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夜明けの幻想曲 1章 黄金蝶の予言者

5 凹凸兄弟

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 命を狙われている状況でなければ、この下水施設の静謐な雰囲気や壁に走る優美な彫刻も楽しめたのだろう。
 セラフィと別れてまだ数分。フェリクスは女暗殺者と共に走っていた。
 女暗殺者はフェリクスの数歩後ろを無言でついて来る。
 次兄のソルテが依頼したという暗殺者集団はセラフィが単身相手しているものの、まだどこかに刺客が潜んでいるかもしれないのだ。先ほどまで自分を殺そうとしていた女暗殺者も傍にいるのだし、気分が沈み不安になるのも仕方ない。
 下水施設から街へ出る道は把握しているため、迷うことなく進む。入り組んだ構造になっているが、小さな頃よく訪れていたフェリクスにとっては問題ない。
 しばらく進むと、苔の生えた階段が見えてくる。階段の先には鉄製の蓋が天井に着いている。地上から見ればただの地面に埋め込まれたレリーフのように見えるだろう。
 鉄製と言っても子供でも押し上げられるほど簡単に開く仕組みになっている。ここさえ出れば街だ。
 まあ、そんな簡単に脱出できるなど想像もしていなかったが。

「王子!」

 女暗殺者の鋭い声と共にビイン、と金属を弾いた音が響き渡る。
 音がしたほうを向けば、男の暗殺者が三人。フェリクス達がいる階段を包囲しており、既に武器が握られていた。一人はナイフ、一人は鎌、一人は弓矢。どれも小ぶりだが、鋭く光を放っている。武器に関して素人であるフェリクスがどう見ても殺傷能力は高そうだ。
 先ほどの音の正体は、暗殺者の一人が放った矢を女暗殺者が弾いた音のようだ。

(……なんで守ってくれたんだ? 向こうに裏切られたとはいえ、俺を助ける義理はないはずなのに)

 少しばかりの疑問が浮かぶが、今はそれどころではない。
 手負いの女暗殺者を置いて逃げることは気が引けた。それに、今街に出て住人を巻き込んでしまったらと考えると王子として恐ろしい。フェリクスには逃げるという選択肢はなかった。
 ソルテの裏切りでショックを受けていたフェリクスだが、冷静さは取り戻している。
 どうやってこの窮地を切り抜けるべきか考えていると、女暗殺者は焦ったように声を張り上げる。

「何故逃げない!?」
「俺はこの国を預かる王家の血を引いている。この状況で、俺が逃げたことで民に迷惑をかけるわけにはいかないんだ。それに、君を置いていくのも気が引けて」
「馬鹿者だな」
「何とでも呼んでくれ。まずはこいつらをどうにかしないと地上には出られない」

 女暗殺者は手負い、フェリクス自身は大した戦闘技術は持たない。対する暗殺者達は手練れのはず。あの次兄が中途半端な組織に依頼をするはずはない。
 ふとフェリクスは思い出した。あの時セラフィが何かを言っていた気がする。

「……確か、セラフィの知り合いが来るらしい。彼等って言っていたから少なくとも二人以上……。セラフィが言うんだから戦えるとは思う。助っ人が来るまで、何とか持ちこたえられないかな」
「私では心もとないと?」
「えっと……君怪我してるし……向こうのほうが人数多いし……」

 じとりと睨まれる。
 その眼差しが思ったよりも鋭かった。フェリクスは苦笑いを浮かべる。

「……まあ良い。私が手負いで、力不足なのは事実だ。否定しない。だが、お前よりは腕が立つつもりだし、私にはあいつらに敵対する理由ができた。状況がどうあれ、私は戦う」

 彼女はそう言って目線を暗殺者達へ戻した。
 暗殺者達は目配せをして、ゆらりと動き出す。
 フェリクスも護身用の小さなナイフを抜いておくが、そんなに役に立つとは思えない。フェリクスを庇うようにして女暗殺者が前に出る。

