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止まれたのは、君たちがいたから
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「破壊した壁、天井、床、訓練装置……合計七十二万だとぉ!?」
「払えるか! ボケがァ!!」
朝の職員室に響き渡った怒声に、隣の教師たちが一斉に肩をすくめた。
机をバンッと叩きつけ、ガク・ザラードは額に青筋を浮かべて書類を睨みつけている。
いつものだるそうな雰囲気はどこにもなく、顔は真っ赤、声は裏返り気味、目は血走っていた。
その手元には、一枚の書類。
──始末書と、請求書。
提出者:ガク・ザラード
宛先:アストレリウム学園・経理部
内容:施設損壊に関する費用請求
破壊箇所は十一カ所。訓練装置一基、補助解析装置一台、床材と壁材の交換……合計金額、七十二万リル。
「ちくしょう……俺の給料から天引きなんてされたら、来月からパンの耳生活だぞ……!」
机に突っ伏して絶望する。その耳には、つい昨夜の声が、重くよみがえっていた。
数時間前――
重厚なドアの先、学園長室。その奥に座るのは、白髪をオールバックにした老紳士。エルデ学園長。静かだが、底知れない威圧感が部屋を満たしている。
「彼の魔法は……もはや力というより災害だ」
学園長は窓の外を見つめたまま、静かに言葉を継いだ。
「だが、あれを正しく制御できるようになれば――戦力になる」
その一言で、ガクの表情が固まる。
「ガク。選抜戦までに、バク・ノヴァリスを制御可能な兵器に仕上げろ」
「成功すれば、破壊の請求はすべてなかったことにしよう」
……脅しだった。だが、それは教師としての賭けでもあった。
低く、乾いた声で返す。
「……脅迫かよ」
学園長の返答は、即座だった。
「指導、だ」
「……ったく、やるしかねえってか。とことん乗っかってやろうじゃねえか。地獄の特訓開始だクソガキ……!」
そのつぶやきと共に、立ち上がり、ドアを蹴り開ける。
目指すは、あのバカがいる教室だ。
放課後の教室。夕陽が斜めに差し込み、机の上に長く影を落としている。
教室の隅では、アキが机に突っ伏したまま爆睡中。窓際でぼんやりと外を眺めていた。
──その瞬間、教室のドアが勢いよく開かれた。
「てめぇ今日もまた請求書届いたんだよ!!魔法使うたびに備品ぶっ壊しやがって!!マナドーム来やがれこの野郎!!」
怒鳴り声と共に現れたのは、もちろんガクだった。
「は、えっ、ちょ、先生!?」
反応する暇もなく、腕を掴んでそのまま引きずるように教室を出ていく。
「え?え?ちょっと!?なになに!?」
帰り支度をしていたエマとユナの前で、振り返る。
「お前らも来い」
「え、私たちも?なんで?」
エマが不満げに眉をひそめる。
「感覚派の意見は必要だ。バカの魔力は感覚で測るしかねえ」
ユナが控えめに手を上げる。
「私は……回復、ですか?」
「ああ。ぶっ壊れた時に修理が間に合わねえ」
「修理……俺、物扱いっすか……?」
引きずられながらぼやく。
そのとき、教室の隅で寝ていたアキがむくっと起き上がり、寝ぼけ眼のまま笑顔を見せた。
「俺も行きます!ヒマなんで!」
「勝手にしやがれ。ついでにしごいてやる、問題児が」
廊下を一行が歩いていく。まるで騒がしい遠足のようだ。
その途中、前方から歩いてきたケイ・ノヴァードがふと足を止めた。
「みんなでどこ行くの?楽しそうだね」
「ガク先生の秘密のトレーニングだ!」
アキがテンション高く応える。
「へぇ、面白そうだね。俺もついていこうかな」
「ちょうどいい、お前は実演用の見本だ。身体強化の参考にさせてもらう」
「じゃあ張り切らないとですね」
自然に列に加わり、騒がしい一行はそのまま歩き出す。
その様子を、少し離れた廊下の角から見ていた少女がいた。
氷のように澄んだ眼差しで、リナが静かに彼らを見つめていた。
(また騒がしくして……)
呆れたように息を吐く彼女に、ケイが気づく。
