久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

9 不吉な予告

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 マグナロアでの修行を始めて一月が経とうとしていた。
 フェリクスは槍をある程度使えるようになった。流石にレオナやセラフィまでとは言わないが、始めたころと比べれば随分と上達したとフェリクスは思っている。多少の暴漢程度であれば対処できるかもしれない。まだまだ安心するにはほど遠いのだが。
 その日はレオナに稽古を付けて貰う最後の日だった。

「よし、頑張ろう」

 ペシペシと頬を叩いて気合いを入れる。訓練用の槍を手に石畳の道を進む。辺りはすっかり明るくなり、マグナロアの人々が活気を取り戻していた。あちこちで剣戟や気合いを入れるための雄叫びが聞こえる。もうすっかり慣れた光景だ。
 すれ違う人々に挨拶を交わしつつフェリクスは広場へ向かった。

「おはよう、殿下」
「おはようございます、レオナさん。今日もよろしくお願いします」
「あいよ。……今日で最後とは寂しいねぇ」
「そうですねぇ……。俺はもう準備は済ませました。いつでもいけます」
「了解。それじゃあ、最後の仕上げといこうか」

 レオナは懐から小瓶を取り出した。中には赤い液体が入っている。
 フェリクスが待っていると、レオナはフェリクスの槍にその赤い液体を塗りつけた。

「レオナさん、これは?」
「ただの塗料だよ。殿下はその槍についた塗料が乾ききる前にアタシに攻撃を当てるんだ。アタシのどこかにその塗料を付けたら殿下の勝ち。乾いてしまったらアタシの勝ち。それでいいかい?」
「はい、分かりました!」

 そうこうしているうちに周りの席には街の人々やセラフィとミセリアが集まっていた。他の仲間達は別の場所にいるらしい。

「セラ坊、合図頼むよ」
「はーい了解です。それではお二人とも構えて……」

 フェリクスは息を呑む。訓練とは言え、緊張はするものだ。

「はじめ!!」

 フェリクスは槍を握りしめて走った。塗料が乾くまでの時間は、恐らく少ない。ぐずぐずしていても駄目だ。こうなったら一気に行くしかない。

「やぁ!!」

 教えて貰ったように突きを繰り出す。センスが良いとは言われたものの、まだ精度は低い。
 レオナはフェリクスに追撃することなくひらりと避けた。フェリクスは急いで体勢を立て直そうとして前につんのめりそうになる。なんとか踏みとどまり、愉快そうに笑っているレオナを再び視界に入れる。

(頑張れフェリクス、強くなれ)

 自分を鼓舞して深呼吸をする。手汗で湿る槍をもう一度握りしめて、動くべき軌跡を脳内で確かめる。
 そして恐れることなく突っ込んでいく。

(頑張れ俺!)

 この一撃が避けられるであろう事は容易に想像ができる。案の定レオナは真っ直ぐな攻撃をひらりと躱していく。フェリクスは素早く身体を捻って追撃をした。

「おおっと」

 レオナは一瞬だけ驚いて自身が持っていた槍をフェリクスの槍に当てた。ガッ、と鈍い振動と共に槍の軌道が逸れる。レオナの脇腹をかすめるはずだった槍は右に大きくずれ、フェリクスは「うわっ」と思わず口にした。それでもなんとか無様に転がることはしない。地面に手をつくものの、とっさに判断をして脚で蹴り上げた。それはレオナにとって予想外のことのようだった。レオナは地面に転がることでフェリクスの蹴りを避けた。予定外の攻撃をして王子に大怪我を負わせることは流石にためらわれたらしい。

「そこだ!」

 フェリクスは一瞬の隙を見逃さなかった。レオナが身体を起こすまでのほんの僅かな瞬間を狙って槍を横一線に振った。

「……っ」

 レオナは持ち前の反射神経で上に飛び上がる。しかし間に合わず、木製の槍が脚を掠めていった。皮のブーツに赤い液体が付着する。僅かな量だったが、確かに赤色がそこについていた。

「むぎゅ」

 槍の勢いに飲まれて体勢を崩し、地面に倒れ込んだフェリクスにかっこよさの欠片はなかったが。

「そこまで!」

 セラフィのかけ声と共にその試合は終わった。
 腰に手を当てて立ち上がったレオナは笑った。気持ちが良いほどに清々しく。

「あっはっは!まだまだ未熟だけど、随分と動けるようになったねぇ。いいよ。合格だ、合格。よく頑張ったね、殿下」
「ふぁ、ふぁい」

 差し出された手を取り、フェリクスも立ち上がる。

「レオナさんのおかげでなんとかここまで来ることが出来ました。ありがとうございます」
「いいや、かわいい殿下の頼みだ。聞くしかないじゃないか。まぁ、城に戻ったら仕事で大変かもしれないけどセラフィにでも稽古つけてもらいな。あとはエルダーのじじいでもいいから」
「はい。そうすることにしますぐはっ」

