久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

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外伝

セラフィ編 その手の温もりを 5(完)

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 セラフィが無事に外に出てからも、フェリクスの話し相手としての仕事は続いた。
 その日、兵舎でエルダーはセラフィに問いかけた。

「俺の至らなさがお前に迷惑をかけてしまって済まなかった。けど、セラフィ。お前はこれからどうするつもりだ?」
「僕は」

 それはセラフィにとって、愚問とも言える質問だった。

「まだ殿下と一緒にいたいです」


***


 更に数ヶ月後。

「セラフィ、お疲れ様」
「殿下、来ていらしたのですか」

 セラフィが見習い兵士に混じっての鍛錬を終えると、庭園でフェリクスが待っていた。その日はよく晴れていて、メイド達が鼻歌交じりに洗濯物を干している。

「今日は一緒に街に出る約束だっただろう? エルダーさんにも許しをもらったし! 堂々と門から出られるよ」
「殿下は普段から堂々と脱走しすぎていると思うのですが。どうして僕が殿下の話し相手として抜擢されたと思っているのですか」
「ム、言うようになったなぁ」
「本当のことです」
「そりゃそうだ。そんなことよりもさっさと行こう」
「はい」

 数ヶ月フェリクスの話し相手を務めて気がついた事がある。
 やはり、フェリクスの自分よりも他人を優先する癖は直らないということだ。セラフィは潔く諦めた。エルダーにそれを話すと、「お前でも駄目か」と苦笑を返された。そこでエルダーはフェリクスに対して“一人で街に出ることは禁止です。ただ、コイツとなら行っても良いでしょう”と言ってのけたのだ。最初は驚いたセラフィだったが、フェリクスに気を許し始めていた頃合いだった。話し相手としての仕事の報酬は確かにもらえるし、と自分を納得させて了承した。
 本来なら金を貯めてある程度戦える技量を身につけたらさっさと城から出て行く予定だったのだが、今は「もう少し先でも大丈夫」と思い始めている。それが吉なのか否かはセラフィには分からなかったが、どうにも城の居心地が良すぎる。離れることができるのか、という心配すら浮上してきたところだ。
 そんなことを考えつつ、セラフィはフェリクスと共に城の門を出て、城下町シャーンスへ向かった。
 相変わらず活気のある街だ。人々はフェリクスとすれ違う度に笑顔で挨拶を交わす。フェリクスもいちいちそれに応えていくためか、目的の噴水広場まで行くのに十数分かかってしまった。人々は隣に立っていたセラフィにも声をかけ、中には頭を撫でていく人までいた。少々むず痒い。
 やっとのことで辿り着いた噴水広場。近くのベンチに腰掛けて、二人は話し合った。

「もうすぐ一年になるなぁ」
「何がです?」
「セラフィと出会ったの! セラフィは路地裏にいただろう?」
「……もう一年経つのですか」
「約だよ、約一年。でもまぁ、早いなぁ」
「そうですね。あのときのリンゴ、とても美味しかったです」
「俺も覚えているよ、あの味を。あともうちょっとしたら、また食べ頃のリンゴがお店に並ぶようになるよ。……なぁセラフィ」

 くすくすと笑ってから向けられた視線に、セラフィは自分の視線を合わせる。フェリクスはどこか遠慮がちに尋ねた。

「セラフィはさ、ここに来る前どこにいたんだ?」

 セラフィは軽く目を見開いた。そういえば、フェリクスにはなにも話していないのだった。フェリクスはセラフィの素性を全く知らないまま、ここまで明るく接してくれていたのだ。

「身よりも帰る家もないってあのとき言ってたけど。どうしてここに……?」
「……」
「あ、別に言いたくないなら言わなくてもいいよ。セラフィにとって辛いことを思い出させてしまったのなら、ごめんなさい」

 セラフィは急に申し訳ない気持ちになった。この王子になら、少しは話しても大丈夫だろうか――?

