久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

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夜明けの幻想曲 1章 黄金蝶の予言者

13 情報屋カラス

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 ぐらり、とフェリクスの身体が傾いた。
 優しい温もりを享受していたミセリアは我に返り、慌てて力の抜けた身体を支えた。
 ゆっくりと横たえてやる。少し前まで笑顔を浮かべていたフェリクスの顔は血の気が失せて青白くなっている。息も荒い。
 それが血を流しすぎたことによるものである、とミセリアは悟る。なぜそのことに思い至らなかったのか、とミセリアは顔をしかめた。やはり自分に余裕がなくなってしまっていたのだ。
 ミセリアは部屋にあるタオルを手に取った。血が固まって肌触りは良くないが、ないよりはマシだ。
 ごわごわする、かつては白かったタオルでフェリクスの左腕にある患部を包み込む。きつめに縛り、様子を伺う。
 こんな時にセルペンスがいれば治癒の力でこの傷を治すこともできるだろうが、今はそれを望めそうにない。

「フェリクス……」

 長めの睫毛が震えて、石榴石の瞳がミセリアの方を向く。

「ちょっとこれは、まずいかも」
「――すまない。私のせいだ」

 巻いたタオルに滲んでいく赤が目に痛い。ミセリアは新しいタオル――それも同じように汚れていたが――を引っ張り出し、追加で患部に当てる。

「違うよ。悪いのは全部あいつらだ」
「しゃべるな。体力を奪われるぞ」

 声に焦りが滲むのを抑えられない。ミセリアは必死に止血を試みる。ナイフで刺しただけでなく、引き抜いてしまったことも傷の悪化を招いてしまったのだ。

「これからどうすれば……」

 機械が壊れた以上あの男と連絡はとれないし、とりたくもない。セルペンスはどこかに連れていかれ、ノアとクロウは鬼ごっこをし、レイはひとり奔走している。誰もが閉ざされた扉を開く術を持っていない。たとえフェリクスの傷がふさがったとしても、閉じ込められたままではどうすることもできず死ぬのを待つしかなくなる。

「大丈夫だよ、ほら」

 フェリクスが安心したように言い、目線で扉を示す。
 ミセリアがその方向を見ると、かすかに音が聞こえた。

「これは――」


***


「ぎゃああ!!」

 情けない悲鳴をあげて男暗殺者が壁に叩きつけられる。
 いや、情けないと言い表すのは可哀そうだろう。なぜなら、男暗殺者の腹は半分ほど切れてしまっているのだから。
 クロウはジグザグに走りながら、後ろに迫る鬼を見やった。
 これは破壊神と形容してもおかしくはないな、と笑う。
 普段はウサギのように無邪気な少年が、こうも変容するとは。すこしばかり舐めていたらしい。

「クロウ!!!!!!」

 真っ赤に光る眼は一瞬たりともクロウを離さない。怒りに染まった表情はもはや精霊に近しい残虐さを、残酷さを帯びていた。精霊に近しい、という点においてはあながち間違っていないのかもしれないが。ノアも、自分も。
 そんなことを考えつつクロウは逃げ続ける。体力の方はノアが圧倒的に多いことを知っているため、いつまでも逃げることは不可能であることは分かっている。
 それでもノアにはこの場所を破壊してもらわなければならない。多くの暗殺者をおびき出し、多くの情報を得なければならない。自分は情報屋なのだから。

「ははっ! お前悪魔みたいな顔してるなあ!! セルペンスが見たら驚くぞ!!」

 こうしてノアが兄ちゃんと言ってはくっついているイミタシアの名前を出してやれば簡単に食いついてくれる。

「お前えええ!!!」

『兄ちゃんを傷つける奴は許さない』

 痛いくらいに真っすぐな思いを感じ取ることは容易だ。クロウはノアの感情を感じ取りながら笑みを深める。
 ノアが握りしめる大剣が暴れ、壁や扉を破壊していく。ノアを狙う暗殺者も返り討ちに遭う。遠距離から狙ったとしても、驚くほどの反射神経で避けるか防ぐかしてしまうのだからたまったものではない。近づけば容赦なく斬られる。斬られてしまえば命はないといっても過言ではない。下手すると真っ二つになってしまう。先の暗殺者のように。

(いやあ、まいったなぁ)