「先生、リナも呼んでみたらどうですか?」
「……あいつが素直に来るかねえ」
「きっと来ますよ。バク君に興味あるみたいだし」
「まぁでも、魔力制御に関しちゃ俺以上だ。付き合ってもらうか」
「めっちゃ素直に負け認めたー!」
アキが笑う。
「教師としてどうなんすか、それ……」
苦笑気味に言う。
「うるせぇ。実戦なら天と地がひっくり返っても負けねぇよ……今はまだな」
ケイが一歩前に出て、リナへと歩み寄る。
「リナ、ちょっとだけ付き合ってくれない?訓練の手伝いをしてほしいんだ」
「……暇じゃないの。付き合ってる時間はないわ」
その返答を聞いて、今度は周囲のメンバーが次々と口を挟む。
「ねぇ、リナちゃんの魔法、近くで見てみたいな~。勉強にもなるし!」
エマが目を輝かせる。
「わ、私も……一緒の方が安心できるから……」
ユナも続く。
「ごめん。俺の魔法、まだ全然下手で……教えてくれないかな」
真正面から頭を下げる。
「よし!これでSランクも巻き込んだ最強メンバーだな!」
アキが盛り上げた。
ケイが静かに笑う。
「騒がしいのも、たまには悪くないよ?」
みんなに囲まれたリナは、少しだけ困ったように俯く。
(……また、こんな風に囲まれて。けど……)
そのとき、ガクが背後から大声を飛ばした。
「ごちゃごちゃ言ってねぇで来い、氷姫!!」
条件反射のように、リナの口が動く。
「……は、はい!」
一瞬の静寂。
「素直か!!」
アキのツッコミが響いた。
わずかに顔をそらしながら、静かに列に加わった。
訓練空間《マナドーム》に到着した一行を、巨大な球状空間が迎えた。
「よし、まずは現状確認だ。バク、いつものやつを撃ってみろ」
ガクの指示に、頷いた。
(いつものやつって……黒炎か)
≪準備はいいか≫
(ああ)
右手に意識を集中し、魔力を練り上げる。ネロの補助を得て、黒炎の術式を展開した。
「いけ――!」
放たれた漆黒の炎は、制御自体には成功していた。だが、術式そのものの負荷が異常だった。爆発的な威力で地面をえぐり、空間を焼き尽くす。
次の瞬間、膝をついた。口元から血を滴らせ、吐血する。目の焦点が定まらず、内臓を焼かれるような激痛に顔を歪めた。
呼吸が荒い。喉が焼ける。
口元から、赤い液体がぽたりと垂れた。
「……っ、くそ……また……」
焦点の合わない目で、床を見つめる。
胃が、肝臓が、心臓が、焼け付くように痛い。身体の奥にある臓器という臓器が、魔力の余波で軋みを上げている。
成功した。確かに制御はできた。暴走もしていない。だが──これは、撃てる魔法ではない。
「バクくん!!」
ユナが駆け寄り、小さな光の蝶を呼び出す。翅が触れた瞬間、苦痛が少し和らいだ。
「回復、間に合って……よかった……」
声が震えていた。
「……あれ……人に向けて撃ったら、本当に死ぬよ……」
そう呟いたのは、エマだった。いつもの快活な口調ではなく、ただの静かな事実。
ケイとリナも、何も言わなかった。表情だけが、すべてを物語っていた。
その時、ネロは静かに思考を巡らせていた。
声は発されず、ただ無音の中で、演算のように冷徹に──だが、わずかに困惑をにじませながら。
≪異常だ。術式は制御された……されているのに、この出力は……≫
≪内臓にまで響く魔力の衝撃。反動の処理が追いつかない≫
≪これほどの魔力量は、ラグナスの全盛期に匹敵……いや、超えている≫
≪……ラグナスの魔力ですら、私の制御は可能だった。だが……この”器”は、それを超えている≫
沈黙のあと、ガクが口を開いた。その声は、冷静すぎるほどに静かだった。
「──これじゃ、選抜戦には出せねえ。殺す気でやる魔法なんざ、使わせられるか」
「出した瞬間、試合終了。死人が出る」
一同に、凍りつくような空気が落ちた。
何も言えなかった。
ネロは誰にも──バクにすら聞かせないまま、思考の中だけで声を紡いでいた。
≪当然だ。かつての魔法は戦争の道具だった。滅ぼすための力。バクの魔力は、まさにその系譜≫
≪私にも責任があるな。この術式を、この時代に適合させねばならない≫
