久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

文字の大きさ
75 / 115
夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

12 殿下が惚れた人、そして平和な街

しおりを挟む

「殿下なら山積みになってた書類を見て顔を引きつらせていましたよ」

 騎士の宿舎の隅っこで存在感を消そうと努力していたミセリアへ何の遠慮もなしにセラフィが話しかける。城であまり目立ちたくないらしいミセリアは邪魔をしてきたセラフィを睨み付けつつもきちんと応えてやる。

「そうか良かったな話しかけるなお前と居ると目立つ」
「いや、殿下にとっては良くないと思いますが。……別にいいじゃないですか。この時間帯には騎士達は出払ってますし、ミセリアは指名手配犯というわけでもないでしょう?」
「それはそうだが。でもここにはソルテとかいうやつもいるし、私は一度フェリクスに襲いかかった身でもある。フェリクスやお前が認めても周りの人間がどう思うか。今になって不安になってきた」

 愛用しているナイフを――もちろん刃は鞘の中だ――膝の上においてうじうじと考え込むミセリアへ、セラフィは苦笑しながら活を入れる。

「そんなこと気にしてどうするんですか」

 近くにあった椅子に腰掛ける。

「マグナロアでの夜、殿下に何か言われたんでしょう?『一緒に来てくれ、ミセリア』みたいな台詞を」
「……」
「図星ですね?まったく、お二人とも分かりやすいんですから。それで、ここに来るとミセリアが決めたのならそれで良いじゃありませんか。殿下が信頼している貴女であれば側に居たって誰も文句なんて言いませんよ」
「……」
「騎士団に入るなりメイドになるなり殿下の近くに居られる方法はあります。それはゆっくり考えればいい話です。やることがないのなら殿下の元へ行ってみてはいかがです?貴女が近くに居るだけで絶対に作業効率あがると思うんですよね」

 黙って話を聞いていたミセリアはようやく立ち上がる。無言のまま歩き出したミセリアをセラフィはにこにこと見送った。最後に一言だけ添えて。

「ミセリア、殿下のお部屋は反対側の扉からです」

 無言のまま方向転換したミセリアに吹き出しつつ、セラフィ自身も立ち上がって騎士の間を後にすべく扉に手をかけた。

「っ」

 唐突に目眩に襲われ、セラフィは壁に手をつく。こみ上げてくる咳にもう片方の手で口を覆う。
 少しの間咳き込んだあと、乱れた息を整える。酷い咳ではなかったためすぐに治まった。

「風邪、かな」

 気を付けないと、とため息をついて今度こそ騎士の間を後にした。


***


 階段を上っていると、上から金赤色の髪の男が下ってくるのが見えた。しかし、見慣れた王子のものではないと気付くとミセリアは視線を下に向けて俯いた。
 騎士二人に付き添われた、いや監視されているのであろう第二王子ソルテだった。ミセリアはすれ違いざまにチラリと顔をのぞき見る。

「――?」

 フェリクスと同じ石榴石の瞳。それが、酷く濁っているように見えた。
 つい足を止める。
 カツカツと靴の音を響かせながら階段を降りていく背中に、いつの日か見たはずの傲慢さはなかった。

(あの件でこっぴどく責められてしまったのか)

 それぐらいしか考えられない。しかし、どうにも違和感が拭えなかった。何も映していない虚ろな瞳に嫌悪感を覚える。
 ミセリアは首を振り、気を取り直してフェリクスの元へ向かった。
 扉をノックして返事を待つ。数秒後、眠そうな間延びした返事がきた。それを確認した後遠慮なく部屋に入る。
 日当たりの良い温かな部屋だった。白いレースのカーテンが揺れている。ミセリアの目的であるフェリクスはげっそりとした顔を浮かべながら書類と戦っていた。側にはメイド服を纏ったシェキナがいて、カップを三つ用意しているところだった。

「ミセリアだぁ……」

 フェリクスは披露困憊な様子で片手を挙げた。小指付近がうっすらと汚れている。長い間、書類に何か書いていたのだろう。

「ミセリアさん、でしたよね」
「ミセリアで良い。敬語もいらない」
「そう?了解。今ちょうどお茶を淹れた所だからゆっくりしていって。私はシェキナ。殿下のお付きをしているよ。よろしくね」
「ありがとう――あぁ。よろしく頼む」

 シェキナに示された椅子に腰掛ける。丸テーブルに散らばった書類を適当にまとめ、シェキナはお茶の入ったカップをミセリアの前に置く。

「ミセリア~~」
「情けない声を出すな」

 さっきまで自分が悩んでいたことは顔に出さない。シェキナはくすくすと笑ってフェリクスの分もカップに茶を注いだ。

「セラフィから聞いていた通り。殿下がここまでふにゃふにゃになるなんてそうそうないことだよ?」
「……色々あって」
「それはそうだよね。殿下が惚れる女性なんて良い人に決まってる。話、してみたかったんだよね」
「そんなに簡単に信頼しても良いのか?こんな私を」
「今言ったばかりだよ?殿下が惚れてるし、それに……だからね」