 思ったよりもこの少年は異常だった。ケセラが視力を失ったように、イミタシアは何かしらの機能が失われる。ノアがイミタシアとして何を持っていかれたのかはセルペンスですら分からなかったらしいが、もしかしたら内面的なものなのかもしれない。
 ノアが女暗殺者を二人同時に斬り倒すのを見届けつつ、クロウは更なる地下へ向かう。

(こんなに暴れてくれるなら、ここを再起不能にしてくれるのも楽ってもんだわぁ)


***


 レイは片手剣を握りしめながら通路を歩いていた。歩調は速めに、でも慎重に。
 遠くから破壊音が聞こえてくる。その破壊音は、少し前にレイが今歩いている通路を通っていったのだろう。通路は悲惨な有様だった。
 壁は一部が崩れ、扉も破壊され部屋の中が丸見えだ。床には崩れた壁から入ってきたのであろう土や、返り討ちにされたらしい暗殺者たちの遺体。
 そのどれもが初めて見る光景で、レイは顔を青くさせた。

 森の中は見た目こそ穏やかで綺麗だったけれど、それだけだった。
 ずっと前からソフィアに「森から出ないで」ときつく言われ、あまりの必死さに言いつけを破る気はしなかった。むしろ守らなければ、と思っていた。たとえどんなに外に出たいと渇望していたとしても。
 シャルロットに出会うまでは。
 惹かれるままに着いていって、夜華祭りを見た。「綺麗だね!」と言って笑う彼女と、その背後に広がる美しく幻想的な光景に目を奪われた。
 森の外はこんなにも面白くて綺麗な世界があるんだ、と心を躍らせた。綺麗なようでひたすら暗かったあの場所とは全く違う、本当に美しいものが。

 ブーツの底が血だまりを踏んで粘着質な音を立てる。森にいた頃、怪我をして自分の血を見たことはあるが、その時よりもはるかに濃い鉄のニオイが立ち込めていて吐き気がしそうだ。他人のものだから、という理由もあるのかもしれない。
 こんな場所にシャルロットが捕らわれていると思うと、歩くスピードが自然と速くなる。
 しばらく歩くと、下へと降りる階段が見えてきた。ランプも所々壊されて薄暗く、階段自体もボロボロだがこれ以外に先に進む道はなさそうだ、と意を決して足をかける。
 途中にあるポーチを折り返して一階分降りると、そこも上の階と変わらぬ光景が待っていた。
 唯一の救いはここが一本道ということくらいだ。迷わずに済む。
 暗殺者たちは相変わらず倒れている。
 怖気づく心を叱咤して歩いていると、二人分の足音が聞こえてくる。どちらも走っている。
 レイは身構えた。暗殺者の生き残りかもしれない。
 しかし、走ってきたのは予想外の人物だった。
 二つに結った白金の長い髪。ばたばたと揺れるワンピース。涙で潤んだ翡翠の瞳。
 間違いない、昨日攫われたシャルロットだった。

「えっ、シャルロット!?」
「レイ~~!!!!」

 レイに気づいたシャルロットが叫びながら向かってくる。その後ろには、シャルロットを追いかけている巨漢。
 二メートルはある長身に筋骨隆々とした体格。真っ黒なバンダナを頭に巻き付けている。首には赤い石のついたペンダントが下がっている。
 レイは組織の連中か、と剣を構えるが男の表情もまた泣きそうなものだ。

「ま、待ってくれよ~~」

 声も低いバリトンボイスだったが、どうにも情けない雰囲気が漂っている。
 レイは困惑しつつ、走ってきたシャルロットを抱きとめて庇う。シャルロットはレイにしがみついて離れない。よほど怖い思いをしたのかもしれない。