≪この世界の魔法体系を学習し、可能な限り簡略化・制御化を施す≫
≪……この時代の魔法に価値があるとは思っていなかった。だが──バク、お前と共にあるのなら、学ぶ価値は、あるのかもしれない≫
ガクが締めた。
「今は──まず身体強化に絞る。あの魔法の威力を活かす前に、お前の身体が先に死ぬ」
「内臓の強化まで視野に入れる。ケイやリナでもやってねえ高度な技術だ。だが、やるしかねえ。……やるか?」
ボロボロの体を引きずりながら、力なく笑う。
「分かって聞いてるでしょ、先生。やるしかないなら──やる。できるまで、ずっと」
熱意と覚悟が静かに宿った一言だった。
周囲の空気が変わる。
ケイは腕を組み、目を細めた。エマとユナは顔を見合わせ、静かに頷く。
アキは──いつになく真剣な表情で、バクを見ていた。
空気が張り詰めた。誰も口を開かないまま、バクは一歩、前に出た。
脚に力を込める。全身の筋が、黒炎の奔流を受け止めた。
こうして──地獄の訓練は始まった。
何度も、何度も、壁に叩きつけられた。
黒炎を纏って脚力を強化し、地面を蹴る。しかし止まれない。減速に失敗し、そのまま訓練空間の端まで吹っ飛ぶ。
──ドン、と重い音。
壁が震え、体が崩れ落ちる。口から血が滲む。だが、そのたびに立ち上がった。
足元はふらつき、吐く息は濁っている。それでも──立つ。
「もっとこう、ピタッと止まるイメージだよ! 空気をキュッて切って、足にグッと重み残す感じ!」
アキが感覚的にアドバイスする。
「バクの黒炎って、重いじゃん!だから体の芯、背骨の奥までドンって残る感じで止めてみたら?」
エマが身体感覚で補助した。
炎が暴れ、関節が鳴る。
魔力が四肢に暴力のように流れ込んだ。
止まれない。壁が揺れる。血が飛ぶ。
「魔力を一気に抜くのではなく、流れを抜かずに止める。魔力の反動は逆流ではなく収束として意識すると、衝撃は減るんじゃないかな」
ケイが理論で補完する。
呼吸が浅く、耳鳴りがひどい。
それでも、立つ。
脚が、震えている。
視界の端が、白く霞んでいく。
(──それでも)
「まだ……やれる」
少し離れたところで、その姿を見つめる少女がいた。
(なんで……そこまで……)
リナの瞳に映るのは、地獄を這い上がる少年の背だった。
黒炎を纏い、再び走る。
「……今度こそ──」
地を蹴った瞬間、空気が一変する。
焦げたような残光が残り、黒炎が空間を裂く。
壁が迫る。
加速の熱が、全身を貫く。
その中で──バクの身体が、沈んだ。
脚に、全魔力を集める。
暴れる衝動を押さえ込み、黒炎の流れを“止める”ために、ほんの一瞬だけ逆らう。
──その足が、地を掴んだ。
地面を削りながら、力を殺し、熱と速度が流れを失っていく。
滑るように、黒炎が消え──
バクの身体は、壁の目前で静止した。
静かだった。
音も叫びもなかった。
その静けさが、すべてを物語っていた。
一呼吸、遅れて──アキが叫んだ。
「止まったぁあああ!!」
空気が弾ける。
エマとユナが拍手し、ケイが頷き、リナは小さく目を見開く。
その視線の中心で、バクは息を整え、顔を上げた。
「……もう一回、いけるかも」
誰に言うでもなく、確かめるように呟いて──
バクは、再び跳んだ。
止まった足を軸に、逆方向へ反転。
爆発的な反動を、今度は推進力へと変える。
鋭く、しなやかに。
黒炎が軌道を描く。
「……っしゃあ!」
初めて見せた、満足そうな笑み。
ほんのわずかでも掴んだという感覚が、胸を熱くした。
「おいおい……ようやく、動きとして使えるもんになってきたな」
ガクが腕を組んで呟く。
「普通なら1週間で覚えることを、数ヶ月かかったのか……」
ケイが言う。
「でも……それだけ特別だということ」
リナが小さく付け加える。
ユナが静かに近寄り、光の蝶を呼び出して体を回復させながら、微笑む。
「ほんとに、がんばったね……バクくん」
距離が近く、可愛く微笑む姿に、どきっとした。
「今日はここまでだ」
ガクが静かにそう言った瞬間、マナドームの空気がふっと緩んだ。蒸し返すような熱気と、焦げた魔力の余韻の中で、仲間たちの拍手が響く。
