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不器用な一歩
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朝の教室は、珍しく静まり返っていた。
黒板に並んだのは、緻密な魔力循環図と神経伝達の強化図式。矢印が無数に交錯し、いかにも魔法理論という趣を醸し出している。
教壇に立つガク・ザラードは、いつものふざけた調子を一切見せていなかった。コーヒーカップをそっと机に置き、生徒たちを見渡す。
「今日は身体強化魔法の理論を扱う。真面目に聞け。ふざけると死ぬぞ」
静寂の中、緊張した空気が走った。
「身体強化と聞いて、筋力アップやスピードアップを連想するのは自然だ。だが、それは結果であって本質じゃない」
チョークを手に取り、黒板の一角に筋繊維と神経の模式図を描き込む。
「本質は、魔力による生体機能の最適化だ。筋肉に流せば収縮力が高まる。神経に流せば反応速度が上がる。血管に流せば循環効率が跳ね上がる」
淡々とした口調に、どこか熱がこもっていた。
「だが当然、リスクもある。限界を越えれば、筋繊維は断裂し、神経は焼き切れ、血管は破裂する。強化とは――破壊との境界線上にある行為だ」
その言葉に、生徒たちが息を呑む。
その横顔を見つめていた。
(真面目なガク先生を見るのは、入学以来これが初めてかもしれない)
(それだけ重要な授業ってことか……)
右手に目を落とす。そこには黒い指輪《ネロコード》が嵌められている。
昨日、この指輪は変形した。魔力に応じて、ガントレットのような形状に進化した。未だに信じられないけど、確かに、応えてくれた。
≪身体強化か……面白いテーマだな≫
ネロの声が、脳内に響く。
≪お前のような不安定な魔力保持者にとっては、極めて向いていない分野だが≫
(そうかよ……)
≪最悪の場合、内側から爆発する。文字通りにな≫
(やめろ、ゾッとする)
≪忠告だ。君の肉体は、出力に対して脆弱すぎる≫
分析はいつも冷徹で、正確だ。だがそれでも――
(それでも、やらなきゃいけない時が来る)
≪……やれやれ、ならば観察してやるさ。せいぜい無様に転べ≫
ガクが黒板を軽く叩く音がした。
「理論はここまで。次は実技だ」
生徒たちがざわめき始める。
「各自、強化したい部位を意識して魔力を流してみろ。ジャンプでも腕立てでも、何でも構わん」
その一言で、演習場のあちこちで歓声が上がる。
移動する途中、既に他の生徒たちが身体強化の練習を始めていた。
ある男子生徒が魔力を脚に集中させ、弾かれるように跳び上がった。天井ギリギリで身をひねり、魔力を流すようにして着地の衝撃を吸収する。
「すげぇ!今の跳躍、天井付近まで行ったぞ!」
別の二人は組手の構え。片方が一歩踏み込んだ瞬間、腕に魔力を集中。鋭い一撃が空気を切る。
「くっそ、速っ……! 今、見えた?」
「いや、完全に反応遅れた……」
ガクが腕を組みながら教室の中央に立つ。
「そうそう。筋肉や反応速度、見せ方は人それぞれだ。各自、強化したい部位を意識してやれ。ジャンプでも腕立てでも何でもいい。まずは使い方を知るところからだ」
その言葉を合図に、生徒たちは自分の身体と向き合い始めた。
深呼吸し、立ち上がる。
(いける……はず)
右手の指輪《ネロコード》が微かに熱を帯びる。
全身の血流に魔力を巡らせるイメージ――脚、腕、胸部、肩、背中、神経、筋肉、骨。
≪待て、バク。全身強化はまだ早――≫
「いけっ!」
魔力を流した瞬間、制服の腹部が内側から破れた。
焦げた布がひらりと落ち、煙が肩から立ち上る。
前髪の先が焦げて縮れ、顔全体が黒く煤けていた。
「……っつ。くそ……」
膝をついた背中からは、まだ湯気が出ていた。
「あっはははは! なにその顔! 焦げすぎ!」
エマが腹を抱えて爆笑する。
「どーやったら、そうなるんだよ……!」
アキも腹を抱えて笑っている。
「だ、大丈夫っ!?」ユナが慌てて近寄り、両手を合わせる。
「ルミ……来て!」
光が弾け、小さな蝶のような精霊が現れ、淡い輝きが肌のヒリつきを癒していく。
「うぅ……鼻毛まで焦げた……」
「もうっ、無理しすぎなんだから!」
ユナが口を尖らせる。
≪見事な自滅だな≫
皮肉が刺さる。
(うるさい!)
