーを抜くのとフェリクスが走り出したのはほぼ同時だった。
その方向は、女暗殺者。
まさかターゲットから向かってくるとは思っていなかったのだろう、女暗殺者は動揺を見せる。
その隙に女暗殺者へタックルを食らわせる。突然のことに女暗殺者はいとも容易く倒れこむ。外套を引きちぎるようにして脱いで女暗殺者へと被せ、フェリクスは脱兎のごとく逃げだす。外套は時間稼ぎと、目くらましのために犠牲になってもらうことにした。
城まで戻れば騎士たちがいる。街へ逃げればその方が被害は大きかったはずだ。
「ま、待て!!」
女暗殺者は我に返って追いかけてくる。
思ったよりも足が速い。この調子だと城に戻るまでの間に追いつかれてしまうだろう。ここ何週間か走っていないフェリクスにとってこの逃走劇は体力が大幅に削られてしまう。
「うおおおおおおお!!」
それでも全力で走る。走る。走る。
足音は近づく。
想像してしまう、あの白銀のダガーで貫かれる瞬間を。
あと少しで城の庭園へと繋がる階段へとたどり着く。実物は目に見えている。しかし、間に合わない。
女暗殺者に、襟首を掴まれる。
ぐえ、と情けない声を出してフェリクスは地面に叩きつけられた。衝撃に一瞬目が回る。
「捕まえた」
女暗殺者は馬乗りになってダガーを煌めかせる。フェリクスの心臓を狙う仕草がやけにゆっくりと見えた。あの白い刃は、フェリクスの胸をつらぬいて真っ赤に染まるのだ。
フェリクスはきつく目を閉じる。
生を諦めかけたその瞬間。
赤い風が通り抜けた。
それと一緒に女暗殺者は吹き飛ばされ、壁に激突する。
赤い風……いや、赤い衣をまとった黒髪の青年。セラフィである。
いつも通りの私服、降ろした髪。いつもと違うのは、手にした槍の切っ先に鮮血が付着していたこと、いつもは緩い表情がきつく引き締まっていたことだった。
「ご無事ですか、殿下」
「あ、ああ。助かった……」
「殿下はお下がりください。ここは僕が」
ぐ、と腰を落として槍を構える。セラフィが普段見せることのない殺気が女暗殺者へと向けられる。
そうだった、とフェリクスは思い出す。いつもは王族(といってもフェリクス限定だが)に対してもマイペースで緩いセラフィだが、王家に仕える騎士団の中でも指折りの実力者なのだ。負け知らずだと噂される騎士団長のお墨付きである。何よりの証拠が、現王が次期王にと思っているフェリクスの護衛を直接命じていることだ。
女暗殺者は切られた右の二の腕を抑えながら立ち上がる。こちらの殺気も相当なものだ。
空気が震える。
「負けられないんだ!!」
暗殺者にしては感情を露わにした叫びを発して女暗殺者は飛び出した。素早く両手にダガーを持ち、セラフィの懐に潜り込む。
リーチが長い槍だが、懐に入られてはうまく動けない。
セラフィはうっすらと笑みを浮かべる。狙い通りだ、と言わんばかりに。槍の石突を振り上げる。鋭く磨かれた石突は銀の残像を見せながら右手のダガーを弾き飛ばした。
切られた二の腕が痛み女暗殺者はうめき声をあげるが、すかさず左手のダガーをがむしゃらに突き出した。
あまりにも優雅に一回転してダガーの軌道から逃れたセラフィは、槍も一回転させて穂を同じように左手のダガーへ叩きつける。
宙を舞った二本のダガーを女暗殺者とフェリクスから遠ざけるべく再び槍を一回転。カランカラン、と乾いた音をたててダガーは暗闇へ消えていった。
ふらつく女暗殺者の両手首を掴み、後ろ手に拘束する。彼女のベルトに残っていたナイフを抜き取り、首筋に突き付けた。あまりにも鮮やかな動きだった。
「暗殺者かな? それにしては戦闘技術も感情のコントロールも計画性も何もかもがなっていないように思えるのだけど」
女暗殺者の耳元で囁くように言う。その声音は甘いようでいて、冷え切っていた。
「まあいいや。暗殺者さん、誰に依頼されたのか後でじっくり教えてもらうからね」
「貴様らに教えるようなことは何一つない!!」
流れるような展開についていけずに放心しているフェリクスを置いてセラフィは女暗殺者の動きを簡易的な拘束具で封じていく。そんな彼の後ろに、再び人影が現れる。
