久遠のプロメッサ 第一部 夜明けの幻想曲

日ノ島 陽

文字の大きさ
89 / 115
夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手

26 濡れ羽色の弾丸

しおりを挟む

 視界が晴れる。
 ミセリアは閉じていた瞼を開き、しっかりと前を見据える。
 シャルロットの力により移動したのは広いドーム状の部屋だ。天井には巨大なシャンデリアが一つ。天井には複雑な文様と女神らしき女性の絵。女性の周りには三体の精霊が描かれ、さらにその下に無数の人間が描かれている。創世を表しているのだろう。壁には太い柱が何本も建てられ、その間はガラス張りで外が見渡せる。どうやら高い位置にあるようだ、ということが窺えた。大理石で作られた床はミセリア達の姿を鏡のごとく映している。ベアトリクスの部屋よりは広いが、少し前までシャーンスの民が避難していた広間より二回り以上は小さい。それでも身体を動かすには十分な広さだった。セラフィとシェキナを除き、従者も騎士もいない。

「ここは……」
「展望室だ。殿下が幼い頃はよく忍び込んでおられたよ」

 懐かしそうに語るエルダーだが優しげなのは口調だけだ。きつく握りしめた手には鞘から抜いた剣が握られ、視線は真っ直ぐにベアトリクスたちに向けられている。

「ちょうど良い場所じゃないか。ありがとね、シャルロットちゃん」
「は、はい! 誰も居ない場所、と思っていたらここに来たんですけど……大丈夫そうなら良かったです」

 にっこりと微笑むレオナにシャルロットはホッと胸をなで下ろし、そして意識を集中させる。その背後に五枚の花弁が浮かぶ様を頭の中で描き、実際に具現化させる。人を傷つけることもできるこの花が、もしも誰かに当たってしまったら。そんな考えが頭に過ぎり、冷や汗が頬を伝う。街を襲った合成獣は容赦なく花弁の刃を向けても問題はなかった。しかし今は状況が違う。シャルロットと対峙するのは生身の人間で、傷つけることはできない。傷つけることをしたくない。けれどなにもできないのは、それ以上に嫌だった。せめて武器だけでも弾き飛ばすことができれば。
 そんなシャルロットの手に触れた温もりに、顔を上げる。その先にはレイが微笑んでいて、シャルロットの手を包み込んでいた。

「俺も一緒にいるよ。自分を信じて」
「――うん。ありがとう、レイ」

 シャルロットの緊張がほぐれる。それは彼女たちの前に立っていたミセリアも感じ取っていた。
 ミセリアの睨む先、ただ薄く笑んでいるベアトリクスは大きく両腕を広げて宣言した。

「さぁ。反逆者を捕らえなさい。手足がもげても構わないわ」

 その言葉を合図にセラフィとシェキナが歩みを進めた。それぞれの武器を構えて、ほんの数秒の静寂の後に動き出した。
 それと同時にレオナとエルダーがミセリアの背後から飛び出した。レオナはセラフィに、エルダーはシェキナに。それぞれの武器がぶつかり合って金属音を響き渡らせた。そしてミセリアがナイフを握りしめて駆けだした。
 それを見逃すお付き達ではない。

「今はミセリアの道を守るんだ」
「うん!」

 ミセリアがフェリクスの元へ向かおうとするのを阻止するべくレオナとエルダーから抜け出そうとする従者二人。その道を断つかのように黄金の花弁が飛び、彼等の目の前に突き刺さった。割れた大理石の破片が飛び、煙のように粉が舞う。
 ミセリアはシャルロットとレイに心の中で感謝しつつ、振り返ることなく真っ直ぐに王子の元へ脚を進めた。