「明日は……俺が相手してやる」
「実戦の怖さ、叩き込んでやるからなクソガキ」
「……手加減、してくれよ先生」
「するかバカ」
肩で息をしながら答えると、ガクはいつものようにぶっきらぼうに返す。だがその言葉の裏にある、信頼を誰もが感じていた。
「先生こそ壁壊さないようにしてくださいね~」
アキが軽口を叩き、場の空気が一層明るくなる。ユナとエマが近づき、それぞれ光の蝶と回復魔法で癒しを施しながら、片付けを始めていた。
──その時だった。
リナがふと足を止め、視線を向ける。振り返る彼に、短く言葉を落とす。
「……少しは、止まれるようになったのね」
「本当に少しだけな……」
汗で濡れた前髪をかき上げながら、苦笑いを返す。
「でも──まだ無駄が多い。本番では勝てないわ」
「……わかってる。でも、“止まれた”。次は、もう一歩進む」
その言葉に、リナの口元がふっと緩む。
「……なら、また見に来る」
静かに背を向けようとするリナに、アキがすかさず声を上げた。
「お、ツンデレ?」
「……うるさい!!」
振り返りざまに鋭い一言を返すが、その頬にはわずかに紅が差している。
「Sランクのリナと訓練できるなんて、すっごい貴重だよ!? バクの相手だけじゃもったいない!私にも教えて!」
「私も……ぜひお願いします!」
エマとユナが一斉に詰め寄る。
「ちょ、ちょっと……! わかったから、近いっ!」
戸惑いながらも強く拒絶できないリナ。そんな様子を見て、ケイが静かに笑った。
──その少し後方。
ガクが、にぎやかにじゃれ合う若者たちの姿を見つめていた。その表情はどこか懐かしげで、少しだけ寂しそうでもある。
「……若いってのは、羨ましいねぇ」
誰にともなくそう呟き、マナドームの出口へと歩き出す。
生徒たちの楽しげな声が、背中に届いていた。それを聞きながら、背はどこか誇らしげだった。
──そして。
焦げ跡の残る訓練場の中央で、空を見上げる。
(“止まる”ことができた)
(なら次は──)
(“進む”番だ──)
仲間たちと歩く帰り道。今日という日が、確実に自分を前に進めてくれた。
一歩ずつ、共に。
「払えるか! ボケがァ!!」
朝の職員室に響き渡った怒声に、隣の教師たちが一斉に肩をすくめた。
机をバンッと叩きつけ、ガク・ザラードは額に青筋を浮かべて書類を睨みつけている。
いつものだるそうな雰囲気はどこにもなく、顔は真っ赤、声は裏返り気味、目は血走っていた。
その手元には、一枚の書類。
──始末書と、請求書。
提出者:ガク・ザラード
宛先:アストレリウム学園・経理部
内容:施設損壊に関する費用請求
破壊箇所は十一カ所。訓練装置一基、補助解析装置一台、床材と壁材の交換……合計金額、七十二万リル。
「ちくしょう……俺の給料から天引きなんてされたら、来月からパンの耳生活だぞ……!」
机に突っ伏して絶望する。その耳には、つい昨夜の声が、重くよみがえっていた。
数時間前――
重厚なドアの先、学園長室。その奥に座るのは、白髪をオールバックにした老紳士。エルデ学園長。静かだが、底知れない威圧感が部屋を満たしている。
「彼の魔法は……もはや力というより災害だ」
学園長は窓の外を見つめたまま、静かに言葉を継いだ。
「だが、あれを正しく制御できるようになれば――戦力になる」
その一言で、ガクの表情が固まる。
「ガク。選抜戦までに、バク・ノヴァリスを制御可能な兵器に仕上げろ」
「成功すれば、破壊の請求はすべてなかったことにしよう」
……脅しだった。だが、それは教師としての賭けでもあった。
低く、乾いた声で返す。
「……脅迫かよ」
学園長の返答は、即座だった。
「指導、だ」
「……ったく、やるしかねえってか。とことん乗っかってやろうじゃねえか。地獄の特訓開始だクソガキ……!」
そのつぶやきと共に、立ち上がり、ドアを蹴り開ける。
目指すは、あのバカがいる教室だ。
放課後の教室。夕陽が斜めに差し込み、机の上に長く影を落としている。
教室の隅では、アキが机に突っ伏したまま爆睡中。窓際でぼんやりと外を眺めていた。