「やあ、無事でよかったよフェリクス」
驚いて振り向けば、濃い赤色の外出用マントを羽織った男の姿があった。
フェリクスと同じ金赤色の髪を撫でつけ、純金で作られたサークレットで飾った男はにっこりと笑顔を顔に張り付けてフェリクスを見下ろしている。
「ソルテ兄さん……なぜここに……」
男の正体は、第二王子ソルテ。フェリクスの腹違いの兄だった。
普段は自室にこもり仕事や研究に没頭しており、公の場にもあまり顔を出さないソルテは、弟にも兄にも会うことはない。ましてこんな場所に現れるなど滅多にないはずなのに。
「彼女は僕の知り合いから買った娘でね? 仕事の手伝いをお願いしていたのだが……失敗してしまったようだね」
え、と声をもらすフェリクス。
この兄は何と言った。女暗殺者が兄に頼まれた仕事に失敗したというのなら、それじゃあ。
「ソルテ様。聞き捨てなりませんね」
抵抗する女暗殺者を引きずりながらセラフィはフェリクスのそばへ寄ろうとする。
「例え貴方であろうと、許されることではありませんよ」
「これはこれはセラフィ殿。相変わらず美しいほどの槍さばきだったね。……これは仕方のないコトなんだよ。フェリクスが邪魔だからね、消すしかないんだ」
そういってソルテは右手をあげる。
その途端、暗闇から溶け出すように十数人の男、女が姿をみせた。皆女暗殺者と揃いの衣装を身に着け、物騒な獲物を手にしている。立ち姿や今まで気配を感じさせなかった振る舞い。全員生粋の暗殺者なのだろう。
「すまないが、セラフィ殿もここでくたばってもらうことにするよ。……しくじりやがったあの娘も道連れにして構わない」
「――!? 裏切るのか!! じゃあ、あの話は――」
「失敗した暗殺者なんて誰もいらないだろう?自ら命を絶つか、同胞に始末されるのがオチというものだ。おとぎ話でもよくある話さ。さあ、今度こそ成功させるんだよ」
黙り込んでしまった女暗殺者を放り出してセラフィは槍を構える。
「殿下、少々やばい展開になってきました。ここは僕がなんとかしますので、殿下は街の方へお逃げください」
「ちょ、セラフィ……!!」
「僕の知り合いがもうじきここへ来るはずなので彼等と一緒にいれば大丈夫です。この女暗殺者の処遇は好きにしてもらってかまいませんが、くれぐれもお気を付けください。あと、城には絶対に戻らないでください。落ち着いたら迎えに行きますので。ええ、どこへでも。だから、素直に逃げてください」
一気にまくしたてられてフェリクスが言葉につまる間に暗殺者たちが動き出す。
一人で華麗に相手をするセラフィは今度は怒鳴った。
「早く!!!!」
その声で目が覚めた気がした。
ここで死んではいけない。
フェリクスは動かなくなってへたり込む女暗殺者の腕を掴んで立ち上がらせる。脚にはなにもついていないため、走ることはできるはずだ。
「どっかで待ってるから迎えに来いよ!! 約束だからな!」
女暗殺者を引き連れて走り出してしまえば、後ろから聞こえる金属同士があたって発する鋭い音が余計にうるさく聞こえた。
しばらく走っていると、女暗殺者が声をあげた。
「おい、この拘束具をはずしてくれ。うまく走れない」
「で、でも」
「もう殺す気はない。あいつらは、約束を守ってくれそうにない。だから、私がお前を殺すことに意味はない」
「……」
一度立ち止り、女暗殺者の手枷を外す。確かに彼女から殺気は感じないし、全てを諦めたかのような絶望感すら感じる。まるで、姉と同じような。
すんなり言うことを聞いたのがそんなにびっくりしたのか、女暗殺者はポカンと口を開けていたようだ。それも一瞬のことで、すぐに気を取り直した彼女は仮面に手をかけた。外された仮面は、カランと無機質な音をたてて落ちる。
「お前を殺さない証。暗殺者がターゲットに顔を見せることは、禁忌とされている」
フェリクスは彼女の顔をまじまじと見つめた。
蜂蜜を日に透かしたかのような瞳がフェリクスを射止める。美しい人だった。髪の長さはフードに覆われてよく分からないが、隙間から垂れた髪は夜空のような色をしていて、毛先にかけて緩やかにウェーブがかかっていた。
