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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手
26 濡れ羽色の弾丸
しおりを挟む視界が晴れる。
ミセリアは閉じていた瞼を開き、しっかりと前を見据える。
シャルロットの力により移動したのは広いドーム状の部屋だ。天井には巨大なシャンデリアが一つ。天井には複雑な文様と女神らしき女性の絵。女性の周りには三体の精霊が描かれ、さらにその下に無数の人間が描かれている。創世を表しているのだろう。壁には太い柱が何本も建てられ、その間はガラス張りで外が見渡せる。どうやら高い位置にあるようだ、ということが窺えた。大理石で作られた床はミセリア達の姿を鏡のごとく映している。ベアトリクスの部屋よりは広いが、少し前までシャーンスの民が避難していた広間より二回り以上は小さい。それでも身体を動かすには十分な広さだった。セラフィとシェキナを除き、従者も騎士もいない。
「ここは……」
「展望室だ。殿下が幼い頃はよく忍び込んでおられたよ」
懐かしそうに語るエルダーだが優しげなのは口調だけだ。きつく握りしめた手には鞘から抜いた剣が握られ、視線は真っ直ぐにベアトリクスたちに向けられている。
「ちょうど良い場所じゃないか。ありがとね、シャルロットちゃん」
「は、はい! 誰も居ない場所、と思っていたらここに来たんですけど……大丈夫そうなら良かったです」
にっこりと微笑むレオナにシャルロットはホッと胸をなで下ろし、そして意識を集中させる。その背後に五枚の花弁が浮かぶ様を頭の中で描き、実際に具現化させる。人を傷つけることもできるこの花が、もしも誰かに当たってしまったら。そんな考えが頭に過ぎり、冷や汗が頬を伝う。街を襲った合成獣は容赦なく花弁の刃を向けても問題はなかった。しかし今は状況が違う。シャルロットと対峙するのは生身の人間で、傷つけることはできない。傷つけることをしたくない。けれどなにもできないのは、それ以上に嫌だった。せめて武器だけでも弾き飛ばすことができれば。
そんなシャルロットの手に触れた温もりに、顔を上げる。その先にはレイが微笑んでいて、シャルロットの手を包み込んでいた。
「俺も一緒にいるよ。自分を信じて」
「――うん。ありがとう、レイ」
シャルロットの緊張がほぐれる。それは彼女たちの前に立っていたミセリアも感じ取っていた。
ミセリアの睨む先、ただ薄く笑んでいるベアトリクスは大きく両腕を広げて宣言した。
「さぁ。反逆者を捕らえなさい。手足がもげても構わないわ」
その言葉を合図にセラフィとシェキナが歩みを進めた。それぞれの武器を構えて、ほんの数秒の静寂の後に動き出した。
それと同時にレオナとエルダーがミセリアの背後から飛び出した。レオナはセラフィに、エルダーはシェキナに。それぞれの武器がぶつかり合って金属音を響き渡らせた。そしてミセリアがナイフを握りしめて駆けだした。
それを見逃すお付き達ではない。
「今はミセリアの道を守るんだ」
「うん!」
ミセリアがフェリクスの元へ向かおうとするのを阻止するべくレオナとエルダーから抜け出そうとする従者二人。その道を断つかのように黄金の花弁が飛び、彼等の目の前に突き刺さった。割れた大理石の破片が飛び、煙のように粉が舞う。
ミセリアはシャルロットとレイに心の中で感謝しつつ、振り返ることなく真っ直ぐに王子の元へ脚を進めた。
「よそ見するんじゃないよ、セラ坊!」
「……!」
煙を突き破って飛び込んできたレオナの剣をセラフィは槍で受け止める。女性とは言え、レオナの力は屈強な男たちですら叶わないほどに強い。マグナロアの長であることがその証明と言えよう。その勢いをそのままに受け止めたセラフィの腕にびり、と振動が響く。負けじと軌道を逸らし、剣の勢いを殺す。セラフィが脚を振り上げた。咄嗟に身体を捻って避けたレオナは、目の前にある、振り上げていない方のセラフィの脚を掴んで思い切り引っ張った。
驚愕に目を見開いたセラフィは体勢を崩しながらふと上を見上げた。くるくると回りながら落下してくる二本の矢。おそらくはエルダーと対峙しているシェキナが弾かれてしまった矢だろう。――槍よりはリーチが短く、使い捨ての近接武器として扱うこともできそうだ。
一瞬でそんなことを考えてセラフィは槍を握っていない方の手でちょうど真上に落ちてきていたそれを二本掴み取り、足下に低い姿勢でいるレオナの肩に容赦なく突き刺した。
「ぐっ……!?」
流石にそれは予想外だった、とレオナは床に手をつきながら思う。とはいえセラフィも体勢を思い切り崩し、背中から床に倒れ込む。痛む右肩を意識しないようにしながらレオナは急いで起き上がり、握られたままの槍を蹴り上げた。
マグナロアの長による蹴りの力に、若き騎士は槍を手放した。しかしその顔に焦りは一切浮かばない。何の感情もないままにレオナが握っていた剣を掴み、今度はセラフィが引っ張る。刃の方を掴んだ手のひらからはもちろん鮮血が滴り、白い大理石に染みを作る。
