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外伝
シェキナ編 幸せの選択 3
しおりを挟む勢いに驚いたのかフェリクスの肩が少しだけ跳ねる。きっちり九十度になるよう頭を下げたシェキナに向かって顔を上げるよう言いつつ、優しく問いかけた。
「それはどうして?」
言われた通りに顔を上げ、シェキナはもじもじと身体を揺らしながら答える。面と向かって自分の願いを、望みを口にするのはなんとなく気恥ずかしかった。
「私、自由が欲しいんです。誰かに望まれた道を歩くだけじゃなくて、自分が好きなことをしたい。いつまでもそれを続けられないってことも、我慢も必要なんだっていうのは理解できます。けど、私は今まで自由じゃなかったから。少しだけでも、好きなことをしていたくて」
「城で働くことが、シェキナにとっての“好き”なのか?」
「私、掃除が好きなんです。今はまだできないけど、お料理もしてみたい。お庭の草むしりとか、お花のお世話とか、馬のお世話とか……少しだけ手伝ったことがあるけれど、みんな楽しかったんです。お城にはきっと、もっと楽しいことが沢山ある。楽しいだけじゃ駄目だってことも分かっています。でも私は、その沢山を経験してからあるべき道を進みたい」
イミタシアとして捕らわれていた頃は、虚無しかない時間をただ過ごすのが嫌で始めた物の整理や掃除だったが、いつしかそれはシェキナのやりがいへと繋がっていたらしい。屋敷に帰還してからもメイドまがいのことを続けていたのは、父親からもたらされる縁談の話を少しでも避けたいという理由もあったのだが、それ以前に“好き”だったからだ。
クロウに提案されてしばらく考えていたが、城で働くことの未知さにだんだんと興味が湧いてきているところだった。彼の訪問は、シェキナ自身の好きと向き合う機会をくれた。
「……少しの間だけでも良いんです。一日でも。私にチャンスをくれませんか」
フェリクスは微笑みながらシェキナの話を聞いていた。その横でセラフィが口を開く。
「僕が知る限りだと彼女はしっかり者で根性もあります。今のも本心だと思いますよ」
「セラフィがそう言うってことは本当なんだね。俺も嘘はついているように見えなかった」
ドキドキと緊張に脈打つ心臓がうるさい。顔が熱い。多分、血が上っているのだろう。
フェリクスはそんなシェキナの目を真っ直ぐに見て、頷いた。
「分かった。レーナさん……メイド長に話をしてくるよ。彼女なら上手くやってくれると思うし」
「そうですねぇ。独断で決めるわけにもいきませんからね」
善は急げと言わんばかりにフェリクスはシェキナへ挨拶をし、バルコニーから出ていく。早足ながら優雅にどこかへと向かっていった。
セラフィはシェキナに言葉を添えて、同じように去って行く。
「それじゃ、少しだけ待っていて。この付近にいてもらえたら有り難いかな。そんなに時間はかからないと思うから――それにしても、今日この場に来て正解だったね」
「そう、だといいなぁ」
小さく呟いたシェキナを残して、その場には誰もいなくなる。なんだか冷え込んできた。中に入るか、とガラスの扉に手をかけて広間へと戻った。相変わらず眩しい空間に再び目が眩んでしまいそうになるが、こればかりは仕方ない。
入ってすぐの壁にもたれかかり、離れた位置で踊っている華やかな男女達を眺める。自分もいずれはあのように見知らぬ男性と踊らなければならないのだろうか、と少々憂鬱な気分になっていること数分。そこへ一人の少年が歩み寄ってきた。
少なくとも五歳ほどは上に見える少年は貴族らしく繊細な刺繍で飾られたタキシードをきっちりと纏い、顔に明らかな作り笑いを貼り付けていた。
「やぁお嬢さん。一人かい?」
「え、えぇ。疲れていたので休んでいたところです」
「そうかい。私はモリス伯爵の嫡子オルニットだ。君はアストラ男爵家のご令嬢シェキナ殿だね? 一曲いかがかな?」
思わずひぇ、と声が出そうになり慌てて飲み込む。シェキナはこのオルニットとかいう少年について何一つ知らないというのに、向こうは知った顔で話しかけてくるのだ。『淑女たるもの、簡単に動揺を顔に出してはならない』という世話係からの有り難い言葉を思いだし、同じように作り笑いを浮かべる。
「初めまして、オルニット様。――申し訳ありません。私、少し体調が優れないので少し休ませていただきたいのです」
一応ダンスの作法も叩き込まれてはいるのだが、実践経験は皆無な上にまだ頭痛は治っていない。万が一オルニットの足を踏むようなことがあれば――そんなこと考えたくもない。
「おや、それはいけないね。では医務室まで案内しよう」
オルニットの腕がするりと伸び、シェキナの腰へと回される。うっかり「え」と声を出してしまったが、キザな少年はそれに気がつかずにシェキナを引き寄せる。もう片方の手でシェキナの手を掴み、なんだか嫌らしく握りしめられる。
これが社交界では普通のことなのだろうか、と混乱する頭で考える。化粧をした頬がオルニットの身体についてしまわないようにだけしながら、成されるがままに連れて行かれそうになる。
(――何この動き)
腰に回された手がもぞもぞと動いている。脇腹から腰より少し下にかけてゆっくり、ゆっくりと這い回る。流石にこれはまずい、離れないと、と思った矢先だった。
「お久しぶりです、オルニットさん」
ついさっき聞いたばかりの声がして、オルニットの動きが止まる。
そちらに視線を向ければ、フェリクスとセラフィ、そして壮年に差し掛かった女性が一人立っていた。フェリクスはニコニコとしていたが、セラフィの方は明らかに引きつった顔をしている。
「あ、あぁこれはこれはフェリクス殿下。お久しぶりです」
「貴方が俺の話し相手だった頃から少し経ちましたからね。お元気そうで何よりです。――彼女は?」
「体調が優れないというので、医務室にお連れしようと」
「そうですか。それは大変ですね……レーナさん、彼女をお願いします」
「はい。さぁ、こちらへいらっしゃい」
フェリクスが女性へ声をかけると、彼女は頷いてシェキナへと手を差し伸べた。これを断る理由もなく、シェキナは皺が刻まれたその手を取った。とても温かな手だった。
セラフィがちら、と目配せをしてくる。ドン引きしていた顔を一瞬にして引っ込めて、「安心して」とでも言っているかのような優しい笑顔で。
フェリクスはそのままオルニットと話し始めたため、彼がシェキナを追うことは許されなかった。
広間から抜けてすぐの部屋に医務室はあった。医務用のベッドの上に座らされ、温かなミルク入りのカップを差し出される。それを受け取り、ちびちびと飲み進めた。少し砂糖が入っているのだろうか、ほんのりと甘い。
「貴女がシェキナちゃんだね?」
「は、はい。助けてくださってありがとうございました」
「あぁやっぱり絡まれていたんだね。私はレーナ。この城のメイド長を任されているよ」
女性レーナは医師から借りた椅子を引っ張ってシェキナの正面に座る。
「貴族っていうものはあんな感じの人もいるからね、これからはあしらい方も覚えた方がいいよ」
「そうですよね。フェリクス様に後でお礼を言わないと」
彼が割って入ってこなかったら今頃何をされていたのかは分からない。今になって恐ろしくなってきた。温かなカップを握りしめる。
「そうしておくれよ。それでだけど」
レーナは綺麗な姿勢で尋ねた。
「本当にこの城で働く気なのかい?」
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