「何をそんなに見つめる必要がある。足を止めてすまなかった。早く出口へ」
「あ、ああ」
手が解放されても女暗殺者はフェリクスを襲う気配は全くなかった。
信頼しても良いのか。でも、信頼したかった。彼女は、どこか――に似ているのだから。
普段から多くの人々が行き交う商業区にある大通りだが、今日は更に人が多い。
商店、宿屋……ありとあらゆる建物に色とりどりのガーランドで飾られ、窓越しに見える屋内はどの建物にも花が飾られている。通りに所狭しと並ぶ出店の主人は大声で客を集め、客は今日限定の食べ物や商品を買い集める。
今日は第三王子フェリクスの誕生祭だ。フェリクスは国民にすさまじい人気を誇るからか、兄王子達よりも豪華な祭りになっている節があったりする。この調子だと、国民の人気っぷりからフェリクスが次期王に選ばれるのではないかと根拠不明な噂がまことしやかに囁かれている。実際にその噂は真実であったりするのだが、国家機密であるそれを国民が知るよしはない。
祭りの主役であるフェリクスはというと、城の自室のベッドにごろりと寝そべっていた。
(街に出て買い物してもいいけど声をかけてくれる全ての人に応えることはできないし、お城の人は夜のパーティーの準備で大忙し。セラフィもシェキナも忙しそうだし。でも仕事も今日はしなくていいから、こうして寝てるのが一番平和なのかも)
以前読みかけだった本でも読んでおこうか。栞は挟んであったっけ。
ベッドわきに置いてあるフェリクスの背丈よりも大きな本棚から目的の本を無造作に引っ張り出す。いつ挟んだかも覚えていない栞をとってぱらぱらとページを捲ってみても、内容をすっかり忘れてしまっていた。
「……ううん、文字疲れるぅ……」
昨日までの書類漬けの日々のせいか、早くも本を放り出して大の字になる。
少し前に午後の3の鐘が鳴った。午後の六の鐘まではまだ時間がある。展望室に向かうにはまだ早い。行ったとしてもセラフィやシェキナに怒られてしまうのがオチだろう。
(少しくらいなら)
ベッドから起き上がり、クローゼットへ向かう。
小遣いの入った財布をスラックスのポケットに突っ込んで、目立つ金赤色の髪を覆うようにフードのついた地味な外套を羽織る。裾に小さく王家の紋章が刺繍されているが、注目するほど目立つわけでもない。
フェリクスはバルコニーに出る。ここからでも街からの美味しそうな匂いや人々の声が届く。天気も快晴。気分も上々。
「いってきまーす」
小さい頃に脱走で使った手である。自室のバルコニーから下の階のバルコニーへと移動していく方法だ。最上階と言っても階層は5階分。頑張れば行けなくもない。小さい頃はロープを使っていたが、背の伸びた今なら手すりに掴まってゆっくり降りていけるはずだ。
念入りにストレッチしてから手すりの外側へと立つ。僅かな隙間しかなく一歩足を滑らせれば大惨事になること間違いなしだ。
それでも臆さずに手すりに手をかけて慎重にしゃがみ込む。目線を次の足場……階下のバルコニーへ向ける。手に力を込めて足を片方ずつ降ろす。全体重を支え腕が軋むが、セラフィと定期的に筋トレをしていたので多少なら大丈夫である。手すりにぶら下がった体制から、脚を振って勢いをつけて飛ぶ。うまいこと着地し、息を整えてから同じことを繰り返す。
普通に扉から出ても良かったのだが、街に出るとなれば護衛役として騎士を数人引き連れることになるし、目立ってしまうため先ほどの懸念が現実になってしまうだろう。
自分のための買い物は別にしなくてもいい。それよりも姉への土産を秘密裏に用意したかった。
芝生が敷き詰められた地面へたどり着けばもうこちらのもの。王族と騎士団上層部にのみ知られる緊急用の脱出口を探す。芝生に隠された地下通路への扉。そこから通って街の地下に広がる無人の下水施設を経由すればシャーンスの住宅街へと出る、という寸法だ。
フェリクスは順調に暗く湿った地下道を通り抜け、下水施設へとたどり着く。