 背中をバシバシ叩かれてむせかえる。
 フェリクスが咳き込んでいる間、レオナは観客席にいたセラフィとミセリアの元へ歩み寄ろうとする。その瞬間だった。

「誰だ!」

 隠し持っていた投擲用ナイフを民家の上に向かって投げる。フェリクスは気付かなかったが、屋根の上に人影があった。どうやらフェリクスよりも少し年上の少年らしい。濃い紫のマフラーが翻る。
 黄色がかった薄緑の髪に橙色の瞳。くすんだ黄緑の衣装を身に纏っていた。怪我でもしているのか、左腕には包帯を巻いている。そして前髪には金のヘアピン。

「……まさか」

 セラフィが怪訝そうに眉をひそめた。

「セラフィ、知っているのか?」
「……会うのは随分と久しぶりなので。確信は持てないのですが」

 レオナがナイフを投げた際にフェリクスの元へ駆け寄っていたセラフィは目を眇めて少年を見ていた。

「それって、まさか」
「合っていれば、ですがね」

 少年は身軽に屋根から地面へと飛び降りた。きょろきょろと辺りを見回し、そしてがっかりしたように肩をすくめた。そのまま何事もなかったかのように立ち去ろうとする少年の背中へセラフィが呼びかける。

「ヴェレーノ!!」

 少年はゆっくりと振り向いた。

「やっぱりセラフィか。……聞きたいことがあるんだけど」
「……」
「兄さんはどこにいる?」

 まるで周りの人間など見えていないかのような態度だ。セラフィはゆるゆると首を横に振る。

「彼はあちこち旅をしているから、場所までは。そんなことよりも、今まで何を」
「ならいいや。……ああそうだ。昔馴染みのよしみで教えてやるよ」

 ヴェレーノと呼ばれた少年はセラフィの問いには答える気はないようだった。ただ一方的に口を開く。少し気怠そうに。

「しばらくシャーンスには近づかないほうがいい。あそこ、近々壊滅すると思うから」
「今、なんて」

 シャーンスという単語にいち早く反応したのはフェリクスだ。
 シャーンスが壊滅。詳しく聞こうと詰め寄ろうとした所を、首根っこを掴まれて引き留められる。セラフィでもミセリアでもない。フェリクスを引き留めたのは、いつの間にか来ていたらしいクロウだった。眉間に皺を寄せたクロウはフェリクスを離してヴェレーノへ歩み寄っていく。

「おいお前。何を企んでいる?」
「あぁ、クロウか。あそこにいるのはソフィア?懐かしい顔ぶれが多いな」
「質問に答えろ。お前――」
「俺の中身、そう易々と見られると困るんだけど。俺は兄さんに会いたいだけなんだから……あぁ、お前にはもう一つ言っておこうか。つい昨日、リコに会ったよ。元気そうだった」
「……」

 クロウは一瞬押し黙り、長い脚を大きく踏み出して駆けだした。ヴェレーノは愉快そうに笑って逃げ出す。フェリクスはぽかんとしていたが、セラフィはクロウと一緒に来ていたらしいソフィアを見て頼み込む。言葉はなくとも、伝わりはする。

「ソフィア」
「……仕方ないわね」

 クロウを追ってソフィアも駆けだした。身長の差もあってか走って追いつけるワケがない。しかしソフィアはそのまま駆けていった。

「……セラフィ」
「殿下、お怪我はございませんか」
「いや、特にない。でも、今あの人が言った言葉……本当なのかな」
「すみません殿下。僕には分からなくて」
「帰らなきゃ」

 試合が終わったあとの明るい表情はすでにない。フェリクスは不安に揺れる瞳をシャーンスがある方角へ向けた。

「守らなきゃ、シャーンスを」

 ぐっと拳を握りしめて歩み出したフェリクスを、セラフィとミセリアは何も言うことができないままに着いていく。フェリクスが国を思う気持ちは本物だ。それを知っているからこそ、この王子の決意を止めることはできないと本能的に感じ取ったのだ。
 「もしも本当だったら危険だ。ここに留まったほうが良い」そんなことを口にするべきなのだろうが、何も言い出せない。着いていくしかないと身体は訴える。もしかしたらこれが神子の力なのか、とミセリアは心のどこかで感じ取った。

 良くも悪くも恐ろしい力だ。
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