「よそ見するんじゃないよ、セラ坊!」
「……!」

 煙を突き破って飛び込んできたレオナの剣をセラフィは槍で受け止める。女性とは言え、レオナの力は屈強な男たちですら叶わないほどに強い。マグナロアの長であることがその証明と言えよう。その勢いをそのままに受け止めたセラフィの腕にびり、と振動が響く。負けじと軌道を逸らし、剣の勢いを殺す。セラフィが脚を振り上げた。咄嗟に身体を捻って避けたレオナは、目の前にある、振り上げていない方のセラフィの脚を掴んで思い切り引っ張った。
 驚愕に目を見開いたセラフィは体勢を崩しながらふと上を見上げた。くるくると回りながら落下してくる二本の矢。おそらくはエルダーと対峙しているシェキナが弾かれてしまった矢だろう。――槍よりはリーチが短く、使い捨ての近接武器として扱うこともできそうだ。
 一瞬でそんなことを考えてセラフィは槍を握っていない方の手でちょうど真上に落ちてきていたそれを二本掴み取り、足下に低い姿勢でいるレオナの肩に容赦なく突き刺した。

「ぐっ……!?」

 流石にそれは予想外だった、とレオナは床に手をつきながら思う。とはいえセラフィも体勢を思い切り崩し、背中から床に倒れ込む。痛む右肩を意識しないようにしながらレオナは急いで起き上がり、握られたままの槍を蹴り上げた。
 マグナロアの長による蹴りの力に、若き騎士は槍を手放した。しかしその顔に焦りは一切浮かばない。何の感情もないままにレオナが握っていた剣を掴み、今度はセラフィが引っ張る。刃の方を掴んだ手のひらからはもちろん鮮血が滴り、白い大理石に染みを作る。
 引き寄せられたレオナの首を掴み、一欠片の容赦もなく床へ叩きつけた。


***


 シェキナが弓矢だけを保持していることはなく、もちろん剣も腰にくくりつけていた。シェキナはメイドとして城に仕えていたはずだが、なぜか騎士団の訓練に混じりたがり、順調に強くなっていった。いつしか騎士たちと肩を並べて盗賊の討伐に参加したこともあったか。メイドとしての仕事もこなしながらよく参加したものだ。そんな思い出を懐かしむ暇もなくエルダーは次々と放たれる矢を的確に弾いていく。

「どうしてお前さんはそっちについているんだ?」

 そっと問いかければ、シェキナは無表情のまま唇を開いた。

「痛いのは、もう嫌」
「……?」
「殿下が泣くとなんだか痛い。痛いの。今まで痛みなんてこれっぽっちも感じてこなかったのに。殿下が泣いていると……みんなが悲しくなって、それで……」
「もういい、シェキナ。一旦落ち着け。このままじゃあ殿下を救えないことはお前にも分かるだろう?」
「私……」

 揺れるシェキナに歩み寄ってさりげなく弓を奪おうと試みる。まだシェキナの意識は完全にあちら側に傾いてはいないようだ。

「殿下を守らないと。私の意志を尊重してくれる殿下を」

 その考えは酷く甘かった。
 シェキナが隠し持っていたらしき短剣が光る。エルダーが気付いた時にはもう遅かった。咄嗟に避けようとした矢先に短剣が容赦なく腹に刺さった。簡易鎧しか着けていないエルダーの、その鎧がない部分を的確に狙った一撃だ。急所こそ外れたものの、鋭い痛みにエルダーは思わず顔をしかめた。

「シェキナ」
「……」

 動けない程の傷ではないが、これから襲い来るであろうシェキナの猛攻に耐えられるかは微妙になってきた。
 未だに埃が煙のように舞っているため、レイとシャルロットの援護を受けることは難しい。正体の知れぬ少女の力は細かくコントロールすることが不可能であることはなんとなく察している。白く染まった視界は些か不自然なほどに見通しが悪かった。
 どうやってこの場を切り抜けるか考えていたその時だった。

「おいおい、らしくないぞ」

 若い男の声がした。エルダーにとっては聞き覚えのない声だったが、シェキナにはあるらしい。エルダーから視線を外し、煙の向こうから歩み寄ってくる影を見据える。

「クロウ」
「おう。ちょいと大人しくしてもらうぜ、シェキナ」

 背の高い男――クロウの姿がはっきりと見えた頃には彼の手に既に黒々とした拳銃が握られていた。パン、と硬質な音が響き、エルダーは急いでシェキナを見た。クロウの拳銃から撃たれた弾丸がシェキナの弓の細い弦にかすって、そして切った。見事な命中率にエルダーは嘆息する。

