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外伝
セラフィ編 その手の温もりを 1 (第一部二章11話読破後の閲覧推奨)
しおりを挟むもう随分と歩いてきた。
裸足で長距離移動するという行為は思っていた以上に体力も気力も削がれてしまうものだということをセラフィは思い知った。十歳という若さだ。その上大した運動もしてこなかったから当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。森の小道は落ちた枝や植物の棘が足に刺さる。しかも野生の獣までいるのだから、噛まれたり引っ掻かれたりと生傷は絶えない。襲われた際は近くの木によじ登って難を逃れたが、安心して眠れる場所もないとなると精神が擦り切れても仕方がないことだ、と子供ながらに独りごちる。
何日歩いただろうか。道中、適当な野草や木の実を食べつつ彷徨っていた。ようやく辿り着いたのは大きな都。白い漆喰の壁、赤い屋根の建物ばかりが連なる美しい街。街道との間には検問が敷かれている。検問の前に並ぶ馬車や人々の数は多い。どうやら、都に入るにはあの検問をくぐり抜けなければならないらしい。
セラフィは自分の姿を見下ろす。
元は白かった半袖のシャツと膝の出るズボンは埃やら土で汚れているし、肌も髪も随分洗っていない。おそらくは臭いのだろうな、と心のどこかで思ったが、今はこの都にどう入ればいいのか考えることが先決だ。都なら働き口を探すこともできるだろう。
セラフィは検問所に立てられた看板を見る。
「シアルワ王国。王都シャーンス。大丈夫、読める」
必要最低限の教育は施されている。簡単な読み書きや計算くらいならなんとかできるはずだった。どうにかして王都に入って働き口を――出来れば住み込みの――見つけ、金を貯めてまた旅をしよう。
そう決めて、セラフィは検問所近くに突っ立って検問の様子を観察した。周りの人々は怪訝そうな顔でセラフィを見てくるが知ったことではない。
そして気がついた。
(けっこう杜撰だな)
検問を担当している兵士達は皆適当に話をして荷物をチラリと見るだけ。十秒たたずに検問は終わってしまう。
(これなら大丈夫)
セラフィはその場から離れて、行列を辿っていく。目的は一番後ろに並ぶ馬車。その荷台だ。最後尾ならば侵入がばれるリスクも多少緩和される。
目的の馬車はボロ馬車と言っても過言ではないほどに古びていたが、その分紛れ込むのも簡単だった。馬車の主である壮年の男性がぼんやりと空を見ていたのも簡単だった要因の一つと言える。セラフィは乱雑に積み上げられた麻袋の間に身体を挟み込む。ここ数日まともに食べていないせいで身体が細いことが、ここでは良い方向に働いたようだった。麻袋の中は何が入っているのかは分からなかったが、良い香りがした。
しばらくすると馬車は動き出し、検問を難なく通り抜けた。
「今日のフェリクス様のご様子は?」
「噴水広場にある書店の手伝いをしていたよ。もちろん騎士団長と一緒にね。そのお姿を見られるだけで俺は幸せ者さ。お前さんも一目拝めればいいな」
「本当にそう思うよ。それじゃあここで。ありがとさん」
「おう。商売頑張れよ」
などという会話を聞きながら。
***
馬車が止まった。セラフィは荷物の中から抜け出して、素早くボロ馬車から降りた。馬車の主は歩き去るセラフィをチラリと見ただけで声はかけなかった。馬車に紛れ込んでいたことはバレていないようだった。
街は想像していた以上に美しく、活気に満ちていた。人々はあくせくと働いているが、その顔はどれも明るく希望に輝いている。
(――反吐が出る)
セラフィは目を細めて舌打ちをした。
(僕らが味わった苦しみなんて、痛みなんてこれっぽっちも知らないくせに。この世界で沢山の人が犠牲になっていることも心から嘆いていないくせに)
街の人々はセラフィを見て怪訝そうな顔をする。中にはあからさまに嫌悪感を丸出しにして避けていく人もいた。セラフィの身なりを見れば当然とも言える。
(僕だって幸せな生活を送るはずだったのに)
あの日――もう八年前の話になる――新しい家族が生まれて、兄と父親と病院へ向かう予定だった。そこで母親と、新しい家族と対面する。セラフィもまた兄になるはずで、幼いながらに胸を躍らせて父親の腕に抱かれていた。
それを塗りつぶしたのは、炎と血の赤色だったけれど。
結局、精霊に襲われたあの村は跡形もないし、あの業火の中では家族も生きてはいないだろう。あまりにも強烈すぎた出来事だったせいで、なんとなくでも記憶に残っていた。
そんなことを考えていて歩いていたら、噴水広場まで来てしまったようだ。一段と賑わっているそこは、働き口はあるかもしれないがセラフィにとっては苦痛でしかない。なぜなら、そこかしこに楽しそうな家族連れがいるからだ。
セラフィは昏く沈んだ目で周囲を睨み付けながら路地裏に入る。ここなら人はいない。壁にもたれるようにして腰をおろし、膝を抱え込む。働こうとは思ったものの、この明るい街はどうにも苛立つ。セラフィが奪われた幸せに満ちている。この人のいない日陰にいた方がマシだ。