その騒ぎを、演習場の隅で壁にもたれながら見ている者がいた。銀髪を風になびかせ、氷のような青い瞳で静かに観察している少女――リナ・セレスト。表情は読めない。ただ、静かに観察している目だった。
「あそこ、楽しそうだね」
声とともに、ひとりの少年が隣に現れる。
ふわりとした銀髪に、どこか儚げな雰囲気を纏った美少年。細身の制服は着崩しておらず、所作にも無駄がない。
彼の名は――ケイ・ノヴァード。
同じ一年生でありながら、Aランクの評価を受ける天才魔導士。
「……別に」
素っけなく答える。だが相手は、そんな反応にも動じることなく微笑みを保ったまま、生徒たちの方を見つめた。
「俺は、あの子に興味あるけどな」
そう言って、黒く煤けた少年の方を指先で示す。
「なかなか面白い魔力を持ってるみたいだし」
「……知ってるの?」
少しだけ目を細める。
「まあね。学園の噂は早いから」
肩をすくめる仕草で受け流した。
「それに、あれだけ派手にやれば嫌でも目立つよ」
黒く煤けた顔で頭を抱える姿を見て、クスッと笑う。その視線には、侮りでも嘲笑でもなく――興味と、少しの期待があった。
そして、ふわりと足を踏み出す。
「……さて。ちょっとだけ、俺も遊ばせてもらおうかな」
そう呟いて、演習場の方へと歩き始めた。
残された彼女は何も言わず、その背中を目で追っていた。
「……そのやり方じゃ、いつまで経っても前に進めないよ」
目の前から、落ち着いた声が降ってきた。
顔を上げると、そこにはさっき見かけた銀髪の少年が立っていた。
涼しげな目元に、どこか人を食ったような笑みを浮かべている。
「君、名前は?」
「バク・ノヴァリス……だけど」
「うん、やっぱり。予想通りの顔してる」
「は?」
眉をひそめると、そのまま演習場の中央へと進み出た。
周囲の生徒たちがざわつき始める。
「おい、あれ……ノヴァード君じゃね?」
「マジかよ、あのAランクの……!」
ざわめきの中で、くるりと振り返った。
「身体強化はね、まず一点集中から始めるべきなんだ。特に初心者は、全身に魔力を回すなんて無謀なことはしない方がいい」
淡々と、けれども説得力ある声音だった。
「まずは脚だけ。力の流れを一本に絞る。それだけで、動きは変わるよ」
言いながら、左足に意識を集中させた。
次の瞬間――
パチ、と空気が弾けた音がした。
脚から、雷のような魔力がスパークし、姿が一瞬にして視界から消えた。
「……っ!?」
ドン、と小さく風がぶつかるような衝撃音。
気付けば、数メートル先の壁際に立っていた。
一切の助走もなく、一直線に跳んだのだ。
「すげぇ……!」
「今の、目で追えなかったぞ……!」
「さすが、あれがAランクか……!」
周りの生徒たちがどよめく中、軽く手を振って戻ってくる。
「――ね?」
「……ちょっと、かっこよすぎだろ……」
呆れ混じりに呟くと、笑って肩を叩いた。
「やってみなよ、バク君。失敗してもいい。……でも、やらないのは、もったいない」
その言葉に、息を呑む。
拳を握り、前を向く。
「……俺もやってみる!」
周囲の視線が、再び集まる。
≪また無謀な真似を……だが、嫌いじゃない≫
かすかに呟いた。
「脚に魔力を集中……脚に、集中……!」
立ったまま深く息を吐き、両足に意識を向けた。
周囲の視線が集まってくるのを感じながら、体内の魔力をぐっと下半身へ流し込む。
(いける……いけるはずだ!)