引き寄せられたレオナの首を掴み、一欠片の容赦もなく床へ叩きつけた。
***
シェキナが弓矢だけを保持していることはなく、もちろん剣も腰にくくりつけていた。シェキナはメイドとして城に仕えていたはずだが、なぜか騎士団の訓練に混じりたがり、順調に強くなっていった。いつしか騎士たちと肩を並べて盗賊の討伐に参加したこともあったか。メイドとしての仕事もこなしながらよく参加したものだ。そんな思い出を懐かしむ暇もなくエルダーは次々と放たれる矢を的確に弾いていく。
「どうしてお前さんはそっちについているんだ?」
そっと問いかければ、シェキナは無表情のまま唇を開いた。
「痛いのは、もう嫌」
「……?」
「殿下が泣くとなんだか痛い。痛いの。今まで痛みなんてこれっぽっちも感じてこなかったのに。殿下が泣いていると……みんなが悲しくなって、それで……」
「もういい、シェキナ。一旦落ち着け。このままじゃあ殿下を救えないことはお前にも分かるだろう?」
「私……」
揺れるシェキナに歩み寄ってさりげなく弓を奪おうと試みる。まだシェキナの意識は完全にあちら側に傾いてはいないようだ。
「殿下を守らないと。私の意志を尊重してくれる殿下を」
その考えは酷く甘かった。
シェキナが隠し持っていたらしき短剣が光る。エルダーが気付いた時にはもう遅かった。咄嗟に避けようとした矢先に短剣が容赦なく腹に刺さった。簡易鎧しか着けていないエルダーの、その鎧がない部分を的確に狙った一撃だ。急所こそ外れたものの、鋭い痛みにエルダーは思わず顔をしかめた。
「シェキナ」
「……」
動けない程の傷ではないが、これから襲い来るであろうシェキナの猛攻に耐えられるかは微妙になってきた。
未だに埃が煙のように舞っているため、レイとシャルロットの援護を受けることは難しい。正体の知れぬ少女の力は細かくコントロールすることが不可能であることはなんとなく察している。白く染まった視界は些か不自然なほどに見通しが悪かった。
どうやってこの場を切り抜けるか考えていたその時だった。
「おいおい、らしくないぞ」
若い男の声がした。エルダーにとっては聞き覚えのない声だったが、シェキナにはあるらしい。エルダーから視線を外し、煙の向こうから歩み寄ってくる影を見据える。
「クロウ」
「おう。ちょいと大人しくしてもらうぜ、シェキナ」
背の高い男――クロウの姿がはっきりと見えた頃には彼の手に既に黒々とした拳銃が握られていた。パン、と硬質な音が響き、エルダーは急いでシェキナを見た。クロウの拳銃から撃たれた弾丸がシェキナの弓の細い弦にかすって、そして切った。見事な命中率にエルダーは嘆息する。
「クロウも反逆者なの?」
「いんや? ちょいと様子のおかしいオトモダチを叱りに来た二人組の一人ってだけ」
そう言いながら長い脚で一気に距離を詰め、シェキナが反応出来ないうちに手にした短剣を至近距離で銃を撃って弾き飛ばす。火花が顔を掠めて傷になることも厭わずに。衝撃で揺れる身体をトン、と軽く押せばシェキナはいとも簡単に倒れ込む。
「いっ……」
「……お前、痛みを感じないはずじゃ? まぁいいか、少しの間だ、我慢しろよ」
受け身をとれず倒れ込んだことで痛みに呻いたシェキナに首を傾げつつ、クロウは彼女の遼手首を掴み挙げた。脚はクロウ自身の脚で動きを封じ込める。自分よりも圧倒的に体格の良い男にのしかかられては流石のシェキナも動けない。
クロウは呆けていたエルダーを振り返る。
「おい、おっさん。ポーチに睡眠薬入ってるからこいつに使ってくれ」
「し、しかし」
「ただの睡眠薬だ、それも一般に売ってるようなやつ。しばらくしたら問題なく目を覚ます、今はフェリクスをどうにかするためにこいつの動きを封じる必要があるだろ」
「……承知した」
クロウに言われるままにエルダーは近寄り、クロウが持っていた皮のポーチからハンカチとほどよい睡眠が取れるという謳い文句が書かれた小瓶を取り出す。確かに見覚えのあるもので、不眠に悩まされていた騎士が使っていたことを思い出す。エルダーはハンカチに液体を数滴垂らし、謝りながらシェキナの口元に近づけた。
「すまない、しばらく休んでいてくれ」
「……」
シェキナは大して暴れることなく、小さく頷いてからゆっくりと瞼を閉じた。身体から力が抜けたのを確認してクロウは彼女への拘束を解いた。それからポーチから取り出した縄で両手首と足首を縛る。
「これでよし、と。おっさんも手負いだな? ならここから下に行ってくれ。そうしたら緑色の髪をした男がいるはずだ。そいつに言えば手当してくれるだろうよ」
「貴殿は?」
「俺は情報屋。シェキナの知り合いさ。さ、こいつも連れて行ってくれ。万が一目覚めた時に暴れないように縛っておいたが、問題ないようだったら解いてやってくれ」
「承知した。助太刀に感謝する」
「おう」
エルダーは短剣を腹に突き刺したまま気を失ったシェキナを担ぎ上げた。出血の痛みに耐えながら、展望台を後にするのだった。
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