「王子はそこから動くな」
「……そうしておくよ」

 音もなく近寄った一人の暗殺者の刃が光る。それを見逃さなかった女暗殺者は自身のナイフで受け止める。ダガーは落としてきてしまった。予備のナイフで対処するしかない。
 重い衝撃が、ナイフを通して伝わってくる。
 その間にもう一人が小ぶりの鎌を手にすり抜けようとする。
 女暗殺者は受け止めていたナイフを無理やりずらして鎌の暗殺者へ向けて蹴り上げる。
 鎌の暗殺者はいとも簡単に彼女の足をよけると、くるりと体の向きを変えて鎌で宙に浮いたままの足に切りつけた。

「ぐう……!!」

 鮮血が舞う。切られた箇所は幸いにも筋肉まででとどまり、健は無事だったようだ。しかし、思ったよりも出血量が多い。

「うわ……!!」

 背後からフェリクスの声が聞こえ、女暗殺者は慌てて彼の方を向く。
 怪我はないようだが、三人目の暗殺者による弓矢での射撃攻撃を受けているようだ。運よくかわすことができているようだが、いつまでも持つとは思えなかった。
 ちっ、と盛大に舌打ちをする。
 圧倒的ピンチだ、と誰が見ても分かりやすい展開だ。

「手負いだからと、なめるなよ!」

 やけくそ気味に、女暗殺者はナイフを振り上げる。崩れ行く体制で、ナイフの暗殺者へむけて己がナイフを突き刺した。
 まさか倒れこむ途中で反撃されると思わなかったのか、切っ先は真っすぐに暗殺者の足の甲へ突き刺さった。

「うぐっ」

 黙り込んでいた暗殺者の苦悶の声が漏れる。
 そのことに満足感を覚え、女暗殺者は唇の端を釣り上げて笑った。そのままドシャリと倒れこむ。傷が痛む。ちょっとこれは本気で戦える状況ではない。
 鎌の暗殺者や弓矢の暗殺者はまだ少しの傷も負っていない。フェリクスは二人と戦うことはできない。
 立ち上がらなくては、と己を奮い立たせて膝を立てる。青黒い床に鮮血が流れて水たまりのようになっていくのを視界からはずして、女暗殺者はなんとか立ち上がる。

「だめだよ、動いちゃ」

 第三勢力の人物が現れたのはその時だった。

「うりゃあ!!」

 若く高い少年の掛け声とともに、何かが視界を横切って鎌の暗殺者を吹き飛ばした。壁に叩きつけられた鎌の暗殺者は、衝撃が強すぎたのだろうか、鎌を落としてずるずると崩れ落ちる。
 よいしょ、と言いながらウサギのように身軽な動きの少年が手にした大剣を構えなおした。身長は女暗殺者よりも一回りは小さい。十三、十四歳といったところか。黄色の癖のある髪をかき上げている。
 女暗殺者が注目したのは、その大剣だった。大剣は少年の身の丈ほどもある。見るからに大きくて重そうな剣を、こんな少年が振り回せることに驚きを隠せなかった。
 少年は大剣を引きずって方向転換をする。ガリガリと耳障りな音を立てながら。同じく驚いていたらしい弓矢の暗殺者へ向けて、純粋に見える笑顔のまま、大剣を持ち上げて、振り下ろした。
 後は足を引きずる暗殺者のみ。少年は先ほどよりも力を抜いて、大剣を叩きつけた。
 あっという間に沈黙した暗殺者達を見やって、少年はため息をついた。

「つまんねえ」
「こらこら。そんなことを言っちゃだめだろう。君は特別なんだから。ほとぼりが冷めた頃にセラフィにでも相手してもらいなさい」
「はーい」

 少年の背後から別の青年が姿を見せた。
 一言でいえば…ひょろひょろ男。線が細いといえばそれまでだが、男にしては細すぎるように見える。しかし肌の色は白いが不健康な色ではないし、病的な雰囲気はない。深碧の髪に、金のヘアピンが特徴的だった。
 青年は女暗殺者の方を向いてしゃがみこむと、怪我をした足に向けて手を伸ばした。

「何を……」
「大丈夫、動かないで」

 信じられない光景を見た。
 青年の手のひらからエメラルドグリーンの淡い光があふれ、傷が見る見るうちにふさがっていったのだ。人間ならば使えぬはずの魔法なのだろうか。
 青年は足の傷がふさがったのを確認して、次いで腕の傷を癒した。
 その様子を見ていたフェリクスが、恐る恐る声をかける。