次の瞬間、体が一直線に前方へ飛び出した。
「っうおおおおおおおおっ!!」
──ズドンッ!!
ものすごい勢いで壁に激突。
演習場が揺れるほどの衝撃音と同時に、白い煙がふわりと立ち上る。
「うわっ、止まれてないっ!」
「おい、顔からいったぞ今……!」
「まじかよ、あいつ……壁にめりこんでんじゃねえの?」
周囲の生徒たちがざわつく中、壁に突き刺さるような格好でずるずると崩れ落ちた。
≪右足の関節が45度ズレた。あと0.7秒で筋断裂。愚かにも程があるな≫
「黙れ!!」
怒鳴り返しながら、ふらついた足で再び立ち上がる。
「まだ、いける……!」
2回目。
また魔力を脚に集中し――
「っしゃあああああああ!!」
──ドガァッ!!
今度は勢いが増して、反対側の壁へ激突。
顔面が少し膨れている。
「やべぇ、さっきより飛んだ!」
「なんかもう、ギャグにしか見えねえ……」
「顔、パンパンじゃね?」
「ピクピクしてる、ピクピクしてる!」
≪次で確実に靭帯損傷だな。やるなら病院の予約も入れておけ≫
「うるっさいわぁ!!」
3回目。
警告を無視し、拳を握る。
「ここで止めたら、俺じゃねえ……!」
叫んで、飛び出した。
──ズギャンッ!!
三度目の正直も、壁だった。
崩れ落ちた背中を、誰かが慌てて支える。
「もう、無茶しすぎ!」
ユナだった。
両手を重ね、白い光《ルミ》が全身を包み込む。
けれど――その額には汗がにじんでいた。
「ごめんね、ルミも……そろそろ限界かも……」
肩で息をしながら、苦しげに呟く。
≪回復術式は万能ではない。あまり支援者に甘えるな。これは自分自身の問題だ≫
(……分かってるよ)
回復の光が弱々しくなっていくのを、ぼんやりと見つめた。
(身体強化って、こんなに難しいのかよ……)
(ネロ、ラグナスはどうだったんだ?同じ黒炎使いだろ?)
≪あいつも相当酷かったぞ。血反吐はくのが日常茶飯事だった≫
≪だが、お前よりはマシだがな≫
(おい!)
≪事実だろう。あいつは少なくとも、3回連続で壁に激突はしなかった≫
そのときだった。
少し離れたところから、ひょいと銀髪の少年が顔をのぞかせた。
「それにしても……君、誰かと喋ってない?」
「……え?」
思わず振り向く。
「いや、別に……」
「ふふ、気のせいか。じゃあ、また試合でね」
銀髪を揺らし、あっさりと立ち去っていった。
≪……あいつ、鋭いな≫
(たしかに……ちょっとだけ、冷や汗出た)
最後にガクが歩いてきて、盛大なため息をついた。
「……請求は俺に来るやつだな、これは」
壁に激突して倒れた様子を横目に、先ほどの天才は少し離れた場所で氷の魔導士と話していた。
「にしても、壁に三回突っ込むとか……俺でもやらないよ、あれは」
苦笑いする。
「……あなたが興味を持つなんて、珍しいわね」
「そうかな」
銀髪をふわりと揺らしながら、軽く肩をすくめる。
「試合までに形になれば、面白いことになるかもよ? あの子――力の方向性はめちゃくちゃだけど、潜在的には悪くない」
「……ふん」
小さく鼻を鳴らす。
「どうかしらね。あれだけ自滅するなら、試合前に骨の一本や二本は折れてそう」
「それでも、やろうとしてる」
声が少しだけ柔らかくなる。
「君だって、本当は気づいてるんでしょ。あいつの魔力は……特別だよ」
答えない。
その沈黙を受け止めながら、続けた。
「素直になればいいのに。バクは――あの人とは違うと思うよ」
ピクリ、と肩が微かに動いた。
ほんの一瞬。
その名を口にしていないのに、たしかに何かを揺さぶった。
(あの人のように、また失ってしまうのが怖い──)
静かに息を吐いた。
だがその感情を、相手に悟らせるような表情は浮かべない。
「……放っておいて。私は、関係ない」