──その瞬間、教室のドアが勢いよく開かれた。
「てめぇ今日もまた請求書届いたんだよ!!魔法使うたびに備品ぶっ壊しやがって!!マナドーム来やがれこの野郎!!」
怒鳴り声と共に現れたのは、もちろんガクだった。
「は、えっ、ちょ、先生!?」
反応する暇もなく、腕を掴んでそのまま引きずるように教室を出ていく。
「え?え?ちょっと!?なになに!?」
帰り支度をしていたエマとユナの前で、振り返る。
「お前らも来い」
「え、私たちも?なんで?」
エマが不満げに眉をひそめる。
「感覚派の意見は必要だ。バカの魔力は感覚で測るしかねえ」
ユナが控えめに手を上げる。
「私は……回復、ですか?」
「ああ。ぶっ壊れた時に修理が間に合わねえ」
「修理……俺、物扱いっすか……?」
引きずられながらぼやく。
そのとき、教室の隅で寝ていたアキがむくっと起き上がり、寝ぼけ眼のまま笑顔を見せた。
「俺も行きます!ヒマなんで!」
「勝手にしやがれ。ついでにしごいてやる、問題児が」
廊下を一行が歩いていく。まるで騒がしい遠足のようだ。
その途中、前方から歩いてきたケイ・ノヴァードがふと足を止めた。
「みんなでどこ行くの?楽しそうだね」
「ガク先生の秘密のトレーニングだ!」
アキがテンション高く応える。
「へぇ、面白そうだね。俺もついていこうかな」
「ちょうどいい、お前は実演用の見本だ。身体強化の参考にさせてもらう」
「じゃあ張り切らないとですね」
自然に列に加わり、騒がしい一行はそのまま歩き出す。
その様子を、少し離れた廊下の角から見ていた少女がいた。
氷のように澄んだ眼差しで、リナが静かに彼らを見つめていた。
(また騒がしくして……)
呆れたように息を吐く彼女に、ケイが気づく。
「先生、リナも呼んでみたらどうですか?」
「……あいつが素直に来るかねえ」
「きっと来ますよ。バク君に興味あるみたいだし」
「まぁでも、魔力制御に関しちゃ俺以上だ。付き合ってもらうか」
「めっちゃ素直に負け認めたー!」
アキが笑う。
「教師としてどうなんすか、それ……」
苦笑気味に言う。
「うるせぇ。実戦なら天と地がひっくり返っても負けねぇよ……今はまだな」
ケイが一歩前に出て、リナへと歩み寄る。
「リナ、ちょっとだけ付き合ってくれない?訓練の手伝いをしてほしいんだ」
「……暇じゃないの。付き合ってる時間はないわ」
その返答を聞いて、今度は周囲のメンバーが次々と口を挟む。
「ねぇ、リナちゃんの魔法、近くで見てみたいな~。勉強にもなるし!」
エマが目を輝かせる。
「わ、私も……一緒の方が安心できるから……」
ユナも続く。
「ごめん。俺の魔法、まだ全然下手で……教えてくれないかな」
真正面から頭を下げる。
「よし!これでSランクも巻き込んだ最強メンバーだな!」
アキが盛り上げた。
ケイが静かに笑う。
「騒がしいのも、たまには悪くないよ?」
みんなに囲まれたリナは、少しだけ困ったように俯く。
(……また、こんな風に囲まれて。けど……)
そのとき、ガクが背後から大声を飛ばした。
「ごちゃごちゃ言ってねぇで来い、氷姫!!」
条件反射のように、リナの口が動く。
「……は、はい!」
一瞬の静寂。
「素直か!!」
アキのツッコミが響いた。
わずかに顔をそらしながら、静かに列に加わった。
訓練空間《マナドーム》に到着した一行を、巨大な球状空間が迎えた。
「よし、まずは現状確認だ。バク、いつものやつを撃ってみろ」
ガクの指示に、頷いた。
(いつものやつって……黒炎か)
≪準備はいいか≫
(ああ)
右手に意識を集中し、魔力を練り上げる。ネロの補助を得て、黒炎の術式を展開した。
「いけ――!」
放たれた漆黒の炎は、制御自体には成功していた。だが、術式そのものの負荷が異常だった。爆発的な威力で地面をえぐり、空間を焼き尽くす。
次の瞬間、膝をついた。口元から血を滴らせ、吐血する。目の焦点が定まらず、内臓を焼かれるような激痛に顔を歪めた。
呼吸が荒い。喉が焼ける。
口元から、赤い液体がぽたりと垂れた。