「クロウも反逆者なの?」
「いんや? ちょいと様子のおかしいオトモダチを叱りに来た二人組の一人ってだけ」

 そう言いながら長い脚で一気に距離を詰め、シェキナが反応出来ないうちに手にした短剣を至近距離で銃を撃って弾き飛ばす。火花が顔を掠めて傷になることも厭わずに。衝撃で揺れる身体をトン、と軽く押せばシェキナはいとも簡単に倒れ込む。

「いっ……」
「……お前、痛みを感じないはずじゃ? まぁいいか、少しの間だ、我慢しろよ」

 受け身をとれず倒れ込んだことで痛みに呻いたシェキナに首を傾げつつ、クロウは彼女の遼手首を掴み挙げた。脚はクロウ自身の脚で動きを封じ込める。自分よりも圧倒的に体格の良い男にのしかかられては流石のシェキナも動けない。
 クロウは呆けていたエルダーを振り返る。

「おい、おっさん。ポーチに睡眠薬入ってるからこいつに使ってくれ」
「し、しかし」
「ただの睡眠薬だ、それも一般に売ってるようなやつ。しばらくしたら問題なく目を覚ます、今はフェリクスをどうにかするためにこいつの動きを封じる必要があるだろ」
「……承知した」

 クロウに言われるままにエルダーは近寄り、クロウが持っていた皮のポーチからハンカチとほどよい睡眠が取れるという謳い文句が書かれた小瓶を取り出す。確かに見覚えのあるもので、不眠に悩まされていた騎士が使っていたことを思い出す。エルダーはハンカチに液体を数滴垂らし、謝りながらシェキナの口元に近づけた。

「すまない、しばらく休んでいてくれ」
「……」

 シェキナは大して暴れることなく、小さく頷いてからゆっくりと瞼を閉じた。身体から力が抜けたのを確認してクロウは彼女への拘束を解いた。それからポーチから取り出した縄で両手首と足首を縛る。

「これでよし、と。おっさんも手負いだな? ならここから下に行ってくれ。そうしたら緑色の髪をした男がいるはずだ。そいつに言えば手当してくれるだろうよ」
「貴殿は?」
「俺は情報屋。シェキナの知り合いさ。さ、こいつも連れて行ってくれ。万が一目覚めた時に暴れないように縛っておいたが、問題ないようだったら解いてやってくれ」
「承知した。助太刀に感謝する」
「おう」

 エルダーは短剣を腹に突き刺したまま気を失ったシェキナを担ぎ上げた。出血の痛みに耐えながら、展望台を後にするのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

誰からも食べられずに捨てられたおからクッキーは異世界転生して肥満令嬢を幸福へ導く!

ariya
ファンタジー
誰にも食べられずゴミ箱に捨てられた「おからクッキー」は、異世界で150kgの絶望令嬢・ロザリンドと出会う。 転生チートを武器に、88kgの減量を導く! 婚約破棄され「豚令嬢」と罵られたロザリンドは、 クッキーの叱咤と分裂で空腹を乗り越え、 薔薇のように美しく咲き変わる。 舞踏会での王太子へのスカッとする一撃、 父との涙の再会、 そして最後の別れ―― 「僕を食べてくれて、ありがとう」 捨てられた一枚が紡いだ、奇跡のダイエット革命! ※カクヨム・小説家になろうでも同時掲載中 ※表紙イラストはAIに作成していただきました。

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

異世界ママ、今日も元気に無双中!

チャチャ
ファンタジー
> 地球で5人の子どもを育てていた明るく元気な主婦・春子。 ある日、建設現場の事故で命を落としたと思ったら――なんと剣と魔法の異世界に転生!? 目が覚めたら村の片隅、魔法も戦闘知識もゼロ……でも家事スキルは超一流! 「洗濯魔法? お掃除召喚? いえいえ、ただの生活の知恵です!」 おせっかい上等! お節介で世界を変える異世界ママ、今日も笑顔で大奮闘! 魔法も剣もぶっ飛ばせ♪ ほんわかテンポの“無双系ほんわかファンタジー”開幕!

処理中です...