「うん。君がそう言うなら」
それ以上、追及しなかった。
ただ、静かに隣から離れていった。
訓練の時間が終わる頃には、空気はすっかり戦場の後のようになっていた。
壁に空いたヒビ。
床に残る焦げ跡。
制服はボロボロで、顔もところどころ煤けていた。
けれど――
それでも、笑っていた。
「次こそは、成功させる」
悔しさを押し殺した顔じゃない。
諦めの笑みでもない。
むしろその瞳は、炎のように、前を向いていた。
「また壁壊すなよー!」
アキが横からツッコむように声を飛ばす。
「次、あれ以上激突したら廊下まで吹っ飛ぶんじゃないの?」
エマが腕を組んで笑いながら言った。
「……ごめんね、ルミ」
ユナは小さく囁くように呟いて、胸元で小さな光の球体をなでる。
彼らの会話は、まるで一日の終わりを告げる鐘のように、騒がしくて、あたたかかった。
≪非効率で、騒がしく、愚く……≫
声が、いつものように脳内に響く。
≪だが──悪くない≫
小さく息をついた。
笑うでもなく、強がるでもなく、ただ少しだけ空を見上げる。
窓の向こう、夕陽が教室の中に斜めの光を落としていた。
橙に染まった光の中、仲間たちの笑い声が、いつまでも耳に残っていた。
残された銀髪の少女は、一人だけ違う空気の中で、もう一度訓練場に視線を向けた。
黒く煤けた制服、足を引きずりながらも笑っている少年の姿。
そしてそれを囲む仲間たち。
(……本当に、違うの?)
心の奥で、掴みかけた問いが、まだ言葉にならなかった。
――この日が、初歩だった。
不器用で、派手で、でも確かに前へ進む、その一歩。
やがて始まる選抜戦。
それは本当の戦いの始まりになる。
けれど今はまだ、その一歩を踏み出した場所。
夕陽の中で、少年たちはそれぞれの想いを胸に、次なる挑戦を待っていた。
黒板に並んだのは、緻密な魔力循環図と神経伝達の強化図式。矢印が無数に交錯し、いかにも魔法理論という趣を醸し出している。
教壇に立つガク・ザラードは、いつものふざけた調子を一切見せていなかった。コーヒーカップをそっと机に置き、生徒たちを見渡す。
「今日は身体強化魔法の理論を扱う。真面目に聞け。ふざけると死ぬぞ」
静寂の中、緊張した空気が走った。
「身体強化と聞いて、筋力アップやスピードアップを連想するのは自然だ。だが、それは結果であって本質じゃない」
チョークを手に取り、黒板の一角に筋繊維と神経の模式図を描き込む。
「本質は、魔力による生体機能の最適化だ。筋肉に流せば収縮力が高まる。神経に流せば反応速度が上がる。血管に流せば循環効率が跳ね上がる」
淡々とした口調に、どこか熱がこもっていた。
「だが当然、リスクもある。限界を越えれば、筋繊維は断裂し、神経は焼き切れ、血管は破裂する。強化とは――破壊との境界線上にある行為だ」
その言葉に、生徒たちが息を呑む。
その横顔を見つめていた。
(真面目なガク先生を見るのは、入学以来これが初めてかもしれない)
(それだけ重要な授業ってことか……)
右手に目を落とす。そこには黒い指輪《ネロコード》が嵌められている。
昨日、この指輪は変形した。魔力に応じて、ガントレットのような形状に進化した。未だに信じられないけど、確かに、応えてくれた。
≪身体強化か……面白いテーマだな≫
ネロの声が、脳内に響く。
≪お前のような不安定な魔力保持者にとっては、極めて向いていない分野だが≫
(そうかよ……)
≪最悪の場合、内側から爆発する。文字通りにな≫
(やめろ、ゾッとする)
≪忠告だ。君の肉体は、出力に対して脆弱すぎる≫
分析はいつも冷徹で、正確だ。だがそれでも――
(それでも、やらなきゃいけない時が来る)
≪……やれやれ、ならば観察してやるさ。せいぜい無様に転べ≫
ガクが黒板を軽く叩く音がした。