「誰だ?」

 睨みつけながらレイが問うと、男は立ち止って両手をぶんぶんと振った。

「ち、違う!! 俺は敵じゃないだ!! ええっと」

 男は黒いズボンから折れ曲がった小さなカードを取り出すと、レイに差し出した。

「お、俺は情報屋カラスの一員でコルボ―ってんだ!! わ、悪い奴じゃねえだ!!」

 警戒を続けながらもカードの中身を確認すると、確かに見覚えがある文面が並んでいた。

「貴方は、クロウさんの……」
「そうだ!! 俺はクロウさんの一番弟子だかんな!! 攫われた人たちの解放を任されただ!!」

 訛った話し方をするコルボ―という男は大男にしては優しそうな笑顔を浮かべた。どこか自慢気なそれは、クロウの笑顔と違って胡散臭さの欠片もない。

「そこのお嬢さんを見つけたから誘導しようと思っただが」

 そこでしゅんと肩を落とし、コルボ―は再び泣きそうな顔になる。

「こうして逃げられてしまっただ。もしかして、俺のことが怖かった??」

 シャルロットはというと、涙目ながらも頷いた。話を聞いたからか恐怖は薄れ、申し訳なさそうに眉を寄せている。

「い、いきなり鍵のかかった扉をへし折って追いかけてくるから……悪い人だと思って……あの……ごめんなさい……」
「ううう~それは悪かったけど、鍵がかかっていたから強行突破しかなかっただ……」
「お~い、コルボ―!!!」

 そこへもう一人、年若い少女の声が聞こえてきた。シャルロット達が走ってきた方角から少女と大勢の人間たちが歩いてくるのが見えた。老若男女様々な面子である。
 少女は高い位置で結った亜麻色の髪を揺らす。胸元の黒いスカーフと赤い石のついたペンダントが特徴的だった。年はノアと同じくらい、13、14と言ったところか。

「そこの人たちも追加?? ところでセルペンスさんは?アンタの担当だったでしょう??」
「ああ、クレーエ。この人達も追加してくれ」
「うん。で? セルペンスさんは?」

 クレーエと呼ばれた少女が腰に手をあてて問うと、コルボ―は目線を泳がせる。

「セ、ル、ペ、ン、ス、さ、ん、は???」
「み、見つからねえだ……」
「……」

 コルボ―の答えにたっぷり10秒沈黙した後、クレーエは目尻を釣り上げて怒鳴った。

「はあああああああ!? アンタさ、クロウさんに言われたこと忘れたワケ? セルペンスさん早めに保護しとかないとノアの暴走を止められないかもって!!!!!!」
「分かってるけど!! 俺が指定された場所に行っても居なかっただ!! 多分一人で逃げただ!!」
「あああもおおお!!」

 二人が怒鳴りあう光景を見て、レイの中で緊張感が薄らいでいく。コルボ―に向けていた剣を下ろし、鞘に納めようとしたところでシャルロットを抱きしめていたことに気づく。

「あ。ごめん」

 シャルロットから離れ、剣をしまう。
 シャルロットは一瞬ぽかんとした後、顔を赤らめた。

「私も突然しがみついたりしてごめんなさい」
「いや、それよりもシャルロットが無事で良かったよ」

 レイはシャルロットと向き合い、心からの笑顔と本心を告げた。シャルロットが攫われたときは全身が凍り付くような恐怖に襲われたが、今はホッとして気持ちも落ち着いてきている。状況的にまだ安心できるわけではないのだが。

「レイが来てくれて嬉しかった。一人で心細くて」
「うん。俺も寂しかった」
「レイ……ありがとう……」
「はいそこ、惚気るな!!!」

 二人でほのぼのと会話していたところをクレーエに遮られるもレイ、シャルロットともに惚気ていた自覚は皆無である。二人同時に首を傾げる。

「「惚気……??」」
「口を揃えるんじゃないわよ!!」

 乱れた息を整え、クレーエはレイに問いかける。

「そこのアンタ、自発的にここまで来たみたいな感じするけど、セルペンスさんどこにいるか知らない?」
「いえ。クロウさんがしかけた罠にハマって分断されてから行方は知りません」
「そう。あ~カーグの奴、運よくセルペンスさん保護してくれないかなあ」
「カーグ?」
「あたし達の仲間よ。クロウさんに組織の研究成果を根こそぎ奪ってこーいって言われていたから今頃走り回っているんじゃないの?」

 クレーエは腕を組む。ふん、と鼻を鳴らしてレイとシャルロットを見る。

「アンタ達も保護対象よね。さあ、ここから出るわよ。ここの構造なら知っているから」
「あ、待ってください。俺、ここまで一緒に来た人達と分断されてしまったんです。彼らと合流して無事を確かめたい」
「ああ、それなら多分大丈夫よ」

 レイの言葉にクレーエは手をひらひらと振りながら答えた。

「もうすぐ……っていうかもう助っ人が来ているはずだもの」
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