 薄くリップが塗られた唇から覚えのある名前が紡がれたような気がしてミセリアはシェキナの方を見る。シェキナはにこにことしているだけで、聞き直しても答えてくれそうな雰囲気ではなかった。

「ほら見て、ミセリア」

 首を傾げていたミセリアへシェキナは微笑みかける。
 シェキナが視線で示す方を見ると、先ほどまでとは違い真っ直ぐな姿勢で、そして勢いよく筆を動かしている。目はなんだか据わっているような気はしなくもないが。
 セラフィが言っていたことは本当のようだ、とミセリアは苦笑いをした。

「この集中っぷりは凄い……。ねぇミセリア、しばらくここにいてよ。そうね、殿下の前だけど女子会でもしてよっか。親睦を深めたいなー」
「あ、あぁ……」

 こうしてフェリクスが仕事をしている傍ら、女性二人によるお茶会が始まった。


***


 涼しくなってきたとはいえ昼間の日差しは暖かい。シャーンスの人々は仕事をしたり洗濯物を干したり散歩をしたり、各々が穏やかな日常を送っていた。
 所々に色が付いた石が埋め込まれた道沿いをレイとシャルロットは歩いていた。
 大きな噴水がある広場、客で賑わう市場、比較的静かな住宅街。適当に駄弁って寄り道をしつつ歩くことのなんと楽しいことか。
 二人は噴水広場に戻ってベンチに腰掛ける。

「ここも素敵な街だね、レイ」
「そうだね」

 広場の近くにあった果物屋を営むおばちゃんから「お嬢さんかわいいね!リンゴ二つおまけしちゃうよ!お兄さんと一緒に食べな!」と貰ったリンゴをひとかじりする。ほどよく熟れていて美味しい。思わず緩む頬。なんとなく顔を見合わせて微笑み合う。

「この時間がずっと続けば良いのになぁ」
「私もそう思うよ。レイと一緒にいるとなんだかあったかくて幸せ」
「……ちょっと照れる、かも」
「本当のことだから」

 ぽつりと漏らした一言をシャルロットは聞き逃さない。本音をおどけて言ってみせると、レイは視線を彷徨わせた。くすくすと笑ってリンゴを一口。とても甘い。

「ねぇレイ」
「どうかした?」
「私ね、前よりはちゃんと強くなったよ」

 レイがシャルロットのことを特別に思ってくれていて、自分が危険な目に遭っても守ろうとしてくれる。だからもっと強くならなくちゃと努力して、その片鱗をつかみかけている。フェリクスが特訓している裏でシャルロットも奮闘していた。それもレイは理解している。

「知ってるよ。シャルロットが頑張ってくれていること」
「最初はあの力が怖いって思ったけどね、今は“あの約束”を果たすためと思えば怖くないの。もっと頑張るね、私」
「……ありがとう」
「ふふ。……ほんとに暖かい。眠くなっちゃいそう」
「寝る?」
「うん」

 白金の髪に覆われた頭がレイの肩にコツンとぶつかる。日差しによる眠気に身を任せて瞼を閉じようとしたその時、シャルロットは目を見開いた。
 視界の奥に見えた後ろ姿。一つに束ねた長い黒髪と白い白衣。シャルロット達がいるところよりは薄暗い路地裏へと姿を消していく。

「シャルロット?」

 はじかれたように立ち上がったシャルロットにレイが問いかける。

「お兄ちゃんが……ルシオラお兄ちゃんが今そこにいた気がするの」
「お兄さんが路地裏に?一緒に行ってみようか」
「うん、ありがとう」

 二人で慎重に路地裏へ歩み寄る。民家の壁に挟まれて日の光が届かない路地裏にあったのは――光る二つの丸だった。おまけにグルルル……といううなり声のようなものも聞こえる。いや、これは本物のうなり声だ。

「「……へ?」」

 そこにいる存在が獣であると気がついたのと同時に、それは二人に牙をむいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

誰からも食べられずに捨てられたおからクッキーは異世界転生して肥満令嬢を幸福へ導く!

ariya
ファンタジー
誰にも食べられずゴミ箱に捨てられた「おからクッキー」は、異世界で150kgの絶望令嬢・ロザリンドと出会う。 転生チートを武器に、88kgの減量を導く! 婚約破棄され「豚令嬢」と罵られたロザリンドは、 クッキーの叱咤と分裂で空腹を乗り越え、 薔薇のように美しく咲き変わる。 舞踏会での王太子へのスカッとする一撃、 父との涙の再会、 そして最後の別れ―― 「僕を食べてくれて、ありがとう」 捨てられた一枚が紡いだ、奇跡のダイエット革命! ※カクヨム・小説家になろうでも同時掲載中 ※表紙イラストはAIに作成していただきました。

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ

ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます! 貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。 前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...