「貴方たちが、セラフィの言っていた……?」
「うーん、今の状況を飲み込めてはいないんだけど。まあ確かにセラフィの知り合いだよ」

 答えたのは少年のほうだった。

「ノア、そのお方はシアルワ王国の王子フェリクス様だよ。無礼のないようにしなくちゃ。……申し訳ありません、王子。わたくしは……」
「あ、気楽にしてくれていいよ。助けてもらったんだし」
「そう、ですか。ならお言葉に甘えることにするよ。俺の名前はセルペンス。こっちはノア。俺たちは医者もどきとして各地を旅しているんだ。俺、戦いはからっきしだから護衛役はノアだけど。それで今日はセラフィに呼ばれてここに来たんだけど……」
「セラフィが全然来ないから捜しに行こうって話になってここで迷子になっちゃったんだよな。ここの地理全く知らないし。そんでもってウロウロしてたら、あんた達が襲われていたってワケ」

 女暗殺者の治療を終えて、青年セルペンスはフェリクスに向き直る。優しそうな紫色の瞳から想像した通り、物腰柔らかだ。少年ノアの方は肝が据わったやんちゃ坊主、というイメージがフェリクスの中で沸いたが、実際のところはよくわからない。

「お前、その力は……」

 傷の具合を確かめるように慎重に立ち上がり、女暗殺者はセルペンスに問いかける。フェリクスも気になるところだった。

「ああ、これはちょっと企業秘密ということでよろしく頼むよ。……ところで彼女は一体?」
「ええと……名前聞いてなかった。教えてもらってもいいか?」

 答えを得られなかったことに不満げな表情を浮かべる。はあ、と小さく息をついてから女暗殺者はフードをはずした。ハーフアップにされた夜空の髪が露わになる。

「――ミセリア。フェリクス王子の暗殺を依頼されたが、雇い主が契約違反をしたために破棄をすることにした。もう王子を襲う気はないし、暗殺者組織へ戻る気もない。……復讐する気はあるけれど。王子の安全が確保されたのならもういいだろう。私はここで離脱させてもらう」
「待ってくれ」

 踵を返して下水施設を逆戻りしようとしていたミセリアに、フェリクスはすぐさま声をかける。

「襲って助けて、助けてもらって。それでお別れのつもりか? 君にはソルテ兄さんのこととか聞かないといけないしな。それに、君は放っておくと一人で突っ走って傷ついてしまうタイプと見た。俺はお人よしと言われる性格なんだ。君を放っておくことはできないよ」

 フェリクスはミセリアに近寄って、自然な仕草で彼女の手を取った。

「今なら彼らがいる。暗殺者たちもそうそう手を出せないだろう。街に出て、少し買い物がしたいんだ。付き合ってくれるかい? ミセリア」
「か、買い物? なんで急に……」

 戸惑うミセリアに、フェリクスは不敵な笑みを向ける。心強い味方ができたからだろうか、少し前までの弱気はどこかへ吹き飛んでしまっていた。

「俺たちなんか王子のお付きにされているけど……まあいいか。セラフィに託されたってことなら報酬もまた今度もらえるかな」
「落ち着いたらまた来よう。報酬貰ったらさ、肉食べに行こうぜ兄ちゃん」
「ノアは焼肉大好きだね」
「兄ちゃんは食べなさすぎ。もうちょっと食べないと」
「ハハハ」

 フェリクスはミセリアの手を握ったまま出口へ向かう。

(この状況じゃしばらく城には戻れそうにないし、遠出してみてもいいかもしれない)

 チラリとミセリアを見る。
 身体のラインが分かりやすい、地味な色合いの衣装。所々血に濡れてしまっており、このまま旅に出るのは気が引けた。お金なら少しは持ってきているし、今日は祭りなのだから服ぐらいお得に買えるかもしれない。
 なぜ襲ってきた犯人に似あう服を買い与えようと思ったのかは分からない。
 ただ、そうしたいという直感があったからだった。
 初めは一人で通るつもりだった階段を四人でのぼり、ゆっくりと地上への蓋を押し上げた。
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