久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

15 崩壊の序曲

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 普段はシェキナと二人で歩いて登っていた塔をフェリクスは一人で駆け上がる。薄暗い螺旋階段を照らす物は何もなく、ほこりっぽい空気に噎せ返ってしまいそうになる。

――カラン。

 何かが落ちた音が聞こえ、一旦立ち止まる。暗い中で探し物をするのは困難である。それに今は姉ベアトリクスのもとへ向かうことが優先事項だ。何を落としたのかフェリクスには考え至らないが、事が落ち着いたらまた来たら良いだろう。今度はちゃんとランプを持って。フェリクスはさっさと思考を切り替えて前を向き、再び脚を動かし始めた。
 目当ての扉の前に辿り着き、フェリクスは息を整えた。今のところこの塔が襲撃されている様子はない。まずは姉ベアトリクスの無事を確認し、部屋から出て貰おうとフェリクスは考える。その後はエルダーに相談して、一緒にいてもらおう。
 コンコンコン、とノックをする。返事がないのはいつものことだ。鍵を差し込んで重い扉を押し開ける。

「姉さん、無事?」

 遠慮なく部屋に入り、ベッドの上にいるはずの姉の姿を捜した。
 いつもとは違って彼女はベッドに腰掛けてはいなかった。小さな窓の下、差し込んでくる光に照らされている。ただそれだけだというのに、どこか神秘的な空気さえ漂わせていた。

「姉さん」
「やっと一人で来てくれた」

 姉は俯かせていた顔をゆっくりと上げた。光のない目がすう、と細められる。今までの訪問時とは打って変わって妖艶な雰囲気を纏った姉にフェリクスは困惑する。
 ゆっくりと、手を差し伸べられる。
 今日何度も見たその光景だった。既視感にフェリクスは息を呑んだ。

「さぁ、こちらへいらっしゃい。私と共に国を救いましょう」
「何を言って……?」
「この国、今危険な状態に陥ってしまっているのでしょう?大丈夫よ、貴方ならこの国を救い、真の王になることができるのだから」

 話が噛み合わない。フェリクスは不安になりながらも慎重に姉へ歩み寄る。黙っていては始まらない。とりあえず、姉をこの部屋から連れ出して騎士団長エルダーの元へ連れて行こう、と考えながら。彼ならば上手く保護してくれるはずだ。
 そんなフェリクスを姉は嬉しそうに笑いながら見つめている。

「姉さん、とにかくここから出よう。ここも安全とは言えなくなるかもしれない」
「やっぱり貴方は私の救世主ね、フェリクス」

 真珠のように艶やかな唇が弧を描き、弟の名を紡ぐ。ただじっと見つめられ、ただ甘い声を耳にするとなんだか頭に霞がかかったような錯覚に陥る。
 目の前にいるはずの姉の顔が揺らいで表情が見えなくなる。

(早くしないと)

 自分の思考がどんどん歪んでいくことにフェリクスは気がつかない。あれ、と違和感を覚えることもない。一歩一歩、ゆらゆらと進む。

(早く、早く)

 姉の腕が届く範囲まで近づいてフェリクスは立ち止まった。冷たい指先が腕を伝い、首をなぞり、頬を滑る。フェリクスの目はよく見えない姉の顔を凝視していた。

「ねぇフェリクス。貴方」

 顔を包み込まれ、俯くことは許されない。何故か瞼を閉じることもできない。
 姉弟は薄暗い部屋の中視線を合わせ、見つめ合っていた。
 そしてフェリクスは姉と同時に唇を動かす。誰に合図されたわけでなく、それが運命であるかのように。

「「早く、この国の王にならないと」」

 はっきりと言い切ってからフェリクスはハッと我に返り、微笑む姉から身をよじって離れようとした。

「今、俺はなんて――」

 しかし異常なほどに強い力で腕を掴まれ、離れることは許されなかった。バランスを崩し、床に膝をつく。
 姉は逃がさない、とばかりにフェリクスを抱きしめる。耳元で甘さを増した声が聞こえる。耳から脳に浸透していくような、そのまま塗りつぶされていくような、霧の中迷子になるような、そんな感覚に襲われる。