「いえ、大丈夫です。そうですね、まだ何も話していませんでした。明るい話ではありません。それでも、聞きますか?」
「セラフィが良ければ聞きたい」
「――はい、ではお話させてください。

 僕には、家族がいました。両親と兄、そして母のお腹にいた妹です。僕が二歳の時にみんな死んでしまったので、顔も声も覚えてはいません。ただ、その頃はとても幸せであったと、それだけ記憶しています。僕の暮らしていた村は精霊によって焼かれました。村人の安否は今となっては知る術もありません。生き残ってしまった僕は――その、色々ありまして。帰る場所もなく彷徨っていたところ、偶然シャーンスに辿り着き、そこで殿下と出会ったのです」

 精霊に捕らわれていたことを話す勇気は、フェリクスの前であっても出てこなかった。まだ、話すときではない。話す時そのものが来るかは怪しいが、とりあえずごまかしてしまった。

「そっかぁ……。大変だったんだな」

 温室育ちのフェリクスには、何もかもを奪われる恐怖は知りもしないだろうが。それでも、その表情が真にセラフィを案じているものであると感じられた。セラフィはゆるく首を振り、口を開いた。そこから飛び出したのは、完全に無意識から生じたものだった。

「今は幸せですから」

 ポロリと口に出た言葉に、セラフィ自身が驚いた。勝手に口から出たということは、本心である証とも言える。
 それ以降の言葉に詰まり、固まってしまったセラフィをフェリクスは不思議そうに覗き込む。

「セラフィ?」
「何でもないです……」
「元気なさそうだな。城に戻ろうか」
「でも、殿下の日課はまだ……」
「疲れているなら休まなきゃ。これも人助けの一環だよ、多分」

 フェリクスは立ち上がって、あの日と同じようにセラフィの手を引いて歩き出す。やっぱりその手は温かくて、心地よいと思ってしまう。

(これが幸せなのか)

 すとんと胸に落ちる考えに、自然と優しい微笑みが浮かぶ。
 前を向いているフェリクスがそれに気がつくことはなかったけれど。


***


「おや、早いお戻りで」

 城の門をくぐると、庭園ではエルダーがメイド達と何かを話しているようだった。セラフィ達が戻ってきたことに気がついて話を中断する。

「今日はもうおやすみ! な、セラフィ」
「……ということらしいです」

 にこ、と微笑みかけられてセラフィは頷いた。

「そうですか。たまにはお昼寝もいいのではないでしょうか? 今日は日差しも暖かいことですし、気持ちいいと思いますよ」
「それもいいかも。セラフィも寝たらいいと思うよ」
「でも、僕は仕事がありますし」
「少しくらい平気だって」
「……なら、三十分くらい」

 フェリクスとセラフィのやりとりにエルダーとメイドは笑い、それに対してセラフィはムウと睨み付ける。

「殿下のお言葉に甘えて寝るんだな。夕方の稽古までに遅れなければそれでいいから」
「わかりました」

 そんなほのぼのとした空気を切り裂くかのような悪寒をセラフィは感じた。カンの告げる通りに上を見上げる。
 開いた窓、揺れるカーテン。伸ばされた手。その手がしっかりと持っているのは、大人の頭くらいの大きさはありそうなほどの壺。
 セラフィの視線に気がついたエルダーが同じように上を見上げるよりも前に、その手は壺を手放した。セラフィは一瞬で考える。あのまま壺が落ちたら、その先にあるのは――セラフィに幸せを与えてくれた、守るべき人。
 セラフィは無我夢中になって、メイドの近くに立てかけてあった物干し竿を掴んだ。長い獲物を使った修行なんてやったこともないが、全力で振り上げて、それでも見事に壺に当ててみせた。
 物干し竿の先に当たった壺は、セラフィの思い描いていた通りに人のいない方向へ飛んでいき、庭園の茂みの中に落ちていった。
 周りにいた人々が一瞬の出来事にようやく我を取り戻し、ざわつき始めたのと同時にエルダーは駆けだした。おそらくは故意に壺を落とした犯人を捕らえるため。フェリクスの側を離れたのは、セラフィに対する信頼から来たものだ。