「……っ、くそ……また……」
焦点の合わない目で、床を見つめる。
胃が、肝臓が、心臓が、焼け付くように痛い。身体の奥にある臓器という臓器が、魔力の余波で軋みを上げている。
成功した。確かに制御はできた。暴走もしていない。だが──これは、撃てる魔法ではない。
「バクくん!!」
ユナが駆け寄り、小さな光の蝶を呼び出す。翅が触れた瞬間、苦痛が少し和らいだ。
「回復、間に合って……よかった……」
声が震えていた。
「……あれ……人に向けて撃ったら、本当に死ぬよ……」
そう呟いたのは、エマだった。いつもの快活な口調ではなく、ただの静かな事実。
ケイとリナも、何も言わなかった。表情だけが、すべてを物語っていた。
その時、ネロは静かに思考を巡らせていた。
声は発されず、ただ無音の中で、演算のように冷徹に──だが、わずかに困惑をにじませながら。
≪異常だ。術式は制御された……されているのに、この出力は……≫
≪内臓にまで響く魔力の衝撃。反動の処理が追いつかない≫
≪これほどの魔力量は、ラグナスの全盛期に匹敵……いや、超えている≫
≪……ラグナスの魔力ですら、私の制御は可能だった。だが……この”器”は、それを超えている≫
沈黙のあと、ガクが口を開いた。その声は、冷静すぎるほどに静かだった。
「──これじゃ、選抜戦には出せねえ。殺す気でやる魔法なんざ、使わせられるか」
「出した瞬間、試合終了。死人が出る」
一同に、凍りつくような空気が落ちた。
何も言えなかった。
ネロは誰にも──バクにすら聞かせないまま、思考の中だけで声を紡いでいた。
≪当然だ。かつての魔法は戦争の道具だった。滅ぼすための力。バクの魔力は、まさにその系譜≫
≪私にも責任があるな。この術式を、この時代に適合させねばならない≫
≪この世界の魔法体系を学習し、可能な限り簡略化・制御化を施す≫
≪……この時代の魔法に価値があるとは思っていなかった。だが──バク、お前と共にあるのなら、学ぶ価値は、あるのかもしれない≫
ガクが締めた。
「今は──まず身体強化に絞る。あの魔法の威力を活かす前に、お前の身体が先に死ぬ」
「内臓の強化まで視野に入れる。ケイやリナでもやってねえ高度な技術だ。だが、やるしかねえ。……やるか?」
ボロボロの体を引きずりながら、力なく笑う。
「分かって聞いてるでしょ、先生。やるしかないなら──やる。できるまで、ずっと」
熱意と覚悟が静かに宿った一言だった。
周囲の空気が変わる。
ケイは腕を組み、目を細めた。エマとユナは顔を見合わせ、静かに頷く。
アキは──いつになく真剣な表情で、バクを見ていた。
空気が張り詰めた。誰も口を開かないまま、バクは一歩、前に出た。
脚に力を込める。全身の筋が、黒炎の奔流を受け止めた。
こうして──地獄の訓練は始まった。
何度も、何度も、壁に叩きつけられた。
黒炎を纏って脚力を強化し、地面を蹴る。しかし止まれない。減速に失敗し、そのまま訓練空間の端まで吹っ飛ぶ。
──ドン、と重い音。
壁が震え、体が崩れ落ちる。口から血が滲む。だが、そのたびに立ち上がった。
足元はふらつき、吐く息は濁っている。それでも──立つ。
「もっとこう、ピタッと止まるイメージだよ! 空気をキュッて切って、足にグッと重み残す感じ!」
アキが感覚的にアドバイスする。
「バクの黒炎って、重いじゃん!だから体の芯、背骨の奥までドンって残る感じで止めてみたら?」
エマが身体感覚で補助した。
炎が暴れ、関節が鳴る。
魔力が四肢に暴力のように流れ込んだ。
止まれない。壁が揺れる。血が飛ぶ。
「魔力を一気に抜くのではなく、流れを抜かずに止める。魔力の反動は逆流ではなく収束として意識すると、衝撃は減るんじゃないかな」
ケイが理論で補完する。
呼吸が浅く、耳鳴りがひどい。
それでも、立つ。
脚が、震えている。
視界の端が、白く霞んでいく。
(──それでも)
「まだ……やれる」
少し離れたところで、その姿を見つめる少女がいた。
(なんで……そこまで……)
リナの瞳に映るのは、地獄を這い上がる少年の背だった。