「私は貴方こそこの国の王にふさわしいと思っていたの……。私はね、この部屋から出たことはないけれど知っているのよ?今の世界の有様。精霊と契約を交わして平和を保っていたこの国の有様。女が生まれたら差し出せという条件に逆らって、娘の自由を奪い続けてきた王。力を受け継ぐことができなかったからと言って血の繋がる弟を殺そうとする愚かな王子たちのこと」

 柔らかな髪を指が梳いていく。

「外は今大変なことになっているのでしょう?でも良い機会だと思わない?一回この国は崩壊するの……無能な王も王子も死んで、力を持つ貴方が王になって建て直す。一から国を作っていきましょう。精霊だって協力してくれるわ」
「せい、れい?」
「えぇ。貴方が持つ神子の力は強いけれど、精霊は更なる力を与えてくれるわ。大丈夫、何も心配することはないし深く考える必要はない。今はただ私に身を任せてちょうだい……次に目を覚ましたとき、貴方はこの国の新たな王となっていることでしょう」
「なんで、どうして」
「酷い国を正しく導いてハッピーエンド。まるでおとぎ話のようね」

(あれ、俺はどうしてここに来たんだっけ)

 思考がどんどん濁っていく。フェリクスの心という澄んだ水に白い液体が少しずつ注ぎ込まれていく。優しく撫でられる感覚が心地よくて瞼がどんどん下がっていく。こんなことをしている場合ではないのに、と心のどこかで抗うも、酷い困惑と霞のかかる意識の中で耐えることはできなかった。その中でそういえば、この間同じように撫でられたような、と思い出す。

 あれは誰にやってもらったんだっけ。


***


「お前の持つ神子の力も大概だな」
「この子ほどじゃないわ。この子も疲れていたのでしょう……だから私でも意識を混濁させることができたのよ。さ、これで良いんでしょう?」

 影から溶け出すようにしてビエントが姿を現す。
 ベアトリクスは気を失っている弟の頭を膝に乗せ、優しく撫でていた。眠る彼の顔はあどけない。

「あの時は生意気な顔していやがったのになぁ」
「かわいいでしょう?」
「そう感じるのはお前だけだろ……ほら」

 ビエントは指を指す。ベアトリクスの近くにある机にぽつんと置かれた小瓶。それを一瞥してベアトリクスはため息をついた。

「全く、せっかちなんだから」
「そいつが馴染むまでに時間かかるかもしれないからよ、早めにやっとくべきだ。もしも適合しなかった場合は――」
「そんなはずないわ、大丈夫よ」

 弟の頭を撫でていた手を止めて小瓶を手にとる。磨りガラスの蓋を取り、迷うことなく口に運ぶ。小瓶の中身が半分になった辺りで飲むのを止め、うっとりと目を細めながら残りを全て弟の口へ流し込む。
 弟も同じ鉄の味と匂いを感じているのだろうか、と考えると自然と気分が高揚した。

「う……」

 身を襲う激痛にベアトリクスは小瓶を手放す。血管の中にガラスの破片が流れているような、そんな痛みだった。しかし無様に泣き叫ぶようなことはしない。不敵な微笑みを浮かべ、弟の口もとに残った赤色を指で拭い取る。大切な弟も気を失いつつも苦しげで、僅かに震えていた。しかしこれといって死にそうな雰囲気はない。

「ふふ……ふふふ」

 笑い声を漏らすベアトリクスにビエントは片眉を上げて呆れる。転げ回って苦しむかと思いきや想像とかけ離れていた。

「……そこまで狂ってるやつ、俺が始めにイミタシアにしてやったやつ以来だぜ?」
「一番じゃ、なく、て、残、念ね」

 息があがってすらすらと言葉を発することができない。身体を支配する激痛もまだ消えそうにない。それでも狂った王女は笑い続けた。今まで笑うことがなかった分を取り戻しているかのように笑い続けた。
 その口元から笑みが消えることはなかった。
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