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夜明けの幻想曲 3章 救国の旗手
35 救国の旗手
しおりを挟む神子の力に当てられたせいもあり、どうやら素直になったらしい兄弟三人がぴったりとくっついている。まだ瘴気が渦巻いている展望室の中で異質な温かさを感じるその場へ、戸惑いを顕わにして近づくのをためらっていた王女の背を押したのはミセリアだ。
ベアトリクスは視線を四方八方へ彷徨わせて俯こうとした。それに気付いたのか、顔を上げたフェリクスが微笑んでちょいちょいと手を振って誘う。そして再び背を押され、ついに彼女は脚を動かした。
ベアトリクスがおずおずと兄弟の側にしゃがみ込んだ瞬間に、フェリクスは彼女の背に片腕を回して引き寄せた。小さく悲鳴を上げた彼女はラックやソルテと共にフェリクスの腕の中に収まる。
「ほら、あったかい」
その一言に思わずベアトリクスも涙をこぼす。
今までバラバラだったシアルワ王家の心がじんわりと近づいていく様をミセリアもしっかりと感じ取る。神子という血筋に狂わされていた家族に愛が芽生えようとしている。お前は本当にすごいよ、とどこか自慢げに肩をすくめるミセリアにもちゃっかり微笑みかけてくるあたりこの王子に抜かりはない。
そこへ、ひゅうと口笛がひとつ。シアルワのきょうだいとミセリアが揃ってそちらを向けば、ビエントが歩いてきていた。抱擁を解いて立ち上がったフェリクスの前で立ち止まり、その肩に手を置く。
「お前の異常な寛大さを認めよう。その証として、しばらく時間をくれてやる」
「ビエント?」
「見ての通り、瘴気が可視化して溢れ始めている。それはあの方の限界も近いということ――つまり、世界の終わりも近いということ。瘴気がどういうものかはアクアから聞いたんだろう?」
「……あぁ」
「俺もあの方と同じように瘴気を抑えてやるって言ってるんだ。その代わり表に出てくることはできなくなるがな」
驚愕に固まっているフェリクスの肩から手を離し、一度額を小突いてビエントは笑った。いくら多くの人間を犠牲にしてきた精霊とはいえ、心身共に蝕む瘴気の中に身を置くと自ら宣言することの重さをフェリクスはなんとなく理解できている。創世神たる女神が耐えられない代物なのだ。
「良いか? これは罪滅ぼしでも逃げでもなんでもない。お前の覚悟を見極めるための、俺が下した選択だ。それにそんなに長くは持たないだろう――その間、お前がどれほど人間共を導いていけるのか見させて貰う。お前が生きている間だけじゃない、お前が死んだ後もその覚悟がどこまで残るか、しっかり見させて貰う」
青漆の瞳を眇めて精霊は笑んだ。フェリクスが見た幻想と同じような微笑みだった。
「ビエント……。必ず、お前を解放してやれる日を創ってみせる。その時はお前も罪滅ぼしをしっかりやってもらうからな。約束だぞ」
「へっ。人間が俺に指図するとはな。いいぜ、約束だ。俺は待っているからな――永遠に」
片手を振って、ニヤリと笑う。これが別れの挨拶であることは誰の目にも明白だ。
「じゃあな、フェリクス。上手くやれよ」
風が吹いた。緑の光を纏った精霊は迷いなく瞼を閉じて、風となって溶けていく。辺り一帯に溢れていた瘴気を飲み込むかのように光る風は流れ、巻き込み、竜巻となって舞い上がる。黒々とした不気味な霧の中で緑の閃光が駆ける光景は美しい。激しい風に煽られて思わず体勢を崩しかけたフェリクスを、いつの間にか側に寄っていたミセリアが支えた。二人は互いの背に片腕を回し、無言で嵐を見つめていた。やがてそれが止み、展望室に静寂が訪れるまでずっとずっと。
展望室の中央で、ビエントの胸に埋め込まれていた宝玉がキラキラと輝きながらしばらくの間浮かんでいたが、それもまた風に溶けて消えていった。
そこには白い霧も黒い靄もなく、ガラスの窓から差し込む朝日の光が澄み切った空気を裂いてフェリクス達を照らした。
「終わったのか?」
「いいや、終わりじゃないよ。これは始まりだ」
ミセリアの問いにフェリクスは首を横に振る。石榴石の瞳がミセリアを映し、本物の宝石のように煌めいた。
「俺たちで変えよう。瘴気が生まれない世界を創っていこう」
着いてきてくれるかい、と言葉のない問いかけにミセリアは目を合わせ、フェリクスが握りしめていた旗へ手を伸ばした。きつく握られた手に自分の両手を添える。その“答え”にフェリクスは心底嬉しそうな顔をして、空いていた片手をミセリアの手に添えた。互いの両手に触れ合う形となった二人を夜明けの光が彩っていく。その立ち姿は幻想的であり、物語の始まりを予期させた。