黒炎を纏い、再び走る。
「……今度こそ──」
地を蹴った瞬間、空気が一変する。
焦げたような残光が残り、黒炎が空間を裂く。
壁が迫る。
加速の熱が、全身を貫く。
その中で──バクの身体が、沈んだ。
脚に、全魔力を集める。
暴れる衝動を押さえ込み、黒炎の流れを“止める”ために、ほんの一瞬だけ逆らう。
──その足が、地を掴んだ。
地面を削りながら、力を殺し、熱と速度が流れを失っていく。
滑るように、黒炎が消え──
バクの身体は、壁の目前で静止した。
静かだった。
音も叫びもなかった。
その静けさが、すべてを物語っていた。
一呼吸、遅れて──アキが叫んだ。
「止まったぁあああ!!」
空気が弾ける。
エマとユナが拍手し、ケイが頷き、リナは小さく目を見開く。
その視線の中心で、バクは息を整え、顔を上げた。
「……もう一回、いけるかも」
誰に言うでもなく、確かめるように呟いて──
バクは、再び跳んだ。
止まった足を軸に、逆方向へ反転。
爆発的な反動を、今度は推進力へと変える。
鋭く、しなやかに。
黒炎が軌道を描く。
「……っしゃあ!」
初めて見せた、満足そうな笑み。
ほんのわずかでも掴んだという感覚が、胸を熱くした。
「おいおい……ようやく、動きとして使えるもんになってきたな」
ガクが腕を組んで呟く。
「普通なら1週間で覚えることを、数ヶ月かかったのか……」
ケイが言う。
「でも……それだけ特別だということ」
リナが小さく付け加える。
ユナが静かに近寄り、光の蝶を呼び出して体を回復させながら、微笑む。
「ほんとに、がんばったね……バクくん」
距離が近く、可愛く微笑む姿に、どきっとした。
「今日はここまでだ」
ガクが静かにそう言った瞬間、マナドームの空気がふっと緩んだ。蒸し返すような熱気と、焦げた魔力の余韻の中で、仲間たちの拍手が響く。
「明日は……俺が相手してやる」
「実戦の怖さ、叩き込んでやるからなクソガキ」
「……手加減、してくれよ先生」
「するかバカ」
肩で息をしながら答えると、ガクはいつものようにぶっきらぼうに返す。だがその言葉の裏にある、信頼を誰もが感じていた。
「先生こそ壁壊さないようにしてくださいね~」
アキが軽口を叩き、場の空気が一層明るくなる。ユナとエマが近づき、それぞれ光の蝶と回復魔法で癒しを施しながら、片付けを始めていた。
──その時だった。
リナがふと足を止め、視線を向ける。振り返る彼に、短く言葉を落とす。
「……少しは、止まれるようになったのね」
「本当に少しだけな……」
汗で濡れた前髪をかき上げながら、苦笑いを返す。
「でも──まだ無駄が多い。本番では勝てないわ」
「……わかってる。でも、“止まれた”。次は、もう一歩進む」
その言葉に、リナの口元がふっと緩む。
「……なら、また見に来る」
静かに背を向けようとするリナに、アキがすかさず声を上げた。
「お、ツンデレ?」
「……うるさい!!」
振り返りざまに鋭い一言を返すが、その頬にはわずかに紅が差している。
「Sランクのリナと訓練できるなんて、すっごい貴重だよ!? バクの相手だけじゃもったいない!私にも教えて!」
「私も……ぜひお願いします!」
エマとユナが一斉に詰め寄る。
「ちょ、ちょっと……! わかったから、近いっ!」
戸惑いながらも強く拒絶できないリナ。そんな様子を見て、ケイが静かに笑った。
──その少し後方。
ガクが、にぎやかにじゃれ合う若者たちの姿を見つめていた。その表情はどこか懐かしげで、少しだけ寂しそうでもある。
「……若いってのは、羨ましいねぇ」
誰にともなくそう呟き、マナドームの出口へと歩き出す。
生徒たちの楽しげな声が、背中に届いていた。それを聞きながら、背はどこか誇らしげだった。
──そして。
焦げ跡の残る訓練場の中央で、空を見上げる。
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一歩ずつ、共に。
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