「殿下、こちらへ」

 物干し竿を手放して、セラフィは自らの住まう兵舎へとフェリクスを連れていった。あそこならエルダーに鍛えられた信頼できる兵士しかいない。

「う、うん」

 混乱している様子のフェリクスは、素直にセラフィの言葉に従った。牢から出たあの日とは逆の構図だった。


***


 少し時間が経ち、エルダーが兵舎に訪れた頃には日は既に沈んでいた。兵舎にいる間、流石に昼寝はできず、セラフィはフェリクスの側に座っていることしかできなかった。フェリクスは無言で何かを考えている。

「殿下、犯人は早急に捕らえましたのでもう大丈夫です」
「そう……。みんなに怪我がなくて良かったよ」
「はい。セラフィのおかげです」

 唐突に話を振られてセラフィの肩がはねる。

「え、僕ですか」
「そうだ。お前が人の居ない方向へ壺を飛ばしてくれたから、誰も怪我をしなかったんだ。お前の物干し竿術、すごかったぞ」
「物干し竿術って響きがなんかかっこ悪いですね」

 セラフィの返答に、不安そうな顔をしていたフェリクスに笑顔が戻る。

「あはは、そうかも」
「全く同感です、殿下。……セラフィ、明日から槍の扱い方も学んでみるか?」
「はい。是非」

 エルダーの提案にセラフィは即答する。これを断るという選択肢はない。
 強くなりたい。最初はただ旅を続けるためだけに求めていたそれが、今は目的を変えてセラフィの心に根付いていた。
 強くなりたい。偶然とはいえ、手に入れたこの幸せを守るために。幸せをくれた王子を守るために。その王子が愛するものを守るために。そして、いつの日かはぐれてしまったかつての仲間を助けるために。

「セラフィ、ありがとう」

 笑顔を取り戻したフェリクスは、セラフィに面と向かって感謝の気持ちを伝えた。あの日、熟れたリンゴを差し出した時と同じような、そんな笑顔だった。

「殿下を守れて、本当に良かった」

 ようやく戻った笑顔を向けられて、セラフィは安堵の息をついた。
 これでまだ、あの温もりは消えずに済むだろう。


***


 昼寝はまた今度、ということでフェリクスはエルダーによって部屋に送り届けられた。話がある、と前もって言われていたセラフィはエルダーの部屋で待っていた。
 しばらくして戻ってきたエルダーの表情は硬い。
 セラフィも気を引き締めて背筋を伸ばす。

「今日の件は、貴族の子供が犯人だった。どうやらラック様にそそのかされたようだ。その子は没落しかけていた家を守りたくてラック様に従っていたようだったが、これでもう再建は無理だろうな」
「そうですか」
「あの壺には、砂が入った袋が大量に詰め込まれていた。殿下に直撃していたら。そう考えると恐ろしいよ。子供とは言え、ラック様はそのようなことをされたのだ」
「……」

 フェリクスへの嫌がらせを自らやってのけたソルテと、他人に依頼してフェリクスを害そうとしたラック。流石に度が過ぎるのではないか、とセラフィもエルダーも眉をひそめる。

「どうにかしてお二人を止められないものか」
「……それは、僕にはどうにかできるものではないかもしれません」

 解決したいとはいっても王族とただの元浮浪者の子供。たとえセラフィが王に直談判しようとしても上手くいくとは思えなかった。けれど、セラフィにもできそうなことははっきりと分かる。それは――。

「僕がお守りいたします」

 人を傷つける。幸せを奪う。そんなことは許せない。かつて精霊にされたこととやることは違えど精神は同じではないか。それを正し断罪することが難しいのならば、できることを優先すれば良い。