そうして何時間が過ぎただろう。少し日が傾いて来た頃、路地裏に別の存在が入り込んできた。
「何をしているんだ?」
子供らしい高く澄んだ声だ。セラフィは億劫そうに顔を上げて声の主を見た。
セラフィよりも一、二歳ほど年下に見える少年だった。派手な金赤の髪に、キラキラとした石榴石の瞳。いかにも高級そうな生地で出来た服を身に纏い、その手には小さな籠があった。籠の中に何が入っているのかは分からない。
「……別に」
「そんなところにいたら風邪引いちゃうぞ! もうすぐ夜になるし。家に帰らないのか?」
「帰る家もないから。君こそ早く帰った方がいいよ。買い物の途中だろう?」
そっぽを向いて冷たく接するセラフィの横に少年は腰掛ける。
「服、汚れる」
「そんなの気にしなくても良いって! それよりもさ、これあげる!」
そう言って少年が差し出したのは赤いリンゴだった。よく熟れたリンゴは今が食べ頃なのだろう。
「これ、お腹が空いたら食べなさいってもらったんだ! 俺、お腹空いてるからさ、一緒に食べよう!」
「君がもらったのなら君が食べればいいじゃないか」
「でも……」
ぐう、と音が鳴った。音の出所はセラフィの腹だ。当たり前だ。これまでの道程でろくな物を食べてこなかったのだから。
その音を聞いた少年は一層笑みを深めてセラフィの手を掴み、有無を言わせずリンゴを握らせた。子供の手から溢れそうなほど立派なリンゴだった。
「ほら。お腹空いてるなら食べなよ。俺の分もあるからさ、大丈夫」
そう言って少年は持っていた籠からもう一つリンゴを取り出してみせた。そして両手でしっかり持って大きくかじりつく。シャク、といい音がセラフィの耳を通して空腹感を刺激する。
セラフィは真っ赤なリンゴを見て、そして小さく口を開けてかじった。甘く爽やかな香りが口の中に広がった。果実はほどよく固く、甘酸っぱい果汁があふれ出る。
気がつけば夢中でリンゴを食べていた。
実をしっかりと食べ尽くし、名残惜しくも最後の一欠片を飲み込む。手に残ったのは芯だけだ。思わずため息が出てしまう。
そこでセラフィはハッとして少年の方を見た。
予想した通り、少年はニコニコと嬉しそうにセラフィを見ていた。
「やっぱりお腹が空いていたんだな! まだあるからどんどん食べてくれよ」
「あ、それは君のもので」
「困っている人を放っておけないよ。えっと、そうだ、君の名前を聞いてなかったな! 俺はフェリクス。君は?」
「……セラフィ」
「そっか、良い名前だな! じゃあセラフィ、家がないのならうちに来いよ! 事情を話せばみんな分かってくれるから」
「いけません、殿下」
フェリクスと名乗った少年が満面の笑みで告げた提案を、さらに新しい人物が否定した。路地裏に入ってきたその人物は非常に大柄な中年の男性だ。短く刈り上げた鳶色の髪と瞳を持ち、頬には切り傷のような傷跡があった。随分古そうなものだったが。鈍く光る金赤色の石が取り付けられた精緻なブローチに目が行く。あれはどう見ても値の張るものだ。
「あ、エルダー! 見つかっちゃったかぁ」
「何度目だと思っておいでですか。殿下の行きそうな場所などもう把握しています」
そのやりとりにセラフィは頬を引きつらせた。
(まさか、こいつ――王族? 嘘だ、捕まるのはマズいぞ。どうする、逃げないと)
思考を巡らせていたセラフィに、エルダーと呼ばれた男が声をかけた。
「お前、どこの出身だ? 家がないと言っていたが、親戚も知り合いもいないのか?」
「僕の故郷はもうないです。身よりもいません。なので――」
どう見たってエルダーは強い男だ。逃げようとしても捕まるのがオチだろう。これまで逃げてきた中で培ったカンがそう告げる。セラフィはそう感じた。そして王族に近い男。そうなったらもう、この男を利用して働き口を見つけてやろう。
「僕を雇ってもらえませんか? 雑用でもなんでもやりますので」
「ほう?」
値踏みをするような視線。子供相手に容赦ない厳しい視線。それを受け止めてセラフィはまっすぐにエルダーを睨んでやる。
(この程度。精霊の方が怖かったよ)
たっぷり十秒ほど、にらみ合いが続く。フェリクスは首を傾げつつ黙って事を見守っていた。
静寂を破ったのは、エルダーの豪快な笑いだった。
「あっはっはっ!! いい目をしてるじゃないか!! 普通のガキンチョなんて俺の姿を見ただけで逃げ出すっていうのに。さてはお前さん、結構な修羅場をくぐり抜けてきただろう? 目を見れば分かるぜ」
「……」
「気が変わった。なぁ、お前さん。強くなる気はないか?」
そう言うとエルダーは腰に下げた長剣をベルトから外す。
「コイツで殿下を守るお仕事さ。どうだい?」
セラフィは考える。
確かに強くなれたのなら、それは良いことだろう。また旅立つ際に役立つに違いない。
「分かりました。金がもらえるならばなんだっていいです」
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