「理論はここまで。次は実技だ」
生徒たちがざわめき始める。
「各自、強化したい部位を意識して魔力を流してみろ。ジャンプでも腕立てでも、何でも構わん」
その一言で、演習場のあちこちで歓声が上がる。
移動する途中、既に他の生徒たちが身体強化の練習を始めていた。
ある男子生徒が魔力を脚に集中させ、弾かれるように跳び上がった。天井ギリギリで身をひねり、魔力を流すようにして着地の衝撃を吸収する。
「すげぇ!今の跳躍、天井付近まで行ったぞ!」
別の二人は組手の構え。片方が一歩踏み込んだ瞬間、腕に魔力を集中。鋭い一撃が空気を切る。
「くっそ、速っ……! 今、見えた?」
「いや、完全に反応遅れた……」
ガクが腕を組みながら教室の中央に立つ。
「そうそう。筋肉や反応速度、見せ方は人それぞれだ。各自、強化したい部位を意識してやれ。ジャンプでも腕立てでも何でもいい。まずは使い方を知るところからだ」
その言葉を合図に、生徒たちは自分の身体と向き合い始めた。
深呼吸し、立ち上がる。
(いける……はず)
右手の指輪《ネロコード》が微かに熱を帯びる。
全身の血流に魔力を巡らせるイメージ――脚、腕、胸部、肩、背中、神経、筋肉、骨。
≪待て、バク。全身強化はまだ早――≫
「いけっ!」
魔力を流した瞬間、制服の腹部が内側から破れた。
焦げた布がひらりと落ち、煙が肩から立ち上る。
前髪の先が焦げて縮れ、顔全体が黒く煤けていた。
「……っつ。くそ……」
膝をついた背中からは、まだ湯気が出ていた。
「あっはははは! なにその顔! 焦げすぎ!」
エマが腹を抱えて爆笑する。
「どーやったら、そうなるんだよ……!」
アキも腹を抱えて笑っている。
「だ、大丈夫っ!?」ユナが慌てて近寄り、両手を合わせる。
「ルミ……来て!」
光が弾け、小さな蝶のような精霊が現れ、淡い輝きが肌のヒリつきを癒していく。
「うぅ……鼻毛まで焦げた……」
「もうっ、無理しすぎなんだから!」
ユナが口を尖らせる。
≪見事な自滅だな≫
皮肉が刺さる。
(うるさい!)
その騒ぎを、演習場の隅で壁にもたれながら見ている者がいた。銀髪を風になびかせ、氷のような青い瞳で静かに観察している少女――リナ・セレスト。表情は読めない。ただ、静かに観察している目だった。
「あそこ、楽しそうだね」
声とともに、ひとりの少年が隣に現れる。
ふわりとした銀髪に、どこか儚げな雰囲気を纏った美少年。細身の制服は着崩しておらず、所作にも無駄がない。
彼の名は――ケイ・ノヴァード。
同じ一年生でありながら、Aランクの評価を受ける天才魔導士。
「……別に」
素っけなく答える。だが相手は、そんな反応にも動じることなく微笑みを保ったまま、生徒たちの方を見つめた。
「俺は、あの子に興味あるけどな」
そう言って、黒く煤けた少年の方を指先で示す。
「なかなか面白い魔力を持ってるみたいだし」
「……知ってるの?」
少しだけ目を細める。
「まあね。学園の噂は早いから」
肩をすくめる仕草で受け流した。
「それに、あれだけ派手にやれば嫌でも目立つよ」
黒く煤けた顔で頭を抱える姿を見て、クスッと笑う。その視線には、侮りでも嘲笑でもなく――興味と、少しの期待があった。
そして、ふわりと足を踏み出す。
「……さて。ちょっとだけ、俺も遊ばせてもらおうかな」
そう呟いて、演習場の方へと歩き始めた。
残された彼女は何も言わず、その背中を目で追っていた。
「……そのやり方じゃ、いつまで経っても前に進めないよ」
目の前から、落ち着いた声が降ってきた。
顔を上げると、そこにはさっき見かけた銀髪の少年が立っていた。
涼しげな目元に、どこか人を食ったような笑みを浮かべている。
「君、名前は?」
「バク・ノヴァリス……だけど」