「ほう?」

 エルダーはセラフィの視線と込められた決意を正しくくみ取り、ニヤリと笑った。

「初めて会ったときの淀んだ感じと随分変わったものだな。殿下の人柄に影響されたか」
「ええ。そうかもしれません。殿下は何も無かった僕に温もりをくださいました。家族も故郷も何もかもを失った僕に」
「でも、本当はやることが――使命があるんだろう?」

 見透かされている。セラフィの心臓がドクンと跳ねる。
 使命。使命といえるかも分からない、望み。みんなで幸せに。それはここにいては叶わない望み。
 でも、セラフィの想いは強かった。

「はい。ですが、今は殿下の側に居させてください。そして、僕にもっと強さをください。今のままでは、殿下を守ることも、いつかは叶えたい願いも上手くいかないと思うのです」
「そうか。お前がそう思うのなら、そうするといい」

 エルダーはまるで自分の子を慈しむかのようにセラフィの頭を撫でた。大きくて無骨な手が容赦なく髪を乱していく。

「あわわ……」
「明日からは厳しく鍛錬するからな。本気で戦って俺に傷をつけられるようになったのなら、その時は」

 エルダーは壁に飾られていた槍を手に取ると、セラフィに手渡した。
 ずっしりと重い。繊細な装飾が施された美しい槍。けれどもよく見れば、無数の細かい傷が刻まれている。

「そいつで殿下を守ってさしあげろ」

 ぐ、と握りしめる。両手でしっかりと槍を支え、セラフィはエルダーに爛々と光る翡翠の目を向けた。

「必ず」


***


 それから一年後。
  相も変わらず、兄王子達からの嫌がらせは絶えない。壺の一件以降、命に関わるような事件は起きていない。何か心境の変化があったのかは分からないが、嫌がらせは徐々に控えめになっていた。
 そんな秋のある日。開いた窓から甘い花の香りが漂う午後のこと。
 第三王子の部屋の扉が叩かれた。
 
 「どうぞ」
 
 王子の返事を待って、ゆっくりと扉が開かれる。
 長く伸びた髪を後ろで束ね、身に纏っているのは赤銅色のロングコート。背負っている獲物は白銀の槍。腰のベルトには白銀の剣。背はまだ伸びきっていない少年が立っていた。
 王子が「あ」と声を漏らす前に、翡翠の瞳が得意げに細められる。

「今日から殿下のお付きに任命されました、セラフィと申します」

 少し胸を張って、にんまりと。
 第三王子の言葉を待っていた少年は、既に自然な笑顔を取り戻していた。王子は少し目を丸くすると、ほんのちょっぴり呆れたように、けど嬉しそうに言うのだった。

「試験に合格するの早くない?」
「才能というやつですかね」
「あながち間違ってないから反論出来ないのがつらい」
「あの優しかった殿下が僕を否定するのですか!!」

 よよよ……と泣いたふりをする少年に、王子は素直に笑う。

「そんなわけないだろ。セラフィならさっさと終わらせてけろっとした顔でここに来ると思ってた。……昨日は“どうしよう試験明日だエルダーさん絶対本気出してくる怖い”とか言ってたような気もするけど、聞かなかったことにしておくよ」
「兵舎の隅で悶々としてるところに盗み聞きなんて酷いですよ殿下」
「応援しにいこうと思っていたから……ともあれ、おめでとうセラフィ」

 す、と差し出される手。リンゴを与えてくれた時よりも一回り大きくなった手にセラフィは己の手を伸ばした。
 王子と騎士の忠誠を誓う儀にしては些かラフな、友としてならピッタリと当てはまるような、そんな握手を交わす。変わらない優しい温かさを感じ、少年は改めて誓うのだった。

(お守りいたします。どうか、その気高く優しいぬくもりでみんなを――)

「これからもよろしく、セラフィ」
「こちらこそよろしくお願いします。殿下」


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