青黒い鉱石を使って作られたこの下水施設は、昔は何かの遺跡だったらしい。はるか昔ここに居を構えた王族が市民に命じて作らせたとされる。所々に遺跡だったころの名残なのか変わった文様が描かれていたり、発光する石のランプがあったりと興味を引かれる場所なのだが、少しばかり臭いがきついので隅々まで探検したことはない。
今日も足早に通り抜けるつもりだった。
しかし、そうはいかないようだった。
無人のはずの空間に、足音が響く。本来なら一人分のはずの足音が、二人分聞こえる。
フェリクスは眉根を寄せて歩を早める。じっくり聞いてみたところ、足音は後ろから聞こえてくるようだ。
(何者だ……? ここは人が立ち入らないはず。暗殺者の類なら足音をたてるような真似はしないだろうし。ならセラフィ?)
ぐるぐると思考しても仕方ない。フェリクスは外に出たことを若干後悔しながらも勢いよく振り向いた。
そこにはやはりというべきか、見知らぬ人影が立っていた。
女性だろうか。フェリクスよりもいくらか低い背丈に、女性らしい体つき。身に纏うのは体の輪郭がわかるフィットしたもの。腰や太もも、腕には太めのベルトが巻き付けられ、何本かのダガーや小ぶりのナイフが括り付けられていた。表情は仮面とフードで隠れて見えない。
その姿格好は、まさに。
(暗殺者……? え、ほんとに……?)
まずい。非常にまずい展開だ。
今はセラフィがいないし、フェリクス自身も護身用のナイフを持っているといえども戦闘用の訓練をしてきたわけではない。
「……お前に恨みはないが、ここで死んでもらう。第三王子フェリクス」
低い声に冷や汗をかく。
「あの……人違いだと思うんですけど……俺はただの騎士見習いなんで……」
「この地を知っての発言か? ただの騎士見習いがここに来るはずないだろう。苦し紛れの言い逃れはやめるんだな」
(しまった――!!)
ここでミスをしてしまってはもうどうにもならない。
女暗殺者が腰のダガーを抜くのとフェリクスが走り出したのはほぼ同時だった。
その方向は、女暗殺者。
まさかターゲットから向かってくるとは思っていなかったのだろう、女暗殺者は動揺を見せる。
その隙に女暗殺者へタックルを食らわせる。突然のことに女暗殺者はいとも容易く倒れこむ。外套を引きちぎるようにして脱いで女暗殺者へと被せ、フェリクスは脱兎のごとく逃げだす。外套は時間稼ぎと、目くらましのために犠牲になってもらうことにした。
城まで戻れば騎士たちがいる。街へ逃げればその方が被害は大きかったはずだ。
「ま、待て!!」
女暗殺者は我に返って追いかけてくる。
思ったよりも足が速い。この調子だと城に戻るまでの間に追いつかれてしまうだろう。ここ何週間か走っていないフェリクスにとってこの逃走劇は体力が大幅に削られてしまう。
「うおおおおおおお!!」
それでも全力で走る。走る。走る。
足音は近づく。
想像してしまう、あの白銀のダガーで貫かれる瞬間を。
あと少しで城の庭園へと繋がる階段へとたどり着く。実物は目に見えている。しかし、間に合わない。
女暗殺者に、襟首を掴まれる。
ぐえ、と情けない声を出してフェリクスは地面に叩きつけられた。衝撃に一瞬目が回る。
「捕まえた」
女暗殺者は馬乗りになってダガーを煌めかせる。フェリクスの心臓を狙う仕草がやけにゆっくりと見えた。あの白い刃は、フェリクスの胸をつらぬいて真っ赤に染まるのだ。
フェリクスはきつく目を閉じる。
生を諦めかけたその瞬間。
赤い風が通り抜けた。
それと一緒に女暗殺者は吹き飛ばされ、壁に激突する。
赤い風……いや、赤い衣をまとった黒髪の青年。セラフィである。
いつも通りの私服、降ろした髪。いつもと違うのは、手にした槍の切っ先に鮮血が付着していたこと、いつもは緩い表情がきつく引き締まっていたことだった。
「ご無事ですか、殿下」
「あ、ああ。助かった……」
「殿下はお下がりください。ここは僕が」
ぐ、と腰を落として槍を構える。セラフィが普段見せることのない殺気が女暗殺者へと向けられる。