長い長い、希望に満ちた物語。それがどんな道を辿っていくのかは誰にも分からない。
***
霧が晴れてシャルロットが目にしたのは、扉の前に並んで立つレイとソフィアの姿だった。何かを話していたらしい二人は同時に顔を上げて、驚いたように瞬きをした。
シャルロットの後ろにはレオナとクロウもいて、各々が驚きの後に安堵のため息をついていた。
「あぁ良かった、無事に出られたみたい」
ソフィアがチラ、と見上げたレイはその視線に込められた意味を読み取って頷き、シャルロット達の側に寄る。安心した緩い表情を浮かべていたことから、単に「私のことはいいから彼女たちの無事を喜んできて」という意味合いだったのだろう。クロウはそんなことを考えつつ去って行く彼女を追いかけるべく歩き出した。
互いと負傷した者達の無事を喜んでいたところ、廊下の窓から差し込む夜明けの光が彼等を照らした。
「うわぁ、とても綺麗……」
「終わったのかな……」
「あぁ、きっと終わったさ。そんな気がする」
嫌な感じや激しい物音もしないからね、とウインクをしてレオナが二人を抱き込む。勢いが良かったためにレイとシャルロットは大きくよろめき、レオナの腕の中で目を見合わせ、そして笑い合った。
***
その日、その瞬間、不安と恐怖で満ちていたシャーンスの人々は顔を上げた。抱き合って震えていた母子も、背中をあわせて黙り込んでいた少年達も、この世の終わりだと嘆いていた老人達も、緊張に苛立ちを隠せずに居た騎士達も、そろって美しい朝日を見上げた。強張っていた心が洗われていくような感覚に浸る。
薄紫色の闇が残る空が徐々に白んでいく。獣によって崩壊した街はそのままだったが、壊れかけていた人々へ立ち直る勇気を与えた。
ぼんやりと空を眺めていた彼等の元へ、パタパタと走る新米の騎士が一人。
「みんなー! フェリクス殿下からの伝言だよー!」
一斉に視線を向けられて一瞬驚いた彼は、しどろもどろになりながらもなんとか役目を果たした。
「午後に王家から発表があるからそれまでに広場に集まっててくれってさ」
***
ふわ、と爽やかな風が吹いている。
シアルワ王ゼーリッヒを中心として広場の演説台にフェリクス、ラック、ソルテ、ベアトリクスが並んで立つ。ゼーリッヒは複雑そうな表情を浮かべ、口を開いた。
「これから街の再建を図るため、まずはシアルワ王家に関する真実を話そう」
瘴気が収まり仲間達の無事を確認したあと――霧に飲まれていたシャルロット達も無事に解放されていた――、フェリクスは父であるゼーリッヒを交えて家族会議をすることにした。街の復興に迅速に取りかかるため午前中という短い間の会議だったが、有意義な時間を過ごせたフェリクスは思っている。
精霊ビエントがフェリクスに望みを託した今、契約の代償に怯える必要はない。本当に自由となった今このときを家族としてやりなおすスタート地点とした。そして国民に話す内容を決めたのだ。まずは全ての真実。それを伝えた上で今後どのように政策を進めていくのかを。
シアルワ王家が女神に与えられていた力を知り、人々の間に動揺が走る。そしてそのせいで王女の存在が秘匿されていたことも加わり、辺りはざわざわと騒がしくなった。そこでゼーリッヒはフェリクスを呼ぶ。
「私たちはこの子を次の指導者にすることに決めた。これは私たち家族全員の意志であり、国民の総意であると認識している。違うだろうか?」
戸惑いに広がっていた騒がしさが一気になりを潜める。しかし、それは長く続かなかった。人々から聞こえるのは不満でもなんでもなく、賛同と応援の声だった。
「私たちは今までずーっとフェリクス殿下に助けられてきたんだ。反対はしないよ」
「いや、むしろ歓迎するよ」
「フェリクス殿下がどのような国へ導いてくださるのか楽しみだわ」
自分たちが神子の力に意志を誘導されていたかもしれない、という事実を知ってもなお人々は新たなる王を支持する道を選んだ。
その様子を物陰から見ていたミセリアが表情を緩ませている様を「ミセリア、嬉しそうだね」とシャルロットがからかえば、夜空色の髪で顔を隠してしまう。
「ありがとう、みんな。でも、でも――俺だけじゃない。父さんも兄さんたちも姉さんも、そしてこの場に集まってくれたみんなでこの国を創るんだ。今までも素敵だったけど、これからはもっと素晴らしい国にしていこう。改めてよろしく、みんな」
大輪の花のように華やかな笑顔がそこに咲いた。
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