「うん、やっぱり。予想通りの顔してる」
「は?」
眉をひそめると、そのまま演習場の中央へと進み出た。
周囲の生徒たちがざわつき始める。
「おい、あれ……ノヴァード君じゃね?」
「マジかよ、あのAランクの……!」
ざわめきの中で、くるりと振り返った。
「身体強化はね、まず一点集中から始めるべきなんだ。特に初心者は、全身に魔力を回すなんて無謀なことはしない方がいい」
淡々と、けれども説得力ある声音だった。
「まずは脚だけ。力の流れを一本に絞る。それだけで、動きは変わるよ」
言いながら、左足に意識を集中させた。
次の瞬間――
パチ、と空気が弾けた音がした。
脚から、雷のような魔力がスパークし、姿が一瞬にして視界から消えた。
「……っ!?」
ドン、と小さく風がぶつかるような衝撃音。
気付けば、数メートル先の壁際に立っていた。
一切の助走もなく、一直線に跳んだのだ。
「すげぇ……!」
「今の、目で追えなかったぞ……!」
「さすが、あれがAランクか……!」
周りの生徒たちがどよめく中、軽く手を振って戻ってくる。
「――ね?」
「……ちょっと、かっこよすぎだろ……」
呆れ混じりに呟くと、笑って肩を叩いた。
「やってみなよ、バク君。失敗してもいい。……でも、やらないのは、もったいない」
その言葉に、息を呑む。
拳を握り、前を向く。
「……俺もやってみる!」
周囲の視線が、再び集まる。
≪また無謀な真似を……だが、嫌いじゃない≫
かすかに呟いた。
「脚に魔力を集中……脚に、集中……!」
立ったまま深く息を吐き、両足に意識を向けた。
周囲の視線が集まってくるのを感じながら、体内の魔力をぐっと下半身へ流し込む。
(いける……いけるはずだ!)
次の瞬間、体が一直線に前方へ飛び出した。
「っうおおおおおおおおっ!!」
──ズドンッ!!
ものすごい勢いで壁に激突。
演習場が揺れるほどの衝撃音と同時に、白い煙がふわりと立ち上る。
「うわっ、止まれてないっ!」
「おい、顔からいったぞ今……!」
「まじかよ、あいつ……壁にめりこんでんじゃねえの?」
周囲の生徒たちがざわつく中、壁に突き刺さるような格好でずるずると崩れ落ちた。
≪右足の関節が45度ズレた。あと0.7秒で筋断裂。愚かにも程があるな≫
「黙れ!!」
怒鳴り返しながら、ふらついた足で再び立ち上がる。
「まだ、いける……!」
2回目。
また魔力を脚に集中し――
「っしゃあああああああ!!」
──ドガァッ!!
今度は勢いが増して、反対側の壁へ激突。
顔面が少し膨れている。
「やべぇ、さっきより飛んだ!」
「なんかもう、ギャグにしか見えねえ……」
「顔、パンパンじゃね?」
「ピクピクしてる、ピクピクしてる!」
≪次で確実に靭帯損傷だな。やるなら病院の予約も入れておけ≫
「うるっさいわぁ!!」
3回目。
警告を無視し、拳を握る。
「ここで止めたら、俺じゃねえ……!」
叫んで、飛び出した。
──ズギャンッ!!
三度目の正直も、壁だった。
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「もう、無茶しすぎ!」
ユナだった。
両手を重ね、白い光《ルミ》が全身を包み込む。
けれど――その額には汗がにじんでいた。
「ごめんね、ルミも……そろそろ限界かも……」
肩で息をしながら、苦しげに呟く。
≪回復術式は万能ではない。あまり支援者に甘えるな。これは自分自身の問題だ≫
(……分かってるよ)
回復の光が弱々しくなっていくのを、ぼんやりと見つめた。
(身体強化って、こんなに難しいのかよ……)
(ネロ、ラグナスはどうだったんだ?同じ黒炎使いだろ?)
≪あいつも相当酷かったぞ。血反吐はくのが日常茶飯事だった≫
≪だが、お前よりはマシだがな≫
(おい!)