そうだった、とフェリクスは思い出す。いつもは王族(といってもフェリクス限定だが)に対してもマイペースで緩いセラフィだが、王家に仕える騎士団の中でも指折りの実力者なのだ。負け知らずだと噂される騎士団長のお墨付きである。何よりの証拠が、現王が次期王にと思っているフェリクスの護衛を直接命じていることだ。
女暗殺者は切られた右の二の腕を抑えながら立ち上がる。こちらの殺気も相当なものだ。
空気が震える。
「負けられないんだ!!」
暗殺者にしては感情を露わにした叫びを発して女暗殺者は飛び出した。素早く両手にダガーを持ち、セラフィの懐に潜り込む。
リーチが長い槍だが、懐に入られてはうまく動けない。
セラフィはうっすらと笑みを浮かべる。狙い通りだ、と言わんばかりに。槍の石突を振り上げる。鋭く磨かれた石突は銀の残像を見せながら右手のダガーを弾き飛ばした。
切られた二の腕が痛み女暗殺者はうめき声をあげるが、すかさず左手のダガーをがむしゃらに突き出した。
あまりにも優雅に一回転してダガーの軌道から逃れたセラフィは、槍も一回転させて穂を同じように左手のダガーへ叩きつける。
宙を舞った二本のダガーを女暗殺者とフェリクスから遠ざけるべく再び槍を一回転。カランカラン、と乾いた音をたててダガーは暗闇へ消えていった。
ふらつく女暗殺者の両手首を掴み、後ろ手に拘束する。彼女のベルトに残っていたナイフを抜き取り、首筋に突き付けた。あまりにも鮮やかな動きだった。
「暗殺者かな? それにしては戦闘技術も感情のコントロールも計画性も何もかもがなっていないように思えるのだけど」
女暗殺者の耳元で囁くように言う。その声音は甘いようでいて、冷え切っていた。
「まあいいや。暗殺者さん、誰に依頼されたのか後でじっくり教えてもらうからね」
「貴様らに教えるようなことは何一つない!!」
流れるような展開についていけずに放心しているフェリクスを置いてセラフィは女暗殺者の動きを簡易的な拘束具で封じていく。そんな彼の後ろに、再び人影が現れる。
「やあ、無事でよかったよフェリクス」
驚いて振り向けば、濃い赤色の外出用マントを羽織った男の姿があった。
フェリクスと同じ金赤色の髪を撫でつけ、純金で作られたサークレットで飾った男はにっこりと笑顔を顔に張り付けてフェリクスを見下ろしている。
「ソルテ兄さん……なぜここに……」
男の正体は、第二王子ソルテ。フェリクスの腹違いの兄だった。
普段は自室にこもり仕事や研究に没頭しており、公の場にもあまり顔を出さないソルテは、弟にも兄にも会うことはない。ましてこんな場所に現れるなど滅多にないはずなのに。
「彼女は僕の知り合いから買った娘でね? 仕事の手伝いをお願いしていたのだが……失敗してしまったようだね」
え、と声をもらすフェリクス。
この兄は何と言った。女暗殺者が兄に頼まれた仕事に失敗したというのなら、それじゃあ。
「ソルテ様。聞き捨てなりませんね」
抵抗する女暗殺者を引きずりながらセラフィはフェリクスのそばへ寄ろうとする。
「例え貴方であろうと、許されることではありませんよ」
「これはこれはセラフィ殿。相変わらず美しいほどの槍さばきだったね。……これは仕方のないコトなんだよ。フェリクスが邪魔だからね、消すしかないんだ」
そういってソルテは右手をあげる。
その途端、暗闇から溶け出すように十数人の男、女が姿をみせた。皆女暗殺者と揃いの衣装を身に着け、物騒な獲物を手にしている。立ち姿や今まで気配を感じさせなかった振る舞い。全員生粋の暗殺者なのだろう。
「すまないが、セラフィ殿もここでくたばってもらうことにするよ。……しくじりやがったあの娘も道連れにして構わない」
「――!? 裏切るのか!! じゃあ、あの話は――」
「失敗した暗殺者なんて誰もいらないだろう?自ら命を絶つか、同胞に始末されるのがオチというものだ。おとぎ話でもよくある話さ。さあ、今度こそ成功させるんだよ」
黙り込んでしまった女暗殺者を放り出してセラフィは槍を構える。
「殿下、少々やばい展開になってきました。ここは僕がなんとかしますので、殿下は街の方へお逃げください」