≪事実だろう。あいつは少なくとも、3回連続で壁に激突はしなかった≫
そのときだった。
少し離れたところから、ひょいと銀髪の少年が顔をのぞかせた。
「それにしても……君、誰かと喋ってない?」
「……え?」
思わず振り向く。
「いや、別に……」
「ふふ、気のせいか。じゃあ、また試合でね」
銀髪を揺らし、あっさりと立ち去っていった。
≪……あいつ、鋭いな≫
(たしかに……ちょっとだけ、冷や汗出た)
最後にガクが歩いてきて、盛大なため息をついた。
「……請求は俺に来るやつだな、これは」
壁に激突して倒れた様子を横目に、先ほどの天才は少し離れた場所で氷の魔導士と話していた。
「にしても、壁に三回突っ込むとか……俺でもやらないよ、あれは」
苦笑いする。
「……あなたが興味を持つなんて、珍しいわね」
「そうかな」
銀髪をふわりと揺らしながら、軽く肩をすくめる。
「試合までに形になれば、面白いことになるかもよ? あの子――力の方向性はめちゃくちゃだけど、潜在的には悪くない」
「……ふん」
小さく鼻を鳴らす。
「どうかしらね。あれだけ自滅するなら、試合前に骨の一本や二本は折れてそう」
「それでも、やろうとしてる」
声が少しだけ柔らかくなる。
「君だって、本当は気づいてるんでしょ。あいつの魔力は……特別だよ」
答えない。
その沈黙を受け止めながら、続けた。
「素直になればいいのに。バクは――あの人とは違うと思うよ」
ピクリ、と肩が微かに動いた。
ほんの一瞬。
その名を口にしていないのに、たしかに何かを揺さぶった。
(あの人のように、また失ってしまうのが怖い──)
静かに息を吐いた。
だがその感情を、相手に悟らせるような表情は浮かべない。
「……放っておいて。私は、関係ない」
「うん。君がそう言うなら」
それ以上、追及しなかった。
ただ、静かに隣から離れていった。
訓練の時間が終わる頃には、空気はすっかり戦場の後のようになっていた。
壁に空いたヒビ。
床に残る焦げ跡。
制服はボロボロで、顔もところどころ煤けていた。
けれど――
それでも、笑っていた。
「次こそは、成功させる」
悔しさを押し殺した顔じゃない。
諦めの笑みでもない。
むしろその瞳は、炎のように、前を向いていた。
「また壁壊すなよー!」
アキが横からツッコむように声を飛ばす。
「次、あれ以上激突したら廊下まで吹っ飛ぶんじゃないの?」
エマが腕を組んで笑いながら言った。
「……ごめんね、ルミ」
ユナは小さく囁くように呟いて、胸元で小さな光の球体をなでる。
彼らの会話は、まるで一日の終わりを告げる鐘のように、騒がしくて、あたたかかった。
≪非効率で、騒がしく、愚く……≫
声が、いつものように脳内に響く。
≪だが──悪くない≫
小さく息をついた。
笑うでもなく、強がるでもなく、ただ少しだけ空を見上げる。
窓の向こう、夕陽が教室の中に斜めの光を落としていた。
橙に染まった光の中、仲間たちの笑い声が、いつまでも耳に残っていた。
残された銀髪の少女は、一人だけ違う空気の中で、もう一度訓練場に視線を向けた。
黒く煤けた制服、足を引きずりながらも笑っている少年の姿。
そしてそれを囲む仲間たち。
(……本当に、違うの?)
心の奥で、掴みかけた問いが、まだ言葉にならなかった。
――この日が、初歩だった。
不器用で、派手で、でも確かに前へ進む、その一歩。
やがて始まる選抜戦。
それは本当の戦いの始まりになる。
けれど今はまだ、その一歩を踏み出した場所。
夕陽の中で、少年たちはそれぞれの想いを胸に、次なる挑戦を待っていた。
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戴冠舞踏会の夜。
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思いを込めてあなたに贈る
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ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。
醜悪令息レオンの婚約
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醜悪な外見ゆえに誰からも恐れられ、避けられてきたレオン。
ある日、彼は自分が前世で遊んでいたシミュレーションRPGの世界に転生しており、
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