「ちょ、セラフィ……!!」
「僕の知り合いがもうじきここへ来るはずなので彼等と一緒にいれば大丈夫です。この女暗殺者の処遇は好きにしてもらってかまいませんが、くれぐれもお気を付けください。あと、城には絶対に戻らないでください。落ち着いたら迎えに行きますので。ええ、どこへでも。だから、素直に逃げてください」
一気にまくしたてられてフェリクスが言葉につまる間に暗殺者たちが動き出す。
一人で華麗に相手をするセラフィは今度は怒鳴った。
「早く!!!!」
その声で目が覚めた気がした。
ここで死んではいけない。
フェリクスは動かなくなってへたり込む女暗殺者の腕を掴んで立ち上がらせる。脚にはなにもついていないため、走ることはできるはずだ。
「どっかで待ってるから迎えに来いよ!! 約束だからな!」
女暗殺者を引き連れて走り出してしまえば、後ろから聞こえる金属同士があたって発する鋭い音が余計にうるさく聞こえた。
しばらく走っていると、女暗殺者が声をあげた。
「おい、この拘束具をはずしてくれ。うまく走れない」
「で、でも」
「もう殺す気はない。あいつらは、約束を守ってくれそうにない。だから、私がお前を殺すことに意味はない」
「……」
一度立ち止り、女暗殺者の手枷を外す。確かに彼女から殺気は感じないし、全てを諦めたかのような絶望感すら感じる。まるで、姉と同じような。
すんなり言うことを聞いたのがそんなにびっくりしたのか、女暗殺者はポカンと口を開けていたようだ。それも一瞬のことで、すぐに気を取り直した彼女は仮面に手をかけた。外された仮面は、カランと無機質な音をたてて落ちる。
「お前を殺さない証。暗殺者がターゲットに顔を見せることは、禁忌とされている」
フェリクスは彼女の顔をまじまじと見つめた。
蜂蜜を日に透かしたかのような瞳がフェリクスを射止める。美しい人だった。髪の長さはフードに覆われてよく分からないが、隙間から垂れた髪は夜空のような色をしていて、毛先にかけて緩やかにウェーブがかかっていた。
「何をそんなに見つめる必要がある。足を止めてすまなかった。早く出口へ」
「あ、ああ」
手が解放されても女暗殺者はフェリクスを襲う気配は全くなかった。
信頼しても良いのか。でも、信頼したかった。彼女は、どこか――に似ているのだから。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。
目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。
「あなたは、どなたですか?」
その一言に、彼の瞳は壊れた。
けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。
セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。
優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。
――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。
一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。
記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。
これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
生きるために逃げだした。幸せになりたい。
白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。
2020/9/19 第一章終了
続きが書け次第また連載再開します。
2021/2/14 第二章開幕
2021/2/28 完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる